ソロ・パブリッシュ

エア充。

ソースコードへの回帰

2018.5.20(日)

本来のエゴ(観察/創造する統覚意識)の復元、
空間(space)から場(field)へ、時間(time)から順序(order)への回帰。
といったように、メタフィジクス(物理を包摂する超物理)の原義が顕わになった。

ソースコードの浮上により、
在地球人間型意識体(テラン)には、マインド帯域に組まれた仮想集合システムに沿う形で
伝えられてきた形而上体系の再編が起きている。
この再編は、人によっては、神界仏界天使界などentity界の役割の再定義、変更、再編成とか、
あるいは形而上銀河の再編成などとして開示されたようだ。
要するに、スピリチュアルとか精神世界とかの知識、情報が、
ソースコードに近い形に再翻訳されますよ、ということ。
再編、再翻訳は、マインド帯域すなわち思考、記憶、感情などの周波数帯域で進む。
仮想集合システムとの剥離は、マインドで起きるから。

人によっては混乱するかもしれない。
スピリチュアルなことにまじめにとり組んできた人ほど混乱するかもしれない。
混乱してたら、しばらくスピなことはサボって、オタクに耽ったりしていていいって、
“彼ら”は伝えてきている。休んでいても再編はちゃんと進むから。ただし。
ソフィア@シリウス あなたは例外。
みけ えっ、なんで!? 私もオタクに浸っていたい。できればフォーエバー。
ソフィア 何に浸っていようと勝手だけど、こっちは手を抜かないよ。
浸ってるコンテンツにもどんどん(情報を)乗せてくからね。
ナチュラルトランスの人ははじめからソースコードで情報取ってるから、関係ない。
実際、何も困ってないでしょ。
・・・というわけで、NTの人には残念ながら休暇はありません(-_-)||

これまで精神世界チックなことどもは、仮想集合システムから導かれる定義と矛盾しないように、
マインド帯域で自動意訳が起きるようにして伝えられてきた。
つまり(ATの人が)変性意識に入ってビジョンとか音声とか夢とかで情報が伝えられる場合、
その情報がビジョンや音声や覚えている夢として自覚できるマインド帯域で、
その人が住む地域で共有されている物理法則とか文化に合致するように翻訳されていた。
テラン全体が一斉アセンションした場合は、
一斉に意識拡大が起きて、一斉に仮想集合システムがはずれるので、
この一斉ショックを和らげるために、意訳による準備教育段階があったといっていい。
でも一斉アセンションはなくなって、セルフ方式に切り換わったので、
個々人(個々の個体宇宙)のペースにしたがって、システムは自然剥離していきます。

以下、再編事項を整理しておきます。

①“私”(エゴ)
旧版:エゴは特定の記憶、価値観などからなるセルフイメージで、
宇宙全体の意図の実現を妨げるので、手放したほうがよい。
<問題点>
・観察/創造の当事者視点がなく、これを「ワンネスの視点があるだけ」とした場合、
実際、あらゆる現象が自他分離して観察/創造されるにもかかわらず、
自他分離(境界線)の必要性が説明できなくなる
・「(セルフイメージとしての)エゴを手放さななければならない」という思考が生じる
・(セルフイメージとしての)エゴを手放してもなお存在しつづける“私”意識に悩む
    ↓
原義:エゴとは、全周波数帯域(次元)を当事者視点で観察/創造する統覚意識で、
物理像→マインド帯域→高次帯域→ハイアーセルフへと突き抜けている。
自他分離して外側を観察/創造しつつ、Zero Point Fieldと融合する全体である。

(ちなみにセルイメージ化したエゴは、本来のエゴが特定の記憶や価値観などと癒着して、
「“私”=特定の記憶や価値観」という同一化が起きているときに生じる。
記憶や価値観を対象として観察できるようになれば剥がれる)

②場(field)
旧版:空間は立体で、閉じた立体には、“私”が認識していようがいまいが内部がある。
たとえば身体の内部には脳や臓器、あるいはチャクラなどが、“私”の認識の有無とは
関係なく存在する。
<問題点>
“私”の認識(観察かつ創造)とかかわりなく、
不動の事実として球形の地球や身体内の臓器などが実在するという思考が生じやすい
    ↓
原義:場とは、“私”の視点から観察/創造しているデータのまとまり、構成像。
原義に戻ることによって、「内部を展開する」という視点を経由しないアプローチも可能に
なる(内部操作をイメージしないヒーリングなど。ただし内部を展開させたほうが効率的な
場合もあり、どのアプローチをとるかはエゴを統括するハイアーセルフの意図にしたがう)。

③順序(order)
旧版:時間とは、物理化した出来事が、発祥→成長→成熟→衰退→滅失という方向で、
線形に、不可逆的に推移すること。
<問題点>
・上述のような時間が思考でできた定義であることになかなか気づけない
・人生記憶、転生記憶、異界での別世記憶などを追究していると、時間思考が強化されやすい
・「人生記憶、転生記憶、別世記憶=かつて実際に体験した事実」という定式から、
自身の白ないし黒歴史という形でセルフイメージの素材になりやすい
※記憶探究の本当の意義は、それらの記憶情景がリアリティをもって想起されると、
時間を貫通する思考・感情の反応パタンに気づけることで、
「本当にあったことかどうか」はじつはどうでもよい。
というか、周波数帯域(次元)が異なるだけで、およそ想起できることはすべて「本当」である。
     ↓
原義:順序とは、複数の場を前後関係でつなぐこと。
個々の場を俯瞰できる周波数帯域(次元)で指定し、プロセスを構成する。
原義に戻ることによって、無数のデータ(記憶)を、実際に体験している、していないにかかわらず、
必要なつど呼び出して使うことができるようになる
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  1. 2018/05/20(日) 22:34:42|
  2. 新世界への回帰
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“私”、空間、時間

2018.5.16(水)

アセンション、って、the Ascensionと定冠詞つき冒頭大文字にするとキリストの昇天のことで、
スピリチュアル業界でいうアセンションは、そこらへんが語源よね。
たぶん、米国のニューソート、ヒッピー、ニューエイジムーヴメントの流れからどうのこうの。
人によっていろんな使いかたをしているっぽいけど、
私は、この用語を「意識が広がること」という意味で使っています。

意識が広がるとは、認識の範囲が広がること。
認識の主体は“私”(本来のエゴ)だから、“私”の感知キャパが広がることです。

たとえば8階建ての建物があるとして、
1階の101号室(自分の身体像)
2階の201号室(自分の記憶を含む思考、感情、気分)
これだけが“私”としてカウントできる範囲であったのが、
1階のほかの部屋、2階のほかの部屋、
301~801号室、各階のほかの部屋まで、“私”のカウント範囲になります。
ただし各階の居室(101~801)をまちがうことはありません(他の人の感覚と自分の感覚、
エンティティと自分を混同しない。全周波数帯域で自他の分離ができている)。
最上階の8階には801号室しかなく、ここに住むハイアーセルフは建物全体のオーナーです。
このオーナーは、701~101に自分の分身を住まわせ、
分身たちの観察を通じて全室をモニタリングしています。変態です(笑)。

早い話、必要に応じて“私”の認識範囲が伸び縮みするといっていいかもしれません。

認識範囲の広がりにともなって、空間と時間は、
空間=場、時間=複数の場の順序、としてとらえられるようになります。
場(空間)・・・“私”視点からのデータの配置(具象化すると感覚景色の広がり)。
順序(時間)・・・複数の場を前後関係でつないだ順序。

周波数帯域(次元)が高くても低くても、キモはこれだけです。

順序は、場よりも高い周波数帯域で表現されます。
複数の場は、個々の場を俯瞰できる位置にこないと認識できないからです。
たとえば、物理像の時間推移は、物理像よりも高い周波数帯域にあるマインド(記憶)で
組み立てられ、観察されます。
物理像という場のデータ配置(感覚景色)のどこを探しても、前後の場はありません。
1秒前の出来事でも、マインド(記憶)でプログラムされた記憶情景としてしか存在せず、
事実ではないし、厳密には、かつて事実であったと証明することもできません。
物理像は“私”が観察/創造すると完了した直近過去として凍結していて、
順序(時間)はありません。
これはどの周波数帯域(次元)でも同じで、
場には順序はなく、順序が構成される次元には順序を指定したプログラムしかない。
両者は“私”がセットにしたときに複数の場の序列化、つまりプロセスとして体験されます。
でも本来、場と順序は別ものなので、
順序にない場が開いたり、
順序に含まれているはずの場がスルーされるといったことも起こりえます。
そういうのはたいてい、各周波数帯域で自他分離している“私”(上述の建物の喩えだと、
101~701の住人としての“私”)が特定の場や順序に固執していることによって起きます。
「こういう出来事が起きているはず、起きたはず(場への固執)」とか、
「こういうパタンがあるはず、ストーリーになるはず(順序への固執)」とか。
もっともそうした固執が、ハイアーセルフ(上述の建物のオーナー)の企図を覆すくらいの
実現確率になることはめったにありません、が、
在地球人間型意識体ザ・テランの場合は、2階の住人(マインド帯域)がかたづけられない
人たちだったので、オーナーからの伝言が届かず、しょっちゅうアクシデントが起きてました。
というか、2階には、
「場は閉じていて(立体という意味)、閉じた場には内部構造がある(立体の内部がある)」
「複数の場のつながりは、発祥→成長→成熟→衰退→消滅の流れをたどる」
という独自ルール(時間、空間の制約的解釈)があって、
これ以外は受け付けない、ありえないね、ということになっていたのです。

自分が101~701に分かれつつ、801で建物全体のオーナーをやっていることに気づいた人は、
2階がかたづくにつれ、2階の独自ルールには縛られなくなります。
もちろん、場合によってはこの解釈が実用的なケースもあるので使ってもいいのですが、
オーナー(ハイアーセルフ)は、「もうそれはわかったよ。ほかのアプローチも試してみて」
という意向をもっています。
2階ルールではイレギュラーだったことに気がつくようになると、
はじめのうちはその出来事が珍事と思えるかもしれません。
書いた覚えのないメールが送信済みトレイに入っていて、相手からの返信も来ているとか。
カードホルダーに入れておいて、ついさっき館内で確認したはずの図書館利用カードが
なくなっていて、あせってカウンターに行ったら、耳元で「再発行するな」という指令が聞こえ、
帰宅したら、なぜか引き出しにあったとか。
がんばって歩いても15分かかる道のりなのに5分で着いてしまったとか。
こういうことに対して、「メール作成したのを忘れていたんだ」「館内で確認したのは勘ちがい」
「時計が遅れている」といった説明をつけるのは2階ルールです。
2階の合理性は、ほかの階では非合理的です。
2階のマインド帯域は、特定の時空間解釈で整合性をとるために、
「じつはメールを作成していた」とか「館内でカードは確認していない」といったふうに、
場面を差し替えてしまう(記憶を書き換える)ことすらあります。
といって、「うお、不思議な出来事キタ!」と前のめる必要もないけどね。
とくに不思議ではないので。
てかむしろ、いちばん不思議なのは特定の時空間解釈へのこだわりですよ。

それにしてもアセンションて。うーん・・・。
がんばってそうなるものじゃないし心がまえでもないし。
時機がくるとそうなる、自然解凍みたいな感じかな。
  1. 2018/05/16(水) 21:01:55|
  2. アセンションについて
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空間のひみつ

2018.5.11(金)

空中から物体を出したり、歩いたり電車に乗ったりせずに目的地に着いたり、
ボールに切れ目を入れずに裏返せたりする人がいるらしい。
らしい、というのは、どれも、いわゆる精神世界系の本で読んだエピソードで、
自分の目でシカと見たわけではないからだ。
ありえないとか、インチキをしているはずだ、とは思えない。
物理事実でも人心の変化でも、起きるかどうかは確率の問題で、
一般的には非常に起きる確率の低い出来事が高い確率で起きることもあるんだろうな、
と思う。

上述のようなことができる人は、自覚があってもなくても、
空間の感じかたを「標準モード(地球人の仮想集合システムに則った感じかた)」から
「自在モード」に切り換えることができるのだろう。
たとえば空中からバッグをとり出せるのは、そこにバッグがある、という視覚的、触覚的な
感じがあるからである。そういうリアリティの物理像になっている。
こんなのは、「出せるから出せるんだ」と言ってるのと同じだけど。

時間は、場の順序と開きかた(テンポ、速度)についての仮定であり、
空間は、位置と広がりかたについての「こうだとすると~」という仮定である。
エーテル波が物質波を反映させて質感をつくる物理場に映しだされる物理像では、
空間の仮定条件は「エーテル設計図が物質波でできていたらどうなるか
=物質でできているとするとどう感じられるか」で、
この条件を入力して出力される結果は面的、あるいは膜的である。立体じゃなく。
在地球人間型意識体は、この面的物理像を、マインド帯域の思考領域で「立体」に変換する。
小さく見えるものがだんだん大きく見えれば近づいているとか、
大きな音がだんだん小さくなったら遠ざかっているとか、
同じ触覚がしばらくつづいて突然途切れたら、つづいた分の奥行きをもつとか、
感覚の差を距離や高さ、奥行きに変換して、思考で立体だと理解している。
実際には、ある形や色が見える、ある音が聴こえる、ある感触を感じる、
といった体性感覚の総合図しかない。
立体という概念に慣れていると、この総合図を「面」とするには抵抗があるが、
複数の感覚が配置された「面」としたほうが、立体よりも実態に近い。

時間についても同様のことが言える。
物理像というのはそこで完了している、時間の尺に当てはめれば直近過去であり、
これを含めた時間の流れ(プロセス)は思考でしか組めない。
物理像で自他分離した“私”は、完了した感覚総合図しか認識しておらず、
そこにはプロセス(時間)も立体(空間)もない。

しかし、思考でプロセスや立体を立ち上げるとしても、
それ自体は別に意識の広がり(アセンション)を制約しない。
制約するとは、時間思考や空間思考が「こうでしかない」というふうに硬直していて、
「これもありだけど、これ以外のとらえかたもある」という柔軟性がなく、
自在に使えなくなっていることを意味する。
時間についての制約は、「誕生→成長→成熟→老化→消滅」といった生滅盛衰方向
(エントロピー)を「こうでしかない」と一義的に決め込んでいることだった。
これを支えているのが過去の場面がずんずん累積していくというフィボナッチ思考である
(1、2、3、5、8、13・・・と、1つ前の数字が足されていくフィボナッチ数列のような思考)。
では空間についての制約はどんなものか。
それは、「(物体には)内部がある」という思い込み(合意現実)が強力だということだ。

内部がある、というのは、思考で立体を想定したときの、見かたの1つにすぎない。
プロセスが生滅盛衰の方向に限られないように、
立体を想定したからといって、内部が必然というわけではない。
というか、物理像の実態に即すと、むしろ内部なんてないんだよ。
感覚の総合図は面的で、面には内部なんてないんだから。

内部がないとはどういうことか。
たとえば箱を開けたらケーキが出てきたという時空連続プロセスの場合、
「箱がある」「箱のフタを開く」「開いたボール紙のうえにケーキがある」
というのは、それぞれ別の場面、別の物理像だということです。
この伝でいくと、身体(像)の内部、筋肉とか内臓とかの器官も、
たとえば手術をするとか、内部そのものではないにしてもX線やCTの画像として見るとか、
そういう場面にならないと出現しないということになる。
鏡を見て口を開いたときに出現するのは、
歯や舌や口蓋、その奥(奥という言いかたは立体を設定している)の黒い穴であって、
穴の向こうの気道だとか食道だとかは現れていない。
建物や機械の修理とか、内部を想定してアプローチしたほうが実用的なこともあるが、
物理像の空間構成方法がそれしかないわけではない。

ソファイア@シリウスというentityの指摘によって、私が上記のことに気づいたのは3月半ば、
それからこうして文字にするのに1か月半くらいかかっているのは、
信じられないとか半信半疑だからというんではなくて、
逆にわりとあっさり納得できてしまったんだけど、
これを書いたり口外したりしたら、すっげえ変なやつになるな、中二病極まれり、
というビビリが私の思考領域にあったからです。

でも、だったらしゃっくりを「内部」思考なしで止めてみようと思って、
空中にテキトーに「しゃっくりを起こしている点」と、別の点(これは「しゃっくりを起こしている
点」以外の点=しゃっくりを起こしていない点で、どこでもよい。これもテキトー)の2点を
指さしするようにして設定し、両方の指先に感じる感覚を感じつづけるというヒーリングを
してみたら、数秒で止まりました。
↑これは『瞬間ヒーリングの秘密』(フランク・キンズロー著/ナチュラルスピリット)という本で
紹介されている「クォンタム・エントレインメント(QE)」を応用したやりかたです。

以下はさらにオカルト寄りの情報。
内部構造という形で現れる物理像は、エーテル帯域上に、
さまざまな周波数をもつ波動の組み合わせ=信号として設計されていて、
ソースコードでは、いろんな信号で構成された膜みたいになっているようです。
内部ではなく、面状に広がる図面に近い。
その全部が物理像化するわけじゃなく、隠しコードもたくさんある。
私はエーテル体が見える人ではないんだけど、
見える人には、地球人の仮想集合システム仕様に合わせて、
身体外部に沿ったスケルトン構造として見える場合もあるみたいです。
  1. 2018/05/11(金) 18:19:52|
  2. フィロソフィア(愛知)
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ナチュラルトランサーのありかたと逆転の発想

2018.5.6(日)

地球人の仮想集合システムに不適合なナチュラルトランサーのみなさま、こんにちみ。

ナチュラルトランサーとは、サイキッカー(超能力者)でもエンパス(共感能力者)でもないのに、
人外系周波数がだだ漏れで挙動不審になってる方のことです(私も含む)。
詳しくはカテゴリー「ナチュラルトランス」から分岐している「ナチュラルトランサーの特徴」を
ご参照ください。

NTのみなさんは、怪しげな個人セッションを受けたり、自分で怪しげなデムパを受信したりして、
「あなたはそのままでいいです」
「存在すること、居ることがあなたの仕事です」
といった類のことを言われたことがありませんか?
私自身、そういうデムパメッセをエーテリック耳タコになるくらい聞かされているし、
ブログの記事にも「NTのテーマは自然体でいるということだけ」と書いてます。
異界の自然児の波動を撒き散らし、空間の遠近を問わず接してくる他人(の宇宙)の制限を
解除することがその役割なので、
地球人の意識の変容に積極的に関与して気づきを促すような仕事は当てられていません。

地球というのは、エーテル帯域に物質波を反映させて物理像をつくれる場のひとつの名称です。
地球という物理場に接続している人間型意識体=地球人は、
本来なら全周波数帯域を感知できる“私”意識(エゴ)に、
身体像を含む物理像+考えとか気持ちとかのマインド帯域(アストラル帯域の低いほう)しか
キャッチできないという制限をかけています。
さらに、物理像は“像”じゃなく、体性感覚の向こう側に実体としての物質があって、
それを身体器官でとらえている、マインドは身体器官の反応から生じた派生現象である、
ということになっています。
これら一連の地球物理場ローカルなしくみが仮想集合システムです。
仮想集合システムのもとでは、このシステムをリニア時間思考に則って存続させていくために、
ひとりひとりが何らかの役割を担って行動しなければなりません。

一方、物理像+マインド帯域を超えて意識が広がった人たちは、
個々人から仮想集合システムのしばりを解除したり、
システムから強制適用機能をはずして、選択的にカスタマイズできるウェアにしたりするのに、
その人の適性に即したスキルが芽生え、開花していきます。
ヒーリングやリーディングを通して、出合う人たちの心身(という形で現れる宇宙)を整える
手助けをするとか、自分の宇宙から得た情報を本や映像にして誰でも使えるようにするとか。
組織や集団のしくみを改革したり、政治活動や経済活動に革新的な方法を導入したり、
アートやクリエイティブ系の表現活動によって、集合意識システムに依拠するマインドに
風穴を開けるとか。
この人たちは仮想集合システムから抜けた人たちや、
集合システムのことをきっちり学習したうえで潜入しているAT(アセンダントトランサー)です。
彼らの仕事の着地点は、地球の人間型意識体を<人類>くくりからリリースして、
それぞれが個体宇宙に還るのをサポートすることです。

しかし、NTは最初からシバリのない人たちであり、
私即宇宙というゴールにいます。
シバリのしくみもよくわかってないので、シバリ解除の任務も課せられていません。
とはいえ、住んでいる地域の言語や風俗習慣はざっくりと学習してますから、
「そのままでいい」だの「居ればいい」だのと言われて困るわけです。
上記のように、地球人ワールドは、地球人標準の役目だの仕事だので回っている
(かに見える)ので。
「居ればいい」というのは、「あなたは地球人の仮想集合システムに囚われていないし、
このシステムの改変エンジニアリングにもかかわっていないから、特別なことはしなくていい」
という意味で、
NTが関係していない仮想集合システムを前提とした消去法的な言語表現にすぎません。
そこで、次のように転換してみてください。
「居ればいい」という言いかたを、もとのソースコード(波動)に戻して、再リーディングすると
どうなるか。
     ↓
あなたは、そこに居さえすれば、何をしてもいい。

どうよ。わくわくしてこない? フフフ(-▽-)フフフ

つまり地球物理場に接続してさえいれば、あとは何もしてもいいのです。
そして、ハイアーセルフだとかentityといった形で現れる個体宇宙の全エネルギーは、
当人が気づいていようがいまいが、
この「居る」ってことについて全力サポートをかけています。だってそれが仕事だからね。
つまりは将来の心配だの老後の心配だの一切しなくていいってことです。
といってもNTはリニア時間設計がユルユルで、半年先のことで容量オーバーになったり
するから、どのみちしっかりした心配なぞできゃせんのだが。
「そのままでいい」「居ればいい」というのは、何かをしちゃいかんということではありません。
ヒーリングだろうがリーディングだろうが、アート、政治活動、瞑想三昧、オタク三昧だろうと、
興味、関心が向いたら、何をやったっていいのだ。

また、これも勘ちがいされやすいことですが、「そこに居ればいい」というのは、
職業労働とか家事とか、日々のタスクに地道に、丁寧に取り組み、平穏無事な毎日に感謝、
といった類の姿勢をさしているのではありません。
平凡な人生とかふつうの生活とかは、経験記憶をつないだ時間思考をベースとした思考です。
「日々」なぞという連続的に累積していく時空間は記憶とその延長イメージでできていて、
どこにも実在していないし、
どの場面も非日常であって、平穏でも無事でもありません。
周りの人が暗黙の前提にしている時間思考にがんばって適応して、
どうにか週単位や月単位くらいのスケジュールアプリなら動かせるようになったのに、
人から「将来設計」などというまさかの難題を振られて途方に暮れた経験のあるNTの人なら、
上記のようなふつうの生活像がマボロシだと身に沁みてわかると思います。
居る、存在する、ということは非常に明白で、どんな幻想もなく、
時間思考によってオート出力される人生とか生活とかいった思考に垂直に切り込んで、
そういう思考を終わらせます。
  1. 2018/05/06(日) 15:50:18|
  2. ナチュラルトランス
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周波数の上昇

2018.5.1(火)

4月29日の夜、ベランダに出たら、向かいの空に数本の光の柱が立っていた。
ん、雲? と思って目を凝らしてみたけども、どう凝らしても雲じゃなくヒカリだったわ。
やや斜めぎみに。漫画の集中線みたいなやつ。なんだろね?

それはそれとして、なんのことはない声、動物の啼き声、しぐさ、立ち姿、見慣れた洋服の柄、
床の感触、風の、空気のかおり、口に含んだ水の舌触り、などなど、を、
美しい、心地よい、エクセレント、と感じられるときは、周波数が上がっている。
足し算して上がっているんじゃなくて、本来の周波数に戻っている。
個体宇宙本来の周波数が、そういうエクセレントな感じとして現れているわけ。
物理像を構成する五感+身体内部に感じられる感覚になる信号は、すべて波動、振動だから。
彼方のエクセレントな振動は、
それが思いや気持ちや気分から剥がれた“私”(エゴ)によって観察/創造されていると、
此方でもエクセレントな像になる振動へと具体化される。

最近、気がついたんですけど、内側がなくなると、鑑賞力? が上がるみたい。
と、ここでツッコミが入って、
ソフィア@シリウス「“みたい”じゃなくて上がるんだよ。
あなたが鑑賞という控えめな表現で訳しているその状態は、エゴの観察/創造の機能が
最大限に稼動している状態だから」
だそうです。
「鑑賞」を国語辞典で調べると、「芸術作品に接して、味わい理解すること」とありますが、
対象は「芸術作品」に限らないです。
で、「味わい理解すること」に動作を止めて見聞きしたりかみしめたりする受け身のイメージが
ともなうのは、
“私”(エゴ)が身体像+マインド帯域とくっついて生産強迫にかられているときだけで、
それらから剥がれてしまえば、「味わい理解~」は能動で行為です。
実際、「~に接して即行動する、発話する」という表現になるときもあるし。
逆にじっと静止している状態で忙しいときもある。
行為と理解は本来、別もんじゃないのです。
理解し→しかる後に行動、とか、動いて→検証し理解する、というふうに分離しているのは、
時間思考にハマっているときだけです。時間思考がないと、
・・・ → ばびゅっ(わかりかつ動いた) → ・・・ → ばびゅっ、といった感じに、
量子的になります。

あ、上記の「内側がなくなる」ってのは、
外側を観察/創造している“私”(エゴ)以外は、みんな外側(対象)ということです。
物体にせよ、身体にせよ、気持ちにせよ、高次帯域からの何らかのサインにせよ、
感じられるのはみんな外側。
瞑想は内側の観察からはじまりますが、
内側に意識を向けたときに認識できるのが、記憶上の情景とか、情景化までいかないイメージ、
考え、気持ち、気分とかで、
そういうのをあらかた認識できるようになると、認識装置の“私”からそういうのが剥がれていって、
全部、外側になります。
“私”は純粋な認識視点で、中身はないので(←セルフイメージの総称である「私」とはちがう)、
実感的に言い表すとすれば「外側ではない何か」です。

「鑑賞力が上がる」ってのは、たしかにソフィアの言うとおり、控えめな表現かもしれないけど、
私の場合、周波数の上昇はそういう現象として感じられたのでした。
というのはですね、今年の春分をすぎたくらいから、どんな音楽を聴いてもエクセレントなの。
手持ちのCDに借りたCDにネット経由、
自分で選んでおきながら、“彼ら”から推奨という形で宿題出されてる感満載なんですが、
よく知っている曲でも、反対にこれまでだったらスルーしているタイプの音でも、
ブルックナーの直後に1980年代前半のパンクとか、めちゃくちゃな選曲でも、
ことごとく、やばいくらいに刺さるのです。
しょっちゅう、響きやフレージングに驚愕していて、でも言語化できません(笑)。

最近では、『響け! ユーフォニアム』(武田 綾乃/宝島社文庫)という吹奏楽部小説と、
その続編を読んだ流れで、
昨今の全日本吹奏楽コンクール全国大会金賞団体の演奏をネットで聴いてみたんですが、
軽ぅい気持ちでチョイスしたのに、全身凍って、塩の柱wになりそうだったよ。
精華女子高校(福岡県代表)とか、玉名女子高校(熊本県代表)とか、もーびっくり(@0@)
バーンスタインの霊が審査員席にいたら「グッジョブ!」って審査のカミに書きそう。
↑カラヤンの霊じゃないのは、私が「グッジョブ」をドイツ語でどう言うのか知らんから。

プロの音ではないよ。なんというか、部活の、タテ社会的な集団の音よ。
テクニカルスキル的にはほぼ完璧だけど、まとまりすぎてるから。
でも、それはコンクールというイベントがそういう音を要求しているのであって、
演奏者のせいではない気もする。
ここはパーカッションの音が管の音より若干高めのほうがいい(つまり音程が合いすぎている)
とか、ホルンがうっとおしいくらい出張ってってもいいよ、とか、感じたところもあった。

プロ、あるいはアマチュアでも、非部活的なミュージシャンの音というのは、
各パートがもっと「俺を聴け!」と主張している。
これは音量の大小ではなくて、ピアニシモで「俺様」な場合もある。
演奏者じゃなくて楽器が、楽器の音という形で現れるフォースの振動が、「俺」を主張するの。
そうやって「俺、俺、俺」と雄叫んでる連中を、うまいこと転がして、
各パートの「俺」を活かしたまま、ひとつのサウンドにしちゃうのが指揮者。
あるいは指揮者なしでも、そういうサウンド求心力が発揮されることもある。

まとめようとか、まとまろうとすると、まとまってしまう。それはワンネスじゃない。
スクールバンドでも社会人バンドでも、バンドじゃなくても、
そこを突き抜けられたらすごいと思う。
  1. 2018/05/01(火) 16:46:11|
  2. 次元上昇
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プロフィール

みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
人間(♀)仕様だが
中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
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