ソロ・パブリッシュ

エア充。

『反哲学入門』(追記あり)

2017.4.26(水)

すごい。おもしろい。
こんなにわかりやすい西洋哲学史は読んだことがなかった。
西洋哲学史がわかりづらいのは、
専門的な研究者であるか否かには関係なく、
西洋哲学という分野に入り込んでその内側から書いているものが
多いからだと思う。
木田さんは「哲学って西洋にしかないものの見かたで(「中国」哲学とか
「インド」哲学というのはヨーロッパ人の呼称で、自然発生したものでは
ない)、これって特殊な発想なんじゃないの?」
という自分の実感を出発点としており、
外国人が日本文化を語ったときに、そこに浸かっている人には見えづらい
輪郭線が浮かび上がってくる、みたいな感じで、
かえって見通しがよくなっている。

「反」哲学というのは、哲学に反対しているのではなくて、
ニーチェ以後、「自分たちが乗っかっているこの“哲学”という土台が
変なんじゃないか」と、西洋の内側から批判、見直し、解体の動きが
出てきたことをいう。
ソクラテスからヘーゲルあたりまでの哲学の本流に違和感をもつ木田さんは、
最初からポスト・ニーチェサイドにいるわけだけども、
本流に対して冷めてる目線があるために、
かえってその本流の変遷がよくわかるの。

だいたい哲学という訳語自体が、どんな学なのか全然イメージがわかない
言葉で、とらえどころのなさに拍車をかけているんだが、
これは最初は「希賢学」(賢をねがうの意。宋代の儒家の著書から、
フィロソフィア=愛知に近い言葉として選ばれた)になりそうだったのが、
あまりにも儒教くさいというので「賢」とほぼ同じ意味の「哲」に替えて
「希哲学」と訳したと。
それがどういうわけか一年後くらいに「希」の字がとれてしまって
「哲学」となったらしい。
訳者は西周助、後の西周(あまね)で、この方は、
幕府の洋学研究機関だった蕃所調所(ばんしょしらべしょ)というところに
勤めていて、日本ではじめて西洋哲学の講義をしているそうです。
幕府! でもって文久年間ですよ(@@)

それはそれとして、
ヘーゲルはフランス革命で人類(ってヨーロッパ人のことだけど)の歴史が
フィナーレに入り、次元上昇するってまじ思ってたらしく。
テルミドール事件が起きてもあまりこたえず、
ナポレオンに「世界精神」を幻視していたのだって。
ヘーゲルの2012って1789だったんだね。早。
(この能天気、私はきらいじゃないし、
歴史を終焉からはじめるという切り口は鋭いと思います。)

<本のデータ>

書名/反哲学入門
著者/木田 元(きだ げん)
発行所/株式会社 新潮社(2010年に新潮文庫としても刊行)
発行年月日/2007年12月20日
価格/1,500円+税(文庫版は520円+税)

4月27日(木)

同じ著者による『哲学散歩』(文藝春秋/2014年)によれば、
プラトンという名前を邦訳すると「ひろし」となるそうで。

プラトンという名は肩幅が「広い」ことからついた愛称で、
本名はアリストクレスというのだそうである。

その弟子のうち、
師の哲学の対旋律となる潮流をつくっていくアリストテレスは、
イケイケのマケドニア近郊の都市からの留学生で、金持ちで、オシャレで、
服も履物もたくさんもっていて、髪も短く刈り込んでむさくるしいところはひとつもなく、
ヒマな時間にマニキュアをかわかす女子社員のように(かどうかは知らないが)
いくつも指輪をした手を広げて、
「やっぱイデアってなくない? 誰も見たことないじゃん、あれって先生の妄想よ」
などと放言していたため、
ひろし先生にはウザがられていた、という説もある。

もしチャネリングしていて「ひろし」と名乗る高次意識体が入ってきたら、
それはプラトン@アセンデッドマスターかもしれない。
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  1. 2017/04/26(水) 23:58:03|
  2. フィロソフィア(愛知)
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フィボナッチ時空間

2017.4.23(日)

先週、ほとんど10年ぶりくらいに、拙宅に3次元のお客様を招きました。
この人がまた不思議~な方で。ここまで不思議とは思わなんだ。意外だった。
この方とお話ししているうちに、
非物理方面をノーカンにせずにぐんぐんと意識が広がっていくときの道標(目標では
なく目印、道しるべ)は、時空間の変化だろうと思った。
素粒子物理学や宇宙物理学だとこうなりますよ、といった知識が獲得されるのではなく、
実用ベースで変化し、自在になっていくということ。

地球人集団の一般的なルールでは、
時間や空間は加算的に積み上がっていき、
積み上がりに沿って、事物や生物の成長や衰滅が繰り返される。
どちらにせよ、加算、ないし成長から衰滅という方向へベクトル化されている。
この線形の時空間を、デムパ宇宙系ではフィボナッチ時空間と呼ぶ。
これは、
0、1、1、2、3、5、8、13、21、34・・・
と、前の数字がずんずん足されていく(5=2+3、8=5+3など)フィボナッチ数列に
由来している。
フィボナッチ数列は、地球人の時空間のとらえかたを的確に象徴しているという。
フィボナッチ時空間では、未来(推定される結果)に焦点が置かれていて、
その推定はひとつ手前の過去と現在の加算で行われる。
しかし<現在>なるものは意識したとたんに終わっている、直近の過去=現在完了
なのだから、
どの時点をとっても、どこまで行っても、過去の積み重なりだと考えてもよい。

過去というのは、たとえ記録が残っていても、書き手や撮り手や観測者のパースペクティブ
にもとづいており、
体験記憶ならばそれは体験した当事者が構成するイメージ像なので、
記録した人や記録用の機器を用いた人や当事者の主観である。
記録を見聞きする人は、記録した人とはまたちがうパースペクティブで「記録を見聞きする」
という体験をするので、これも主観である。
現在と呼ばれている直近過去=現在完了の像も含めて、
誰から見ても、どこから見ても同じ、真正の過去の姿などはどこにもない。呈示できない。
じつは何らかの形や音、匂い、味などの像になっているものは、
どれも個人固有の(遡ればソウル宇宙=魂の)色彩をもっていて、
無色の客観視点は、いかなる像にもならない段階(0=∞もしくは0/1)にしかない。

つまり過去は物理像としてダイレクトに再現できないし、
映像や音声や文字で呈示できるのは映像や音声や文字であって、過去の出来事ではない。
ということは、過去は人の思考にほかならない。
ということは、特定の思考をフィボナッチ状にずんずん積み上げていっているのであり、
この加算作業もまた思考である。
ということは、フィボナッチ(線形)時空間は思考の一種なのである。

とはいえ、フィボナッチ時空間にはえらいリアリティがあって、本当っぽいんですよ。
「現実的に考える」とは、このフィボナッチ時空間に則って、ものごとの展開を推測する
ことであるような。
それは、このフィボナッチ時空間がサヴァイヴァルゲームの基盤になっているからです。

フィボナッチ時空間をインストールしてこれに乗っかって動いている人は、
直近過去として体験した場面を、
サヴァイヴァルゲームの勝因となるか、それとも敗因となるかを判断して、
勝因となる出来事を再来させ、敗因となるほうは避けるべく対処します。
○=新しく何かが誕生したり、獲得されたり、成長、発展する因子
×=減衰したり、老化したり、壊れたり、亡くなったりする因子
どういう場面が○あるいは×に至りやすいかを判断する基準となる因果関係のバタンは、
外部から得た事例を自身で検証したり修正したりして、経験知として補強されていきます。
じつはフィボナッチ加算思考が行われるときには、何もかも積み上げるんじゃなくて、
○ないしは×に至る因果関係に沿ってデータを取捨選択しています。
なので、因果関係を構成しない場面=サヴァイヴァルゲームに関係ない場面は、
案外さらっと忘れられていく。
ゲームに熟達していると、ゲームの基盤であるフィボナッチ時空間そのものを
揺るがすような場面(必要なものが先にくるといった因果関係の逆転、途中をすっ飛ばす
テレポーテーションなど)は、無意識に防御的な情報処理がなされて、
なかったことにされたり、理屈に合うように改ざんされます。

物理帯域に閉じ込められた意識は、サヴァイヴァルゲームをゲームとはとらえていません。
上記の×方向に転がり落ちていくと、最悪死んでしまったり社会的に死んでしまったりして、
ゲームの盤面上から退場させられる。
ゲームをゲームをとらえていない人にとって、それは無に帰することを意味します。
また、フィボナッチ時空間を開いていると、瞬間蒸発して無に帰することはありえないんで、
×な諸場面が無に帰するプロセスとして必ず構成されます。
これがたいへんに怖ろしい。
なので、遊びとかゲームとか、そんな余裕をかましてはいられない。
時々刻々、100メートルを2秒で走るという口裂け女よりも速く未来計算をして、
布石を打たなくてはなりません。
あまりがつがつしていると、外部からバッシングされてかえってサヴァイヴァルに不利
だから、ほどほどを装って控えめにふるまおうとか、
迫りくる無に耐えられる強い心を養おうとか、
そういうこじれた戦略が立てられることもあります。

しかし、いかにシリアスな構えをとっていようと、
フィボナッチ時空間も、そのうえで展開するサヴァイヴァルゲームも、
ある種の考えかたであり、思考です。
物理像の扱いかたを決めた不文のルールブックであって、物理像ではない。

フィボナッチ時空間&サヴァイヴァルゲームが思考にすぎないと気づく機会は、
どこにでも転がっています。
人や動植鉱物との交流にせよ、手仕事にせよ、読書でもスポーツでも、
あるいは何もしていなくてぼーっとしているだけであっても、
何らかの充足体験は、サヴァイヴァルとは無関係に起きています。
そしてこうした体験のただなかには、加算もベクトルもない。
だから、起きていることをそのままに受けとる、ある意味で“動物的な”センスさえあれば、
フィボナッチ時空間の仮想性は露わになります。

何かそこにないものに向かって思いを投網することが止まると、
フィボナッチ時空間は幽(かす)かになり、
ソウル宇宙(魂)の<本来現在=永遠>が浮上してきます。
  1. 2017/04/23(日) 18:40:44|
  2. 社説
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ソクラテスのカリスマ性(追記あり)

2017.4.18(火)

これまで全集などでしか読めなかった『アルキビアデス クレイトポン』(プラトン/
三嶋輝夫・訳)が講談社学術文庫になり、図書館に新刊として入っていたので、
どちらも一度読んだ作品だけど借りてみた。
『アルキビアデス』も『クレイトポン』も、プラトン筆ではなく贋作とする説もあるが、
それはどうでもいい。

『アルキビアデス』は、ものすごく乱暴に要約してしまうと、次のような内容の対話篇である。

ソクラテス「きみさー、政界のスターになって全権を握り、ギリシアもペルシアも掌握しちゃおう
なんて野心をもってるみたいだけど、だめじゃん」
アルキビアデス「だめすか」
ソクラテス「だめだよ。そりゃきみはルックス抜群で家柄もよくて金持ちだけどさ、
いいとこそれだけじゃん。きみレベルなんざ、スパルタの王やペルシアの王に比べたら
ゴミだよ。彼らと対峙したら、イタいって思われるのが関の山」
アルキビアデス「えー、僕、けっこうイケてるつもりだったんすけど」
ソクラテス「きみはさ、ちょっと突っ込まれると意見がころころ変わるよね。
それはきみにきみ自身、アルキビアデスという人間がまるでわかっていないからだよ。
自分のことすらわかってないやつにさ、他人のことがわかるわけないじゃん。
自分自身を治められないやつが国の統治に与ろうとかさ、ありえなくね?」
アルキビアデス「・・・まじやばいすね」
ソクラテス「きみはまだまだ政治家の器じゃないよ」
アルキビアデス「僕、これからはあなたを導師(グル)にして、ストーカーすることにします」

と、このように、魔性の美青年で行状はチャラ男のアルキビアデスの勘ちがいを諌めつつ、
自分を知ること、人間の本性が魂であること、節度による自己統治などといったテーマが
展開していくのだが、なんとなく解せないのは、
アルキビアデスが、ときどき投げやりになりながらも、わりとあっさりソクラテスの言い分に
丸め込まれていってしまうことである。
花の盛りの美少年時代にはアテナイじゅうの夫たちを惑わし、長じてはアテナイじゅうの
妻たちを惑わした、アテナイを追われると平然と敵国に寝返り、スパルタ王の妃を寝盗った、
などの華々しい逸話に彩られている人物にしては(史実による裏づけはないが、私は、
妃ばかりじゃなくスパルタ王のほうも手玉にとったんじゃないかと疑っている)、
ソクラテスに対して素直すぎる。
そもそも、プラトンの対話シリーズ全般にいえることだが、
道徳のテレビ「あかるいなかま」とか「中学生日記」みたいに、
最終的にオチがつかずに問いを提示するだけで終わるにしても、
あからさまな反論者は別として、ソクラテスと対話の相手との間には、対話が進むにつれ、
ラポール(親しい感情が通い合う信頼関係:心理学用語)が築かれていることが多い。
論駁のための論駁の応酬といった不毛な議論に陥らないために、
対話の前提として相互に信頼関係がなければならないことは、
プラトン自身がソクラテスの弁という形で述べているとしても、
ソクラテスのラポール形成力がかなり強烈であるために、
対話の相手としては、その場を離れてはっとわれに返ったら、
「彼(ソクラテス)の言ってることはわかるよ正しいよ、でもなんか、どっかちがうんだよな。
なんかキツネにつままれたような・・・」
となるんじゃなかろうか、という気がしてならん。
この作品のアルキビアデスも、このままですむとはとても思えんのだよねw
変に意地を張らずにあっさり降参してしまうところに、育ちのよさも感じるけれども。

対して、『クレイトポン』では、対話の最中にはラポールな空気にやられてその気になるけど、
ほんとは腑に落ちてないんだよね、という心情が、興ざめた雰囲気とともに、
露骨に述べられていて、『アルキビアデス』の盛りあがりようとは対照的で、面白い。
太宰治でいうと、『走れメロス』の直後に『トカトントン』がくる感じ。
この二作品を併せて一冊にするというチョイスが(これが『ソクラテスの弁明』と『クリトン』を
セットにするように、伝統的な分類からなされたものかどうかは知らないが)、秀逸と思う。

『クレイトポン』は、対話篇のひとつといっても、ソクラテスの台詞は、
「きみ(相手のクレイトポン)、僕のことをディスってるって聞いてるけど?」
という冒頭の数行だけで、
あとはクレイトポンがひとりでしゃべりっぱなし。
翻訳の底本となったバーネット版プラトン全集だと6ページ強の短い作品である。
クレイトポンが言ってるのは、
「きみ(ソクラテス)の言ってることはわかるよ、すごく共感する。リスペクトもしてる。
きみはダイモン憑き=神懸りだし、
きみの言葉にはきみが自分で思ってる以上に説得力があるよ。
けどさ、きみの讃える徳とか正義とかがどういうものなのか、いまいち漠としてるし、
どうすればその徳を身につけられるのか、正義に適う行動ができるのか、わからんのよ。
僕らはいったいどうすりゃいいの?」
ということだ。

さりげにこういう作品を書いて、ソクラテスブラヴォーにならないよう牽制しているところが、
プラトンの偉いところかもしれない。

なお、「徳」や「正義」を「悟り」に入れ替えても、同様のことがいえる。
「悟りとは何か」「どうすれば悟れるのか」
ソクラテスにせよブッダにせよ、
「なに、それ言えってか(@◇@)!?」って目をむくだろうね。

<本のデータ>

タイトル/アルキビアデス クレイトポン
著者/プラトン
訳者/三嶋 輝夫(みしま てるお)
カバーデザイン/蟹江 征治
発行所/株式会社 講談社(講談社学術文庫)
発行年月日/2017年3月10日
価格/820円+税

カバーに使ってある絵は「快楽の腕からアルキビアデスを引き離すソクラテス」
(ジャン=バプティスト・ルニョー/1791年/ルーブル美術館蔵)
くだらねー!!! って、私的にはすごく笑える絵です。


4月20日(木)

(   )とは何か。
徳でも正義でも美でも、カッコの中身をこれ以上、言い表せないとき、
言い表せないそれを言い表そうとして、プラトンは「イデア」と書いてしまった。
ほとんど苦しまぎれ。
発語したり文字にしたりすれば、イデアの周波数ができてしまって、
地球人言語に独特のスペクトルに分化し、
徳や正義や美と同格のポリフォニックな(多義的な)音形になってしまうのに。

イデアは権威をおびて独り歩きしだす。
当然、バッシングも生じる。
「そんなもんありゃせん」とか「詰めが甘い」とか、
「そもそも魂優位ってとこがダサいしイタい」とか。
で、当然、バッシングとともにイデアのステータスは上がっていくのよ。
プラトンには、イデアの行く末が見えていたと思う。
異国の学校の教科書でこの用語に出合った高校生に「たわけらしい」と
失笑されることもわかっていたろう。
ライプニッツの「モナド」がイデアほど笑われないですんでいるのは、
そのころには倫社の授業がテンポアップして、笑う余裕がなくなっているからだ。

ソクラテスはイデアなんてことは言ってなかった、たぶん。
その周りをぐるぐる回って、突っ込まれたら、
「俺も知らん。自分でチャネってちょ」と逃げていた。

それでも、イデアという音は美しい。
♪イデアクリーム、イ・デ・ア。ってそらニベアやろ!
というギャグは豹専務には滑りまくりで一蹴されたけど。
  1. 2017/04/18(火) 18:00:57|
  2. ひみつの閉架書庫
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コンタクティー②

2017.4.13(木)

コンタクトは、名詞(接触)にせよ動詞(~と連絡をつける)にせよ、
何らかの対象への働きかけであり、
したがって主体(コンタクトをとる側)と客体(コンタクトの対象)とに分離している
モードで起きることである。

コンタクトの起源は、
0=∞(ゼロポイントフィールド)が0/1(叡智界)へと変転したときに遡る。
「ある、かつ、ない」が「ある」と「ない」に分けられるようになったとき、
0(ない)と1(ある)は互いにコンタクトの対象となった。

下って、ソウル宇宙の軸であるハイアーセルフは0/1と、
また他のソウル宇宙とコンタクトしているし、
ソウル宇宙を構成する非物理帯域も、別の非物理帯域と、また物理帯域とも
コンタクトしている。

物理帯域は、非物理帯域と、また物理帯域間でもコンタクトしているし、
還流するという形で、0=∞とも接している。

コンタクトというのは、宇宙人とか天使とか神仏とか精霊とか、
そういう不思議系とのかかわりでだけ起きることではなくて、
分離‐融合の双極存在である私たちは、
(これは喩えだけれども)分離側ランプの超高速点滅をつうじて、
ソウル宇宙内に現れる他の人間型意識体、動植物型意識体、
机や壁の姿をとった無機物意識体などとも、
絶えずコンタクトしているのである。

逆に融合サイドの最奥で、唯0=∞である私たちからすると、
すべてのコンタクトが掌の内で起きているといってもいい。

宇宙存在チーム“ザ・彼ら”が伝えてきた
「あなたがたはコンタクティーである」というメッセージには、
そういう途轍もない奥行きがあった。

とはいえよ、一般的にコンタクトといえばそりゃあなた、
ソラに浮かんだ光る飛行物体から、ぴちぴちのジャンプスーツwを着た男性もしくは
女性型ヒューマノイド体、もしくはスカルそっくりのゼータ・レチクルタイプの宇宙人が
タラップwを降りてくるとか、
白いローブをまといワンド(杖)をもった老賢人ふうの存在が中空に忽然と現れ、
「どこそこへ行ってこれこれのセレモニーをせよ。やりかたは行けばわかるけんね」
的なことを告げるとか、そういうのを言うのであって、
家人や職場の人と会ったり、テーブルやカップや歯ブラシを使用することを
“コンタクトしている”などと大仰にとらえたりはしない。
人や動物はともかく、相手が物となると、コンタクトどころか、感覚的には操作である。

そして、ジャンプスーツの宇宙人やら、白いローブの老賢人やらは、
そうめったやたらに出現するものではないから、
というかそれ的なものが現れても情報処理上で見えていないことにしてしまうので、
物理帯域というのはやたら用事が多いばかりで夢もロマンもない、
侘びた場になってしまうのだ。

そうなっちゃうのは、地球人型ローカルルール>集団ルールに則った情報処理方式に
もとづいて、仮設定された線形時空間に沿って経験記憶を積み上げ、
「この人はこれこれの立ち位置にいる、こういうキャラ」とか、
「これはこういう用途に使う」といったように、
あらかじめ解釈ありきで事物に接しているためである。
グリッド(格子状の網目)のついたシールドを、そうとは知らずに張っているようなもので、
すると、このグリッドに嵌った形でしか対象は現れてこない。
見えているのは、どこまでもグリッドのピースであって、物理物なんかではない。
このグリッドを通して見ているとき、私たちは、なんと、
物理帯域が見えてもいなければ聴こえてもおらず、さわれもせず、
その味も香りもわからない。
だって、コンタクトが起きていないのだから。

たぶん、このシールドをはずしても、困ることはないだろう。
“彼ら”にいわせると、
「よし、一切の先入観よ、去れ! 私は今はこの洗面器を皿として使用する。
父よ、今のあなたの周波数は従兄の友人の元彼女の過去世である半魚人(♀)だ。
なので、ただいまはその波動を前提にお話しさせていただく」
などという強引なワークをやらなくても、
日常のルーティンな情報処理が<仮>のものだとわかっていれば、
全方位コンタクトは可能になるそうだ。

コンタクトは0=∞に内在している。何のために?
  1. 2017/04/13(木) 17:47:45|
  2. ひみつの閉架書庫
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コンタクティー①

2017.4.9(日)

コンタクトという文字を入力すると、もれなくコンタクトレンズの広告が表示されたりして、
ア然とすることもあるのですが・・・。
サーシャ@プレアデスや、ジャーメイン@多次元意識(たぶんゲートキーパーのチーム)の
チャネルであるリサ・ロイヤル・ホルトさんの著書『コンタクト』(ヴォイス刊)を読みました。

この本は、夜空色のカバーに白抜きのタイトルという装幀がものすごくカッコよくって、
見た目に悩殺されて即買いしました。カバーをはずした本体の造本も美本です。



ただ残念なことに、脱字、誤字が目立つんだよね・・・。
版元のヴォイスさんは不思議セミナーや不思議グッズの企画販売会社で、
出版専業ではないので、あれこれ兼業で千手観音状態なのはお察ししますが、
まさか初校と同じ担当者が再校も見てるんじゃないだろうね? と疑心暗鬼になってしまう。
細かいことですが、こういう細かいことで腰くだけになって興醒めしてしまうこともあるんで、
校閲とか校正といった地道な裏仕事の重要性を再認識しました。
装幀といい校正といい、本ってひとりじゃできないんですよ。
そもそも執筆にしてから、見えないお友だちの力を借りまくりですから。

リサさんはプレアデス系とのつながりが濃いので、
そのメッセージは当然、プレアデスっぽいのですが、
ひとりの人間の意識全体が変わる → 宇宙存在その他の意識体とのコンタクトが起きる、
コンタクトが起きると、じつはこれまでもずっと交信していたことがわかる、
という主旨がすごくわかりやすく、
かつ、“彼ら”サイドが対等なスタンスで接していることがちゃんと伝わってきます。
地球人が使っている言語のポリフォニー性(多義性)をよく心得ていること、
相手に寄り添いながら、相手の自立を損なわない配慮、
言葉や形や音にならない域まで含めて、きめ細かく、水のように浸透してくる浸透力、
これらの伝達技術のみごとさ、バランスのよい配分に、
数多の異星存在と交流してきたプレアディアンのスーパースキルを感じます。

で、私はこの本を、宇宙人とコンタクトする人間、という視点で読んでいたのです。
「ふんふん、人の意識は、①顕在意識(人様に見せられるきれいな部屋)、②潜在意識
(検閲部屋)、③無意識(見たくない、なかったことにしたいものを突っ込んである汚部屋)
に区分されているので、
まずは“開けずの間”になっている③に何が置いてあるのかをたしかめ、整理して、
①②③をひとつづきのワンルームにせんといかんのだね」
などと思いつつ。
そしたら、“彼ら”チームの一員であるモナ・アマーリエ@アルクトゥルスから、
「ちょっとーーー!!! なに寝呆けてんのよあんた、しっかりしてちょうだい!」
と、両肩をワシ掴まれる感じで諭されまして。

みけ へ?
モナ その本を読んでもらってるのは、ウチュージンとコンタクトするためじゃないのよ。
あんた、何様のつもり?
みけ 何様って・・・あ!
モナ わかった? 立場が逆なんだよ。
みけ そうか、私はウチュージン側のコンタクティーなのか。
モナ その本でサーシャが伝えてきてる、
地球人の合意現実に合致しない出来事(周波数域の異なる意識体とのコンタクト)に
混乱して記憶を削除(無意識領域に隔離)したり、怖くて逃げだしたり、パニックになったり、
合意現実に沿うように歪曲しちゃったりするのは、あなたじゃないの。
あなたとコンタクトする側の人に起こる可能性があることなの。
みけ 集団のなかで浮くとかいじめに遭うとかってのはあったけど、 
そこまで烈しい拒否反応には遭ったことないなぁ・・・?
モナ それはあんたが“光の人柱”(在地球宇宙人)として物理帯域に降りていて、
かりそめにも物理体をもってるからさ。
みけ ひとばしらw
モナ それに、これまでは地球人のローカルルールに適応してやってきたから、
どうにか化けてこれたのよ。これからはそうはいきませんからね。
だから、売れっ子の幇間みたいに、お座敷かかったらどこでもほいほい出向くような
了見でいてもらっちゃ困るのよ。
準備のできていない人があなたに会うと、向こうがパンクするんだから。
みけ あの、わたし、ただでさえ友だちがいないんです、けど・・・?
モナ (聞いてない)むろん、コネクション(縁)の活性化やそのタイミングを測ることは
私たちの仕事だから、あなたはどうしようこうしようと考えなくていい。
むしろ考えないほうがいい。
ただ、対地球人コンタクティーという自覚はもっていてほしい。
みけ それは、スターシードとかアースエンジェルとか、各界から派遣されてきて
“光の人柱”をやってる人たちみんなに言えることでは?
モナ そうです。ネイティブテランの人だって例外ではありません。
覚醒した人(意識を広げた人)って、そこに居るだけで莫大な影響力をもつのよ。
とはいえ、アルクトゥリアンには、とくに自覚を促したいわけ。
好奇心旺盛で、不思議ちゃんで、気まぐれで、何やらかすかわかんないからね。
(試験官口調で)アルクトゥリアンの特性は?
みけ 異なる極、異なる角度をもつポイント、フィールドを上位次元で統合すること、
あるポイント、フィールドを下位次元で異なる相やスペクトルに分けること、
それから一発屋というか指名代打というか、流れを変えること。
モナ そうよ。私たちの仕事は、ここぞというときに出ていって、核心を射たら、そこで
おしまい。プレアディアンのような懇切な誘導やフォローはしないし、
シリウシアンのようなレクチャーもなし。
みけ まあ、その部分だけは説明のしようがないし。
モナ まだまだ物理帯域だけにフォーカスして人生物語をやっていたい人はいいのよ、
宇宙人だの、デムパがかったお話なんてちゃんとスルーしてくれるから。
じゃなくて、ハンパにデムパ化してて、あなたの喩えでいう③の部屋で遭難しかかってる
人がやばいのさ。出合うことになっている意識体(人間含む)とは必ず出合うから、
怖がりの人んとこにわざわざ出向いて、虹色のマントを広げるようなマネはしないこと。
みけ 変態じゃないですか、それw

<本のデータ>

タイトル/コンタクト (副題:意識変容への扉)
著者/リサ・ロイヤル・ホルト
共著者/キース・プリースト
訳者/鏡見 沙椰(かがみ さや)
装幀/よすがでざいん
発行所/株式会社 ヴォイス
発行年月日/2014年12月19日
価格/1,900円+税
  1. 2017/04/09(日) 22:14:07|
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プロフィール

みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
人間(♀)仕様だが
中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
リンクはご随意に。
連絡も不要です。

出版案内3

『ようこそ☆ゼロポントフィールドへ』をパブーで電子出版しました(無料)。「この本を開く」ボタンをクリックするか、ファイルをダウンロードしてお読みください。

出版案内2

『Starry Souls ☆ 宇宙人語り』をパブーで電子出版しました

出版案内1

『多次元対談・宇宙人といっしょ』をパブー (PC等で読める電子本)で出版しました

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