ソロ・パブリッシュ

エア充。

政治と第4密度

2017.5.9(火)

第4密度にイッちゃった人は、
身体がありながら(物理帯域に降りていながら)「私」と「私でないもの(誰か、
人間以外の生物、無機物)」との分離が対立しておらず、共存関係にあります。
この人は、「非私」によって「私」の輪郭を確認せずにはおれない、自己承認の永久運動に
ハマっている壊れた自我構造体に閉じ込められてはおらず、
世界そのもの、宇宙そのものである意識体、すなわち魂宇宙であり、
虚空(ゼロポイントフィールド)の表現体です。
同時に、その魂宇宙が「私」と「非私」に分かれて感じられる面では、
一切が連携していることを感じて知っています。
だからときどきサイフやケータイデンワなんかとも交信して、
人目につかないところで彼らのハンズオンクリアリングをしたりしてるわけよ。

こういう人には、「私」と「非私(=環境)」が対立抗争している第3密度の偉い人からの
「私を支持してくれれば、あなたのニーズを充たしますよ」
という誘いが利きません。ていうか届かない。
だって、ニーズ(欠乏)なんてどこにもないんだもの。
何であれ必要だったら必要なときにもたらされるし、
私や非私のどんな活動も、どこかに響いて必要なところに届いて、
そういうのが循環して全体が潤うから。

第4密度の人も、政治とか、職場や地域など何らかの集合体の方針決定にかかわります。
でも、決断を迫られることはありません。
政治方面だけでなく、万事、流れに乗るだけだから。
たとえば投票するかしないか、投票するなら誰に、あるいはどの案にするか、
決めるにあたって必要な情報があれば、情報のほうからこちらへやってくるし、
何か自分が積極的に動く必要があるのならそうするし、
すべて宇宙の流れのなかで行われるので、
「私」がウンウン考えたり悩んだりして答をひねりだすんじゃないんです。
第4密度にいる誰かがA案を支持し、別の人はB案を支持する、と、
意見が分かれることもあります。
第4密度においてはどちらも正しい。または正解なしと言ってもいい。

第3密度の偉い人たちは、上記のような人を、
「必要なものが必要なときにもたらされるぅ? ウチュウの流れぇ???
はは、バッカじゃないの。忖度するまでもなくスピリチュアルかぶれの現実逃避だね」
と、口にする以前に、ハナで嗤う価値もなしとばかり、相手にしないでしょう(その一方で、
高名な占い師やサイキッカーに託宣を仰いでいるかもしれないけど)。
しかし仮に、「先生も、お望みならアッチ側に移れますよ」と呼びかけられても、
おそらく先生がたは現状に留まりつづけるでしょう。
先生がたは、第3密度の対立抗争モードに上手に適応できた人たちであり、
だからこそ偉くなれたのだから。
「私」が「私でないもの」と格闘し、成功しても失敗しても、
外環境を克服せんとする努力によって成長し、「私」を練磨していく、
ときめきビルドゥングス(成長)RPGのオペレーティングシステムである対立抗争が
なくなってしまったら、
(線形時空間に刻まれた)わが偉業も、この先の栄誉の機会も失ってしまう。
ならば、むしろ対立抗争がなくならないほうがいい。
「私」と「私でないもの」との対立抗争は、人が生物である以上、不可避である、
こればっかりはどうにもならない、これが“現実”なんだ、
対立を受け入れたうえで調整していくしかないんだ、
ということにしておいたほうがいいのです。
第4密度の意識が既得権益をはるかに凌駕するとしても、
「私」を失うくらいなら現状維持がいい。

わが家、わが町わが村、わが社、わが国・・・と、「私」は外へと拡張していくこともできます。
このとき、わが家はわが家でない家々と、
わが町わが村はわが町わが村でない町や村と、
わが社はわが社でない会社と、
わが国はわが国でない国々と、対立する関係になり、
「私」が「私でないもの(外環境)」と繰り広げる闘争、和約、駆け引き、共闘、相互不可侵などが、
集団自我同士の間でも起こります。
どこまで広げても、たとえ投影対象が惑星や銀河系や銀河団まで広がろうとも、
根もとで「私」が「私でないもの」を操作して克服しようとしている以上、
投影対象は「私」の延長で、
延長された私ではない他家や他町村や他社や他国と対立します。
「無私のこころで家族に、町や村に、会社に、国に尽くす」と、
ご本人が本気で思っているとしても、無くさなければならない「私」がいるのなら、
そのこころは投影対象に対する萌えであり、尽くす行いはプレイです。
投影対象が「弱者」とか「貧しい人たち」といったように横断的になっても同じ。
本当に偉い先生は、無私のこころが萌えで、尽くすのがプレイだと自覚しているので
(第3密度に留まっていてもその程度には冷静になれる)、
自分の萌えとプレイを「私でない人たち」に強要したりしません。

「私」と「私でないもの」との分断から覚めてはじめて、
「私」も「私でないもの」も私であるとわかり、
分かれて感じられる存在すべてがつながっているとわかります。
たとえば与党の党首にとって、揚げ足とりとしか思えぬ質問をしてくる野党議員も、
脇が甘くて苛々させられる閣僚も、
生活防衛で汲々の民草も、被害者意識が強くてうんざりさせられる民草も、
なぜ選ばれたのか解せない白い家の公方様も、
いつまでも昔のことを根にもってあれこれ要求してくる隣国の人たちも、
全部その人自身、その人の宇宙であって、
ねじ伏せて改心させなければならない「私でないもの」ではありません。

以下はデムパゆんゆんのつぶやき。

私、家庭、職場や会社、町村、国・・・と、外へ拡張されていくアイデンティファイ運動が、
国とか、エクステンションしてもせいぜい東洋あたりで止まってしまうのはどうして?
同調圧力の限界?
外圧がないから? 宇宙人が黒宇宙船で攻めてくれば「惑星」まで拡張し、
ナショナリズムに替わってプラネタリズムが新フレームになるのか?
それはそれとしてインドや中東はどっち? 別枠?
ああユーラシア大陸+沿岸諸島が全部EUに視える・・・
だってどこも同じアトランティスのむじななんだもの。

テランの集合意識ラインは東西じゃなく南北で引かれる。
北米沿岸と東アジア沿岸、とりわけコードネーム「豊葦原」が
地政学ならぬ霊政学的にw重要だとすれば、
まったりレムリア&ムーと、イケイケのアトランティスとの習合地域だから。
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  1. 2017/05/09(火) 15:08:38|
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政治とアストラルエネルギー

2017.5.4(木)

『「意地悪」化する日本』(内田樹×福島みずほ/岩波書店)という対談本を読んだ。
これは2年前の夏、安保関連法案への反対運動が広がっていたさなかに行われた
対談をまとめた本で、法案の成立状況やその背景が主なテーマとなっている。

私は平生、社会に関心がないのだけど、図書館でこの本を見たとき、
先の参院選のおり、豹専務が、とある駅の前で演説中だった「ナマ福島みずほさんミタ。
意外と小柄な人やった」と言っていたのを憶えていたこと、
ネットでLGBT関係の記事を検索していたら福島さんのブログがヒットし、
それがFC2ブログで、「へー。アメブロじゃないんだ」と思ったこと、
『うつヌケ』(田中圭一/角川書店)という、これは豹専務の本なんだけど、
うつ病を脱出した人たちを取材して漫画にした本のなかに内田樹さんが登場していたこと、
など、点々とした記憶が偶然に結びついたので、借りてみたのである。

2年前の状況について書き起こされた本なので、時事データは当時のものだし、
リアルタイムな政治状況を映してはいないが、大筋は変わっていない。
攘夷に萌える人が、なぜ白い家にいる外国(とつくに)の公方様に拠らねばならんのか、
というねじれのわけもよくわかった。
攘夷の志は敗け戦で果たせず、外国の施政に従わねばならなくなったが、消えたわけではなく、
むしろかの国の筆頭属州となることにより、将兵を動かす言質を確保し、
いずれ時が来たら、外国が介入した法は撤廃、平たい顔族の、平たい顔族による、
平たい顔族のための法を布いて、ふたたび攘夷を決行せん、
それが平たい顔族の長老たちに受け継がれてきた潜伏策であると。
しかし当代の長老連は攘夷ファンタジーがファナティックであるゆえか、
あるいはインナーチャイルドが癒されていないのか、
こらえ性がなく、早々に決起せんとしてなりふりかまわずになっているらしい。
本に書かれていることではないが、
攘夷の志の遠景には、関が原の合戦(西軍‐石田方)のリベンジも幻視できる。

外国との戦だの攘夷だの、まして関が原だの、暦のうえでは数十年~数百年も昔のことだが、
当世の人がそうした大過去の環境磁場を継承しているというのは、ありえないことではない。
環境磁場とは感情、情念、思いであり、感情、情念、思いに時制はないからである。
たとえ現場にいなくても、いずれかの視点で語られる物語を読んだり聞いたりして、
感情移入すれば、たちまちコピペできてしまう。過去世にすらできる。
というか過去世の本体は、こういう念磁場なのだ。

『大奥』(よしながふみ/白泉社)という漫画を読むとひしひしわかるんですが、
春日局にとって、自身が辛苦を味わった戦国乱世というのは、つい昨日のことなんです。
徳川政権が諸国の大名をきりきり縛りあげ、融通の利かないハードなシステムを
つくっていくのは、「なんとしても、あの非道い戦国乱世に戻さないため」です。
そのシステムのメンテナンスにお金がかかって財政が危なくなってきたとき、
八代将軍吉宗が登場するわけですが、
偉大すぎた母上(性別が逆転しているので吉宗は女性です)の霊は次代の将軍に
劣等感を植えつけ、それが治世にも影響する。さらに十代将軍の代になっても、
老中・田沼意次にとって「吉宗公のご意志」は精神的支柱です。
そして、「ノーモア乱世」フレームで想定していなかった黒船がやってきたとき、
「そもそもなんで徳川政権なわけ?」と、封印されていた関が原の怨念が噴出する。
そうやって、過去は情念によって受け継がれていく。
これらの背後で、すっかり忘れ去られていながら、中世の争乱や古代の氏族対立の念も、
無意識領域ではオンになっていて動いているかもしれない。
時代の新旧に関係なく、情念の強度がオン/オフを決めるからです。復活もありです。

政治というのは、
成文化されて制度になるまでの成立過程では感情や気分に支配されるが、
文言として確定するときには言語に拠らねばならない、
でもそれが実際に強制力となって制約をかけてくる現場では、
文言どおりにことが運ぶとは限らず、かかわる人たちの裁量にも左右される、
と、三段がまえになっている。
言葉に切実な注意が払われるのは確定するときと、
強制力行使の現場で、強制力の根拠を示さなければならなくなったときだけです。
全体の3分の2くらいを感情や気分という名指せないものが占めており、
感情や気分を気体とすれば、
その背後に流体またはジェル状の情念とか信念とかが渦巻いていて、
表出しておらず無意識領域に潜んでいる分を含めれば、
アストラルエネルギーの趨勢でことが決まるといってもいい。
古代の哲人政治プランが企画倒れに終わったり、
言語主導の政体(共産フレームなど)が失敗したのは、
たぶん、アストラルエネルギーを勘定に入れてないからでしょう。
「“現実”が見えていない」とは、物理像が見えていないのではなく、
むしろ物理化していないものが視界に入っていないことをいう。
逆に、天然でアストラルエネルギーを操れてしまうけれども、
操作そのものが目的化してしまっているのがデマゴーグ(煽動政治家)です。

ということは、アストラルエネルギーの趨勢が変われば、
流れが変わるということです。

為政者は、過去や大過去の何らかの情念からエッセンスを抽出して
理想の政体像や共同体像を描きますが、
自分の欲求にふり回される民草がそんな高邁な話に乗ってこないことは
わかっているので、民草には自分の本心をあかしません。
民草向けには、あなたがたのニーズを充たしますよ、というもちかけかたをします。
そのかわり、密室合議では私らの理想国に向けてのリノベーションを
がんがん進めさせてもらいますよ、という非公開条件つきで。

民草の最優先ニーズはまず「安心」、
治安面、経済面、災害や疫病など不測の事態に対するリスクカバーといった
恒常性の維持が約束されること。
でも、安心というのは「落ちない」ための守りの方策で、
これだけだとショボい気持ちになってしまうので、
拡大、成長を示唆するというプラスアルファもつける必要があります。
結果を出せる出せないにかかわりなく、
安心+αが到来しそうだというイメージに説得力のあることが大切です。

為政のトップに立つ人は、当世では次のようなイメージを抱かせる人が
民草から支持されそうです。

・先端産業の企業のCEOふうのビジュアル(ブラックなニオイはNG)
・わかりやすいパフォーマンス(言論ではなく言動がわかりやすいこと)
・決断が迅速で、トップダウンで官吏を動かせる(=実行力がある)イメージを
 与えられること。このイメージに沿うなら朝令暮改ぜんぜんOK
<戦時>
・サッカーなどのチームスポーツで、贔屓チームがぐんぐん勝ち進んでいるときのような
 勢いを演出できること
・敗けても、動機の正しさや降伏の決断のタイミングなどでプラスの印象を残せること

先端産業に携わり、仕事が大好きで、リア充しており・・・といったような人は
民草のうちほんの一部、ですが、
誰しも自分のことをイケてないとかイタいとか思いたくないので、
エクステンション指向のセルフイメージを抱いている、というところがキモです。
むかし(ゼロ年代)、あるテレビ番組のキャッチフレーズに、
「時間もお金もないハッピーミセスのあなたに!」というのがあって、
なにそれぜんぜんハッピーじゃねーじゃん、と大笑いしたけど、
これは時短&節約企画とアッパーミドルイメージをムリくりに両立させようとした、
苦肉の珍フレーズです。
番組を見てもらおうとか、支持してもらおうとか、何か要求を受け入れてもらおうと
思ったら、相手がセルフイメージを盛れるようにしないといけない。

為政者サイドも民草サイドも、
ポジティブなアイデンティティが欲しい、という点で一致しています。

万にひとつ、
自己承認欲がなく、分かち合うことを怖れず、
「シャカ族はとっくに滅んでます@『聖☆おにいさん』のブッダ」みたいなことを
明るく言い放ち(←いかなる過去の情念にも囚われていない)、
おまけに少食ないし不食・・・といった人が増えたら、
為政者は嫌だろうねえ。
こういう人は自分で自己肯定できちゃうんで、外部操作が利かないから。
まあ、こういうのは、GDA(gross domestic awakeness=国内総覚醒w)などと
いったふうに数値化できないし、増えようと減ろうとどうでもいいですが。

<本のデータ>

書名/「意地悪」化する日本
著者/内田 樹(うちだ たつる)、福島 みずほ(ふくしま みずほ)
発行所/株式会社 岩波書店
発行年月日/2015年12月15日
価格/1,600円+税

正直、岩波書店からこんなソフトカバー+ナンパなタイトルの対談本が刊行されている
ことに驚いた。これなら、いっそカバーなし、昔の岩波文庫についていた悪名高い
あのブーブー紙で本体を包んだら、左翼インテリ全盛時代をレトロに彷彿とさせ、
「安保反対ですけど何か?」的な雰囲気を醸せてよいんじゃないか、と思った。
もちろんブーブー紙が破れても返品、交換はなし。
  1. 2017/05/04(木) 19:19:15|
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非フィボナッチ時空間

2017.4.29(土)

ソウル宇宙(魂)の本来現在=永遠。
この大仰な文字列が何を言わんとしているのか、突き詰めてみたい。

わかりやすく体感するために、じっとしていることにする。そして、
時間、空間という言葉は脇に置く。そんなの知らない、ということにする。
と、見ていたり、聞いていたり、さわっていたりする感覚が、
ばらばらにではなくまとまって起きている、何らかの景色だけがある。
景色というと視覚のイメージが強いから、何らかのクオリアと言おう。

じっとしていても、感覚は微細に変わるから、クオリアは一定していない。
揺れて、ざわめく。
歩くとか、ふり向くとか、動作をすれば、クオリアはもっと大きく揺れ動く。
グヮン、とか、ウィイーン、とか。
発声しても、クオリアは大きく揺れ動く。
母音、子音と母音、高低、強弱、ブレス。

何らかのクオリア。
前後のない現れ。
要するに、単純に、たったこれだけのことだ。

これを、幾万ものスピリチュアル言説は「今ここ」と呼ぶのだけど、
「今ここ」という言葉遣いそのものが、
過去の出来事という思考が積み重なったフィボナッチ時空間にもとづいた言い回しなので、
この言葉を聞いたり見たりして、「よし、では“今ここ”に居つづけよう」としても、
フィボナッチ時空間からは出られない(「居つづける」という発想からしてフィボナッチだし)。
かつて私もこの手の練習を試みたことがあるけど、
たとえば「10時までに掃除を終わらせて食事して外出する」という予定が、
「このスペースに掃除機をかける→次にあそこのスペースに掃除機→テーブルを拭く・・・」
といったように、細分化されたフローチャートとして意識に上るだけで、
次から次へと用事に追われるモードはまったく変わらなかった。
ただ、これをやったおかげで、「意識に上った今はもはや今ではなく過去だ」
と明白にわかりましたが。

こういうふうに積極的に「今ここ」を捕獲しようとするのではなく、
フィボナッチ時空間という思考に乗って流れる思考が止んだときに、
「!」みたいな形で、何らかのクオリアが、直に得心される。
思考が止むのは一瞬のこともあるけど一瞬とは限らず、
かなり長い映画を見ていた間ずっとそうだったとか、
食器を洗っていた間なぜかそうだった、
人と話していて、いつもなら絶えず考えがわいてくるのに、このときはなぜかそうだった、
ということもある。

それは特別なことではなく、実際、誰にも、
フィボナッチ時空間思考に乗った思考が途切れる、思考の空白は幾度も訪れるので、
そのさいに、「これがそれだ」と気づく。意識化される。
と、無意識~半意識的に、空白の到来に対して注意を向ける指向ができるので、
空白はいっそう意識化されやすくなり、
何度か意識化されているうちに、
ギアチェンジするような感じで、自分から空白にフェイドインできるようになります。

思考の空白=何らかのクオリアだけの状態は、
0=∞ → 0/1 → ソウル宇宙 → 物理界 → 0=∞
という循環の波が、屈折も迂回もなしに降りて、還っている状態です。
したがって、ゼロポイントフィールドとつながる、または瞑想状態に入ることによって、
空白を呼びだすこともできます。
(ゼロポイントフィールドについてはブログ右「出版案内3」を参照してください。)

フィボナッチ時空間の縛りが解けても、
今日が何月何日で、ここがどこなのかわからなくなる、などということはありません。
暦や時刻や場所、位置関係などが、
定規に刻まれている目盛りと同じように、ただの目盛りになるだけ。と、
それまで習慣的に(意識せずに)何千、何万回と繰り返されていた
「時間がない」「あと何分」「遠すぎる」といった思考時空間の追い立てが消えるので、
こういう思考によって生じていたプレッシャーがなくなります。
そうなってはじめて、
思考上のやりくりでどれだけエネルギーを費やしていたかがわかる、
といってもいいかもしれない。

そういうふうに、心理的な圧力が抜けてストレスが激減するというだけでも、
十分な現世利益といえますが、
言葉にならない「今ここ」が得心されることは、完成ではなく、基礎です。
ソウル宇宙(魂)のデザインが現れるための基礎。

ふっと答がわかったり、不意に道が開けたり、
いつのまにか必要な道具や人が集まっていて、
あとは自分がそこに乗るだけの状況ができあがっていたり、といったような、
フィボナッチ時空間世界から見たら幸運や奇蹟に見えるようなことも含めて、
ルーティンな用事のかたづけだったことも、
一切が波乗りになります。
「これは特別なイベント」「これは超常現象」「これはルーティン作業」といった区別なく。

さて、以下は私の事例ですが、私の場合は、
自分が巻き込まれている時空間の絶対性(どこへ移動して何をするかに追われる生活、
引いては生老病死の必然)への漠とした疑いが、そこからの脱出の契機になりました。
私から見ると、とくに問題があるとは思えない、むしろ順風満帆といっていい人が、
自分の将来をすごく悲観していたり、
今はいいけど、いつ来るかわからない経済&健康&諸々の破綻に備えておきたい的な
ことをウェブ日記や掲示板に書いていたり。
仕事の資料として経済とか社会情勢の将来予測記事を読んだときにも、
「X年後に破綻する!」みたいなことが堂々と、
各種の数値データにもとづいて、なるほどと思えるように書いてあったんだけども、
実際X年後になってみると全然そのとおりになってないじゃん! とか。
こういう、公私の憂いの共通プラットフォームとして古典力学的な生活時空間があるわけで、
これがなんとも、どうにも怪しい。
私自身も時間に追われる生活を送っていたんですが、
予定に急き立てられながらも、なんか騙されてる感が拭えなかった。
もし、そういった漠然とした疑いを、既成観念に照らして自粛してしまっていたら、
では過去という立体空間はどこにあるのか? 記憶している事実は立証できるのか?
今とはいつなのか?
目の前のここはすでに終わっている最新更新場面、つまりは過去ではないか?
未来はどこにもないのに、なぜやがて来ると思えるのか?
・・・といった問いも立ち上がってはこず、
フィボナッチ時空間が思考だと見抜けなかったでしょう。

何らかのクオリアなんていう最も単純で不思議から遠いことが、
当たり前と例外を引っくり返すのみならず、
不思議の累乗的広がりへの入り口になるのだから不思議です。
  1. 2017/04/29(土) 23:20:33|
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フィボナッチ時空間

2017.4.23(日)

先週、ほとんど10年ぶりくらいに、拙宅に3次元のお客様を招きました。
この人がまた不思議~な方で。ここまで不思議とは思わなんだ。意外だった。
この方とお話ししているうちに、
非物理方面をノーカンにせずにぐんぐんと意識が広がっていくときの道標(目標では
なく目印、道しるべ)は、時空間の変化だろうと思った。
素粒子物理学や宇宙物理学だとこうなりますよ、といった知識が獲得されるのではなく、
実用ベースで変化し、自在になっていくということ。

地球人集団の一般的なルールでは、
時間や空間は加算的に積み上がっていき、
積み上がりに沿って、事物や生物の成長や衰滅が繰り返される。
どちらにせよ、加算、ないし成長から衰滅という方向へベクトル化されている。
この線形の時空間を、デムパ宇宙系ではフィボナッチ時空間と呼ぶ。
これは、
0、1、1、2、3、5、8、13、21、34・・・
と、前の数字がずんずん足されていく(5=2+3、8=5+3など)フィボナッチ数列に
由来している。
フィボナッチ数列は、地球人の時空間のとらえかたを的確に象徴しているという。
フィボナッチ時空間では、未来(推定される結果)に焦点が置かれていて、
その推定はひとつ手前の過去と現在の加算で行われる。
しかし<現在>なるものは意識したとたんに終わっている、直近の過去=現在完了
なのだから、
どの時点をとっても、どこまで行っても、過去の積み重なりだと考えてもよい。

過去というのは、たとえ記録が残っていても、書き手や撮り手や観測者のパースペクティブ
にもとづいており、
体験記憶ならばそれは体験した当事者が構成するイメージ像なので、
記録した人や記録用の機器を用いた人や当事者の主観である。
記録を見聞きする人は、記録した人とはまたちがうパースペクティブで「記録を見聞きする」
という体験をするので、これも主観である。
現在と呼ばれている直近過去=現在完了の像も含めて、
誰から見ても、どこから見ても同じ、真正の過去の姿などはどこにもない。呈示できない。
じつは何らかの形や音、匂い、味などの像になっているものは、
どれも個人固有の(遡ればソウル宇宙=魂の)色彩をもっていて、
無色の客観視点は、いかなる像にもならない段階(0=∞もしくは0/1)にしかない。

つまり過去は物理像としてダイレクトに再現できないし、
映像や音声や文字で呈示できるのは映像や音声や文字であって、過去の出来事ではない。
ということは、過去は人の思考にほかならない。
ということは、特定の思考をフィボナッチ状にずんずん積み上げていっているのであり、
この加算作業もまた思考である。
ということは、フィボナッチ(線形)時空間は思考の一種なのである。

とはいえ、フィボナッチ時空間にはえらいリアリティがあって、本当っぽいんですよ。
「現実的に考える」とは、このフィボナッチ時空間に則って、ものごとの展開を推測する
ことであるような。
それは、このフィボナッチ時空間がサヴァイヴァルゲームの基盤になっているからです。

フィボナッチ時空間をインストールしてこれに乗っかって動いている人は、
直近過去として体験した場面を、
サヴァイヴァルゲームの勝因となるか、それとも敗因となるかを判断して、
勝因となる出来事を再来させ、敗因となるほうは避けるべく対処します。
○=新しく何かが誕生したり、獲得されたり、成長、発展する因子
×=減衰したり、老化したり、壊れたり、亡くなったりする因子
どういう場面が○あるいは×に至りやすいかを判断する基準となる因果関係のバタンは、
外部から得た事例を自身で検証したり修正したりして、経験知として補強されていきます。
じつはフィボナッチ加算思考が行われるときには、何もかも積み上げるんじゃなくて、
○ないしは×に至る因果関係に沿ってデータを取捨選択しています。
なので、因果関係を構成しない場面=サヴァイヴァルゲームに関係ない場面は、
案外さらっと忘れられていく。
ゲームに熟達していると、ゲームの基盤であるフィボナッチ時空間そのものを
揺るがすような場面(必要なものが先にくるといった因果関係の逆転、途中をすっ飛ばす
テレポーテーションなど)は、無意識に防御的な情報処理がなされて、
なかったことにされたり、理屈に合うように改ざんされます。

物理帯域に閉じ込められた意識は、サヴァイヴァルゲームをゲームとはとらえていません。
上記の×方向に転がり落ちていくと、最悪死んでしまったり社会的に死んでしまったりして、
ゲームの盤面上から退場させられる。
ゲームをゲームをとらえていない人にとって、それは無に帰することを意味します。
また、フィボナッチ時空間を開いていると、瞬間蒸発して無に帰することはありえないんで、
×な諸場面が無に帰するプロセスとして必ず構成されます。
これがたいへんに怖ろしい。
なので、遊びとかゲームとか、そんな余裕をかましてはいられない。
時々刻々、100メートルを2秒で走るという口裂け女よりも速く未来計算をして、
布石を打たなくてはなりません。
あまりがつがつしていると、外部からバッシングされてかえってサヴァイヴァルに不利
だから、ほどほどを装って控えめにふるまおうとか、
迫りくる無に耐えられる強い心を養おうとか、
そういうこじれた戦略が立てられることもあります。

しかし、いかにシリアスな構えをとっていようと、
フィボナッチ時空間も、そのうえで展開するサヴァイヴァルゲームも、
ある種の考えかたであり、思考です。
物理像の扱いかたを決めた不文のルールブックであって、物理像ではない。

フィボナッチ時空間&サヴァイヴァルゲームが思考にすぎないと気づく機会は、
どこにでも転がっています。
人や動植鉱物との交流にせよ、手仕事にせよ、読書でもスポーツでも、
あるいは何もしていなくてぼーっとしているだけであっても、
何らかの充足体験は、サヴァイヴァルとは無関係に起きています。
そしてこうした体験のただなかには、加算もベクトルもない。
だから、起きていることをそのままに受けとる、ある意味で“動物的な”センスさえあれば、
フィボナッチ時空間の仮想性は露わになります。

何かそこにないものに向かって思いを投網することが止まると、
フィボナッチ時空間は幽(かす)かになり、
ソウル宇宙(魂)の<本来現在=永遠>が浮上してきます。
  1. 2017/04/23(日) 18:40:44|
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過去世とか

2017.3.24(金)

リアル、ネットで私が見聞きした限りでの、テラン女性のあるある過去世を戯画化して
図解してみました。

                  それっぽいエネルギー
                       ↑
               どこぞのお姫様(落城により自害)
                       ↑

  それっぽいエネ ← 遊女 ← 主婦&非常勤社員 → レムリア人 →それっぽいエネ
           (薄幸)     (現世)    (沈んだ)
                       ↓
               巫女(なんか不幸な目に遭ってる)
                       ↓
                  それっぽいエネルギー

ことは過去世に限らず、未来世や宇宙人時代の話(別世・並行世)などが入っていても、
同様の図が描けます。
「どこぞのお姫様(自害)」のかわりに、「オリオン人(宇宙戦争で離散)」とか、
「天使なんとかエル(任務をめぐっての内輪もめで堕天)」とかを入れてもいい。
線形時空間化しておらず「本来現在=永遠」しかないソウル宇宙からすると、
これらは全部、輪廻転生バイオグラフィではなく、特定のエネルギーへのログイン図です。
この人が物理帯域を含めてソウル宇宙として動きはじめると、
現世の「主婦&非常勤社員」という定義すら、
線形時空間プログラムを走らせてみたときの人生物語にすぎないと知るでしょう。

私は常々、輪廻転生なぞというものはない、
生まれておらず(したがって)死にもしない意識体存在は、生まれも死にもできない以上、
輪廻転生など原理として不可能だからである、としているのですが、
それは上記のような理由からです。
特定の時代に物理体となってそこに居た、ゆえにその過去世は事実だ、私はそこで死んで
生まれ変わったのだ、といった線形ストーリーに濃厚なリアリティがあるのだとすれば、
それはログイン回数が多い、もしくはログインしたままだから。
特定のエネルギーとの結びつきが強いと、何らかの記録や遺物とシンクロして、
物的証拠として現れる場合もあります。

むろん、線形ストーリーとして読んでもまちがいじゃないんだけど、
それはあくまでも理解を助けるための方便、かりそめの構成だとわかっていないと、
いつまでたっても「生まれて、経験を積んで、死ぬ」「輪廻転生をとおして成長する」
といった類の線形時空神話から出られず、線形時空間を相対化できません。

自分あるいは誰か他人の物語=エネルギーのログイン図を読み解くときは、
イメージや言葉になって浮上してきたものを、
集合・集団意識の合意現実に照らし合わせないほうがいいです。
そのようなイメージや言葉に表象されている“それっぽいエネルギー”を受信することが
大切(正確には“エネルギーっぽいそれ”ですが)。
イメージや言葉を“それっぽいエネルギー”と切り離して、合意現実常識に乗せてしまうと、
上記の例でもわかるように、ベタベタに陳腐になりはて、インチキくさくなります。
おまけに説話論的磁場(パタン化されたお話)にからめとられて、
陳腐な話が自律的に別の陳腐な逸話と結合しかねません。
 例)どこぞのお姫様と若武者との破局が、レムリア時代の悲恋の再現で・・・云々

また、文献資料や現地調査などで確認しようとすると、
浮上してきたイメージや言葉が史実と矛盾していることもありますが、
究極0=∞の宇宙には事実と異なる事実がいくらもあるわけで、
そんなことは問題ではありません。
イメージや言葉のもとになった“それっぽいエネルギー”こそが大事で、
言い表しにくければ、むりに変換する必要もないのです。

人様のデムパ話を見聞きしたりする場合も同様で、
音声や文字に収束する前のエネルギーを受信しないと、
ソース(情報源)が何を伝えようとしているのか、本当にはわかりません。
コツとしては、話は遠目に聞いて、声を近景で聞く、
文章は遠目で眺めて、形(文字)や音の連なりを読む、
というように、焦点をずらしてみるとソースのエネルギーがわかることが多い。

線形時空神話がはずれて、人生物語が解体し、
「本来現在=永遠」のソウル宇宙として“居る”ことができるようになると、
過去世、未来世、別世、並行世の類の情報はストーリーではなくなります。
本来の、エネルギー配線図に戻る。
と、それぞれ個別の情報からも線形プログラムがアンインストールされる結果、
冒頭の図は次のようにポジ転します。
(ポジ転といっても、ネガから中立を見たときにポジに見えるという、見かけ上のボジで、
本当はニュートラルなのですが。)

              それっぽいエネルギー
                   ↑
           どこぞのお姫様(高貴さ・寛容さ)
                   ↑

それっぽいエネ ← 遊女 ← 主婦&非常勤社員 → レムリア人 →それっぽいエネ
         (神接客) (本来現在=永遠) (テレパス、物心のバランスのよさ)
                   ↓            
          巫女(クレアヴォイヤンス=透視者)
                   ↓
              それっぽいエネルギー

これはひとつの例ですが、カッコ内のエッセンスが変わります。
こっちが本当のソウル宇宙(魂)の導線であり動線。
  1. 2017/03/24(金) 17:08:07|
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みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
人間(♀)仕様だが
中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
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