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ソロ・パブリッシュ

エア充。

現実を変えず、現実ごと跳ぶ

2018.12.14(金)

1.クラシック

地球と呼ばれる、ほぼ球形の物理像だと合意認知されているこの世界の住人、
すなわち地球人の伝統的な精神世界では、
物理的な出来事を物理像だと見抜けばアガリとされてきたように思う。
これだと、感覚の向こうに物体がある、その物体が広がり、変化している、
「私」も物体の一部、それぞれ「私」である人みな物体の一部、という、
客体‐空間‐時間思考システム(仮想集合システム)はそのままで、
「私」を物体に属する身体と身体にもとづく心に閉じ込め、
「私」の作用範囲(=能力)を物理像とマインドに制限した状態も継続する。
人生(時間思考)と社会(空間思考)のマボロシ性はわかるが、
どちらも悟る前と変わらず、結果、
思考システムの管理下にある物理像+マインド世界は、
魂のステイタスを上げるための修練所となる。
物理像+マインド世界にぐずぐず居座ってはならず、かといって逃げてもだめで、
課題をきちんとやり遂げて単位をとり、「卒業」しなければならない。

2.モダン~むかしはひみつの教えだったことがカジュアルダウン

近世紀になって、
高次の量子跳躍パワー(直感とか閃きとかの微妙な感覚)を使って、
人生(時間思考)と社会(空間思考)を泳いでいくゲームのエンジョイ度を上げよう、
という流派が出てくる。
引き寄せの法則を使ったり、ヒーリングで潜在観念をはずしたりして、
ゲームとわかったうえで楽しくプレイしよう、3D充しようぜイェー、みたいな。
修練コンセプトよりはずいぶん前向きになったっぽいけど、
客体‐空間‐時間思考システムそのものは、何も変わっておらず、
人生という時間思考、社会という空間思考もそのまま引き継がれている。
高次パワーを人生‐社会のゲームに活用するということは、
思考システムの側に合わせて高次パワーを導入するという妥協である。
宿題が、漢字ドリル1冊分から漢字ドリルか作文かの二択になっても、
宿題があること自体は変わらないのと同じ。
それに、この妥協案だと、
思考システム仕様の「私」(物体ベースの身体+身体にもとづく心と定義された「私」、
身体から漫画の内声フキダシが出てるみたいな「私」)と、
全感覚の軸である本来の「私」が別々なり、
思考システム下の「私」が恐怖や被害妄想にかられて暴走しないよう、
本来の「私」が監視していないといけないという、奇っ怪なことが起こる。
スピリチュアル界では前者はエゴ、後者はハイヤーセルフと呼ばれ、
「ハイヤーセルフがあなたに代わって人生を生きてくれるわけではない」
などという、なんだかわけのわからぬフレーズが成立、通用してしまうのである。
このフレーズは1.2.のモデル下に限り適切である。
1.2.のモデル下では、
思考システム下にいる身体+内声フキダシの「私」と、
思考システムがあるマインドを超えた高次の軸である「私」に分離するからだ。

でもほんとのところ、人間の「私」とは、
視覚や触覚などの濃い感覚(物理像)を感じ、
その濃い感覚を「白い」「まるい」「柔らかい」といった中程度の感覚(マインド)で
概念化してとらえているハイヤーセルフのことである。
どのレイヤー(層:次元)の当事者意識もセルフであって、
n次元の「私」とかハイヤーセルフがカタマリとして存在しているわけではない。
人間の「私」から客体‐空間‐時間思考システムをはずせば、セルフは一本化する。


3.コンテンポラリー

筆者には、クラシックなスタイルはつらすぎてムリです。
魂の成長のために何十年かの人生を生きとおすなんて、
入力してるだけでアルクトゥルスへ帰りたくなります。
小一のとき、校庭の角で、義務教育の長さを思って気が遠くなったのを思い出します。
また、モダンなスタイルだと人生‐社会の枠に収まる絵しか描けず、
つまらない、もの足りないと感じます。
私はわがままなので、漢字ドリルも作文もイヤ、ラジオ体操も出たくない、
林間・臨海学校にも子ども会の旅行にも参加せず、
アニメを見たり、ノートに漫画を描いたり、講談社刊の『四次元の世界を探る』を読んだり、
独りでできる運動(壁打ちテニスなど)をしたりして、ずっと遊んでいたいのです。
宿題という宿題は一切やりたくない。ならば、
どう工夫しても宿題すなわち制限が発生する客体‐空間‐時間思考システムから
出なければなりません。

「私」に先んじて物体がある、だから「私」は物体製だ、それぞれの「私」も物体製だ、
誰にとっても物体は一律に広がり、一律に変化する、
というこの客体‐空間‐時間思考システムは、思考のシステムだから、
マインドに仕掛けられている。
つまりそういう考えかたが暗黙の常識して心のなかに根づいている。

濃い感覚すなわち物理像では、問題は発生しない。
ここは中程度の感覚(マインド)と相似形の感覚世界に跳んでいるだけだ。
設計図どおりに製品をつくっているようなものである。
微妙な感覚すなわち高次でも、問題は発生しない。
ここはわくわくやぞくぞくのもとになる信号を感じて、
わくわくしたりぞくぞくしたりするマインドを呼び出しているだけだ。
しかしマインドは、もし思考システムにハマっていれば、
高次からの呼びかけを思考システムで分析して、
抑え込むか、もしくは優先順位を常に最後に回し、
「私」ではなく思考システムのニーズを最優先する行動フローチャートをつくる。
思考システムのニーズとは、
①「私」の観察即創造主としての能力を封印したまま、できる限り延命させる
②この思考システムを次世代に継承させ、維持していく
なので、マインドは①②の課題のクリアのことで一杯一杯になり、
一杯一杯な「感じ(周波数)」と相似形の物理像を呼び出す。
すべての問題はマインドで起きる。
マインドがマインドにある思考システムにコントロールされなくなれば、
「私」は回復し、宇宙も回復する。


マインドがマインド自体をコントロールしている、
セルフマインドコントロールから脱するには、
マインドの明度をモニタリングすることである。
本来の、コントロールされていないマインドは、わくわくしていたり、
くつろいで湧き上がるように充足しているのが通常(ネガティブが通常化していた
地球人にはポジティブだけど、ほんとはこれが中立)なので、
翳っていたり、濁っていたりしたら、
その翳り、濁りの「感じ(周波数)」をZero Point Fieldに還す(※方法は文末)。

マインドの明度が上がれば(もとに戻れば)、
明度の上がったマインドが、明度の高い物理像を呼び出す。
なので、物理像には手をつけない。
どころか、物理像の修正を目標におくこと自体を放棄しないと的をはずしてしまう。
現実を変えよう、
現実を変える「ために」マインドの暗い周波数を手放そう、とすると、
現実を変えるという発想がすでに、
「現実は物体製で一律の空間、時間しばりがあるから、人の意思では変えられない。
→ありきたりのアプローチでは変えられないから、一発、スピなチート技を使ってみる」
と、客体‐空間‐時間思考システム前提になってしまっていて、
そこで思考システムを再適用してしまうからである。
目標はマインドで起きているねじれをもとに戻すこと、
ねじれをもとに戻して全感覚(全次元)の流れをスムーズにする(コヒーレントにする)
ことであって、
物理像は放っといていい。

ネガティブな現状をネガティブと判断しているのはマインド、
判断にもとづいて凹んでいるのもマインドで、
物理像は形とか色とか音声とかの濃い感覚の集まりにすぎない。
ある濃い感覚の束を感じて、マインドの明度が下げるとすれば、
その濃い感覚の束は、
明度の低いマインドの下で思考システムが作動していることを知らせてくれている。
そしたら、客体(物体)思考や空間思考や時間思考にもとづいている
その低明度の考えや気持ちをZPFに還せばいいわけで、
濃い感覚(物理像)は、マインドのねじれを知らせてくれる指標として使えばよく、
一箇所も直さなくていいのである。
むしろ、ピンチはセルフマインドコントロールを解くチャンス。
現状に手をつけずにマインドの明度を上げることができるようになると、
がんばりを要求する仕事が発注者の都合で流れるとか、
苦手だった人が異動する、あるいはなぜか態度が一変するとか、
外側が勝手に変わっていくようになる。
自分は動かず、あれれれ?って感じで景色のほうがさし替わっていく。

これは、現実を変えないという点で、クラシックなスタイルに似ているようだけど、
クラシックなスタイルとちがって現実を巻き込む。
現実を卒業すべき通過点として切り離すのではなく、
現実ごとまるごと第4密度に上昇するのだ。


※マインドに生じた違和感をZPFに還す方法(筆者の場合)
(1)空中にZPFに通じる窓をイメージする
(2)やばい、ぴりぴり、モヤモヤ、がっかり、グッタリ、などの「感じ」を、
ガチャガチャみたいな透明なカプセルに封入する(「感じ」を言語化したり、
「幼少期のトラウマが~」といったように根本原因を突き止めなくても、
「感じ」として感覚的にとらえられればよい)
(3)鳥を放すように窓から放す
以上、慣れれば1秒もかかりません。
たとえば、目の前に落ち込んでいる人がいた場合、その人をアゲようとせず、
その人の落ち込みでグッタリした自分のグッタリをZPFに還します。
これはZPFとの回路が開いていることが前提のイメージワークなので、
ZPFってなに? とか、つながりかたがわからない方は、
ブログ右の『ようこそ☆ゼロポイントフィールドへ』を参考にしてください。
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  1. 2018/12/14(金) 18:07:48|
  2. 仮想集合システム
  3. | トラックバック:0

ほんとは誰もが知っていること

2018.12.7(金)

客体‐空間‐時間思考システム、またの名を仮想集合システム、
これが何であるかということは何度も書きました。
が、この字面を見るたびに、なんだかムズそうに思えたり、
文字を追っているときは理解していても、クリックないしタップして別のコンテンツに
飛んだとたん、ケムに巻かれたような気持ちになる、かもしれないので、
しつこく何度でも書きますよ。

客体‐空間‐時間思考システムというこのめんどくさい(入力もめんどい)これは、
「私」より先に物体がある、誰も彼も何もかも物体でできている、
だから「私」は物体、みんな物体、
だから「私」もみんなも物体の広がりかた(空間)や変化(時間)にしたがう、
という当たり前な世界観のことです。
当たり前とはいっても、それは広く共有されているというだけで、
ひとつの考えかたにすぎないのに、これが絶対と思い込まれてるから、
これがデフォルト(暗黙指定)という意味で「思考のシステム」と呼んでいるわけ。

このシステムからはずれると、世界は物体、みんな物体、ではなく、
世界を意識の濃淡のグラデーションとしてとらえるようになります。
私的にいうと、
いちばん濃い感覚(物理像)から中くらいの感覚(マインド)、微妙な感覚(高次)に至る、
「感じ(周波数)」の階梯です。
この全感覚を感じて、感じることで出現させている中心意識が「私」です。
さらに、高次を感じる「私」は、
なんにもないのになんにもないがゆえに全部ある感じがする空感覚(Zero Point Field)
へと突き抜けていて、感じ手である「私」もZPFに融けてしまいます。

システムからはずれるということを実感的にいえば、
人生(時間思考)も社会(空間思考)もなくなるということです。
人生という時間思考がコード化していた経験記憶、過去‐未来世記憶、
社会という空間思考がコード化していた対人関係、行動規範、
不特定多数(ザ・みんな)に「あなた、居ていいですよ」と承認してもらうための、
自分がみんなに「役立つ、使える人」であることを証明する活動、
そうした、「私」をがんじがらめにしていたキマリが全部プレイだったとわかる。
その結果、これができたら一人前という宿題も消えるので、
「私」がわくわくすることを、わくわくに乗って形にする「自由研究」だけになります。
人生も生活も社会もない、宇宙規模の「自由研究」だけです。

わくわく、ぞくぞく、どきどき、なになに? なぜなぜ?
といった「感じ」は、高次波動がマインドに降りてやや具体的になった形です。
客体‐空間‐時間思考システムはマインドに仕掛けられている思考工作物なので、
工作物がはずれると、
「私」はダイレクトにこれを感じて、
相似形の物理像を呼び出す、あるいは相似形の物理像に跳びます(どちらも同じ)。
最初のうちは、時差ぼけみたいな感じでシステムぼけしてるので、
わくわくする→宇宙を信頼する→コミットメント(決心)→行動する、
といったタメがあるんですが、
慣れてくるとタメてられなくなって、
行動するんじゃなくて、行動が起きるとか流れに乗るという感じになります。
わくわくの濃い感覚への跳躍(物理像化)は、システム下の時間思考にしたがわないので、
人生とか生活のスケジュールでは測れず、ランダムに開花しますが、
大事なのは恒常的にわくわくマインドでいることで、結果はどうでもいいんです。
結果を気にしはじめると、結果を気にかけること自体が時間思考なので、
たちまちまたシステムにハマってしまいます。
恒常的にわくわくマインドでいるということは、ランダム実現がスタンダードになることです。

ところで、
客体‐空間‐時間思考システムにもとづく、みんな物体で一蓮托生の世界のことを、
3次元とか、第3密度とか、3次元密度とか呼ぶ人もいます。
どれもいっしょで、制限つきの世界です。
何を制限しているのかというと、煎じ詰めれば「私」の能力を制限している。
「私」には、どんな次元のどんな感覚も感じて出現させる能力があるのですが、
その能力を仮想された物体の法則が及ぶ範囲内に抑え、
人生とか社会といった概念に収まるようにしているのです。
わくわくにしたがった自由研究ができると気づかせないために、
漢字の書きとり100回とか、計算ドリル10ページとか、その手の宿題をたえず与えておく。

マインドにこんな珍妙な思考システムが仕掛けられたいきさつについては、諸説あります。
すごくレアな制限世界を体験するため自ら工作した、つまりこれ自体が自由研究だった説、
ネガティブなentityにハメられた説、
以後、ネガティブなentityと結託した秘密組織がメンテナンスしてる説、
entityの実験プロジェクト説、
entityによって実験的に楽園としてつくられたが混乱して波動が下がった説、などなど。
ちなみに筆者は4番目の説をとっています(電子本『Starry Souls』で詳述)。
微妙な感覚(高次)ワールドには、特定の場所(空間)も特定の順番(時間)もなく、
そこで受けとった感覚をマインドでどんなコンテンツに翻案して組み立てるかは、
それぞれの「私」次第なので、
これらについて、どれが正しいとか誰が本物か、といった議論をするのは不毛です。

しかし、私の知る限り「自然に進化発展してそうなりました」という話は聞いたことがない。
つまり、どんな説にせよ、制限つきの世界はおかしい、作為的だと感じている。
ここが共通項です。

微妙な感覚信号で受けとった感じをこういう創世話にまとめる人じゃなくても、
じつは誰でも、「“私”は物体、みんな物体、全員物体の法則にしたがう」なんてことを、
本当は得心していません。
たしかにそれが経験や自然科学が教える常識だけれども、
どこかおかしいと直観しているから、
漠然と魂があるとか、故人が千の風になることはあっても無になることはないとか、
胸の中心のへんに心があるとか、思っている。
物質還元思考の人からすると、そういうのは、
「死(=無)を直視できない人間の弱さ」「変わらないもの、恒久的なものへの願望」
から想像されることになるのですが、
これはむしろ徹底して物質還元思考に沿わないと出てこない見解で、
そんな弱さを露呈したり、恒久的なものへの願望を抱くほど、
人間はきちんと絶望してはいないのです。
「死を直視できない」ためには、
「宿題があるとわかっていながら手をつけずに放置して遊ぶ」ときと同じように、
やがて来る状態(死)を知っていて、それから目をそらしていないといけないのですが、
生きていると死は当事者として体験できないので、
目をそらせるほどその状態(死)を知りません。
よろず未知のことは怖い、死も未知だから怖いという気持ちと、
物質還元思考の人が他者の死から推理した「たぶん永眠=無」という見解の間を
揺れ動き、
親しい人やペットが亡くなると、その身体像の不在から物質還元思考に傾いて嘆き、
かと思うと、しばらくして彼らの霊魂に思いを馳せる、という形で揺れ動きしながら、
よくわからないけどイヤだな、死にたくないな、と思っているだけです。
同じように、死から恒久的なものを願えるほど、人間は死を知ってはいないし、
(一部の哲学チックなセンスがある人を除いて)突き詰めてみる気もありません。

漠然と魂があるとか、身体に収まりきらない何かがあるという感じは、
物体としての身体の機能が停止することからの逃避とか、
そんな冷静な論理から出た心理ではなくて、
すべては物体のメカニズムから生滅するという大常識への根拠のない違和感、
「それはそうだけど、なんかちがう」という腑に落ちなさ、
知識や経験の積み重ねでは払拭できない直観です。

おもしろいことに、思考システムを超える帯域のことを、
スピリチュアル界では「高い次元」として上に見立てますが、
心理学や精神分析では「潜在意識」「無意識」として下に仮定しています。
これはどちらも同じで、高次元とは底のことです。
空(くう)→高次→マインドと浮上していくにつれ覚醒度が下がり、瞼が下がっていって、
表に出ている物理像が最も爆睡してます。

誰しも、意識の底の底では制限がウソだと知っている。

ならば、その違和感を正直に突き詰めていけば、
「私」にかかった縛りは解ける、
「私」は観察即創造する中心意識で、その可能性は無窮だとわかります。
自作自演であれentityのせいであれ、その由来がどうであっても、
制限は自分のマインドにかかってるのだから、自分ではずせるし、
また自分がはずすしかないわけです。
が、客体‐空間‐時間思考システムは、
まさにこの思考システムから出力される思考であるザ・みんなの同意を得ているので、
自分も同意しないとヘンな人だとハブられて社会生活に支障をきたし、
社会生活に支障をきたすと生計や心身の健康に支障をきたす危険性もあるので、
なかなか抜けられない。
しかしこういうのはどれもこれもマインドから出た思考ですから、
「嫌われてもいい」「ぼっちウェルカム」「愛と勇気だけが友だちさ」
と他者視線をクリアできると、案外するするイケます。
もとから保証されてる不動の信用とちがって、
他人の信用は、自分のマインドと物理像が出現させている他人像が盛ったもの、
煎じ詰めれば自作自演の産物ですから、失ったところでどうってことありません。

あと、
スピ先生やライトワーク的なことをやっておられる方のなかにも、
「3次元は魂を成長させる学びの世界」とか、
「スピリチュアルを(システムを適用したままの)現実の生活に役立てる」とか、
地面に着地したままジャンプする、みたいなことをおっしゃってる方がいますが、
前にも書きましたが、
客体‐空間‐時間思考システムを上手に活用しながら本来の「私」に戻るって、
できないんですよ。
「私」もみんなも物体で物体のメカニズムにしたがうっていうこのシステムが、
その本来の「私」に戻るのを止めてるんですから。
こういう方たちこそ、まっ先に自由研究に突入していただきたいものです。
ついでに私の知る限り、
人間型存在の次元下降のギリって、ふつうは第4密度あるいは4次元、4次元密度で、
濃い感覚(物理像)は感じてるけど、上次元からの信号は何の制約もなしにダダ降り、
場所(空間)も順番(時間)も「私」の感じかた次第で、
地球人みたくセルフマインドコントロールしている事例はまじ特殊です。
地球と呼ばれる形態に視覚化されたこの世界で、
自分は非不思議系の常識人だと思ってる人は、みんな特殊能力者です。
それをどうとらえるかは趣味の問題で、
もし学びの場だとしても、義務教育ではなく、
むしろなんかハードコアな(?)専門学校とか、特殊部隊員の養成所って感じでしょうか。
私的には体験型テーマパークです。
  1. 2018/12/07(金) 16:37:40|
  2. 仮想集合システム
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変調波動をZPFに還す(追記あり)

2018.12.1(土)

仮想集合システム(客体‐空間‐時間思考システム)を完全にリリースし、
この思考システムを経由しないで全感覚を感じるとともに出現させること。
それが、それぞれの「私」を軸とする独自の宇宙として存在する、ということです。
この「私」は、
客体(物体)の一部である身体と、身体から生じるとされる主観だけに制限された、
ダウンサイジングされた「私」ではなく、
微妙な感覚(高次)も中程度の感覚(マインド)も濃い感覚(物理像)も、
全部観察即創造している当事者意識です。

仮想集合システムは思考でできた工作物なので、マインドに仕掛けられています。
なので、ここを経由しないで、全感覚の軸という本来の「私」であるとき、
マインドは軽やかですっきりしています。
ときにより、わくわくしたり、ぞくぞくしたり、こんこんと満ちてあふれてくる感じだったり。
わくわくもぞくぞくもこんこんも、
ネガティブがスタンダードになっているシステム枠内ではポジティブマインドですが、
脱システムするとこれが中立です。ふつうです。

濃い感覚ゾーン(物理像)で何が見えたり聞こえたり感じられたりしているかは、
関係ありません。
濃い感覚で何を感じていても、中程度の感覚はすっきり、わくわく、こんこんです。
もともと物理像というのは(身体像も含めて)、感覚は濃いけれどもとても寡黙で、
「この感じはやばい」とか「いいね。これをキープしなくちゃ」とか評価したりしません。
起きることが起きてるだけです。
濃い感覚を評価してああだこうだとおしゃべりしているのは、
システムに牛耳られているときのマインドです。
すべての問題は、システムにコントロールされたマインドで起きます。

本来の「私」、独自の宇宙の軸である「私」に戻ると決めていると、
非すっきり状態、非わくわくぞくぞく状態に違和感を覚えるようになります。
だるかったり、もやもやしてたり、関節や目周りなどにえも言われぬダルミがあったり、
とくに理由はないのに妙に沈んだテンションだったり、
動くのがしんどかったり(逆説的ですが、動くのがしんどいのは「動かないといけない」
と思っているからです)。
これは、言葉やイメージにならないマインドが、仮想集合システムに帰省(?)して、
システムが製造する「問題」や「心配ごと」を探してぐるぐるしているロード画面状態です。
無自覚に客体‐空間‐時間思考していたときは、そんなときもあるさ、とスルーしたり、
自分を鼓舞してがんばる方向にもっていったりしてたのですが、
脱システムすると、これはヘンだ、変調だととらえられるようになります。

そしたら、そのダルモヤな周波数を、Zero Point Fieldに還してしまいましょう。
私の場合、空中にZPFに通じる窓をイメージし、
ダルモヤした「感じ」をガチャガチャみたいなカプセルに入れて、窓からリリースします。
全部で1秒もかからないイメージワークなので、1日に何回来てもへーきです。
何度かZPFにつながって、その感じがわかっている人は、
こういうイメージワークができると思います。
関野あやこさんが提唱されている「アンフィニ」の統合メソッドも、
自分で何度かやってみたところ、非常に効果的だったので、これもいいと思います。
ネガティブな「感じ」を巨大な鉄の塊などの感覚イメージにして、クリスタルのボールに入れ、
スロープに乗せ、手を放す。
と、ボールがごろごろ転がっていって、穴にストン、と落ちるってやつ。
(私的には穴の向こうはZPFです。)
ZPFに還ったネガティブ感は、「私」が観察即創造する前の純粋なフォースに還元され、
リサイクルされます。

私たちは、それはそれは長いこと、仮想集合システムをプレインストールして、
次々とテトリスみたいに降ってくる問題を乗り越えることで人間として成長する、
という仮想人生ゲームを楽しんできました。
いや、オレは楽しんだ覚えはない、むしろつらかったのだが、と抗ったところで、
そんなの天使や宇宙人から見たら十分エンジョイです。
システムを抜けると、エンジョイだったということがわかります。
それはそれは長いこと、というのは時間思考したときの見かたですが、
誰しも、異界から派遣されてきた人だって、
ものごころついたとたん、あるいはウォークインしたとたんに、
仮想集合システムをインストールされるので、長いこと感ができてしまうのだ。
パラレルに散らばっていて量子跳びできる場面データも、システムを通したとたん、
過去世とか来世とか、人生時間量という錘がついた記憶になります。
とにかく長いこと感があって、なじみのある古巣なので、
「あ、こりゃただの思考じゃないか」と気づいたくらいじゃ断ち切れません。
気づきは連続性なしに唐突に、ある場面に射し込んできますが、
その場面からシステムがコントロールしている場面に跳んで帰る、
気がついたらまたログインしてしまっている、ということが起きがちだからです。
だから全感覚の軸である「私」に戻ると決める、
身体も心も「私」が感じて出現させているもので「私」ではない、と振り切る必要があり、
これがコミットメントで、仮想ゲームのアカウントごと消すことですが、
コミットしてもなお、しばらくは、アカウントなしでプレイできるお試し画面みたいなのが
立ち上がってきて、アカウント作成して課金プレイ開始ボタンへと誘おうとします。
でもアカウント復活させるはるか手前で、うしろ髪引かれモードに気がつくので、
クリーニング&リサイクルはすごく簡単になります。
モヤモヤしてたり、ダルかったり、腑に落ちなかったりする違和感周波数は、
そのうち、「私」が一瞥しただけで、
さーせんまちがえましたてへ、みたいにして、自らZPFに還っていくでしょう。

そしたらアナタ、いよいよ夢の次元に突入ですよ。つかもう突入してる。ゾクゾク。

12月2日(日)

ずるずるっと仮想集合システム下の世界に戻っちゃうのは、
マインドが物体世界を気にしすぎているからです。
濃い感覚の集まりを物体としてとらえているのはマインドなので、
これはマインドで起きていることです。
マインドが、マインドにある物体世界を監視してフォローするクセがついてるので、
ちょっとでも物体世界に動きがあると、反射的にフォローに走って、
そこでずるっとシステム世界に戻ってしまう。
 ↑
関野さん動画をご覧になった方は、
映画のフィルムを映し出すスクリーンのほうに近づきすぎてる状態と思ってください。

だったら、物体世界じゃなく、
マインドの明暗を気にかけたほうがいいです。
明るければ「私」の軸が通ってるしるしなんでそれでOK、
暗かったらシステム下に戻りかけてるってことだから、
その暗い「感じ」をZPFに還します。
  1. 2018/12/01(土) 21:43:38|
  2. コミットメント
  3. | トラックバック:0

コミットメント~アセンション編

2018.11.26(月)

何度も書いていることですが、宇宙は力学で動いています。
善悪、道徳、倫理とか、関係ありません。
言葉を介するとイメージしにくいのですが、
見えない波が、うぃーんうぃーん、ぴぴぴぴ、とかって動いているみたいな。
全部、感覚です。何らかの「感じ」です。
この「感じ」が波動であり、「感じ」のちがいが周波数のちがいです。
「感じ」が感じられるのは、感じる主体である「私」があるからです。
「私」という字、音声は、身体や身体から生じる主観というイメージを喚起しますが、
「私」は身体や心のことではありません。「感じ」を感じている当事者意識です。
物体像も身体像も、「感じ(視覚や触覚などの刺激の強い、濃い感覚)」であって、
「感じ」の向こう側に、「感じ」の原因になる物体がデンと控えているわけではありません。

微妙な感覚(高次)、中程度の感覚(マインド)、濃い感覚(物理像)、
どの周波数帯域の現象も、
「私」が感じることで出現します。
宇宙にはあらかじめ全部のカードがあって、裏返しになってますが、
「私」が感じることによってカードが表になり、感じられた世界が出現します。
感じるということは、出現させる周波数の組み合わせに指向を合わせる、
チャンネルを合わせる、ということです。チャネリングです。
スピ界では高次周波数帯に指向を合わせることだけをチャネリングと呼んでますが、
白いとか固いとかの物理感覚を感じるのも、何かを思ったりするのも、
ほんとはチャネリングです。

「私」がチャンネルを合わせると、「私」は感じ、感じていることが出現する。
「私」がチャンネルを合わせなければ、「私」は感じず、感じないことは出現しない。

では何が「私」の合わせるチャンネルを決めているのかというと、
①「私」の関心(知りたいという欲求)
②「私」のコミットメント(意思表明、約束、決めること)
この2つです。

全感覚(全周波数帯)を貫く「私」には固有のテーマ、それぞれの関心があります。
個々の「私」がそれぞれに固有のテーマを追究することが、
個々の「私」を感じて出現させている「全私」(『ようこそ☆ZPFへ』でいう0/1帯域)の
関心だからです。

微妙な感覚(高次ゾーン)では、①②はイコールで、分離していません。
知りたい、決めた、感じた、出現、これが全部同時で、区別できません。

微妙な感覚の現れ、すなわち微妙な「感じ(周波数)」は、
中程度感覚(マインド)には、マインドを感じる軸である「私」の関心となって現れます。
わくわく、ぞくぞく、どきどき、なになに? なぜなぜ? みたいな。

中程度の感覚(マインド)では、
「感じ(周波数)」は、微妙な感覚よりちがいがはっきりしていて、
感覚グループ同士の結束が固くなり、それぞれの感覚グループ間が分離するので、
このマインド段階で①関心と②コミットメントが別々になります。
なので、関心があってもコミットしない、かかわらないということもできる。
でも、
ハイアーセルフ‐微妙な感覚(高次)‐中程度の感覚(マインド)‐濃い感覚(物理像)
と、「私」の軸がブレずに通っていれば、
全感覚はコヒーレントになる(一貫する、スジが通る)ので、
①関心と②コミットメントが一致しないということはありません。
関心があれば、自然にコミットが起きます。
そして、マインドの①関心と②コミットメントは、
それと相似形の濃い感覚(物理像)を呼び出し、
濃い感覚ゾーンの「私」がそれを感じて出現させます。
「相似形」というのは、音楽でいう和声のような周波数のことです。
中程度の感覚(マインド)と濃い感覚(物理像)は周波数帯(次元)がちがうので、
マインドで感じるアイスクリームのイメージは、濃い感覚で感じる実物とは異なりますが、
このイメージと実物は相似形です。
マインドの①関心と②コミットメントがあると、
「アイスクリームがない物理像」から「アイスクリームがある物理像」への跳躍移行の
確率が上がり、アイスありのほうを呼び出すわけだ。
わくわくしていると、わくわくすることがやってくる☆

①関心と②コミットメントが一致しないということが起きるのは、
「私」が仮想集合システム(客体‐空間‐時間思考システム)に制限されているとき、
すなわち「“私”とは客体(物体)の一部である身体と、身体から生じる主観のことだ」
と、「私」自身が思い込んでいるときです。
つまり「私」が「感じ」のチャンネルの合わせ先を物理像とマインドだけに制限していて、
微妙な感覚(高次)をスルーしている状態です。
世界は客体(物体)でできているのだから、物体(身体)の作用として説明できる
マインドはありとしても、微妙な感覚(高次)なんてないです、気のせいですよ、
ということになっている。
と、いくら微妙な感覚(高次)の①関心と②コミットメントが、
マインドに①関心として投下されても、わくわく、ぞくぞくしても、
「いいじゃんこれ、やってみよう」とか、即、行為が起きるとかにはならないで、
「そんなことしてる場合じゃない」とかって、優先順位をどんどん下げていくんですね。
あるいは逆に、全然興味がないことに「仕事に必要だから」「みんなそうしてるから」
という理由でコミットして、すっごく苦労したり空回りしたり達成してもうれしくなかったり。
すると、高次から投下された関心波動は「“私”のコミット待ち」になって、実現しません。
「私」がシステム下にいると、時間思考のシバリもかかるので、
「コミット待ち」が時間思考でいう「来世」まで及ぶこともあります。
本来の「私」はシステムの線形時間思考には縛られず、
一か月も何百年も関係ないので、へーきで待ちます。
また、高次からの関心波動に気づかないくらいシステムにハマってる人もいます。
そういう場合は、まず「わくわくしないことをやめる」ことからはじめて、
「私」にかかったシバリを緩める方向から入るといいかもしれません。
(↑動画や著書によると、関野あやこさんは、システム云々という言いかたはしてませんが、
かつては「わくわくがわからない」人だったので、ここからはじめたとのことです。)

仮想集合システムの目的は、
(1)「“私”は客体である身体+身体から生じる主観だ」と「私」に思い込ませ、
観察即創造主の能力を封印しておくこと。
(2)システムを維持すること。
ですから、システム下の「私」の最優先課題は、
(1)´寿命が尽きたら終わる「私」をできる限り延命させること。身体の寿命は尽きても、
主観のほうは次世代に継承してもらって延命をはかる。
(2)´次世代にシステムを継承させ、(1)´のプレイをつづけてもらうこと。
要するにサヴァイヴァルであり、これに関係ない関心ごとはあと回しにされます。
システム下にいるうちは、システムの要求する(1)´(2)´が第一の関心ごとになるので、
「わくわく」みたいな将来の見通しの立たない方向には舵を切れません。
また、場面の跳躍(奇蹟)を含むような願いごとは、
システムの目的その1「“私”の能力の封印」に反するので、実現しません。

「私」が意のままに(固有の関心のままに)、わくわくしながら全感覚を感じ、出現させる、
そういう観察即創造の軌道にジャンプしたければ、
①自分に関心がある
②「本来の“私”に戻る」方向に振り切る、そうすると決める
この①関心と②コミットメントが両輪になります。


①について。
これは、「本当の私はどういう人か(何星人とか転生サーガとか天命とか)」ではなく、
「“私”というこの意識」に関心があることをいいます。
①の関心をもつ人は、精神世界に惹かれることが多く、
ビジネスとかアートとかニートとか腐界とか、全然関係なさげなところにいても、
結局はデムパの海にたどりついてしまいます。
しかし超常現象、オカルト、悟り、などなどに興味があっても、
①が牽引しているのでなければ、コミットメントへ至る臨界値には達しません。
「アセンションしない人はいないが、時機は人それぞれ」になるのは、
①の関心が満ちる時機が人によってちがうからです。

②について。
在地球ヒューマノイドの私たちには、仮想集合システムがプレインストールされています。
地球人はもちろん、たとえ地球の外とか異界から派遣された人であっても、
最初は、常識的な世界観、空間思考、時間思考の枠内で目覚めがはじまります。
なので、システムが適用された世界にまだリアリティがあるうちに脱出宣言して、
「“私”に戻る」方向に振り切らないといけないのです。
これは「“私”は物体でできている」から「“私”の感じた感じが物体像として現れる」への
180°転換であり、
①のあと押しがあっても、人によってはそう簡単には決心がつかないかもしれない、が、
この決心なしに別軌道にジャンプすることはできません。
仮想集合システム内でうまくやりながらアセンションする、って、
フタマタはかけられないのよ。システムがアセンションを止める思考装置ですからね。
  1. 2018/11/26(月) 16:31:14|
  2. コミットメント
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コミットメント~お金編(追記あり)

2018.11.20(火)

前々回の記事(2018.11.12「コミットメント」カテゴリ:コミットメント)で、
おスピなメソッド「アンフィニ」の開発者である関野あやこさんのセミナー動画を
URL掲載の形で紹介した。

風の噂によれば、関野あやこさんはスピ界ではかなり賛否が分かれる方らしく、
というのも、セミナー料金が非常に高いからであるらしい。
また、ワクワクしていることをしていればすべてうまくいく、はず、なのに、
関野さんは一度、事業に失敗している。

しかし、セミナー料金が高いといっても、
関野さんの場合は、その内容をYoutube動画でネタバレバレに大公開されていて、
知ろうと思えば一連の無料動画だけで内容はわかるし、習得もできるのだ。
本も何冊か出版されている。
ということは、リアルなセミナーに参加する人たちは、
動画や本で独習して、それでもなお3次元のセミナーに出たいという人たちであって、
ボッているとはいえないのではないか。
また、一度、事業に失敗しているといったって、そりゃ仮想集合システム(客体‐空間‐時間
思考システム)の枠内でとらえたときの失敗判定であって、
この枠からはずれてしまえば、システム枠内の成否判定なぞ、もはやどうでもよろしい。
少なくとも私にとってはどうでもいい。
「私」が全感覚(全次元のレイヤー)を貫く軸で、何かを感じ、出現させている、
ということは、ただそうだというだけのことで、システム枠内の成果を出すためではない。
「私」が何かを感じて、出現させている、ということがわかってくると、
成功とか失敗とかの概念がぼやけて、リアリティが蒸発する。

でもそれはそれとして、
セミナー料金が高いってハウマッチ? と思い、「アンフィニ」のサイトを見てみたら、
「宇宙のクラス」という3~4か月全12回宿泊リトリート付きのセミナーが、
受講料金ひゃくにじゅうまんえんぷらすぜい、ってペロ~ンと書いてあった。

7ケタ・・・キタ━(゚∀゚)━!

これだけのお金があったら・・・そうね、オーボエが買える。
ペアでの参加だったら、ファゴットが買える。

いやいやいやいや、私、おスピな業界ではこれより高い料金も見たことあるし。

・・・などと踏ん張っても、サイト画面を前にして金銭感覚がガランガラン崩壊して、
自分の金銭感覚には、まだ仮想集合システムの秤が残ってたって気づいたわ。

ボーゼンとしてたら、ここでソフィア@シリウスから下記①~③のようなメッセージが。

①仮想集合システムに制限された世界では、
地球人は、マインドに負った負債を貨幣に象徴させ、
負債を祓うツールとしてお金を用いてきた。

これを簿記的に表すと、
(+)物やサービス/(-)心の負債
      ↓ 決済
(+)心の負債/(-)現金

②仮想集合システムに制限されず、
全感覚(高次、マインド、物理像)を「私」が感じて出現させている世界では、
お金は物やサービスへのコミットメント(決心、約束)を表示するツールになる。

(+)物やサービスへのコミントメント/(-)現金
      ↓ 決済
(+)物やサービス/(-)物やサービスへのコミットメント(コミットの完了)

③これが定着すると、コミットメントをお金で象徴させる必要はなくなる。
と、コミットしただけで、どういうわけか物やサービスが入ってくるようになる。
(ルート不明というところが意外と肝心で、ルートをあきらかにしようとすると、
①世界に戻ります。)

(+)物やサービスへのコミットメント/(-)未達の物やサービス
      ↓ 決済
(+)物やサービス/(-)物やサービスへのコミットメント(コミットの完了)

マインドに負った、心の負債というのは、
物やサービスを享受するには、お返しの物とか労役とか、対価を差しださないといけない、
という義務感です。
仮想集合システム下にある大小集団の決まりにしたがって、
等価とされる物ないし労役を差しださずに物やサービスを受けとると、
集団からハブられたり、集団内の地位が下がるという形で、
自分のステータスが落ちるからです。

仮想集合システム下では、「私」に先んじて客体(物体)があり、
「私」はその客体の一部である身体と、身体から生じる主観であると了解されています。
「私」の感知範囲は、
濃い感覚(身体像を含む物理像)+中程度の感覚(マインド)に制限されていて、
微妙な感覚(高次周波数帯)から先は「立入禁止」になっています。
と、微妙な感覚のさらに先の「空(くう)感覚」であるZero Point Fieldにつながれない。
ZPFは「私」の起原であり、「私」を使って全感覚帯の光景を出現させているフォースです。
ZPFと「私」の関係については、ここでは詳述しないので、
ブログ右にある「出版案内3」の『ようこそ☆ゼロポイントフィールドへ』を参照してください。

ともかく、ZPFとのつながりを欠いた「私」は非常に不安定で、
「私」を自身で承認することができず、
「私」が観察/創造しているはずの対象(他人、神など)に「たいへんよくできました」と、
自分を認めてもらわないといけない。
つまり仮想集合システム下にいると、
「“私”は欠けた不完全な存在である」という位置づけが当たり前になって、
たえず他者に承認を求め、承認を得るためにたえず奮闘努力しなければならない。
この承認を得るための行為のひとつが「対価を差しだす」ということです。
もし物やサービスを無償で受けとると、
自分は他者の承認に値しないと自分で認めたことになるので、たいへん居心地がわるい。
文化人類学の調査対象になるような集団では、
そういう人に赤裸々なアウト宣告が下されるケースもあります。
しかし一般的には他人に非常識だとか恩知らずだとか思われる前に、
まず自分のマインドで自身のステータスが落ちてしまいます。

物やサービスを受けとったら、
自分で自分の欠乏、不足を埋められると他者に証明する、と同時に、
自分は他者の承認に値すると自分のマインドに示さなければならない。
お金というのは、
このようにして生じる他者への「お返し圧」を祓うための象徴的ツールです。

しかし、仮想集合システムがただの思考工作物であることに気づいて、
そこからはずれた人は、
「私」が全感覚を貫く軸になり、
「私」のてっぺんであるハイアーセルフをとおしてZPFにつながるので、
ただ「私」であるというだけで完全な存在であり、存在価値があり、
対象からの承認を必要としません。
したがって、物やサービスを受けとっても心の負債は生じないので、
「お返し圧」のお祓いもいりません。

こういう人にとって、物やサービスを受けとるということは、
「“私”はその品物やサービスを、高い周波数で(ワクワクして)使う、消費する」
と意思表示(コミットメント)した結果です。

じつは①の仮想集合システムワールドと②③とは別の軌道、別の世界ですが、
②と③はそんなにちがいません。
②はコミットメントと物やサービスとの間にお金が介在しており、
「コミットした物やサービスの購入に必要なお金が入る→物やサービスを受けとる」
と二段がまえになっています。
これは、お金が「心の負債」を祓うのではなく、
「私」のコミットメントを表明する象徴ツールになったことを意味します。
③はそれがダイレクトになっただけ。

おもしろいのは、①から②③への軌道ジャンプは、社会が変化してそうなるのではなく、
まったく個人的に起きる
ということです。

②③に移りたいのであれば、まず脱システムが大前提ですが、
ケタ数に関係なく、数円~数百円の物やサービスを買うさいも、
公共料金などの領収書を確認するのでも、
「対価の支払い」や「生活必需品の補充」ではなく、
「“私”はこれを高い周波数で使う」と意思表示する(コミットする)とよいとか。
(↑ソフィア@シリウスからの助言)

さてセミナー料金1,200,000円(税抜)ですが、
①のゲーマーにとっては、ざけんな、ってな価格でしょうね。
そもそも、おスピなサイトなんか見ないでしょうし。
でも②③の人にとっては、
コミットしてなければ関係ないし、
コミットしていれば、何らかの形でお金が用意されたり、
なぜかわからないけど参加することになるのでしょう。
筆者(みけ)の宇宙では、
まだ仮想システム下の経済常識とポストシステムの循環経済が混交、並立してるので、
このケタ数は、コミットメントの明確さを求められる金額になっていると思います。
ようつべで決心が固まったやつだけかかってこい、ハンパなのはお呼びじゃない、
ってこってすね。あくまで私の見解ですが。

11月22日(木)

昨日、指導教官とのデンワ中に入ったソフィア@シリウスからの追加情報。
「アストラル通貨ができるのではなく、通貨がアストラル化する」
  1. 2018/11/20(火) 16:27:21|
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イタリアの美少年のような女(豹専務)
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(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
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