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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

違和感と不快感のちがい

2019.5.13(月)

マインドで生じる違和感をゼロポイントフィールドへ還そう、
それが制限のない宇宙に戻るコツだよ、ということを、何度か書いてきました。
高次像-マインド像-物理像、この連動する具体化の流れが途切れるのは、
中間のマインドに仕掛けられた客体‐空間‐時間思考システムによって、
微妙な感覚で現れる高次の信号が伝言ゲームのように変形してしまうからです。
すると、客体‐空間‐時間思考というシステムに沿って組まれた一般常識ソフトウェアが動き、
物理像の周波数帯は、一般常識思考と相似形の場面に飛びます(量子跳躍する)。
一般常識思考と連動する物理像が現れるわけです。
このとき、もし一般常識思考に「クルマ」という言葉が含まれているとすると、
言葉どおりクルマが現れるのではなく、
「クルマ」という言葉やイメージを含むこのときの思考の「感じ(周波数)」に合う物理像に飛びます。
その結果、一般常識思考の妥当性が証明されたかのように見えるので、
一般常識思考は経験則として強化されます。
経験則化した一般常識思考は、常識だとか思考だとか、自覚されることすらなく、
習慣的に、反射反応的に繰り出されています。その多くは言語化されていません。

原初の宇宙の自在な創造力をとり戻すには、
マインドでブロックを構築している一般常識思考<客体‐空間‐時間思考から出る必要がある。
マインドにあるヘンな工作物を解体すれば、高次-マインド-物理像の流れはスムーズになります。
それには、一般常識思考<客体‐空間‐時間思考がアウトプットしてくるさまざまなお題に対し、
おかしいという違和感が出てこなければなりません。
最近、私が体験した例を挙げます。

お題:プリンタを使おうとしたら、作動はしているけれども、印刷されず、白紙しか出てこない。
サポートデスクに電話して、ノズルチェックやクリーニング等をしてみたが直らない。

こういうとき、違和感として感じられるはずの感覚とは、
白紙しか出てこないという物理像状況への焦りや苛立ち、ではありません。
「修理に出すより新しいプリンタを買ったほうが安い、でも、もしインクに問題があるだけだったら、
インクだけ買えば純正品でも数千円の出費ですむ、けど、インク買ったあげく直らなかったら
ヤだなー。あるいはとりあえず印刷だけ外注するか。さてどうしよう」といった迷いでもない。
この状況を「解決を必要とする問題」に仕立てている思考です。
ある状況を問題視している思考に「あれ、おかしいぞ?」と引っかからないと、
焦りや苛立ちや迷いをゼロポに還したところで、冷静に対処できるようになるだけです。
「プリンタを買う」「インクを買う」「外注する」という選択カードも変わりません。

このあとどうなったかというと、
これが問題だという見かた自体に違和感を覚えたとたん、この「感じ(周波数)」はゼロポに還り、
ガイドスピリッツのひとりから「夜になるまで待て」という謎の指示があった。
で、夜21時すぎごろ、歯を磨いていたときに、
フタの開いたプリンタのイメージが出てきて、
そういえば押入れの奥にダンボールに入れて置いてある古いプリンタにまだインクがあるかも
しれないと思いつき、調べてみたら、ちょうど必要なカートリッジだけが残っていた。
このカートリッジと取り替えてみたら、プリンタは正常に印刷されました。
なおゼロポイントフィールドに還す方法は
19.1.13「問題を解決したければ、問題がないことに気づくのが最善最速」カテゴリ:仮想集合システム
の最後の付録部分に書いていますが(http://solopub.blog103.fc2.com/blog-entry-830.html
慣れてくると、違和感に気づいただけで、その波動がゼロポに還るようになります。

問題視への違和感をゼロポに還した結果、物理像状況がどう変化するかはケースにより、
上述のような出来事でも、
場合によってはもっと高性能で高価なプリンタを買うことで決着するかもしれないし、
印刷という作業をしなくてよくなるかもしれない。
どうなるにせよ物理像状況は最適の場面に飛躍します。
トラブル、問題という、どちらかというとネガティブな型だけでなく、
好機が到来したけどすぐに動けないというような場合には、
「好機」というとらえかたに違和感を覚えるかもしれません。

こうした違和感に気づくということが、
宇宙のコヒーレンス(一貫性、整序)とスムーズな循環を回復させるうえでのヤマ場です。
でも一般常識思考<客体‐空間‐時間思考に制御されていると、
「これはまずい」とか「これは好機」といった見立てをまったく疑わないので、
ピンチとかチャンスといった視角が、なんかズレてる、ミスマッチだという違和感にならない。

不快な場面というものは存在しません。
①まず不快感を感じさせるしくみ(思考)があって、
②このしくみが、ある場面をきっかけに望ましくない展開をつくり(これも思考)、
③不快感という「感覚(周波数)」を感じさせて(周波数を合わせるようにさせる)、
「対処せよ」「備えよ」という警告を発する。
ある場面というのは物理像からなる状況で、これは五感的な濃い感覚の集まりにすぎず、
よくもわるくもありません。中立です。
したがって、①②③は、「ある場面が出現している」こと以外は、全部マインドで起きています。
なので、①の「しくみ」に気づいてはじめて、全体の流れが変わります。


このとき、「しくみ」を「こういう損得計算をしている」とか「十年前の経験記憶にもとづいている」
といったように、言葉や情景イメージまで落とし込む必要はありません。
「おかしい」「引っかかる」という違和感、異物感があれば、それが気づきです。
「やばい!って、あれ? なんでやばいの?」
と、不快感の背後に何か(思考による)操作感を感じるということ。

ゼロポに還すべきは①の「しくみ」であって、③の不快感ではありません。
「しくみ」に気づくには、①②③の全体が見える統覚視点の「私」まで後退している必要があります。
私が上述の過去記事で紹介している方法や、何らかのほかのやりかた、
あるいはRTLFのようなグッズを使ったりして(カテゴリ:RTLF参照)、
年がら年じゅう統覚視点「私」に後退しまくり、
「私」が感じて創っているコヒーレントな宇宙を体験、体感して知っていると、
非コヒーレントな「しくみ」に気づくのが早くなります。

特定の場面(物理像状況)に「しくみ」が反応しやすいのは、以下のような理由によります。
客体‐空間‐時間思考システムにもとづく一般常識思考にもとづいている「しくみ」は、
マインド帯域のデータ(中程度の感覚でできた情景イメージなど。記憶)を使って、
「しくみ」に沿った標準処理モデル(という思考)をつくっていて、
この標準処理モデルにしたがえばこのような五感的感覚(物理像)が現れるはずだと予測し、
待ち構えています。
なので、予期していない場面(五感的感覚からなる物理像)が現れるとイレギュラーと判断し、
不快感という中程度の感覚(感情、気分)を動員したり、
「しくみ」の範囲内で提供できる選択肢を想起させたりして(奇蹟や偶然に頼るのはだめ)、
「いろいろあったけど無事でした」というストーリーに差し替えて、
標準処理モデルの流れを維持しようとします。
ところが、「しくみ」は根本的には客体‐空間‐時間思考にもとづいていますから、
「“私”の感覚の向こう側に客体(物体)が実在する」
「客体(物体)は“私”の感覚とは関係なく、客体固有の法則で動く」
という客体思考を前提にしている以上、
客体側が標準処理モデルを裏切る可能性はいつでもあるわけで、
イレギュラーな場面の発生を抑えることはできません。
しかし、そもそもレギュラーもイレギュラーも「しくみ」という思考から生じている思考です。

逆に、ある場面から愉快な感情、気分が起きるとすれば、
標準処理モデルを「やや」上回る結果が出たというポジティブなイレギュラーである、と、
「しくみ」<一般常識思考<客体‐空間‐時間思考に牛耳られたマインドが判断しています。
でも不快感が起きる場合とちがって、処理の流れを止めたり変えたりはしないので、
ああしろこうしろという対処方法は提示しません。
ただ、標準処理を大きく上回る結果はネガ転して、不安や恐怖といった不快感を呼び起こします。

もし「しくみ」に違和感を覚えて、「しくみ」がゼロポへ還る、あるいは手動で還したとすると、
標準処理モデルもチャラになるので、
特定の場面(物理像状況)はレギュラーでもイレギュラーでもなくなり、
これで完了です。
物理像は「私」による認識と創造の最終局面で、
濃厚な五感的感覚で感じられ切り、現れ切っていますから、
これ以上操作したり変えたりすることはできません。あとはゼロポに還るだけです。
次に現れる場面は、「しくみ」がなくなったマインドと連動する、最適の物理像になるでしょう。
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  1. 2019/05/13(月) 19:59:33|
  2. 仮想集合システム
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何もしないのが最善、何かするのは次善

2019.4.27(土)

人と話すと、波動は下がる。
行動したり、形に表しても、波動は下がる。
こうして文字を入力しても、波動は下がる。
飲んだり食べたりしても波動は下がる。
人と口をきかず、動かず、何も書(描)かず、飲み食いしなければ、波動は高いまま保持される。
精妙で、たっぷり余力(ポテンシャル)を湛(たた)えた、瑞々しい状態。
これが基本フォーム。存在の自然体。
存在とはこの場合、統覚視点「私」が感じる、「私」を含み包む宇宙全体のことだ。
(↑このようにウダウダ説明すると波動は下がるのです。)
存在、あるいは宇宙は、何もしないのが基本形で自然体である。
目を開けて景色を見ただけでも波動は下がるのだから。
もうできる限り、しゃべらず、動かず、表さず、飲み食いせず。
落語の「しわい屋」に出てくる旦那のように、
扇子を手に持って首のほうを振り、扇子の消耗を抑えようという。

しかし、波動はどうしたって下がります。
ポテンシャルはポテンシャルのままではおらず、形になり動きになろうとするから。
波動が下がるとは、ポテンシャルとして湛えられている力が具体化することです。
「私」の感覚域が物理像の帯域まで下っていれば(一般的に言うと生存していれば)、
具体化は物理像をつくる五感的な濃い感覚まで進みます。
そうして形や動きになると、形や動きとして消尽されるという形で、もとのポテンシャルに還る。
そこからまた具体化に向かう。
絶えず湧き出て、湛えられ、溢れこぼれて形を描き、還って、また湧き出てくる。
途切れず循環しています。
なので、こうした開花のなすがままに行われた認識と創造によって波動が下がっても、
「私」はまったく疲れません。
統覚視点「私」は、この全循環を感じて、創っています。
「1(ある)」に向かう「感じ(周波数)」は、驚き、わくわく、ぞくぞく。
「0(ない)」に向かう「感じ(周波数)」は、直知、歓喜、エクスタシー。

でも実用的な書きかたをすると、
「なるべく」しゃべらず、動かず、表さず、飲み食いせず、くらいでちょうどいい。
客体‐空間‐時間思考でセルフマインドコントロールしていたり、
客体‐空間‐時間思考に気づいていてもまだそこから抜け切れていなかったりすると、
行動、生産、表現、チャージ(飲食など)が目的化して、
十分涼しいのに扇子でバタバタ扇いだり、
それどころか扇子を使うためにわざわざ暑い場所に移動する、ということまでするからです。
客体‐空間‐時間思考下の行動、生産、表現、チャージは循環しておらず、
というのもこれらの思考によって循環していないという設定にしているからですが、
行動、生産、表現、チャージが途切れると自己責任で賄わなければならず、
賄えないと衰滅するという脅しがかかっているので、すべて強迫的になります。
衰滅は還流のネガティブ解釈で、客体‐空間‐時間思考システムを回していくための
デフォルト設定(自動指定、暗黙指定)です。
客体‐空間‐時間思考システム下では、物理像の消尽は特定の夢見の終わりではなく、
個々人の感覚の向こう側に確固として実在している客体の欠損や減少を意味しており、
「夢じゃないぞ、ホンモノだぞ、ホンモノがなくなるんだぞヤバいぞ」と脅してくるのですが、
「仮にホンモノだとして、それがなくなったらなぜいけないの?
自分がいなくなるとか、忘れ去られるとか、人類が滅亡するとか、
あるいは自分は生まれていなかったとか、人類は生まれていなかったとか、
そういう世界があってもかまわないんじゃないの?」
という類の疑義を出すと返答に窮するので、結局、根拠はありません。

ともかく、客体‐空間‐時間思考をしていると、
行動、生産、表現、チャージは強迫的、ないし強迫的反復になり、
本来は連動してひとつづきである具体化の過程に、妙なタメができます。
たとえば、
・マインドで話題や話の切り出しかたを検討する→人と話す。
・マインドで行為や作業の手順を組み立てる→行動する、形にする。
・記事の構成や内容を思案する→入力する。
・GOとSTOPの間であれこれ葛藤する→間食する。
マインドと物理像が連動していると、アイデアが浮かんだら身体が自然に動いている、
もしくは思うと行うが合一しており、タメはありません。
高い周波数が具体化していくと、感覚がより濃く、よりはっきりしていって、波動は下がりますが、
これは自然で適切な流れなので、疲労は生じません。
しかし、上述のようにツーステップにしてタメをつくると、
波動は必要以上にダダ落ちし、すっごく疲れます。
なぜなら、マインドのパフォーマンスがいたずらに大きくて、複雑で、
マインドで実現ポテンシャルの大半を使ってしまい、そのぶん波動も下がるから。
その、必要以上に大幅に下がった波動と連動して出てくる物理像は出がらし、ヘロヘロです。
これはポジティブなイメージでも同じで、
何の苦もなくパッと浮かんだイメージは瑞々しくて実現余力がありますが、
考え込んで捻り出したものはマインド段階で涸れちゃってて使いものになりません。

マインドが逸(はや)りだしたり、変なシミュレーションをはじめて、疲れるパタンを予感したら、
そのまま行動に突っ込まないで、その「感じ(周波数)」をゼロポに還し、
「いま、何したい?」とか「どっちがわくわくする?」と自問するとよいと思う。
  1. 2019/04/27(土) 15:49:39|
  2. 実現のメタフィジクス
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他者との関係

2019.4.1(月)

デムパになると、前後の脈絡なく不意に何かが射し込んでくることがある。
先だっては、人とつながっていなくて寂しいとか侘びしいという感情は、
周到に仕組まれたもの、嗜好品への依存症のごときものであって、たいへんに怪しい、
食欲や性欲と同様に、生得の欲求(いわゆる本能)とはいえないのではないか、
という直感が射してきた。

私は不食ではないが、不食の人がいる以上、
食欲を生得的欲求とするのは疑問だし、
自分を含め不食でない人たちの食行動はあまりにも多様で、
環境によって刷り込まれ習慣になっているとしか思えない。
つまり生得でない欲求を植えつけられ、その欲求によって食べている。
性欲については、私は生得的に怪しい、うそくさいと感じており、
十代のときに岸田秀氏の『ものぐさ精神分析』(中公文庫)を読んで、
一種の洗脳のような方向づけによって形成されたものだという確信を深めた。
その方向づけのからくりは、『性的唯幻論序説』(文春新書)でいっそう明確になっている。
以下、客体‐空間‐時間思考システムに則った常識的な書きかたをすれば、
ヒトは初期状態のコンピュータのようなもので、
インストールするソフトウェア次第で、どうにでもなるのである。
対して動物や植物は、電子辞書や情報家電、むかしのワープロ専用機みたいなもので、
用途が決まっていて、できることがある程度、規格化されている。
生存の根幹にかかわるとされるような行動すら、ヒトには教えて慣れさせなけばならない。
いつ、何を食べるかといったような、行動の選択可能性も広く、多様である。
とすると、ヒトの一次的生存に不可欠な行動は呼吸と排泄ということになるが、
排泄はいくらかコントロールされるとしても、どちらもおおむね自律的な運動だから、
欲求という言葉の意味とはズレがある。
動植物の食行動や性行動は、自律的な運動、もしくは、構造が複雑な動物の場合には
自律的運動に近い欲求から起きるのかもしれない。
ともかくヒトの食行動や性行動はまったく自律的ではない。言い換えると本能ではない。

ヒトの一次的生存や種としての存続を支えるとされている食欲や性欲でさえ、
生得欲求と定義するには疑問があって怪しげなのだから、
他者とのつながり欲求などは、言外の心理操作、情報操作によってつくられるとしたほうが
よさそうである。

以下はデムパ前提の仮説で一般的ではないことをお断りしておくよ。
まず水や食べ物がないと生きられないと信じ込み、
信じ込むことによって本当に水や食べ物なしでは生きられなくなり、
渇きや飢えが生じ、水や食べ物によって渇きや飢えが解消したときの快感や満足感をテコに
「あの快感をもう一度」というアディクション(依存症)的な欲求が形づくられる、
次に水や食べ物は集団で獲得して分配するもので、
集団からはずれると分配に与(あずか)れないと信じ込み、
信じ込むことによって本当にそういうしくみができ、
集団から認められたとき、うまく適応したときの快感や安心感をテコにアディクション的な欲求が
形づくられていく、
そんなインストール手順ではないかしらん、と思っていたら、「その順番は逆です」という
モナ@アルクトゥルスからの通信が入った。

モナ 水や食べ物の確保が優先順位の第1位っていう発想は現状の地球人のもので、
あなた、地球人モードになってるわよ。しっかりして頂戴。
本来は高次(微妙な感覚)‐マインド(中程度の感覚)‐物理像(濃い感覚)を一視角の統覚視点
(私)から認識し創造する<宇宙存在>である人間が、
客体思考を使って「私」を魂や心や身体に閉じ込めて制限したとき、
最初に欲したことは、体積(身体)や擬似体積(心、魂)をもった個々ばらばらの「私」たちが、
ひとつの動物種のようにまとまることなの。
理由は2つあって、
①「私」が嵩(かさ)をもったとたん、その嵩を嵩の外から防衛して存続させなくちゃ、っていう
サヴァイヴァルゲームがはじまるから、擬似動物種としてまとまることが生存戦略になった。
②相互依存関係をつくって、自分たちは嵩単位なんだという制限を強化するため。
そうやって制限世界に着地していった。
みけ てことは、つながり欲求が先か。
モナ 食行動や性行動は、つながりを確認するための儀式として使われたんだよ。
でもどちらも物理像が動く行動で、物理像をつくる感覚って濃くて強烈で、
そのなかでもとくに快感レベルがすごいから、たちまちそっちにアディクトして、
優先順位が逆転したんだけどね。
みけ <人類>はバーチャル動物種で、行動パタンが生得的に規格化されてるわけじゃないから、
食行動や性行動やそのほかの生活行動の規範、タブー、言語とかもばらばらなんだよね。
言外の心理操作、情報操作の利く範囲がイコール仲間内、
言い換えると同じソフトウェア(文化)をインストールしている者の集まりが仲間内で、
そこまでしか<人類>を実感できないから、
仲間じゃない人には平気で残酷なことができる。
モナ 地球人化した宇宙存在たち(=全地球人)がサヴァイヴァルゲームから抜けるには
2つのやりかたがあって、ひとつは擬態でもなんでも<人類>を演じ切り、
個々の統覚視点「私」の視角を<人類>としての統覚視点「私」に重ねてしまって、
それでもまったく同じにはならないけど比較的均質な宇宙像を開くこと、
もうひとつは個々の「私」が制限を解いて、嵩のない「私」として宇宙像を開く<宇宙存在>になること。
外星人が見ると、「人は人類という動物種である」という定義は広く行き渡ってるから、
一見、前者が効率的と見えたんだけど、それは建前で、
本音の同胞意識はあなたが言ってるごとく細分化されてるんだから、
ひとりひとりが勝手にゲームから抜けてくのがいちばん早いんだわ。
みけ 「私」に嵩がなくなってただの統覚視点に戻ると、
いろんな他者が、これは自分が感じて出現させている像だという形で、ありありと自分だとわかり、
他者がいなくなる、と同時に、自分の身体像も含めて全部が認識され創造された対象だから、
他者しかいなくなるんだよね。
モナ それが夢の次元。全部、夢見手(私)が見ている夢(像)なんだから、
他人の「私」が見ている夢(像)に干渉する必要なんかないでしょう。
隣りにいる人が客体‐空間‐時間思考にどっぷり浸かって奮闘していても、
それだって夢と気づかずに夢を見ているだけ、
夢と気づかずに夢を見ている人の夢をあなたが見ているだけだから、
その人のことはそっとしといてあげればいい。
よって争いは起きない。起こす必要がないから。
共感を共存の前提にしていると、共感できるできないをめぐって葛藤や諍いが起きるけど、
共感できなくても共存はできる。
みけ 夢と気づかずに夢を見ているだけだ、って、それ、客体‐空間‐時間思考をやってるときは、
この制限の枠そのものが見えてないからわからないの。
そのときは何が正しいかとかまちがってるかとか、どれが本物かとか、ふり返って自分はどうだろう
とか、真偽をめぐって揺れていて、評価の尺もどんどん変わる。
あと、サヴァイヴァルを回避するのは現実逃避だっていう思考とか、
半意識的に自分の安全を確保しようとすることへの自己批判とかにも苛まれて、
しょっちゅうマインドが沸騰してる。
モナ エンジョイしてるよね。
みけ そこを出ると、制限世界をガチリアルってことにしてエンジョイしてたんだってわかる。
何が正しいか、どれが本物かということを問題にしているときの「真」って、
「客体固有の法則と合致する→その結果、客体を動かせる→その結果、世界が実際に変わる」
ってことだから、客体は思考で設定したことで、実在じゃないとわかると一気にどうでもよくなる。
モナ 無数の夢(像)があるのに、夢(像)同士が相克せず辻褄が合ってしまうのは、
「私」という形式がひとつしかないからです。
「私」は0/1帯域で生じた統覚視点で、
それぞれの「私」もこの大元の「私」とまったく同じ、
ただ認識し創造するデータ、0(ない)と1(ある)の組み合わせにちがいがあるだけです。
いわば、ある彫刻作品をどういう角度から見るか、その視角のちがいがあるだけ。

みけ ところで、<人類>を降りて<宇宙存在>に戻ると、欲求はどうなるの?
私の場合、食欲はまだあるし、これがしたいとかあれがほしいとかってのも残ってるんですけど。
モナ それはすごく個人差が大きいから、一概に減るとか増えるとかって言えない。
ただアディクションを起こしていた過剰な磁性化(磁場に引き寄せられるように何度も繰り返し
求めたり、求める刺激がインフレしていくこと)は治まります。
どんな欲求でも、その人の宇宙に合うように適正化するんだよね。
なぜなら、あらかじめ決まっていること(運命)と自分の選択(自由意思)が一致するように、
与えられるものが欲するものになるから。
マインドに「欲求」という形で現れる場合は、順序(プロセス)を設定していて、
途中経過や過程を創造するっていう遊びをやってるときです。
みけ ソフィア@シリウスは、<宇宙存在>への回帰がさらに進むと「欲求」は「予感」になると
言ってるんだけど。
モナ どっちだっておんなじよ。あの人はシリウス人で辛気くさいからそういう言いかたするのよ。
マルカートで音の粒がくっきりしてるような波動を好むリラ系の人は「欲求」ヴァイブスが好きだし、
テヌート、レガートにこだわるベガ系の人は「予感」で受けとることを好む。
なんかさ、「予感」って言ったほうが賢そうに見えるじゃん、それだけよ。
みけ 笑。その、ささやかな趣味のちがいがさ、地球人のマインド、物理像レベルまでくると、
願望実現法の是非とか、エゴへのスタンスとか、けっこう大きな流派のちがいになるんですけど。
モナ 人の流派なんかどうだっていいわ。みなさん、好きにすればいいのよ。
あ、あとね、さっき話したように、刷り込み系の欲求の根幹はじつはつながり欲求だから、
変につながり欲が亢進してるとき、そのつどそれに気づけてゼロポに還せると、
ほかの欲求の強さとか頻度も下がって適正化していくから。
みけ 人の顔色が気になるとか、人の反応がほしいとか、私は誰それに愛されているだろうかとか、
誰かに、あるいは不特定多数に自分を認めてほしいとか、俺をリスペクトしろとか、そういうやつね。
どんな感情でも、思考でも、気分でも、「あれ、なんだこれ?」って違和感を覚えるとき、
自分が感じているはずなのに自分のものではないという、奇妙な感じになる。
記事の最初に書いたように、全然寂しくないのに、唐突に寂しさの「感じ(周波数)」がわかって、
これってヘンだぞ、と、その作為っぽさが見えたり。
モナ それは感情、思考、気分の憑依が解けて、対象化して認識できているからだよ。
  1. 2019/04/01(月) 01:19:06|
  2. 新世界への回帰
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思考システムをゼロポイントフィールドへ還す

2019.3.19(火)

「あり、かつ、ない」ゼロポイントフィールドから、
ゼロポイントフィールドを対象として認識し創造する「ある、もしくは、ない」0/1帯域が生じる。
ここで、「私は感じる(認識する)」「私の感じたものが出現している(創造する)」という統覚視点、
「私」という認識即創造の形式が生まれた。
ここで統覚視点「私」が生じたことによって、ゼロポイントフィールドははじめて対象化され、
認識され創造される。いわば発見されたのである。
統覚視点「私」は、ゼロポイントフィールドが自身を発見するための反射コードといってもいい
(コードcode:符号、プログラミングで使われる「コード」のようなもの)。
ゼロポイントフィールドを対象化した側(ゼロポイントフィールド“ではない”側)の「私」は、
「あり、かつ、ない」ゼロポイントフィールドとちがって、「ある(1)」と「ない(0)」を区別する。
そしてここから、「ある(1)」と「ない(0)」の無数の組み合わせによる、無数の個別宇宙が生じる。
個別宇宙では、「私」の認識と創造によって何らかの具体像ができ、
描き切られた具体像、つまり認識即創造され尽くした像は、ゼロポイントフィールドへ還る。
①ゼロポイントフィールド→②0/1→③個別宇宙→①ゼロポイントフィールド
このトーラス(円環)構造のうち、何らかの具体像という夢が見られているのは③だけである。
家族とか仕事仲間とか、床とかドアとか、ふと浮かんだ思い、記憶情景、好き嫌い、
直感的理解や直感的行動、何々星の宇宙船とか、entitiesとか、次元の数がいくつだとか、
きわめて具体的なことも、いくらか抽象的なことも、感覚的で言葉にしづらいことも、
どれもこれも全部③の世界です。
そしてどれもこれも「像」という夢。
夢を見ているのは、つまり「像」を認識し創造しているのは、統覚視点「私」です。
②の0/1は、この夢見手の「私」が覚醒する瞬間です。
「ある(1)」と「ない(0)」は最初のビート。

起きていることはきわめてシンプルで、
統覚視点「私」があらゆる「感じ(周波数)」を感じて出現させている。
それが「像(夢)」である。
それだけです。

身体の生理反応から心という主観や魂という概念ができるのではなく、
魂のなかに身体という物質があるのでもなく、
すべては「私」がゼロポイントフィールドを質感や濃淡の異なる感覚として感じ、創りだした像です。
ある像を手として認識するか、細胞として認識するか、分子として認識するかは、
「私」のアプローチのしかたによります。
観測機器を使ったり、あるいは人によってはサイキックな視覚でとらえれば、
細胞や分子という像が得られるでしょう、が、
手も細胞も分子も、「私」が視覚や触覚などの感覚にまとまりを与えて名づけた像であり、
「私」が手の像と細胞や分子の像とに関連性を与えなければ、どれも別々の像です。
分子は細胞を構成し、細胞は身体を構成し・・・というように3つの像が無条件に関連するのは、
客体‐空間‐時間思考システム(仮想集合システム)を使って、
客体(物体)としての身体と、その一律な構成を(空間思考で)設定したときだけです。

すべては統覚視点の「私」がゼロポイントフィールドを感覚化して認識し創造している像、
夢である、ということがわかると、
インスピレーション(直感)の夢、イマジネーション(想像)の夢、五感的な夢は、
コンセプトがデザインになり作品になるような一貫性をもって現れます。
自分の宇宙がコヒーレントかどうか(一貫しているかどうか)は、
マインドが宇宙のビートを感じているか、つまりわくわくやエクスタシーを感じているかどうかで
わかります。
ビートを感じていたら、そのままビートに乗って自然に、歩くように、呼吸するように動けばいいし、
ミスマッチな像(=感じ、周波数)がビート(振動)を止めていたら、それをゼロポに還せばいい。
これって、「私」の実感でいうと、「存在しているだけ」なんだよね。
チャネリがはじまった、暦年的には2011年以来ずっと、ガイドentities像から言われつづけていた
「あなたは存在しているだけでいい」というメッセージの意味が、
あーこういうことだったのか!って、最近になって具体的にわかりました。

客体‐空間‐時間思考に対応している言葉の意味で受けとっていると、
「存在する」は「活動する」の対極で、じっとしている、とか、
あるいは、ある集合体、集団のなかで特定の位置を占めている、みたいなイメージがあって、
「でも具体的に何をすればいいの?」という問いが必ず出てくるんです。
それに時間思考で動いていると、
「存在しているだけでは飯は食えんだろう」とか、
「食うためにやりたくないことやるのはヤだから、自分のやりたいことと稼ぎをリンクさせたいのよ。
でもやりたいことって何?ってとこが茫洋としてるから、そこが明確になるヒントがほしい」とか、
「平穏無事な日々に感謝できるようになればいいのか? テンション下がるんですけど」とか、
いろんな思いが産出される。
「存在するだけ」とは、「統覚視点の“私”である」こと、「ただ宇宙である」ことで、
そうなると絶えず認識即創造、この湧出の連続ですから、
どんな環境で、どんな活動をして、とか、全然関係ない。
そこが注目ポイントじゃなくなるんです。
たとえば、電卓を素早く操作できないことでくよくよしていた人が、職場が変わって、
電卓の素早い操作を求められない仕事に就いたとたん、そのテクのあるなしがどうでもよくなるように。
忙しいか暇かも関係なく、傍目にどう映ろうと、
「私」は存在しており、認識即創造はコンコンと湧出しつづけます。
これは客体‐空間‐時間思考をやってるとわかりません。少なくとも私はわからなかった。

ところで、2019年3月半ば、
私は、客体‐空間‐時間思考システムそのものをゼロポイントフィールドに還してしまいました。
まとわりつき感とか摩擦感などのミスマッチ感をゼロポに還す場合、
そうしたミスマッチ感は無自覚に思考システムを使ってアウトプットされたデータですが、
データだけじゃなく、
そのデータをつくっているプログラムに気がつけば、それもゼロポに還せるのです。
それにはまず、ゼロポイントフィールドとつながっていること、統覚視点の「私」になっていることが
前提です。
<参考>
・ゼロポイントフィールドとつながる
 『ようこそ☆ゼロポイントフィールドへ』(ブログ右「出版案内3」)第1章
・統覚視点の「私」に戻る
 2019.1.13の記事「問題を解決したければ、問題がないことに気づくのが最善」
 (カテゴリ:仮想集合システム)の後半<付録>部分参照
 http://solopub.blog103.fc2.com/blog-entry-830.html

(1)「私」がハイヤーセルフまで後退した状態、つまり統覚視点の「私」になった状態で、
客体‐空間‐時間思考がソフトウェア製品のようにパッケージされているところをイメージします。
私の場合、下図のようなトーラスの立体図が途中で途切れている(上か下のどちらかが
ふさがっていて、ドーナツのような穴が開いていない)イメージになりました。

トーラス構造
(2)このイメージ像を透明なカプセルに封入します。
空中にゼロポイントフィールドの窓をイメージし、窓の向こう側へカプセルを放ちます。


人によっては、これとはちがった図形になったり、数字や文字で出てきたり、
聴覚とか触覚など、視覚以外のイメージになるかもしれません。
いずれにしろ、何らかの「感じ(周波数)」としてとらえられていればOKです。

私は、何度かミスマッチ感をゼロポに還しているうちに、めんどくさくなって、
「こういうデータ(ミスマッチ感)って思考システムを使って出てくるわけだから、
大元のシステムのほうをゼロポに還すことってできないの?」
と、ソフィア@シリウスに訊いてみました。
そしたら、マインドに仕掛けてあるプログラムはデータより深い層にあるから気づきにくいけど、
気づいているのであれば、
プログラムを「感覚(感じ=周波数)」としてとらえられればゼロポに還せるとのことだったので、
速攻やってみたのでした。
たぶん、こういう質問が出てくる時点で準備ができているということだったのでしょう。

何度もデータをゼロポに還していると、そのうち思考システムというプログラムを使わなくなるので、
放っておいてもいいのかもしれませんが、
おそらく、何度もデータを還しているうちに、客体‐空間‐時間思考というしくみがどういうものか、
その「感じ(周波数)」がはっきりしてきて、イメージ化もしやすくなり、
ある時点で、もうこれいいわ、お疲れ~、ってことになるんだと思う。
客体‐空間‐時間思考システムは、マインドのほんとに深いところにあって、
私の高次像でいうと、
「地球と呼ばれる物理ポイント(物質波の変換係数)で物理像を体験するには、
ある時期まで(暦年で2012~13年)インストールが必須だったシステム」であり、
ある種のメタフィジカルなデータ(たとえば「過去世」「来世」という形で想起されるデータ)や、
神話のもとになっているイメージデータ(集合記憶、集合意識)なども、
このシステムに沿う形で情報処理することができます。
つまり客体‐空間‐時間思考と矛盾しないデータに加工することができる。
たとえばエーテル像(五感化しない物理像)でentityを視覚的に見たりした場合、
「客体としてエーテル像があるから私はそれを対象として感知できる」
と思い込むことができます(実際には「私」が認識することによって創造している像)。
特定の感慨深い記憶などは、むろん、「幼少期に起きたこれこれの出来事」などとして、
思考システムに沿って整理されたフィボナッチ(累積)アルバムになっています。
このように、客体‐空間‐時間思考システムを通してアウトプットされたデータに何らかの愛惜が
ある場合、そうイッキにゼロポに還すというわけにはいかないかもしれない。
思考システムをゼロポに還してもデータ自体は消えませんが、愛惜感情はなくなるからね。
なので、宇宙断捨離は無理せず進められるのがよいかと思います。
そうはいっても、そういうタイミングは来るときには来ちゃいますけど。

  1. 2019/03/19(火) 16:57:32|
  2. 仮想集合システム
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夢=現実

2019.3.6(水)

客体‐空間‐時間思考システムを使うと世界はどのように見えるのか、ということを、
高次世界まで広げて記述してみます。
思考システムの基礎は、感じ手(「私」)がいようがいまいが、まず客体がある、という定義です。
客体を物体とすると、まず物体がそこにあるから、感じ手は見たりさわったりできるのであって、
感じ手が見たりさわったりすることによって物体が出現するのではない、ということ。
これはきわめて当たり前で、常識以前の常識になっています。

①物理世界
・まず物体がある。物体の構造や生成変化のしかたは、物体固有の法則により決まっている。
・物体の一部として人体があり、人体の諸々の生理反応から「私」という自意識ができる。
・世界には人体をハードウェアとする「私」が多数いて、みな物体固有の法則にしたがう。
・多数の「私」にとって、物体の広がりかた(空間)、変化のしかた(時間)は一律である。
②主観世界
・人体をハードウェアとする「私」は、「私」を囲む環境(人間、動植物、物)からの刺激を受け、
快不快を覚えたり、リアクションしたりして、パタンを形成する。
これらが知識、記憶として蓄積され、総合されて「心」と呼ばれるソフトウェアになる。

  ↓ 「まず何らかの客体がある」という客体思考を高次世界まで延長させた場合

③高次世界
・非物体(意識、霊、形而上的な光など)からできた客体世界がある。
・物理世界は、非物体世界に固有の法則(引き寄せの法則、鏡の法則など)によって、
非物体世界の構成単位(形而上的な光の粒子など)が物質化してできたものである。
・いったん物質化した物理世界は物体固有の法則をつくり、それにしたがうが、
非物体世界の法則を知ってそれに習熟すると、物体固有の法則で説明できないことも
実現可能になる。
・非物体世界を感知するには、一時的に①②への注意を弱める必要がある。
・①②を非物体世界を原図とした世界にするには、利己的にふるまう自意識「私」(エゴ)は
究極不要である。
  ↓ しかし多数の人(人体+主観として存在する人間)がエゴを手放すには時間がかかる
・①②が完全に非物体世界を原図とする世界になるのはⅩ年後(2~4ケタ)くらいである。

まず物体がそこにあるから、感じ手は見たりさわったりできるのであって、
感じ手が見たりさわったりすることによって物体が出現するのではない。
そんなの、アホらしいくらい当たり前だと思えます。
それは、まずそこにある、と設定している対象が「物体」だからです。
これが物体ではなく、「夢」だったらどうなるでしょうか。
まず夢がそこにあるから、夢見手は夢を見られる、というのはヘンですよね。
夢見手が夢を見ているから、夢が出現しているのです。
キモはここなんです。
物理的な物や出来事を、物体として感じるか、夢すなわち像として感じるか。
「理解しているか」ではなく「感じるか」です。


物や物理的な出来事を、物理的な夢、物理像として感じられるようになると、
まず物体があるから感じ手がそれを見たりさわったりできる、というのは、
夢があるから夢見手は夢を見られる、と言っているようなもので、
ずいぶん妙だなぁ、と実感するようになります。
誰も彼も、あれもこれも、自分の身体も、自分が見ている夢の一部であって、
物体世界の一部ではない。
だとすると、物体固有の法則とか、空間や時間も夢のなかの話にすぎない。
ここから、客体‐空間‐時間は思考の産物だと、イッキに解けます。
客体‐空間‐時間思考システムは、夢を夢だと気づかせないための思考操作のしくみであり、
一種の自己催眠、セルフマインドコントロールです。

どのようにして操作しているのかというと、
本来はただの統覚視点である「私」を客体だと思い込ませ、ハードウェアとソフトウェア(身体と心)を
もたせることによって、①の物理世界と②の主観世界しか認識できないようにしたのです。
ハードとソフトをセーフモードにする(フルトランス、セミトランスする)と高次帯域を認識できますが、
ハードとソフトを回復させると①②しか認識できない状態に戻ります。
そのため、高次情報は客体思考ベースの③のように翻案されます。
さらに、ハードウェアは物理法則などの物体(客体)固有の法則にしたがい、
ソフトウェアはハードウェアの構造や機能に制約されるので、
このソフトとハードが自分だと思い込んでいる「私」(自意識)に、認識による創造の能力はありません。
これが「私」を制限するということです。
「私」を制限することは、「私」の認識/創造能力を封印することと同義です。

この自己催眠から醒めて、すべてが夢(像)だとわかると、宇宙は次のように単純になります。

①物理像―濃厚でコントラストの強い夢
統覚視点「私」が感じて(認識)出現させている(創造)濃い感覚の総合。
②マインド像―イマジネーションのような夢
統覚視点「私」が感じて(認識)出現させている(創造)中程度の感覚の総合。
③高次像―淡く精妙な夢
統覚視点「私」が感じて(認識)出現させている(創造)微妙な感覚の総合。
※統覚視点は①~③の感覚を統合する視点であり、人体や人格のような体積ないし擬似体積はない。
※①~③はオクターブの音のように一貫しており(コヒーレント)、①は②と、②は③と連動する。

①②③の全部が夢(像)ですが、①の物理像を「現実」と呼ぶなら、すべてが現実です。

宇宙人、天使、ペガサス、神仏、祖霊などのentitiesが、何々星や天界、太古の地球などで活躍する
高次時空話とか、彼らのバックグラウンド(例:あるプロジェクトを指揮する司令官)などは、
上記の③高次像が②マインド像に翻案された夢です。
私自身もそういう類の話(『Starry Souls』ブログ右の出版案内2)を書いています。
ただ、高次像のなかには、①と②の間の、物理的にならない物理像つまりエーテル像まで
下りてくるものもあります。
たとえば、私には常時、左右で周波数のちがう音が聴こえていて、皮膚などに振動も感じている
のですが、これはエーテル音であって、物理的な音ではありません。
物理的な音とは区別することができ、会話などのじゃまになったりすることはありません。
なので、エーテル視覚像や嗅覚像なども、物理的な光景や香りとは区別できると思います。
エーテル五感像を感じるかどうか、どういう形で感じるかには個人差があるので、
気にする必要はありません。
「私」の軸が③~①を貫通してコヒーレントであればいいのです。どうせみんな夢だしね。

高次情報や高次時空話が客体‐空間‐時間思考ベースで語られたものか、
どなたかの宇宙で夢見られたものか、
その区別はどうでもいいです。
前者はご本人が夢だと気づいていない夢の話、後者はご本人が夢と知っている夢の話で、
どっちにしろ他人の夢の話なんですよ。
この記事だって夢一般を解説している私の夢の話です。
なので、「あ!」と感じるところがあれば参考にすればいいし、
ピンとこなかったらスルーすればいい。
自分の「私」を軸とした夢宇宙そのものになると、
判断の基準が真偽ではなく「合うか、合わないか」になります。
センスとかテイストとかヴァイブスとか。要は「感じ(周波数)」です。


さて、以下は個人的な話。
私は、客体‐空間‐時間思考システムが「仮」の状態、いわばベータ版で動いているようなもので、
ずっと物理世界にしっかりしたリアリティがありませんでした。
自分の五感的感覚の向こうに客体なんかないんじゃないかと、
客体としての物体の実在性が疑わしかったのです。
無自覚に夢ワールドにいながら、
ベータ版の思考システムを通してフィードバックされてくる社会通念や世間の声に対し、
法律とか就業規則のような表立った部分には適応しつつ、
規則を成り立たせている水面下の道徳や倫理や共同体意識などには違和感を覚え、
しかしこれも長くても何十年かのことだから、なんとかやり過ごそうとしていた。
いろんな規則はむきだしのサヴァイヴァルゲームを制約するためのルールですが、
そもそもサヴァイヴァルする気がないんだから、違和感を覚えるのは当然です。
こういう、最初から思考システムにハマりきれていない人のことを、ナチュラルトランサー
(ナチュラルトランスしている人)といいます。

「ナチュラルトランスの人は~」と一般化できるかどうかはわかりませんが、私の場合、
中空に天使が現れる、宇宙船に乗る、耳元で日本語のメッセージが聴こえるといった類の、
鮮烈な不思議体験はありません。
こういう不思議体験は、思考システムの制約を弛めることで、
思考システムに制約されない高次の波動と、
思考システムの枠内で思考システムに沿って整理、蓄積されたデータ(潜在記憶)がブレンドして、
データ(潜在記憶)が高次の波動の象徴になることで出現します。
が、はじめから思考システムの制約が弱いと、
流れを止めていた堰(せき)を除けたときのような劇的な現象は起きにくい。
マインドに蓄積しているデータ(潜在記憶)の量が少ないと、象徴も抽象的になり、
視覚で感じる光景の明度がちょっと変わるだけとか、ちょっと気圧が変化した感じがする程度で
終わってしまうこともある。
そのかわり、もう(思考システムベースの)常識と妥協するのやめるわ、楽しくないし、
となった時点で(「妥協をやめる」はコミットメントになる)、
高次の波動が、思考システムに沿って整理、蓄積された顕在記憶、つまり通常意識で使っている
言語や絵画的イメージ、音のイメージ、身体動作などを使って、どんどん翻案されてきます。

とはいえ、ゆるゆるのベータ版であっても思考システムは使っているので、
客体‐空間‐時間を思考による設定だと見極められるまでは、
「この高次情報なるものは、自分の主観世界で織り上げたイタい妄想では?」
という疑いが晴れません。
自分の高次情報に、上述のような鮮烈な不思議体験による裏づけ(?)がとれないために、
「精神世界系のセミナーとかを受講してスキルを上げないと確信がもてないのでは?」
と、たまに思ってみたりもするけど、コンサートや演劇のチケットをとるときみたいに、
「これ!」という直球一択感がないので、結局行かない。
また、この段階で、
「ほんとはあると感じられない時間や空間があるように思えるのはなぜ?」とか、
「思考が現実になるってどういうこと?」
といった類の問いを自分の宇宙に投げても、客体‐空間‐時間思考システムに沿った翻訳で
答が返ってきます。
私が客体‐空間‐時間を思考による設定だと見破っておらず、
私の「私」を「体積のある身体と、擬似体積のある心」に制限しているからです。

私に起きていたのはそういったことです。
そんなわけで、コミットメントから脱システムの間に書かれたブログの記事は、
これは自分的に興味深いからとっておこう、というもの以外は削除しました。
ご感想等お寄せくださったみなさま、ありがとう☆よい夢を。
  1. 2019/03/06(水) 17:03:39|
  2. 仮想集合システム
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中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
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