FC2ブログ

ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

取材を受けた(追記あり)

2019.5.16(木)

一昨日、五目舎という会社の代表、西塚さんという方から取材を受けた。
五目舎というのは、出版各社から委託された出版物の制作をしながら、
スピリチュアルなコンテンツを配信している会社であるとのこと。

株式会社 五目舎 ブログ2019.5.14「デムパ会議?」
http://gomokusha.co.jp/2019/05/14/%e3%83%87%e3%83%a0%e3%83%91%e4%bc%9a%e8%ad%b0%ef%bc%9f/

編集者などの出版関係者が「取材」という場合、
記事などの枠が決まっていて、調査や原稿作成のために行うものと、
企画もしくはその前段階で情報収集のために行うものとがあって、
今回の場合は後者である。早くいえば雑談だ。
コンテンツにするかしないか、するならどのような形でまとめるのか、
といったことは西塚さんにおまかせしたので、どうなるのかはわからない。
会談だけで終わったとしてもかまわない。

私の宇宙に現れた西塚氏という人物の像にうかがったところ、
西塚氏の「私」視点の宇宙に現れた“みけ”なる人物の像に関心を持たれたのは、
この人物像の筆名で2016年秋に公開された『ようこそ☆ゼロポイントフィールドへ』が、
言葉で具体的にできるギリギリのところまで書いてあることに感銘を覚えられたためだという。
読者さんからも同様のご感想をいただいたことがあるが、
これは私の才能がホトバシっちゃったせいではないのである。
前にも書いたけど、私には象徴を直覚的に理解する力がなく、
五芒星とか神聖幾何学チックな図形とかを見ても全然響かず、
「一を聞いて十を知る」の真逆の「十聞いてやっと一がわかる」性質なので、
あのような、またこのブログの諸々の記事のような、シツコイ文字列にしないと、
自分自身が何がなんだかわからないためだ。
私は全般、「なんとなくそう感じた」というだけで動いているけれども、
ジを入力するときだけはなぜかシツコイ。まー趣味の問題だね。オタク的というか。
ある種の鉄道オタクの人が、電車の型式とか、時刻表を駆使した乗り継ぎとかに
こだわるのと変わらないと思う。

スピリチュアルの勉強とか、ほかの勉強も、してないし嫌いだし、
地球とか人類とかに奉仕したいとかって、発想したこともないし、
アルクトゥルスとか銀河にもとくに貢献してるつもりないし、
母語のウツクシサとか母国の伝統とかにも興味がなく(最近、小林秀雄の本を読み直して、
なるほどすごいなって思ったけどそれでオワリ。古文へのセンスがないので細かいとこまでは
リーディングできてない)、
かと思えば、アニメ映画『リズと青い鳥』の傘木希美×鎧塚みぞれの関係について、
原作『響け! ユーフォニアム』を読んでないし興味もない豹専務に小一時間もしゃべりつづけて
迷惑千万だし(のぞみぞれは百合じゃなく、こじれた引力関係にあります)、
ま、豹専務も聞いてないと思うけど、
ほんとひどい。
私ならこんな人に取材しようと思わないよw

才能とかミッションとかってさ、
客体‐空間‐時間思考システムの枠内でだけ通用する概念だと思う。

超ミラーボールのような、無限多面体というようなものがあるとして、
その面のひとつひとつが統覚視点「私」で、
それぞれの視角で宇宙を感じ即出現させている。認識し創造している。
何ごとかを当事者として認識し創造する、
そういう認識形式、創造形式は、無限多面体がもつ性質です。
だから、「私」という認識形式、創造形式はひとつしかない。視角は無数だけど。

この無限多面体は、有かつ無(ゼロポイントフィールド)を対象化してできた
0/1帯域(有もしくは無)の喩えです。
どの視角も、その視角を通して無限多面体というワンネスなのであって、
無限多面体の部分ではなく、どの視角にも特定の役割はありません。
その視角で認識し創造された、その視角からの宇宙。それだけ。
それだけで全面的に肯定されており承認されており、充溢しており、完全です。
0/1帯域すなわち無限多面体に関心というものがあるとすれば、
「私」という認識形式、創造形式を無数の視角で使うということだけで、
特定の目的を追究するために各面に役割配分しているわけではない。

要は統覚視点「私」であればいいわけで、
何をすればいいかとか、成果とか、他者への貢献とか、まったく、ひとつも関係ありません。
統覚視点「私」であるとき、
そのことに自足し切って、ただ「私」であることがどういうことかわかっているとき、
それがわかります。何を成すとか認められるとか貢献とかいう発想を一切してないから。

でも、無限多面体の一部に、客体‐空間‐時間思考システムという網がかかると、
そこには、
①統覚意識「私」を客体(身体、心など)の範囲に制限する、
②客体‐空間‐時間思考システムを「私」に覚らせない
(時間思考で言い表すと、思考システムを維持しメンテすること)、
という目的ができて、
制限された「私」は、客体‐空間‐時間思考システムに奉仕する従僕のような存在になります。
システムのコントロールを受けることで①②の目的がかなうので、
夢と気づかず、客体‐空間‐時間思考による夢を見つづけることが「私」の仕事になります。

しかし、これはマインドの深いレベルで無自覚に起きていることで、
具体的には、客体‐空間‐時間思考による夢に登場する集団のなかで、
あるいは不特定多数の他者による社会という思考を設定して、
そこでの相互承認、成功、幸福、自己実現、利他をまとった自己実現、
といった目標が追究されます。
こうした目標を追究することで、「私」の制限枠(身体、心、社会的役割など)への同一化が
進み、追究にのめり込むほど上述②の目的にかない、
深いレベルに仕掛けられたセルフマインドコントロールが強化されていきます。
この目標追究は、客体として自分や他者が実在するという前提で行われるので、
自分と仲間(パートナー、家族、従業員など)の客体の維持メンテも必須です。
で、生存を維持確保しつつ、こうした目標を追究していく、
そういうゲームを上手にプレイして、
まさしくゲーム的な意味でのステイタスを上げられる能力を才能という。
目標追究の分野が絞り込まれていれば、ミッションとか天命という言いかたもできます。

才能が発揮されるには、
客体としての他者、あるいは、
心や魂という範囲に制限された「私」のマインドに住む他者像(亡くなった親、神など)が必要で、
そうした他者による承認からフィードバックを得て、
最終的には自分で自分を承認することになります。
なので、他人に披露する予定なしに、
部屋で独りバク宙ができても、それは才能とは呼べません。

一方、客体‐空間‐時間思考システムから醒めている統覚視点の「私」、
夢見手の「私」は、
全感覚像の認識即創造という形で夢を見ているだけで、
制限され暈(かさ)をもった「私」が環境に働きかけて承認を得るというゲームに興じていません。
そうなると、どんな才能もいらなくなります。

あ、『リズと青い鳥』(←まだ書くか)ののぞみぞれの引力関係がこじれるのも、
背後に管楽器の吹奏能力と楽想表現能力という才能問題、
それと他者からの承認という問題がからんでいるからなんですよ。

最後になりましたが、
西塚さんの「私」宇宙に現れた“みけ”なる像からもたらされた情報が、
何らかの参考になればさいわいです。
サイキッカーでもなければスピリチュアル意識も低い私の話を長時間にわたりご傾聴くださり、
まことにありがとうございました☆
あと最後の最後、五目舎の西塚さんのブログを読んで、
「西塚氏ってスピ界隈では知る人ぞ知る」的な情報をリークしてくださった5ch住人さん、
この場を借りてありがとう。
しかし、巨大掲示板に出入りしてる人ってすごいな。
私、スレッドを追う根気がないの。がーるずちゃんねるですら幽体離脱しそうになる。

5月18日(土)

取材のなかで、
「ゼロポ本に書いたことは、すべて般若心経に書かれています。
あれを字釈にこだわらず、音楽や短歌を聴くように読めばリーディングできるはず」
というような話をした。
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色・・・という、
あのみごとなダンス、キレと美しさと微笑みは、しかし、
私のリーディングでは0/1帯域(知性界)に現れた形です。
言語だの思考だの遠々届かぬ、無窮のコヒーレンス。
ゼロポは終盤で出てくる、
「ギャーティーギャーティーハラギャーティーハラソーギャーティー」
っていう、騒々しい音です。哄笑です。草草草・・・みたいな。

般若心経は全篇冗談のよう。ていうか宇宙が冗談なのか。
宇宙が冗談であることは、すでに池田晶子さんの著書に書かれており、
これまた私のオリジナル着想ではありません。
スポンサーサイト
  1. 2019/05/16(木) 22:47:34|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

違和感と不快感のちがい

2019.5.13(月)

マインドで生じる違和感をゼロポイントフィールドへ還そう、
それが制限のない宇宙に戻るコツだよ、ということを、何度か書いてきました。
高次像-マインド像-物理像、この連動する具体化の流れが途切れるのは、
中間のマインドに仕掛けられた客体‐空間‐時間思考システムによって、
微妙な感覚で現れる高次の信号が伝言ゲームのように変形してしまうからです。
すると、客体‐空間‐時間思考というシステムに沿って組まれた一般常識ソフトウェアが動き、
物理像の周波数帯は、一般常識思考と相似形の場面に飛びます(量子跳躍する)。
一般常識思考と連動する物理像が現れるわけです。
このとき、もし一般常識思考に「クルマ」という言葉が含まれているとすると、
言葉どおりクルマが現れるのではなく、
「クルマ」という言葉やイメージを含むこのときの思考の「感じ(周波数)」に合う物理像に飛びます。
その結果、一般常識思考の妥当性が証明されたかのように見えるので、
一般常識思考は経験則として強化されます。
経験則化した一般常識思考は、常識だとか思考だとか、自覚されることすらなく、
習慣的に、反射反応的に繰り出されています。その多くは言語化されていません。

原初の宇宙の自在な創造力をとり戻すには、
マインドでブロックを構築している一般常識思考<客体‐空間‐時間思考から出る必要がある。
マインドにあるヘンな工作物を解体すれば、高次-マインド-物理像の流れはスムーズになります。
それには、一般常識思考<客体‐空間‐時間思考がアウトプットしてくるさまざまなお題に対し、
おかしいという違和感が出てこなければなりません。
最近、私が体験した例を挙げます。

お題:プリンタを使おうとしたら、作動はしているけれども、印刷されず、白紙しか出てこない。
サポートデスクに電話して、ノズルチェックやクリーニング等をしてみたが直らない。

こういうとき、違和感として感じられるはずの感覚とは、
白紙しか出てこないという物理像状況への焦りや苛立ち、ではありません。
「修理に出すより新しいプリンタを買ったほうが安い、でも、もしインクに問題があるだけだったら、
インクだけ買えば純正品でも数千円の出費ですむ、けど、インク買ったあげく直らなかったら
ヤだなー。あるいはとりあえず印刷だけ外注するか。さてどうしよう」といった迷いでもない。
この状況を「解決を必要とする問題」に仕立てている思考です。
ある状況を問題視している思考に「あれ、おかしいぞ?」と引っかからないと、
焦りや苛立ちや迷いをゼロポに還したところで、冷静に対処できるようになるだけです。
「プリンタを買う」「インクを買う」「外注する」という選択カードも変わりません。

このあとどうなったかというと、
これが問題だという見かた自体に違和感を覚えたとたん、この「感じ(周波数)」はゼロポに還り、
ガイドスピリッツのひとりから「夜になるまで待て」という謎の指示があった。
で、夜21時すぎごろ、歯を磨いていたときに、
フタの開いたプリンタのイメージが出てきて、
そういえば押入れの奥にダンボールに入れて置いてある古いプリンタにまだインクがあるかも
しれないと思いつき、調べてみたら、ちょうど必要なカートリッジだけが残っていた。
このカートリッジと取り替えてみたら、プリンタは正常に印刷されました。
なおゼロポイントフィールドに還す方法は
19.1.13「問題を解決したければ、問題がないことに気づくのが最善最速」カテゴリ:仮想集合システム
の最後の付録部分に書いていますが(http://solopub.blog103.fc2.com/blog-entry-830.html
慣れてくると、違和感に気づいただけで、その波動がゼロポに還るようになります。

問題視への違和感をゼロポに還した結果、物理像状況がどう変化するかはケースにより、
上述のような出来事でも、
場合によってはもっと高性能で高価なプリンタを買うことで決着するかもしれないし、
印刷という作業をしなくてよくなるかもしれない。
どうなるにせよ物理像状況は最適の場面に飛躍します。
トラブル、問題という、どちらかというとネガティブな型だけでなく、
好機が到来したけどすぐに動けないというような場合には、
「好機」というとらえかたに違和感を覚えるかもしれません。

こうした違和感に気づくということが、
宇宙のコヒーレンス(一貫性、整序)とスムーズな循環を回復させるうえでのヤマ場です。
でも一般常識思考<客体‐空間‐時間思考に制御されていると、
「これはまずい」とか「これは好機」といった見立てをまったく疑わないので、
ピンチとかチャンスといった視角が、なんかズレてる、ミスマッチだという違和感にならない。

不快な場面というものは存在しません。
①まず不快感を感じさせるしくみ(思考)があって、
②このしくみが、ある場面をきっかけに望ましくない展開をつくり(これも思考)、
③不快感という「感覚(周波数)」を感じさせて(周波数を合わせるようにさせる)、
「対処せよ」「備えよ」という警告を発する。
ある場面というのは物理像からなる状況で、これは五感的な濃い感覚の集まりにすぎず、
よくもわるくもありません。中立です。
したがって、①②③は、「ある場面が出現している」こと以外は、全部マインドで起きています。
なので、①の「しくみ」に気づいてはじめて、全体の流れが変わります。


このとき、「しくみ」を「こういう損得計算をしている」とか「十年前の経験記憶にもとづいている」
といったように、言葉や情景イメージまで落とし込む必要はありません。
「おかしい」「引っかかる」という違和感、異物感があれば、それが気づきです。
「やばい!って、あれ? なんでやばいの?」
と、不快感の背後に何か(思考による)操作感を感じるということ。

ゼロポに還すべきは①の「しくみ」であって、③の不快感ではありません。
「しくみ」に気づくには、①②③の全体が見える統覚視点の「私」まで後退している必要があります。
私が上述の過去記事で紹介している方法や、何らかのほかのやりかた、
あるいはRTLFのようなグッズを使ったりして(カテゴリ:RTLF参照)、
年がら年じゅう統覚視点「私」に後退しまくり、
「私」が感じて創っているコヒーレントな宇宙を体験、体感して知っていると、
非コヒーレントな「しくみ」に気づくのが早くなります。

特定の場面(物理像状況)に「しくみ」が反応しやすいのは、以下のような理由によります。
客体‐空間‐時間思考システムにもとづく一般常識思考にもとづいている「しくみ」は、
マインド帯域のデータ(中程度の感覚でできた情景イメージなど。記憶)を使って、
「しくみ」に沿った標準処理モデル(という思考)をつくっていて、
この標準処理モデルにしたがえばこのような五感的感覚(物理像)が現れるはずだと予測し、
待ち構えています。
なので、予期していない場面(五感的感覚からなる物理像)が現れるとイレギュラーと判断し、
不快感という中程度の感覚(感情、気分)を動員したり、
「しくみ」の範囲内で提供できる選択肢を想起させたりして(奇蹟や偶然に頼るのはだめ)、
「いろいろあったけど無事でした」というストーリーに差し替えて、
標準処理モデルの流れを維持しようとします。
ところが、「しくみ」は根本的には客体‐空間‐時間思考にもとづいていますから、
「“私”の感覚の向こう側に客体(物体)が実在する」
「客体(物体)は“私”の感覚とは関係なく、客体固有の法則で動く」
という客体思考を前提にしている以上、
客体側が標準処理モデルを裏切る可能性はいつでもあるわけで、
イレギュラーな場面の発生を抑えることはできません。
しかし、そもそもレギュラーもイレギュラーも「しくみ」という思考から生じている思考です。

逆に、ある場面から愉快な感情、気分が起きるとすれば、
標準処理モデルを「やや」上回る結果が出たというポジティブなイレギュラーである、と、
「しくみ」<一般常識思考<客体‐空間‐時間思考に牛耳られたマインドが判断しています。
でも不快感が起きる場合とちがって、処理の流れを止めたり変えたりはしないので、
ああしろこうしろという対処方法は提示しません。
ただ、標準処理を大きく上回る結果はネガ転して、不安や恐怖といった不快感を呼び起こします。

もし「しくみ」に違和感を覚えて、「しくみ」がゼロポへ還る、あるいは手動で還したとすると、
標準処理モデルもチャラになるので、
特定の場面(物理像状況)はレギュラーでもイレギュラーでもなくなり、
これで完了です。
物理像は「私」による認識と創造の最終局面で、
濃厚な五感的感覚で感じられ切り、現れ切っていますから、
これ以上操作したり変えたりすることはできません。あとはゼロポに還るだけです。
次に現れる場面は、「しくみ」がなくなったマインドと連動する、最適の物理像になるでしょう。
  1. 2019/05/13(月) 19:59:33|
  2. 仮想集合システム
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

眠り、夢見、覚醒

2019.5.9(木)

前回の記事(2019.5.3「夢見と眠り」カテゴリ:次元上昇)は、波動で受けていたときには、
何か詩的というか高踏的な雰囲気をまとっていてアートみたいだったのに、
文字を入力しはじめるやいなや、例によって家電のトリセツふうの無粋な文になり果てた。
ある会社の広報誌にジを書いていたころ、
地球人母(故人)に「つまらん。もっと情趣のある、向田邦子のような文章は書けぬのか」と評され、
?(-д-)?じぶん向田邦子じゃねーしなにシュールなコメントこいてんだかこの婦人は、と吃驚したが、
宇宙書記母(「音楽の母」とかそういう意味)トート閣下からもなんかシュールなツッコミが入ってもおかしく
ないような無骨な文字列に、自分で読み返してみて放心したわ。
これは、読者にわかりやすくするためではなく、
私に象徴リテラシーがなく、トリセツレベルまで平易にしないと自身が理解できないためである。

人間と呼ばれる宇宙存在は、大きく分けると、眠り、夢見、覚醒という3つの意識状態(周波数帯)で
存在している。
メインステージは覚醒時で、眠ったり、夢を見たりしているときは、覚醒時により健康に、快適に
活動するための回復&チャージタイムと、一般的、生物学的、医学的にはされている。
私も習慣的にそのようにとらえていた。
統覚視点「私」は、覚醒時に最もはっきりした像(物理像)を感じて出現させる。
高次像やマインド像と連動して何か自然な行動や気づきが起きるとかなんとかいうのも、
そのくっきりした物理像を感じられる覚醒時の意識状態を前提としており、
眠りだの夢見だの、スリープモードで画面まっ暗なときのことは知らんもんね、という感じだ。
でもなんとなく謎ではあった。
しかし、人間を一般的、生物学的、医学的にではなく、宇宙存在としてとらえたとき、
言い換えると、客体‐空間‐時間思考で「私」を身体や心といった体積に閉じ込めていないとき、
眠りの意識状態がいちばん周波数が高く、「感じ」が感じられないくらいに精妙で、
次いで高次の像が感じられ創られる夢見の意識状態の周波数が高く、
覚醒の意識状態には、さほど実現余力(具体化に向かう潜在的な可能性。ポテンシャル)はない。
漫画の作画に喩えると、もう下絵(これはエーテル像に等しい)まで描き終わってて、
あとはペン入れ、ベタ塗り、トーン貼り、消しゴムかけといった仕上げ作業のみの状態。
もちろん仕上げをしないと作品(物理像)にはならないのだが、
どういう話になるとか、構図とか、人物のセリフとかは、もう決まっちゃってる段階である。
ファイナルステージではあるけれども、メインではない。

むかし、どこかのサイトで、「宇宙人は数十分しか眠らない」というような話を読んだことがある。
これは一見「へー、波動が高いと活動的なんだな」と読めるが、
“彼ら”の活動ステージは地球人標準でいう眠りの意識状態。
だから、地球人標準にすると「数十分しか起きておらず、あとは寝ている」ことになるのだ。
その数十分も、濃い感覚(物理像)をつくらない宇宙人の場合は夢見タイムということになるので、
地球人標準からすると「ずっと寝ている」ことになる。
いくらかは覚醒しているタイプ(いわゆる身体があるとされる宇宙人)にしろ、
夢見の意識状態でつくるエーテル像がファイナルステージ(基底次元)になっているタイプにしろ、
だいたいは寝ている連中であって、地球人標準ではとんでもない怠け者なんである。
地球人的な「眠りの意識状態」こそが“彼ら”の「覚醒した意識状態」であり、
地球人が「起きて活動している」と考えている意識状態は、
“彼ら”にとっては「眠り」である。
だから、覚醒した意識状態を3つの意識状態のメインとして、そこにフォーカスしている地球人は、
“彼ら”にしてみると「眠りベースの人々」とみえる。
これはどの意識状態をメインに据えているかによることで、睡眠時間の長短などは関係ない。
それも、覚醒が眠りや夢見とともに意識全体の「相」であること、
=全周波数帯域のうちの特定の周波数帯域であること、
つまり覚醒時の活動が、覚醒という意識状態で見られる濃厚な夢であることに気づかず、
なんかガチで実在している物(客体)を動かしているつもりでいるのだから、
深く昏々と眠っていることになる。
私たちが素早く計算したり、問題への対処に没入しているとき、
“彼ら”は「ぐっすり眠り込んでいる」と見ているのである。

物理像に対処するのを止め、
物理像を「対処すべき問題」としてとらえる、マインドで生じるその見かたのほうをゼロポイント
フィールドに還し、
高次‐マインド‐物理像の連動のままに、風や波に乗るようにその動きに乗り、
身体も心もその動きから現れる像へと融解すると、
覚醒した意識状態は夢見や眠りの意識状態(周波数帯)に近づき、
夢見や眠りの意識状態(周波数帯)が覚醒した意識状態に浸透してくる。
つまり、悩みを悩みに仕立てている型(感じ=周波数)に気づいてこれを手放せるようになると、
眠りや夢見の意識状態に含まれる智慧が、直感や思考や行為として具体化してくる。
それは物理像に上手に対処するためではなく、
3つの相がコヒーレントな(一貫性をもった)あるべき状態に戻るというだけのことである。
漫画の喩えでいうと、
それまでは白紙にダイレクトにペン入れ(!)する描きかたしかないと思い込んでいたのが、
下絵が見えるようになる、下絵とネーム(プロットのラフスケッチ)のつながりもわかるようになる、
といったところであろうか。

うんとむかし、当時住んでいたアパートの隣室にいた友人が、
「夢日記は怖いよ。夢と現実の区別がつかなくなるから」と言っていて、
へー、と思い、試しに夢日記をつけてみたことがあった。
それから十数日くらいたったころだったか、
ノートに夢の内容を書いていると、ぐらっ、と景色が歪んだような感覚に襲われ、
一瞬、ここが夢なのか現実なのか定かでなくなって、
やばい、と感じ、以来、夢日記を止めてしまった。
友人が言っていたのはこのことか、と思った。とくにその人に報告はしなかったけれども。
それから幾星霜、
数年前から、印象的な夢を見たときとか、なんとなく書いておこうと思ったときだけ、
夢の記録をノートにつけているけれども、
ぐらっ、とくるようなことは全然ない。
また、夢の記録とはまったく関係なく、不意にぐらっ、とか、ぐらぐらっ、とくることはあるが、
べつに怖くないし、屁とも思わない。
おそらく、覚醒した意識と夢見の意識との壁がなくなり、開通しているせいと思う。
ちなみに、記録を読み返して解釈したり分析したりはしていない。
しかし、電話で話していた指導教官から「去年のx月x日のところを見てみて」
と言われて、ノートを繰ってみたら、
そのとき話していた内容と寸分たがわぬことが書いてあった件には、さすがに驚愕したわ。
人って不思議よねw
  1. 2019/05/09(木) 16:16:06|
  2. 次元上昇
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

夢見と眠り

2019.5.3(金)

昨年後半くらいから、夢見と眠りが、鍵として浮上してきている。
物理像とマインドは、まだ全部が自覚されてはおらず、
無自覚に、無意識に現れている部分があって、そのボヤけた部分が夢や眠りと連動している。

眠りの状態や夢の情景を使って、
「現実(物理像とマインド)」を読んだり、「現実」の操作に役立てるのではなく、
むしろ現れた「現実」を使って、眠りや夢に近づき、眠りや夢と混じり合うのである。
眠りや夢は「現実」の象徴ではなく、「現実」が夢や眠りの象徴なのである。

現れた「現実」を使って眠りや夢と混じり合う、とはどういうことか。

①「現実」を使う
目覚めて活動しているときに、「疲れ」「重だるさ」「苛立ち」「心細さ、不安」といった感覚(周波数)で表出するミスマッチ感(ミスマッチな周波数)に気づくこと。
これらの感覚(周波数)は、微妙な感覚(高次像)と連動しておらず、コヒーレントではない。
異物のようなものである。
ゼロポイントフィールドの感覚に慣れ、「私」から身体とか心といった暈(かさ)がなくなっていると、
ミスマッチ感に気がついただけで、そのミスマッチ波動はゼロポイントフィールドへ還流する。
問題が発生して解決するというパタンから抜けられなかったり、何か停滞感がある場合は、
マインドで生じている違和感に気づいていないからであって、
スピリチュアルなワークやヒーリングがヘタなせいではない。
何ごとにつけ、気づけるということがポイントでありヤマである。

②眠りや夢と混じり合う
濃いとか中程度とか微妙といった感覚帯(周波数帯)を、それぞれの意識状態と呼ぶとすると
(たとえば濃い感覚帯=物理像をつくる意識状態)、
①によって、
物理像やマインドをつくる覚醒時の意識状態が、眠りや夢見の意識状態に近づき、
眠りや夢見の意識状態が覚醒時の意識状態に近づき、
両者の境界帯域が融合して、
「現実(物理像とマインド)」が柔らかく、変わりやすくなる。
わかりやすく言い表すために自然科学チックな用語を使うと、
δ波(熟睡)、θ波(夢見、まどろみ)とα波(覚醒・リラックス)、β波(覚醒・活動中)が接近し、
θ‐α波とか、α‐θ波といったゾーンで「現実(物理像とマインド)」を感じ、創造するようになる。
ただ、α波とかθ波とかいう脳波話は、客体‐空間‐時間思考を前提とする説明であり、
意識状態を自然科学用語で象徴させた喩え話といってよく、ベタに受けとると、
「(暈をもった)“私”の脳波がθ‐α波やα‐θ波になって、現実を思い通りに操作しやすくなる」
といった類の、客体‐空間‐時間思考を一歩も出ていない、つまらない結論が出てしまいがちである。
そうではなくて、統覚視点「私」ではない自分の身体とか心とか魂とかも含め、
「現実(物理像とマインド)」全体がジェルジェルになるのである。
「現実(同上)」をつくる感覚帯が微妙な感覚(高次像)に近づき、次元上昇するといってもいい。
それが①によって訪れるのは、
「現実(同上)」に働きかけて操作するという、客体前提の「現実(同上)」への応答を放棄することで、
客体思考から醒めるからである。次いで空間思考、時間思考からも醒める。

ジェルジェルな「現実(物理像とマインド)」は、微妙な感覚(高次像)と連動する。
それは高次で蒔かれた種が勝手に芽吹き、伸びていき、花や実をつけ、ゼロポに還る世界であり、
暈をもった「私」の願望が成就するとかしないとかの世界ではなく、
また、エゴを手放してすべてを粛々と受け入れるとかの世界でもない。
エゴ(私)とは本来、循環宇宙を認識し創造している統覚視点、循環宇宙という夢の夢見手のことで、
エゴなしには認識も創造もなく、宇宙だってない。
でも、エゴという言葉の印象がわるければ、真我とか、なんとかセルフとか、別の言葉で表象させても
よいと思う。
何と呼ぶにしても、「私」はすべてを感じて創造している夢見手であり、粛々と受け入れてなどいない。

眠りと夢見の意識状態は、覚醒時に直感を感じる意識状態とともに、
微妙な感覚帯域(高次像)に属する。
実感的にいえば、眠りは何も体験していない無、夢見では何らかの情景を体験していて、
どちらも微妙な感覚とはいえない。
それは、眠りも夢見も、覚醒時の「濃い感覚(物理像)」から離れているからで、
いちばん低い感覚帯(周波数帯)が「中濃感覚(物理波を反映しない物理像すなわちエーテル像)」
になっているからである。
中濃感覚は夢の情景を構成しており、物や人物の像になるくらいには波動が具体化している。
中濃感覚の情景は、(多くは無自覚、無意識の)マインドと連動して呼び出されてきているが、
中濃感覚で具体化するのは夢見の意識状態のごく一部であり、
残りの波動は精妙なままで、情景化しない。
一方、眠りの波動は、非常に精妙なので、物や人物などの像にはならない。
つまり、眠りも夢見も周波数が高く、覚醒時に「微妙な感覚」として感じられる波動と同質である。

覚醒、夢見、眠りは、それぞれ、
人間と呼ばれる宇宙存在、また動植物に分類される宇宙存在の意識状態の相であり、
全体として宇宙である。
覚醒時の活動のチャージのために夢見や眠りがあるわけではない。
というか、夢見と眠りが宇宙存在の常態であって、
どちらかというと覚醒時のほうが特殊な相なのである。

ジェルジェルな「現実(物理像とマインド)」は、
実感的にいって、像をつくる感覚のコントラストが相対的に弱く、
ある場面から次の場面への変化が起きやすい。
言い換えると、統覚視点「私」の感じかたが変わりやすい。
空間思考に遠近や内外がなく、時間思考は線形でも円環でもなく、そこには決まった順序もない。
必要なデータ(記憶)は即時に思い出せるか提供されるが、
必要でないデータは全然思い出せず、深追いしようとするとジャマが入る。
さっきまで憶えていたことをきれいに忘れてしまう。
必要があるときには、自分にはとてもムリと思われることでもなぜか簡単にできてしまい、
余計なことをしようとすると、非常に簡単にできるはずのことが全然できない。やり直してもできない。

ジェルジェル現実の質感は、夢の情景に近い、というか等しい。
眠りや夢見の意識状態と、覚醒時の意識状態の境界帯域は、夢の情景をつくる「中濃感覚」であり、
中濃感覚で織られる像はエーテル像である。
新覚醒時(?)の現実の実質はエーテル像なのだ。
この件は、以前に、アニータ=クラリッサ@プレアデス=シリウス(ハイブリッド)と交信したさい、
「本来、物理像はエーテル像です。あなたがたは物理像をエーテル像として体験するようになる」
と告げられていた。
私はそれがどういう意味かわかったし、得心もしたけれども、
これまでにも何度か入力しているにもかかわらず、
「エーテル」というオカルト用語に腰が引けて、
自分用のメモにちょろっと記録するだけにとどめたのだった。
エーテルってなんだよ自分サイキッカーじゃねーからわかんねーよ、と思われる方は、
眠っているときに見る夢のあの質感、アレだと思えばいいです。
  1. 2019/05/03(金) 18:29:55|
  2. 次元上昇
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

何もしないのが最善、何かするのは次善

2019.4.27(土)

人と話すと、波動は下がる。
行動したり、形に表しても、波動は下がる。
こうして文字を入力しても、波動は下がる。
飲んだり食べたりしても波動は下がる。
人と口をきかず、動かず、何も書(描)かず、飲み食いしなければ、波動は高いまま保持される。
精妙で、たっぷり余力(ポテンシャル)を湛(たた)えた、瑞々しい状態。
これが基本フォーム。存在の自然体。
存在とはこの場合、統覚視点「私」が感じる、「私」を含み包む宇宙全体のことだ。
(↑このようにウダウダ説明すると波動は下がるのです。)
存在、あるいは宇宙は、何もしないのが基本形で自然体である。
目を開けて景色を見ただけでも波動は下がるのだから。
もうできる限り、しゃべらず、動かず、表さず、飲み食いせず。
落語の「しわい屋」に出てくる旦那のように、
扇子を手に持って首のほうを振り、扇子の消耗を抑えようという。

しかし、波動はどうしたって下がります。
ポテンシャルはポテンシャルのままではおらず、形になり動きになろうとするから。
波動が下がるとは、ポテンシャルとして湛えられている力が具体化することです。
「私」の感覚域が物理像の帯域まで下っていれば(一般的に言うと生存していれば)、
具体化は物理像をつくる五感的な濃い感覚まで進みます。
そうして形や動きになると、形や動きとして消尽されるという形で、もとのポテンシャルに還る。
そこからまた具体化に向かう。
絶えず湧き出て、湛えられ、溢れこぼれて形を描き、還って、また湧き出てくる。
途切れず循環しています。
なので、こうした開花のなすがままに行われた認識と創造によって波動が下がっても、
「私」はまったく疲れません。
統覚視点「私」は、この全循環を感じて、創っています。
「1(ある)」に向かう「感じ(周波数)」は、驚き、わくわく、ぞくぞく。
「0(ない)」に向かう「感じ(周波数)」は、直知、歓喜、エクスタシー。

でも実用的な書きかたをすると、
「なるべく」しゃべらず、動かず、表さず、飲み食いせず、くらいでちょうどいい。
客体‐空間‐時間思考でセルフマインドコントロールしていたり、
客体‐空間‐時間思考に気づいていてもまだそこから抜け切れていなかったりすると、
行動、生産、表現、チャージ(飲食など)が目的化して、
十分涼しいのに扇子でバタバタ扇いだり、
それどころか扇子を使うためにわざわざ暑い場所に移動する、ということまでするからです。
客体‐空間‐時間思考下の行動、生産、表現、チャージは循環しておらず、
というのもこれらの思考によって循環していないという設定にしているからですが、
行動、生産、表現、チャージが途切れると自己責任で賄わなければならず、
賄えないと衰滅するという脅しがかかっているので、すべて強迫的になります。
衰滅は還流のネガティブ解釈で、客体‐空間‐時間思考システムを回していくための
デフォルト設定(自動指定、暗黙指定)です。
客体‐空間‐時間思考システム下では、物理像の消尽は特定の夢見の終わりではなく、
個々人の感覚の向こう側に確固として実在している客体の欠損や減少を意味しており、
「夢じゃないぞ、ホンモノだぞ、ホンモノがなくなるんだぞヤバいぞ」と脅してくるのですが、
「仮にホンモノだとして、それがなくなったらなぜいけないの?
自分がいなくなるとか、忘れ去られるとか、人類が滅亡するとか、
あるいは自分は生まれていなかったとか、人類は生まれていなかったとか、
そういう世界があってもかまわないんじゃないの?」
という類の疑義を出すと返答に窮するので、結局、根拠はありません。

ともかく、客体‐空間‐時間思考をしていると、
行動、生産、表現、チャージは強迫的、ないし強迫的反復になり、
本来は連動してひとつづきである具体化の過程に、妙なタメができます。
たとえば、
・マインドで話題や話の切り出しかたを検討する→人と話す。
・マインドで行為や作業の手順を組み立てる→行動する、形にする。
・記事の構成や内容を思案する→入力する。
・GOとSTOPの間であれこれ葛藤する→間食する。
マインドと物理像が連動していると、アイデアが浮かんだら身体が自然に動いている、
もしくは思うと行うが合一しており、タメはありません。
高い周波数が具体化していくと、感覚がより濃く、よりはっきりしていって、波動は下がりますが、
これは自然で適切な流れなので、疲労は生じません。
しかし、上述のようにツーステップにしてタメをつくると、
波動は必要以上にダダ落ちし、すっごく疲れます。
なぜなら、マインドのパフォーマンスがいたずらに大きくて、複雑で、
マインドで実現ポテンシャルの大半を使ってしまい、そのぶん波動も下がるから。
その、必要以上に大幅に下がった波動と連動して出てくる物理像は出がらし、ヘロヘロです。
これはポジティブなイメージでも同じで、
何の苦もなくパッと浮かんだイメージは瑞々しくて実現余力がありますが、
考え込んで捻り出したものはマインド段階で涸れちゃってて使いものになりません。

マインドが逸(はや)りだしたり、変なシミュレーションをはじめて、疲れるパタンを予感したら、
そのまま行動に突っ込まないで、その「感じ(周波数)」をゼロポに還し、
「いま、何したい?」とか「どっちがわくわくする?」と自問するとよいと思う。
  1. 2019/04/27(土) 15:49:39|
  2. 実現のメタフィジクス
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
次のページ

プロフィール

みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
人間(♀)仕様だが
中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
リンクはご随意に。
連絡も不要です。

出版案内3(パブー閉店のため2019年9月30日まで)

『ようこそ☆ゼロポントフィールドへ』をパブーで電子出版しました(無料)。「この本を開く」ボタンをクリックするか、ファイルをダウンロードしてお読みください。

出版案内2(パブー閉店のため2019年9月30日まで)

『Starry Souls ☆ 宇宙人語り』の改訂版です。

出版案内1(パブー閉店のため2019年9月30日まで)

『多次元対談・宇宙人といっしょ』をパブー (PC等で読める電子本)で出版しました

最新記事

カテゴリ

三毛猫亭日乗 (22)
社説 (26)
ひみつの閉架書庫 (55)
デムパ話 (24)
超デムパ話 (7)
新世界への回帰 (79)
アセンションについて (8)
実現のメタフィジクス (8)
仮想集合システム (27)
コミットメント (5)
次元上昇 (5)
デムパなメソッド (10)
ナチュラルトランス (14)
ナチュラルトランサーの特徴 (1)
フィロソフィア(愛知) (25)
この女(ひと)を見よ (8)
不思議なお店 (8)
RTLF (2)
未分類 (15)
ブログをご覧になる方へ (1)
音楽 (4)

最新トラックバック

ぞろ目が出るかな?

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: