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ソロ・パブリッシュ

エア充。

思考のドラマ

2018.10.19(金)

①まずいことが起きた、この状態はやばい、という思考が湧く。
                 ↓
②反射的に思考のなかに原因とおぼしき思考をサーチします。
「あのときこれをしなかった(またはしてしまった)」「誰それの言動がこうだった」云々。
                 ↓
③そして自己批判、または他者批判の思考とつながる。
刺々しい感情や、落ち込んだ気分ともつながる。
「自分のこういうところがだめ」「誰それはいつもそう。言葉が通じない」云々。
                 ↓
④まずいこと、やばい状態は修復しないといけない、という思考ともつながる。
なので思考のなかに対策、防衛策となる思考をサーチします。
ストレスを感じますが、しかたありません・・・。

と、以上のようなジタバタは、マインド帯域で繰り広げられるドラマです。
主役は思考で、思考の動きに反応して、感情や気分も動員されます。

このドラマに、物理事実、すなわち五感+痛みの感覚などの濃い感覚は、
微塵も介在していません。
直感、直観イメージなどの微妙な感覚も、まったくかかわっていません。
全部マインド、すなわち思考や感情などの中程度の感覚で起きている騒動です。
そもそも、まずいだのやばいだのという発端からして思考だし。

それが見えていて、右往左往する思考、ハジける気持ちをやりすごすことができれば、
もし対策が必要なら、自然な行動として自然に起きてきます。ストレスなく。

②の原因サーチをしているときには、
「過去の事実」や「過去の事実に似た事実」を探している気でいますが、
過去にも未来にも、事実なぞありゃせん。
五感+痛みなどの濃い感覚、これ以外に事実などないのです。
「かつては濃い感覚だった(事実だった)」と思えるのは、
観察視点「私」に先だって物があり、物は広がっていて、生滅の方向で変化している、
という客体‐空間‐時間思考が作動しているためです。
これは①~④などの思考を下支えしている思考です。
あれこれの雑多な思考というのは、視覚や触覚などにならないけれども、
「感じ」として感じられるエネルギー的な塊を、
客体思考や空間思考や時間思考でつないでスジが通ってるように仕立てたものです。


人間は、言葉とか身振りとか絵図といった象徴を使って思考や感情をやりとりします。
この象徴ツールが濃い感覚すなわち物理的な音や形などでできているので、
いかにも感覚の向こう側に象徴のもとになる客体(物体)がありそうな気がするけど、
言葉や絵図などが象徴しているのはマインド(思考や感情や気分)であって、
濃い感覚(物理像)ではありません。
私が「赤」と言うとき、その音声や文字は思考(記憶)にある色をさしていて、
それは視覚で感じている「感じ」ではありません。
「赤い」「冷たい」「柔らかい」「痛い」とかの濃い感覚は、
その人固有の感覚として、言い換えるとその人固有の周波数として感じられるので、
人と共有できません。
同じく「自分の考え」や「自分の気持ち」も人と共有できないのですが、
考えや気持ちは客体‐空間‐時間思考に支えられており、
「誰も彼も客体(物体)の一部、客体の法則(物理法則など)にしたがっている」
(=みんないっしょ:仮想集合システム)という暗黙の了解があるために、
共有していると思い込むことが可能です。

濃い感覚、すなわち物理事実は、
まずいだのやばいだの、何が原因だの誰のせいだの、どうにかしなくちゃだの、
がちゃがちゃしたおしゃべりは一切していません。
すごく寡黙で、深閑としています。
よい、わるい、望ましい、望ましくない、そういう判断がない。
ポジティブにもネガティブにも傾いていない。
バシャールのいう「どんな状況も中立である」とは、そういうことです。
濃い感覚は、思考などの中程度感覚とは別のレイヤー(層)、別の周波数帯なのです。
濃い感覚が織りなす物理像世界って、とんでもなく静かです。

といっても、思考が諸悪の根源というわけではありません。
パフォーマンス過多が鎮まれば、動作は正常化し、適切な思考として役立ちます。
適切な思考とは、微妙な感覚すなわち高次帯域と協働し、
直感的な行動指示や、直感的な理解、アイデアとして現れ、
濃い感覚(物理像)の量子跳躍的変化への橋渡しになる思考です。
微妙な感覚は、思考を通さず、ダイレクトに行動や態度として現れることもあります。

適切な思考の特徴は、高速で、明晰で、イッキにわかること。
ウダウダした迷いはなく、危機感めいたプレッシャーもありません。
決断を必要とするような特別な場合だけではなく、
誰かに連絡するとか、作業の手順を決めるとかの場合でも、
思考が適切に動いていると、とてもスムーズに進みます。

先日、youtubeを見ていたら、
ネットお得意のお節介機能(笑)「あなたへのおすすめ」のなかに
こんな動画を見つけました。
このブログの管理人と本質的には同じことを言っておられると思われ、
もっと単純明快に説明されています。
なので、勝手ながらご紹介させていただきます。
7分半程度の動画なので、お時間のある方はご覧になってみてください。
  ↓
スピリチュアルヒーラーmomoyoさんの<MOMOYOチャンネル>より
「思考を止めるだけで不思議な事が起こる?!」
https://www.youtube.com/watch?v=EuvcWdnAEuE
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  1. 2018/10/19(金) 16:29:24|
  2. 仮想集合システム
  3. | トラックバック:0

セルフアセンションと仮想集合システム

2018.10.14(日)

ここんとこずっと、仮想集合システムについて書いています。
仮想集合システムとは、形があるわけじゃなく、思考のフレームになっている思考、
いろんな思い込みのもとになっている土台の思い込みのことです。
まず「私」という観察視点に先んじて物体があり、
「私」は物体の一部(身体)から生じた自己意識にすぎないとする客体思考がある。
「私」が感じようが感じまいが、先に物体がある、とした時点で、
「私」は唯一独自の観察視点から、大勢の身体+自己意識のひとりに転落します。
そして誰にとっても一律に広がる空間があり(空間思考)、
誰にとっても一律に推移する時間がある(時間思考)、と考えられる。
客体‐空間‐時間思考システムともいいます。
なぜ仮想集合システムと呼ばれるかというと、
「誰にとっても同じ(集合)世界」という「仮想」をつくりだすからです。

宇宙は「私」が語り手になる一人称小説のような世界で、
作者が超越的な視点から登場人物を描く三人称小説のようにはなっていないのですが、
仮想集合システムを導入すると、
ここはみんなが同じ舞台に載って動いている三人称小説的な世界だと、
語り手から登場人物のひとりにダウンサイジングされた「私」が錯覚するわけです。

「私」が意識する前から物体があり、それが広がっていて、変化する、
これは、あまりにも当たり前すぎて、ふだんは意識されることもない一般常識ですが、
じつはとくに根拠のない思考工作物で、
思考工作物だと気づけば、思考工作物からはずれる、ということを、ずっと書いている。
はずれたあとは、濃淡と質感がさまざまな感覚を「私」が感じている、それだけです。
感覚宇宙では、物体も、身体も、空間も、時間も、
特定の感覚のまとまりをさす名前にすぎず、実在していません。
ある視覚、触覚の束を「カップ」と呼ぶとすると、
視覚、触覚の束と、カップという音ないし文字(視聴覚)と、
音や文字に対応する「これこれの感覚のまとまりがカップである」という定義があるだけ。
視覚、聴覚、触覚などは濃く強い感覚だし、
定義(思考)も視聴覚などよりは相対的に淡い感覚なので、
全部、感覚であって、
物体とか、その広がり(空間)、変化(時間)は、実在ではないのです。

こないだから、いろんななりゆきで、初期のバシャール本を読み返しているのですが、
今回は、コンタクトする側(バシャールと呼ばれるentity)の視点で読めてきて、
それが新鮮なのだわ。

高次entityとのチャネリングなどは、「私」が感じるなかでも最も微妙な感覚で、
濃い感覚(物理像)や中程度の感覚(思考や感情など)と同じく、
「私」という軸が感じ、かつ創造しているものです。
バシャールや、媒介者となっているダリル・アンカ氏は、
「私は~」という一人称小説の世界で情報を発信し、
会場にいる聞き手も質問者も、やはり一人称小説の世界で情報を受信します。
すると、「前方に青い瓦屋根が見える」という情報が、
「うしろに煉瓦造りの壁がある」という情報として伝わることもあるのですが、
これで辻褄が合っているのであり、
受け手が青い屋根方向に合わせるとか、送り手が煉瓦の壁方向にずらすとか、
ヘンな忖度調整をかけると、かえっておかしなことになってしまう。

本には、
「バシャールという存在が本当にいるのかどうかはどうでもよく、
伝えている情報に焦点を当てて、使えるのであればどんどん使ってほしい」
「質問の答は自分のなかで見つかる。
質問とは、自分がすでに知っていることをいったん外に出して、再発見するプロセスだ」
という主旨のことが繰り返し出てきます。
これは、メッセンジャーを教祖にしたり、インチキかどうかを問題にするのではなく、
伝えている情報が役に立つかどうかで判断してほしいと言っているように読める。
でも、それは「仮想集合システム下にいる“私”たち(=地球人)」に沿った翻訳、
言い換えると一般常識でわかりやすい表現で、本当は、
「どんな情報も、自分バージョンでしか受けとれないし、送れない」
ということを言っています。
常識翻訳は、この根本原則を、わかりやすいように変形させているといっていいでしょう。

しかし、会場にいる聞き手や質問者の方たちは、
どうも無自覚に客体‐空間‐時間思考の工作物のなかにきっちり収まっておられるっぽく、
誰から見ても妥当と思えるような、
当事者不在の、三人称小説的な情報があると思っているみたいで、
要はこの三人称小説的な情報が「使えるか」「役に立つか」が問題なのだと、
かんちがいしておられるようです。
そのあたりの行きちがい加減に、
「さっき言ったじゃん。もしかして伝わってないとか」
「波動と言葉が真逆の地球人あるあるキタ」
といったバシャールの驚きが感じられておもしろい。
2巻目あたりから、ワクワクすることをしてください、ただし「統一性をもって」
というわかりづらい補足文言がついたために、いっそうインターフェイスが混乱w
「統一性をもって」とは、ワクワクすることをするためにワクワクしない手段をとるな、
ワクワク波動は一貫してるんだ、コヒーレントなんだ、ってことですが、
「人に迷惑をかけないよう心がけつつワクワクしよう」的な、珍妙な雰囲気になって
しまいました。

本来、自分バージョンで受けとられる情報が仮想集合システム仕様になると、
思考工作物によるバイアスがかかって、
オーダーメイドの服が既製服に、どころか誰にも似合わない制服に変わります。
誰にも似合わなくなるのは、「私」という当事者がいないから。

いわゆるアセンションに関する数々の情報も、
「みんないっしょ」の客体‐空間‐時間思考という思考工作物を経由したために、
お祭りの準備をしては雨天順延みたいなことが繰り返され、
そのたびに制服サイズに消沈しています。
本来なら「前方に青い瓦屋根」と「うしろに煉瓦造りの壁」でベストの相乗効果が
現れるはずなのが、
個々人が「みんな」と「私」の間を行き来して堂々めぐりしているので、
個々人の自分バージョンの情報(=エネルギーでもある)も解凍しきれていません。
巷で何が流行ろうと廃れようと、
誰かの予言が当たろうとはずれようと、
自分バージョンのソース(情報、エネルギー)はちゃんとキープされているので、
それを「感じ」として感じとるのが先です。
感じればアクティベートされる(活性化する、ONになる)ので。

バシャール本の発行所と同じヴォイス社から刊行されている、
マイク・マクマナス氏の著書『ソース』には、
「目標を立てず、めざす方向だけを決めておく」という表現があります。
アセンションと呼ばれている流れにも、
濃い感覚(物理像)と中程度の感覚(マインド)に閉じ込められていた
「私」の制限が解け、微妙な感覚(高次帯域)が感じられるようになる、
個々人がそれぞれトータルな宇宙になる、
という方向性しかありません。
速度や、具体的にどんな世界、センス、能力となって表出するのかは、
人によって全部ちがいます。
  1. 2018/10/14(日) 21:29:29|
  2. 仮想集合システム
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個人的で、とても密やかな

2018.10.9(火)

朝、起きたら、CGめいたというかなんかつくりものっぽい、すごく奇妙な世界だな、
と感じたことがあった。
ここでは、物があるとか明日がくるとかいうことになっているみたい。なんだそれ。
変だぞ。へーんへんへん。
このソフトウェアの見えない取説があるんだけど、それは鏡文字で書かれている。
鏡文字は、自分の軸が感じた信号を、ひとつ上の次元でまとめて仕分けしているのではなく
(仕分けのために下の信号である音や形を使って名前を与えてラベリングしている)、
物体の一部として身体が生まれ、身体の生理反応から自己意識が生じる、
という転倒を象徴している。

おやおや、どうも妙なとこに来ちまったな、といった感じが半日くらいつづいた。
いつかどこかで似たようなことがあったような気がして手繰ってみると、
これはウォークイン直後の感覚と似ている。

当たり前と思われていることをとても不思議だと感じている人と、
当たり前と思われていることが当たり前と「思われている」ことに気がつかないくらい
当たり前と思い込んでいる人がいる、らしい。

両者は、別々の軌道を回る電子のようなものである。
別の軌道に跳ぶと、
突如として全思考のからくりに気づいたり、
全思考のすべてが思考であることを思い出せなくなったりする。
両者に優劣はない。

ネット海で、
「スピリチュアルをやってる人ってしあわせに見えない」
という、紋切り型めいたフレーズに遭遇した。
おお。
「スピリチュアル」のところに「腐女子もしくは腐男子」とか「サラリーマン」とか
「ギャンブル」とか、別の任意の単語を入れても成り立つな。

Aさんにとって、Bさんが「しあわせに見えない」のだとしたら、
それはAさんのテーマであって、Bさんには1ミクロンも関係ない。
大きなお世話ですらない。
ただ、Aさんのようなテーマがある人にとっては、
しあわせに見えることもしあわせの条件であるらしいことは推察できる。
そういう条件がついているうちはきっとしあわせではなく、
しあわせから解放されてもいないんだろうな。
それも決してまちがいじゃない。
そんな私の推察も、Aさんにとっては大きなお世話ですらない。
  1. 2018/10/09(火) 15:31:08|
  2. アセンションについて
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「社会」というまぼろし

2018.10.2(火)

筆者のガイドentityのひとりであるソフィア@シリウスとの対話です。

みけ 今回は珍しく、「社会」についてうかがいます。
つっても、私がマインドでキャッチしてる範囲の、せまーい社会だけどね。
最近、むかしの、「ニューエイジ」の時代の本を読み返していて、
初読のときの自分がどう受けとめていたのかはもう憶えてないんですが、
今の自分にはあきらかに当てはまらない部分が多々あり、
けど、それはさほど気にならなくて、エッセンスは今でも役立つと思ったの。
ただ、自分がマインドでとらえてる「社会」のほうは、ニューエイジの本が書かれたころ
からあまり変わってない印象があって。
ソフィア どういう印象?
みけ 大前提として客体としての物体があって、物体の一部である身体があって、
身体の諸反応や、諸反応を象徴化した言葉や身振りとかから主観世界ができる、
この客体‐空間‐時間思考システムにもとづいて、システムに気づかずに、
客体である環境から客体である自身の身体や、
身体に依拠する主観世界を守る活動がつづいてるってことです。
それが将来設計であり人生設計であり。具体的には、受験とか就活とか婚活とか、
脳をはじめ身体の諸器官の健康を維持したり、衣食住をメンテナンスする活動。
メンテナンスって、健康や衣食住を楽しむためじゃなく、
自転車を漕ぎつづける機能を維持するためにしてるんです。
ソフィア 自分がシステムに気づいて、「私」を軸とする感覚宇宙になっていても、
マインドにはシステムを前提とする情報があふれている、ということ?
みけ そうです。
ソフィア あなたはそれでがっかりしたり、不安になったりしているの?
みけ いえ。私はもともと土台のシステムがちゃんとインストールできてなくて、
仮縫い状態だから、脱システム一択なんですよ。
ウォークインしてこのかた、ずっと違和感があってずっと不安で、ずっと背水の陣、
だからこのままだとやばいとか、今からでもちゃんとしなくちゃ、ってのはありません。
ずっとキワキワの綱渡りでやばかったんだもん。
マインドでとらえた社会の情景とズレてるのも、ずっとそうだから、気にしてません。
ソフィア じゃ、いいじゃん。何が引っかかってんのよ。
みけ えっとね・・・スピリチュアルとか精神世界チックなことやっている人は、
それが多数派かどうかはわからないけど、少なくとも一部の人たちは、
自分の量子跳躍(覚醒、気づき)と社会の変化がシンクロすることを期待してた気が
するの。2012でも2016でも2024でも何でもいいんだけどさ、
あるターニングポイントみたいなのがあって、そこから加速がつくみたいな。
でも私の「感じ」では、とくにシンクロしてないし、加速もついてないのね。
それでがっかりして脱スピする人が増えても、私的には全然どうも思わないんだけど、
そうね・・・この「巻き込み力のなさ」ってどういうこと?っていう疑問です。

ソフィア わかった、OK。
では、あなたがマインドでとらえた「社会」で、就活する人の着地点はどこですか?
どうなれば就職活動は終わるの?
みけ 就職です。会社とか役所とかに入ることが決まれば終了です。
ソフィア 婚活は?
みけ 結婚する相手が確定すれば終了。
ソフィア そうした何々活の最中に、その先のことは射程に入ってる?
たとえば、就活の最中に、結婚のことは計画に含まれていますか?
みけ 考えている人もいるかもしれないけど、一般的には考えてないと思います。
まだ予測できないってこともあるし、先を考えすぎると身動きとれないかもしれないし。
ソフィア 就職とか結婚とかは将来設計、人生設計の中間目標だよね? 
で、就活とか婚活とかは中間目標に到達するための実行プロセス。
だとすると、全体図が描けてないのに中間目標が決まり、
何々活をはじめられるのはなぜだろう?
みけ みんながそうするから、乗り遅れないようにするためでしょう・・・あ!

ソフィア 9月の半ばくらいに、あなたは、ソファイア@シリウスから、
かなり強いメッセージを受けとってるよね? 
みけ ・・・あれね。単刀直入すぎて、コワくて公開してないんですが。
ソフィア それは巻き込み力云々の話と、本質的なところでつながっています。
どんなメッセージでしたか?
みけ 客体‐空間‐時間思考システム、つまり仮想集合システムの目的は、
「私」を客体化した身体とそこから派生する主観世界に閉じ込めておくこと、
言い換えると「私」がハイアーセルフであることに気づかせないこと、だから、
催眠術にかかった人みたく、気づかずにこのシステムにしたがっていると、
「私」は独自の意識ではなく、大勢の身体+主観の1人と定義(思考)される。
「私」を客体化した身体+主観にダウンサイジングすることで、
自分を大勢の身体+主観のうちの一体だと思っている金太郎飴みたいな人間が
いっぱいできて、その同質性が規格化します。
そこから「集合体からはみださない」という暗黙の規範が生まれる。
人間が本当に<人類>という動物種のような群的な存在だったら、
そんな規範なんかなくても規格内に収まるんだけど、
本当は個々ばらばらで、意識の奥底ではヘンだって気づいてるから、
ハイアーセルフとしての「私」を不活性にしておくために、規範で縛るわけ。
ソファイアが伝えてきたのは、
この規範を守ることでどんな見返りがあると信じられてるか、ってことです。
ソフィア どんな見返りですか?
みけ まず安全。「集合体からはみださない」という規範は、
身体+主観に制限された「私」を、客体(物体)でできた環境からもたらされる
リスクから守るための安全策と考えられています。
ただ、身体が客体の一部である以上、機能の減衰、停止は避けられず、
これは身体+主観が「私」になってる人にとっては、
「私」が消滅してしまうということを意味します。
けど、規範を守っていれば、「私」の消滅は穏やかに起きると期待されています。
ソフィア 「集合体からはみださない」という規範を守っていれば、
実際、安全であり、穏やかに消滅できるのですか?
みけ いいえ。仮想集合システムの目的は、
①「私」を身体+主観(マインド帯域)サイズに制限すること
②仮想集合システムそのものを維持すること
この2つだけなので、安全とか穏やかな消滅なんて約束していません。
ただ、そうでもないとやってらんないというか、希望がないんで、
不自然な規範を遵守するストレスを規範内で解決しようとして発生した願望が、
見返りに転化したんです。「そうであってほしい」が「そうなるはずだ」になったと。
たとえば、会社に「課内全員の仕事が終わるまで社に残る」という暗黙ルールが
あるとして、そんなことは就業規則とかには明記されてないんだけども、
それを守れば上司の高評価につながるという期待がある、みたいな。
ソフィア それをソファイアはどう伝えてきたの? 原文のまま率直に言ってほしい。
みけ 「みんなと同じにしていれば楽に死ねる」、
これがシステム下にいる人間の理想の「人生」だと。
人が親しい間柄の人のしあわせを願うとき、その願いの内実は、
「楽に死ねますように」のひと言に要約できるとまで言いましたよ。
身体は消滅しても主観のほうは名前や業績として継承されるとか、
文化集団によってもいくらか差異はありますが、
本音となると「楽に死ぬ」が究極の願いといっていいと。
ソフィア それから? まだあるでしょう。
みけ これが本音の願望なんだけど、「楽に死ぬ」のほうに気づいてしまうと、
「私」の消滅が視界に入ってきてテンションが下がり、
②のシステムを維持するという目的達成に支障が出るから、
下の句は言下に抑え込んでタブーにしていると。
中間目標を達成するための何々活のモチベーションが下がるから、
ふだんは考えないようにしてるってことですね。
最終目標を隠蔽していても中間目標達成のために動けるのは、
「集合体からはみださない(みんなと同じでいる)」規範が活きてるからです。

ソフィア 「集合体からはみださない(みんなと同じでいる)」という規範は、
客体‐空間‐時間思考システムがハイアーセルフとしての「私」を封じ切れないという
弱点をカバーする思考で、もともとシステムに内在するコードです。
だから「仮想」の「集合」に適用するシステムなんだよ。
ならば、客体‐空間‐時間思考という催眠術にかかった状態から覚めた人は、
もはや集合体の動向を気にかける必要はないのでは?
みけ そっか。そうですね。
ソフィア どんな変化であれ、次元の上昇でも下降でも、
「私」を軸とする個々の宇宙の変化は、個々に起きるのであって、
シンクロとか巻き込みとかは必至じゃない。あってもなくてもかまわない。
むしろ、シンクロや巻き込みはないという前提でいていただいたほうがいい。
みけ どうして?
ソフィア 集合体の動向を気にかけはじめたとたん、
客体‐空間‐時間思考システムが再適用されてしまうから。
客体に制限された「私」と客体の他者との関係調整が再び問題になり、
空間思考、時間思考が動きだし、健康、経済、その他の将来の見通しが不安になり、
すべてがもとの木阿弥です。
そして、またシステムに囚われていることに気づき、集合体を気にかけてまたシステムに
戻り・・・と、ここで堂々巡りすることになる。
みけ アセンション関連のイベント告知が空振りに終わるのも、そのせいなのかな。
ソファイア@シリウス そうよ。だから、うちらはイベント告知系の情報は出さない。 
出す必要があれば、空振りを織り込んで変化球にしてる。
ソフィア あなたがたのいう社会は、「私」に先んじて客体(一般的には物体)があるという
客体思考を前提としたときに設定される環境であって、
「私」を軸とする宇宙には環境なんてないんだから、社会もないんだよ。
そもそも、物体も身体もないんだから。
物体とか身体というのは、濃厚な感覚(五感+痛みや嚥下感などの感覚)を
中程度の感覚(思考)で分類、整理してとらえたとき、はじめて立ち上がってくる概念です。
あなたが物体や身体を思い浮かべるとき、
濃厚な感覚の束と、中程度の感覚が重なっていて、
両者を一部の濃厚な感覚(音声や文字などの象徴記号)が結んでいる。
みけ たしかに、濃淡や質感がちがう、いろんな感覚からなる模様があるだけです。
ソフィア その模様をちゃんと感じていればいいわけ。
ある出来事に主体的にかかわるかどうかは、模様の動きのなかで自ずと決まってくるし、
主体的に動くことと静観することの間に優劣はない。
静観すること、通過させることも行動のひとつです。
  1. 2018/10/02(火) 16:46:14|
  2. 仮想集合システム
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ある日の吹奏楽コンサートから(追記あり)

2018.9.25(火)

先日、地元の市民吹奏楽団の定期演奏会を聴きに行きました。
定演は毎年開催されているのですが、それまでそんな情報はとんと引っかかってこず、
市民吹奏楽団の存在も、うっすら知っている程度でスルーされていたのですが、
今回、ふとデムパが走り、そういうタイミングだったので出かけてみたのだ。

なんとか交響楽団とかの管弦楽の生演奏は何度か聴いたことがある。
でも今回は管弦楽じゃない。管楽器と打楽器が主体で、コントラバスが1~数本、
編成によってはピアノやハープが入ることもある、吹奏楽ですよ。
ウインド(息)オーケストラです。
私にはリニア時間感覚がなくなってますが、生吹奏楽は暦年的には何十年ぶり?って感じ。
なので忘れてました。ナマ吹奏楽の音のデカさ、振動の凄まじさを。
管弦楽では副菜的な位置づけの管楽器がメインディッシュでどーんと出てきますからな。
それに管弦楽にはないサックス隊、ユーフォニアム、バスクラリネットやEs管クラリネットとかも
入ってるし。フォルティッシモのトゥッティ(総奏)なんかで来られたひにゃ、
ドーン、ズズン、ビリビリビリ・・・てなもん。落雷ですよ。

そんな巨人族のダンスみたいなボリュームのなかで、
たった1本のコントラバスの音が聴きとれたことに、ワシは喫驚した。
この楽団の場合、チューバは4本、それに対して弦バスは1本きりです。
こういうことは、ホールの設計とか座席の位置とかの環境にも左右されるけど、
ただ1本の弦パートの音がちゃんと聴こえてくるとは衝撃でした。
管打楽器メインの吹奏楽に、管打に比べて音量の小さいコントラバスがあるのはなぜなのか、
と、ワシはむかしから思っておって、
ヒドイ言いかたですが、あってもなくてもいいじゃん、くらいな位置づけだったのですが、
コントラバスが鳴っていると、低音部に輪郭ができるというか、ラインが見えるのです。
彼女or彼には、しっかり存在意義があったのだ。
足りないパート(予算の都合や人材不足でファゴットやオーボエがない、など)はあっても、
いらないパートなどひとつもない、ということを再認識したわ。
たたけば音が出る、ために誰でもできそうなトライアングルやシンバルなど、
ただ一発で曲全体を台無しにできる(笑)という怖ろしい楽器である。

私には、絶対音感とか、音楽の才能に通じるような感受性はないんだけど、
2012年くらいから、音楽も含め音一般の聴こえかたが変わったようで、
ここ半年くらいでまた変化しているように感じる。
主旋律の流れや、主旋律と対旋律のからみの流れがメインではなくなって、
さまざまな音程、音色の音、無音が重なったサウンドが鳴っているだけって感じ。
感覚が主旋律などに絞り込まれず、フォーカスが開放されていて、鳥瞰的になっている。
と、とくに聴きとろうとかまえてなくても、1本のコントラバスの音のような、
細かい情報が入ってくる。
音のない環境でも、無音が鳴っている。その無音にも、さまざまな響きがある。

思いもよらない音の動き、無音の表情、協和している不協和音、
というような細かい情報は、
耳を澄まそうとすると、かえって遮断されてしまう。
というか、自発的に耳を澄まそうとしているモードだと、そんなこと気にならないわけ。
気にならないことは発見されないわけ。
「コンバス? 聴こえないよ、なくてもいいじゃん」となってしまう。

そんなこんなで、私は、コンサートや演劇などの公演でアンケートとか書かないのですが、
今回はウザいくらいびっしり書いて回収箱に投函してしまいました。

もうひとつ、この吹奏楽団でほほぅと思ったのは、
フルートパートに2名も男性奏者がいらしたことです。
近年、女性の金管奏者はバクハツ的に増えました。
トランペット、ホルン、トロンボーン、ユーフォニアム、チューバ、
プロアマ問わず、いずれのパートにも女性奏者がいることは珍しくありません。
とくに中学高校の吹奏楽部なんかだと、共学でも総数で女子部員が多いため、
金管パートが女子ばっかりということもある。
一方、クラリネットやサックス、ファゴット、オーボエなんかの木管パートには、
むかしから男性奏者がいました。
しかしフルートについては、私の知る限りですが、
プロの楽団、男子校を除いて、男性奏者をあまり見かけないのです。
フルート、私は試し吹きしたことがありますが、すごく息力がいる楽器ですよ。
オーボエやホルンは管が細いので息がタマってしまってそこがキツいのですが、
フルートは逆に息が足りなくなってハァハァしてしまう。
にもかかわらず、一般的には女性より体力があるとされている男性の奏者が少ない。
なんでやねん、と思っていたら。

これは、40代だか50代だかでフルートを習いはじめたという男性のブログで知った
情報ですが、昭和のむかしのさらにむかし(戦後くらい?)、
フルートは一般的に木製だったんだそうです。
そのころはフルート教室の受講者は男性が多かったらしい。
しかし、金属製のフルートができて、メタリックなデザインで定着してから、
女性の受講者が激増したと。
結論として、「どうも女の人はキラキラしたヒカリモノに惹かれるらしい」的な。
ソンナ理由カイ!?(@_@)!?

そういえば、もう退会したSNSで、MtFトランスジェンダー(物理体は男性仕様で、
エーテル‐アストラル体が女性ジェンダー優勢の人)の方が、
「中学高校の吹奏楽部ではトランペットだったけど、これからフルートはじめようと思う」
という記事を投稿してらしたことがあって、「えっ、なんで? ペットじゃだめなの?」と、
マインド帯域に「?」が飛び散ったこともあったな。
単に好みの問題かもしれず、ジェンダーのイメージは関係ないかもしれませんが。

そういえば、『響け! ユーフォニアム』(原作:武田 綾乃/宝島社文庫)でも、
金管女子は多いけど、フルート男子は出てこんなぁ。
ちなみに『ユーフォ』では、オーボエの鎧塚みぞれ推しです。
イタイタしくて可愛いとか可憐とかの方向からではなく、
先輩がいなくても、部内が人間関係で荒れてても割れてても、
ときに自分が嵐の中心wとなっていようとも、
独り廊下でもくもくとロングトーン、ロングトーン、ロングトーン、スケール、スケール、スケール・・・という姿勢を
リスペクトする。
小説の続編『響け! ユーフォニアム 第2楽章』ではTpの吉川優子もいいすね。
後輩(高坂麗奈)が自分よりうまくてクソ生意気でもリーダーシップがブレなくて偉大です。

この記事についてはコメント欄を開けておきますので、
何かコメントしたいことがありましたらどうぞ。
ただし掲載は管理人が承認したもののみとさせていただきます。
また返信コメント等(質問への回答も含む)は書きません。

9月26日(水)

ご参考までに(何の参考?)。
私のかつての担当パートは中高一貫ホルンでした。
ただいまは密かにべつの楽器を闇練中。あ、フルートじゃないよ。
好きな作曲家はホルストとアルフレッド・リードです。

コメントあざっす☆
レスしないけど、ちゃんと拝読してまっすm(__)m
  1. 2018/09/25(火) 17:34:40|
  2. 音楽
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
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みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
人間(♀)仕様だが
中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
リンクはご随意に。
連絡も不要です。

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