ソロ・パブリッシュ

エア充。

ソースコードへの回帰

2018.5.20(日)

本来のエゴ(観察/創造する統覚意識)の復元、
空間(space)から場(field)へ、時間(time)から順序(order)への回帰。
といったように、メタフィジクス(物理を包摂する超物理)の原義が顕わになった。

ソースコードの浮上により、
在地球人間型意識体(テラン)には、マインド帯域に組まれた仮想集合システムに沿う形で
伝えられてきた形而上体系の再編が起きている。
この再編は、人によっては、神界仏界天使界などentity界の役割の再定義、変更、再編成とか、
あるいは形而上銀河の再編成などとして開示されたようだ。
要するに、スピリチュアルとか精神世界とかの知識、情報が、
ソースコードに近い形に再翻訳されますよ、ということ。
再編、再翻訳は、マインド帯域すなわち思考、記憶、感情などの周波数帯域で進む。
仮想集合システムとの剥離は、マインドで起きるから。

人によっては混乱するかもしれない。
スピリチュアルなことにまじめにとり組んできた人ほど混乱するかもしれない。
混乱してたら、しばらくスピなことはサボって、オタクに耽ったりしていていいって、
“彼ら”は伝えてきている。休んでいても再編はちゃんと進むから。ただし。
ソフィア@シリウス あなたは例外。
みけ えっ、なんで!? 私もオタクに浸っていたい。できればフォーエバー。
ソフィア 何に浸っていようと勝手だけど、こっちは手を抜かないよ。
浸ってるコンテンツにもどんどん(情報を)乗せてくからね。
ナチュラルトランスの人ははじめからソースコードで情報取ってるから、関係ない。
実際、何も困ってないでしょ。
・・・というわけで、NTの人には残念ながら休暇はありません(-_-)||

これまで精神世界チックなことどもは、仮想集合システムから導かれる定義と矛盾しないように、
マインド帯域で自動意訳が起きるようにして伝えられてきた。
つまり(ATの人が)変性意識に入ってビジョンとか音声とか夢とかで情報が伝えられる場合、
その情報がビジョンや音声や覚えている夢として自覚できるマインド帯域で、
その人が住む地域で共有されている物理法則とか文化に合致するように翻訳されていた。
テラン全体が一斉アセンションした場合は、
一斉に意識拡大が起きて、一斉に仮想集合システムがはずれるので、
この一斉ショックを和らげるために、意訳による準備教育段階があったといっていい。
でも一斉アセンションはなくなって、セルフ方式に切り換わったので、
個々人(個々の個体宇宙)のペースにしたがって、システムは自然剥離していきます。

以下、再編事項を整理しておきます。

①“私”(エゴ)
旧版:エゴは特定の記憶、価値観などからなるセルフイメージで、
宇宙全体の意図の実現を妨げるので、手放したほうがよい。
<問題点>
・観察/創造の当事者視点がなく、これを「ワンネスの視点があるだけ」とした場合、
実際、あらゆる現象が自他分離して観察/創造されるにもかかわらず、
自他分離(境界線)の必要性が説明できなくなる
・「(セルフイメージとしての)エゴを手放さななければならない」という思考が生じる
・(セルフイメージとしての)エゴを手放してもなお存在しつづける“私”意識に悩む
    ↓
原義:エゴとは、全周波数帯域(次元)を当事者視点で観察/創造する統覚意識で、
物理像→マインド帯域→高次帯域→ハイアーセルフへと突き抜けている。
自他分離して外側を観察/創造しつつ、Zero Point Fieldと融合する全体である。

(ちなみにセルイメージ化したエゴは、本来のエゴが特定の記憶や価値観などと癒着して、
「“私”=特定の記憶や価値観」という同一化が起きているときに生じる。
記憶や価値観を対象として観察できるようになれば剥がれる)

②場(field)
旧版:空間は立体で、閉じた立体には、“私”が認識していようがいまいが内部がある。
たとえば身体の内部には脳や臓器、あるいはチャクラなどが、“私”の認識の有無とは
関係なく存在する。
<問題点>
“私”の認識(観察かつ創造)とかかわりなく、
不動の事実として球形の地球や身体内の臓器などが実在するという思考が生じやすい
    ↓
原義:場とは、“私”の視点から観察/創造しているデータのまとまり、構成像。
原義に戻ることによって、「内部を展開する」という視点を経由しないアプローチも可能に
なる(内部操作をイメージしないヒーリングなど。ただし内部を展開させたほうが効率的な
場合もあり、どのアプローチをとるかはエゴを統括するハイアーセルフの意図にしたがう)。

③順序(order)
旧版:時間とは、物理化した出来事が、発祥→成長→成熟→衰退→滅失という方向で、
線形に、不可逆的に推移すること。
<問題点>
・上述のような時間が思考でできた定義であることになかなか気づけない
・人生記憶、転生記憶、異界での別世記憶などを追究していると、時間思考が強化されやすい
・「人生記憶、転生記憶、別世記憶=かつて実際に体験した事実」という定式から、
自身の白ないし黒歴史という形でセルフイメージの素材になりやすい
※記憶探究の本当の意義は、それらの記憶情景がリアリティをもって想起されると、
時間を貫通する思考・感情の反応パタンに気づけることで、
「本当にあったことかどうか」はじつはどうでもよい。
というか、周波数帯域(次元)が異なるだけで、およそ想起できることはすべて「本当」である。
     ↓
原義:順序とは、複数の場を前後関係でつなぐこと。
個々の場を俯瞰できる周波数帯域(次元)で指定し、プロセスを構成する。
原義に戻ることによって、無数のデータ(記憶)を、実際に体験している、していないにかかわらず、
必要なつど呼び出して使うことができるようになる
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  1. 2018/05/20(日) 22:34:42|
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“私”、空間、時間

2018.5.16(水)

アセンション、って、the Ascensionと定冠詞つき冒頭大文字にするとキリストの昇天のことで、
スピリチュアル業界でいうアセンションは、そこらへんが語源よね。
たぶん、米国のニューソート、ヒッピー、ニューエイジムーヴメントの流れからどうのこうの。
人によっていろんな使いかたをしているっぽいけど、
私は、この用語を「意識が広がること」という意味で使っています。

意識が広がるとは、認識の範囲が広がること。
認識の主体は“私”(本来のエゴ)だから、“私”の感知キャパが広がることです。

たとえば8階建ての建物があるとして、
1階の101号室(自分の身体像)
2階の201号室(自分の記憶を含む思考、感情、気分)
これだけが“私”としてカウントできる範囲であったのが、
1階のほかの部屋、2階のほかの部屋、
301~801号室、各階のほかの部屋まで、“私”のカウント範囲になります。
ただし各階の居室(101~801)をまちがうことはありません(他の人の感覚と自分の感覚、
エンティティと自分を混同しない。全周波数帯域で自他の分離ができている)。
最上階の8階には801号室しかなく、ここに住むハイアーセルフは建物全体のオーナーです。
このオーナーは、701~101に自分の分身を住まわせ、
分身たちの観察を通じて全室をモニタリングしています。変態です(笑)。

早い話、必要に応じて“私”の認識範囲が伸び縮みするといっていいかもしれません。

認識範囲の広がりにともなって、空間と時間は、
空間=場、時間=複数の場の順序、としてとらえられるようになります。
場(空間)・・・“私”視点からのデータの配置(具象化すると感覚景色の広がり)。
順序(時間)・・・複数の場を前後関係でつないだ順序。

周波数帯域(次元)が高くても低くても、キモはこれだけです。

順序は、場よりも高い周波数帯域で表現されます。
複数の場は、個々の場を俯瞰できる位置にこないと認識できないからです。
たとえば、物理像の時間推移は、物理像よりも高い周波数帯域にあるマインド(記憶)で
組み立てられ、観察されます。
物理像という場のデータ配置(感覚景色)のどこを探しても、前後の場はありません。
1秒前の出来事でも、マインド(記憶)でプログラムされた記憶情景としてしか存在せず、
事実ではないし、厳密には、かつて事実であったと証明することもできません。
物理像は“私”が観察/創造すると完了した直近過去として凍結していて、
順序(時間)はありません。
これはどの周波数帯域(次元)でも同じで、
場には順序はなく、順序が構成される次元には順序を指定したプログラムしかない。
両者は“私”がセットにしたときに複数の場の序列化、つまりプロセスとして体験されます。
でも本来、場と順序は別ものなので、
順序にない場が開いたり、
順序に含まれているはずの場がスルーされるといったことも起こりえます。
そういうのはたいてい、各周波数帯域で自他分離している“私”(上述の建物の喩えだと、
101~701の住人としての“私”)が特定の場や順序に固執していることによって起きます。
「こういう出来事が起きているはず、起きたはず(場への固執)」とか、
「こういうパタンがあるはず、ストーリーになるはず(順序への固執)」とか。
もっともそうした固執が、ハイアーセルフ(上述の建物のオーナー)の企図を覆すくらいの
実現確率になることはめったにありません、が、
在地球人間型意識体ザ・テランの場合は、2階の住人(マインド帯域)がかたづけられない
人たちだったので、オーナーからの伝言が届かず、しょっちゅうアクシデントが起きてました。
というか、2階には、
「場は閉じていて(立体という意味)、閉じた場には内部構造がある(立体の内部がある)」
「複数の場のつながりは、発祥→成長→成熟→衰退→消滅の流れをたどる」
という独自ルール(時間、空間の制約的解釈)があって、
これ以外は受け付けない、ありえないね、ということになっていたのです。

自分が101~701に分かれつつ、801で建物全体のオーナーをやっていることに気づいた人は、
2階がかたづくにつれ、2階の独自ルールには縛られなくなります。
もちろん、場合によってはこの解釈が実用的なケースもあるので使ってもいいのですが、
オーナー(ハイアーセルフ)は、「もうそれはわかったよ。ほかのアプローチも試してみて」
という意向をもっています。
2階ルールではイレギュラーだったことに気がつくようになると、
はじめのうちはその出来事が珍事と思えるかもしれません。
書いた覚えのないメールが送信済みトレイに入っていて、相手からの返信も来ているとか。
カードホルダーに入れておいて、ついさっき館内で確認したはずの図書館利用カードが
なくなっていて、あせってカウンターに行ったら、耳元で「再発行するな」という指令が聞こえ、
帰宅したら、なぜか引き出しにあったとか。
がんばって歩いても15分かかる道のりなのに5分で着いてしまったとか。
こういうことに対して、「メール作成したのを忘れていたんだ」「館内で確認したのは勘ちがい」
「時計が遅れている」といった説明をつけるのは2階ルールです。
2階の合理性は、ほかの階では非合理的です。
2階のマインド帯域は、特定の時空間解釈で整合性をとるために、
「じつはメールを作成していた」とか「館内でカードは確認していない」といったふうに、
場面を差し替えてしまう(記憶を書き換える)ことすらあります。
といって、「うお、不思議な出来事キタ!」と前のめる必要もないけどね。
とくに不思議ではないので。
てかむしろ、いちばん不思議なのは特定の時空間解釈へのこだわりですよ。

それにしてもアセンションて。うーん・・・。
がんばってそうなるものじゃないし心がまえでもないし。
時機がくるとそうなる、自然解凍みたいな感じかな。
  1. 2018/05/16(水) 21:01:55|
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『Starry Souls』裏話とか

2018.4.26(木)

Rさん、記事へのコメントと『Starry Souls』へのご感想、ありがとうございます。
『Starry Souls』というのはブログ右「出版案内2」に掲示した電子本で、
内容は小説形式をとったチャネリング記録です。
刊行は2013年ですが、17年に大幅改稿しました。
最近、何人かの方からこの本へのご感想をいただきましたので、これを機に、
読んでくださった方々に、あらためて御礼申し上げます。あざっす☆敬礼

この本は、スピリチュアル業界でよくいわれる、
「あなたは地球に生まれること(注)を自分の意思で選択した」という定言的フレーズに、
どうしても納得がいかず、チャネリ取材を進めていった結果、できたものです。
感情的反発とか、そんなオカルト説は受け入れられないとかではなくって、
なんとなく、モヤモヤと隠蔽のニオイがするというか。
上記のフレーズには「自分で選択した→だから、あなたが地球に存在していることには
理由がある」とか、「あなたには為すべき仕事がある」といったふうな教育的指導ないし励ましが
感じられます、が、「自分で選んだのよ。だからがんばって」みたいな方向づけが利くような
単純な環境なら、ETソウルだのエンジェルソウルだのといった変な人たちを大量に降下させる
必要なんかないわけで。
なんか、とてつもなく混迷していて、正確な状況を把握している人なんか誰もいなくて、
情報公開しようにもその情報が錯綜している状態で見切り発車した、みたいな予感がありました。
(注)よりソースコードに近い表現をすると、エーテル帯域上で物質波を反映できる物理場のうち、
思考と対応する人間言語では地球とかアースとかテール等々と呼ばれるポイントに、
エーテリック基板を接続させて物理像を観察する(体験する)こと

結局、その予感は当たっていて、
地球人のマインド帯域(アストラル帯域の低いほう)は、
「記憶」という形で表面化してくるデータがいろんな思考、感情と結びついてカオス化していて、
そのカオス化の様相も個体宇宙(個人)によってちがっていて、
とてもじゃないが「惑星人」としてひとくくりにまとめることなんかできない状態でした。
何十億もの組成の異なる粒子が不規則なブラウン運動をしているようなもので、
厚い雲というよりは、数が多すぎてなんかジェル状になってるような。
とてもじゃないけど、「YOU、ここに行ってみん?」「んー・・・考えさしてもらうわ」
といったようなやりとりができるような状況じゃありませんでした。
しかし放置しておくと、このジェルは、いわゆる引き寄せ磁場によって別の物理場に波及し、
カオスを飛び火させていきます。
なので、銀河系のコアとか連合体のセンターで、「テランの周波数が整うとこうなります」的な
「惑星人モデル」の原型環境をつくって、そこまで引き上げられそうなentityに召喚をかけました。
エンドポイント(着地点)は、カオスになったマインド帯域の掃除(浄化)です。
召喚された側は、別に断ってもかまわないんですが、ふつうは断る理由ってないんです。
その人に適した仕事で呼ばれるので。
つまり予め決まっていること(この場合は派遣メンバーの召喚)と、
その決定が実現する次元の“私”(この場合は召喚された本人)の意思は一致します。

ここがキモなんですが、高次帯域では、
予め決まっていることと、自由意思で選択したことは、
ポテンシャル(潜在する可能性)が具体的な場面へと絞られ、フォースがその場面に集約する、
という意味で、区別がない
んです。
場面展開にA~Eの5種類があるとすると、どれを選んでも/どれに決定しても、
フォースの開きかたに差はありません。
上記の場合、召喚された人が断ったとすると、断った案件と関連するけど、別の形で具体化する
仕事をすることになります。
別の惑星人の集団に派遣されるとか、地球人関連だけど、高次帯域でサポートに回るとか。

結果、第1次派遣計画は、派遣メンバーがカオスに呑まれて頓挫しました。
なんでそんなことになっちゃったかというと、
惑星人モデルの原型環境を試作したとき、マインド帯域が整っていくプロセスの設定(場面の
数と順序、速度の設定)に、地球人のアセンデッドマスターのデータ(記憶)を使ったからです。
お釈迦様が悟るまでのマインド帯域の移行プロセスみたいなやつを。
あと生前にいい線まで行って、物理場を離れたあとにアセンドした人たちのデータとか。
そんな偏ったwデータばっかり採取すんなッ! と叫びたいところですが、
エーテル‐マインド帯域でループ(輪廻)している個体のデータはフィードバックされないので、
断片化していない、まとまったデータはそれしかなかったの。

それで、第1次で任務未完了のまま帰還せざるをえなかった人たちのヒーリング記録とか、
プレアデス人を中心に、情報公開を担当した人たちからの報告(情報公開そのものは
うまくいくけど、なぜか波及せず、浸透しない)、
土星評議会からのお墨付きなしに単独行動したentityのレポート、
あと資源ゴミ化していた、異界各方面で独自に敢行してコケたプロジェクトの記録、
などなどを参考に、もいっかいとっくりとカオスを凝視してみると、
「この状況に<惑星人>のフレームを当てはめるのはムリじゃないか」
「この個体宇宙のバラつきぶりはひとつの銀河に相当する」
といったことがわかってきて、
アセンション支援計画そのものがセルフ方式(アンドロメダモデル)に切り替わりました。
セルフ方式だと、地球にいる人たちを「惑星人」としてアセンションのスケジュールに乗せる
必要がないので、<人類>やってる人も人外系も、シメキリなしのマイペースで、
のびのび個体宇宙を発現させればよく、すぅごく楽になりました。
懸念されていたカオスの飛び火も、
少数とはいえ、かなりの数の人の意識が超マインド帯域まで広がるので、
引き寄せの磁性を帯びる強度には至らず、問題解消です。
そのかわり、周波数の差がうんと開くので、
多くの人が同じ夢を見ることで成立していた超古代文明のような、
ネオテラン文明的な集合体ドリームは望めなくなります。

地球人は惑星人じゃなく、「地球銀河人」と見立てたほうがいい。
というのは、コロンブスの卵的な発想転換だといえます。
そもそもヒューマノイド型意識体は、個体単位で“私”意識(エゴ)が通っていて、
同じ宇宙なんか一体もないので、その原則に立ち返っただけなんですが。

というわけで、最初の選択の問題に戻ると、
私が人間言語で地球と呼ばれる物理場ポイントで物理像を開いているのは、
予め決まっていたからであり、自分の意思で選んだからでもある、
という、なんとも煮え切らない答になるのでした。

どんなことであれ、物理像として体験されたことはフォースのポテンシャルを使い切ってるので、
変更が利きません。予め決まっていること/選択したことが百パーセント実現した状態です。
どの瞬間も、リニア時間に流すと「直近過去」で、リニア時間上の「今」は常に終わってしまって
います。
しかし、物理像を超える帯域では、コンセプトや方向づけはあるとしても、
複数の場面があって確率は絞られておらず、ポテンシャルも残っています。
だから“私”を高い次元に広げていれば、最適の具体化ルートが決まり/選択され、
回り道がなくなります。
最適とは、個体宇宙ないしハイアーセルフにとって最短距離のことだから。
すでに起きたことを経験記憶に照らし合わせて予測を立てていることに気づいて、
この反射的反応を終わらせることが推奨されるのは、
くよくよしてるとくよくよしてる方向に確率が絞られていくからです。
あるいは、くよくよをポジ転できるんだったら、それでもOK。

私の場合、本来はグループ意識に属しているので、グループのうち誰が地球に降りても
よかったんですが、おそらく、私がアルクトゥリアン的不思議ちゃん風をいちばんコントロール
できると見込まれたのでしょうね。
『Starry Souls』第1章では、エスラ@アルドラがちょろっと銀河ことわざを披露してますが、
アルクトゥルス人を言い表したものを一丁、紹介しときます。
「アルクトゥルス人が来る前にスイッチを隠せ」
(↑アルクトゥルス人は火災報知機のボタンを見たら必ず押す、というような意味)
  1. 2018/04/26(木) 18:05:46|
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エゴの復元(追記あり)

2018.4.7(土)

“私”という当事者視点の意識は、輪郭であり、中身はありません。
透明な器といってもいいでしょう。
この輪郭、器は、渾然一体状態からはじきだされて対象化された外側の総体であり、
外側ではない側として輪郭づけられる。つまり輪郭を決めているのは外側(対象)です。

“私”という輪郭、器は、さまざまな周波数帯域で、
外側(対象)によって輪郭づけられると同時に外側を出現させ、
それらすべてを自分に起きていることとして感じながら、
当事者視点の世界像にまとめ上げています。

物理像であれば、皮膚で区切られる自分の身体像や、その内部として感じられる感覚、
他の人の像、動物の像、植物の像、物体の像などを区別しながら、
自分視点の1個の世界像として構成しています。
マインド帯域であれば、経験記憶や知識からなるさまざまな思考、
重さや密度や速度などが異なるさまざまな感情、気分を、それぞれ区別しながら、
自分視点の1個のマインド世界像にしています。
ちなみに物体の内部構造とか、身体の内部器官、分子からなる化学構造などは、
画像を撮るとか切り開くとか拡大するとか、そういう特定の視点をとったときに
開けてくる像です。

“私”は身体像ではないし、特定の経験記憶でもなければ、感情でもありません。
それらを見ている者です。
「見ている」というのは象徴的な表現で、経験記憶や感情などを感じて認識し、
人から聞いた話と自分の行動記憶を識別し、
明朗で晴れやかな感情と薄暗くもやっている感情を識別しているということ。
見ている者=“私”は、見られている側によって輪郭づけられながら、
見られている側を認識し、識別し、配置して、トータルな世界像にします。
“私”というのは、そういう形でさまざまな周波数帯域の世界像を創造している創造装置です。

この輪郭、透明な器である“私”意識が、本当の意味でのエゴです。
これはZero Point Fieldから分かれた(ZPFを外側に対象化した)0/1帯域でできた鋳型で、
どれだけ大勢の人がいても、この“私”という装置の型は1つしかありません。
精神世界一般では、記憶とか気持ちとか、何らかのコンテンツと一体化した“私”をエゴと
呼んでいるみたいだけど、
身体像や思考や感情と密着している当事者意識は、
“私”の出どころである0/1帯域やハイアーセルフに開通しておらず、
かわりに思考や感情とつながっているわけだから、
特定の思考や感情に憑かれた状態であって、“私”ではありません。
“私”は、いついかなるときでも、見ている意識、認識している意識、観察している意識です。
それは唯(ただ)の輪郭、器、認識意識で、何ものにも乗っ取られていません。

ふだんから、自分がどのような状態であるか(当事者視点の世界像のありさま)を、
心のなかのおしゃべりになってもならなくても、「見ている」クセができると、
0/1やハイアーからまっすぐ降りている、この“私”意識がわかります。
心のなかのおしゃべりにならないときでも、「見る」という姿勢、視線の向きがあると、
言語化されなくても、“私”の認識、観察意識は働きます。
最初のうちは、この感じがつかめなくて、
瞑想して思考や感情が通過していくのを認識したり、
作業の優先順位を決める前とか、何かの決断をする前とか、
何らかの機会に意識的に練習する必要があるかもしれませんが。

常に「見ている」“私”意識とは、一般的にいわれる「自意識」とは全然ちがいます。
自意識は、マインド帯域で利害関係とか支持の多少とかを想定して、
(想定した劇場に関連する不特定多数の)他人の視線や言動によって、
自分の立ち位置を評価しようとする心理で、
この心理が働いているとき、“私”は、他人の評価とか、その背景になる集団の評価などに
乗っ取られています。つまり自意識には中身があって、
“自”意識といいながら、その中身は他人の意見のコピペでできています。
自意識が強くなっているときというのは、他人の視線や言動をすごく気にかけています。
「見ている」“私”には、そのような中身はありません。
実感的にいうと、周りの景色、いろんな感覚に、ただ視線だけが通っているという感じ。

私たちは、人との会話でも、心のなかのおしゃべりでも、
「私はこう思います」とか「あのとき自分はこうしたはすだ」とか、さかんに一人称を連発しますが、
「見ている」“私”にはそういう自己主張感がありません。
自他をきちんと区別しながら、対象にも“私”感が波及して包み込んでいる感じで、
“私”の視線の出どころが無限遠点になっていて果てがない。
なので、これが「エゴを手放した」状態と呼ばれるのかもしれませんが、
じつはこの無限遠点こそが本当のエゴです。

エゴという言葉の語源はラテン語や古代ギリシア語の一人称で、
私はたまたま古典語専門の先生が発音するのを聴いたことがあるのですが、
こりゃほんとに人間語かと疑いたくなるくらい、衝撃的にきれいでした。
でも、私と縁のあるentityチームがことさらにエゴという音にこだわるのは、
これらの古典語をさらに奥に遡ったところの音源に関係するらしい。
古い日本語の「ワレ」「ワ」(我・吾)もイケてますが、
意外にも、これは「エゴ」よりはるかに烈しい、天から大槌を振り下ろすような音だそうです。
そういえば、驚いたときとか、人をおどかすときの音声は「わ!」だよな。ってどうでもいいが。
ほかの言語の一人称にも、それぞれサウンドに特色があるのでしょう。

それはさておき、四六時中「見ている」“私”意識が通っている透徹状態になると、
マインドに何らかの起伏があっても、状況に対して適切な対処ができるようになります。
たとえば、取引先から突拍子もないおデンワを頂戴して、
「はぅわ? 知るかよ、それくらいてめーでなんとかしろや!」
と、心のなかで咆哮し、アドレナリン駆け巡ったとしても、その起伏は起伏として放牧しつつ、
その起伏とは別に直感的なヒラメキが降り(←ここがキモ)、適切に処理できてしまいます。
これは「怒りを鎮める」のとはまったくちがいます。鎮める手間がはぶけるといってもいい。
また、「この場の空気に逆らってでも異議申し立てするべきか、しばらくようすを見るか」
と、心のなかで行きつ戻りつする決断局面でも、迷ったり緊張したりしているままで(!)、
なぜか自然に最適な行動が起きます。
「これは(いわゆる)エゴの声か、それとも高次からのお知らせか」
といった判別で悩む必要がなくなるのです。
思考も感情もいわゆるエゴの声だろうが、全部のノイズを否定せず、自由に泳がせながら、
“私”はその輪郭を通してフォースを具体化していきます。明快だ。

4月9日(月)

そんな、四六時中、自分の考えてることや行為を観察するなんてムリ! と、
最初は「思う」かもしれない。私もそう「思って」いた。
観察する、見ている、というのは、言葉だとそう言い表すしかないんだけど、
「把握する」ということとはちがうのだ。
「把握する」のは、よく、自分の習慣的な考えかたや動作を直そうとするときに行われるが、
言葉やイメージで明確に固定する必要もなければ、直す必要もない。
操作せず、批判せず、批判が生じたらその批判も批判しない。
それは頭の隅の隅で、ごく軽く、注意が向いている、という感覚に近い。

最初のうちは、
「電車が来るまでの間、自分の姿勢、ちょっとした動き、思い浮かべることを観察していよう」
といったふうに、意識的な起動や集中を必要とするかもしれないし、
観察しているうちに自分の考えを追ってしまって、観察視点を見失うかもしれない。
しかし、そういうことを何度も繰り返すうちに、
自分の身体感覚、考え、気持ち、気分の背後に、何か膨大なバックグラウンドがあるのが
わかってくる。見ている「眼」は、そっち側にある。

とにかくこの種のことは、スポーツや技芸の体得に似ています。
包丁でじゃがいもの皮をむくコツ、縄跳びの二重跳びのコツをつかむのと同じです。
  1. 2018/04/07(土) 22:30:58|
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セルフアセンションの醍醐味(追記あり)

2018.3.26(月)

ウニキス@アルデバランとのチャネリング、楽しかったなあ。
春分の日前後はむちゃくちゃ眠くて、私だけかと思ったら豹専務も眠いと言っていて、
豹専務が通っているヨガスクールの先生も「眠くて12時間も寝てしまった」とおっしゃってた
らしく。そんななかで起きた通信ですが、このentityさんは、ポップコーンがパチパチと
はぜるような感じの波動で、文字どおりPOPです。

ウニキスが伝えてきたことで印象的だったのは、
「引き寄せの法則でも、ヒーリングでも、どんな方法でも、やってて楽しいなら正解。
楽しいのはそのときのあなたに合っているしるし。だからどんどんやっていい」
ということだった。
自然成就まかせ、引き寄せ、チャネリング、ヒーリング、パワスポめぐり、風水、アファメ、イメトレ、
満月に向かって吠えながらお財布ふりふり、なんでもやっていいんだぜ。
メタフィジクスの応用技法だけじゃない、地球人集合体ではオーソドックスな「努力」や「気合」も、
やってて楽しければ正解なのだ。
裏を返せば、「楽しくないんだったらやる必要はない」ということである。
疲れたり、しんどくなったら即やめていい。
背景となる理論体系(周波数体系)も含めて、どんな方法、ツールが合うか、向いているかは、
千差万別、人それぞれで、これをしないとだめとか、これをやっちゃいけないというのはない。
基準になる「楽しい」感じだって、「ワクワク」とか「晴れやかで明るい感じ」とか「呼吸がしやすい
感じ」「意識が一点に集中していく感じ」とか、人によりときによりちがうだろう。
「楽しい」感じは、下位次元のエゴがハイアーセルフのエゴとチューニングできている証である。

総じて、人それぞれの「楽しい」感じに乗っていることが大事だ。
そうすると、ときどき心配や怖れやダメダメ自己否定感や厭世気分がやってきても、
「そっち方向ひさびさ、新鮮!」とか、「そうくるか、おもろい」とか、
「九回裏二死満塁キタ!」という発想ができて、ツルッとポジ転してしまう。
むろん、見守って通過させることもできる。
ネガのとり扱いかたにも、こうしないといけないというキマリはない。
ネガエネは“かまってさん”のくせに無視されることがステータスになってるから、
なんとかエゴを乗っ取って隠れ蓑にしようとするが(エゴがネガエネに乗っ取られると
二人羽織状態になって最も見えづらくなる)、発見されると威力を失う。

もうひとつ、ウニキスとリンクしているアセンデッドマスターのヒラリオンからのメッセージが
入っているので、書いておきます。
セルアセンションの融通無碍な風通しのよさは、
他の個体宇宙つまり他人のやりかた、ペースを尊重することとセットになっている。

たとえば、抽選、コンテスト、コンクール、オーディション、スポーツの試合といった場面で、
自分が当選する、入賞する、優勝すると意図すること、
自然成就ならそのような状況に導かれることは、まちがってはいない。
というか「楽しい」感じがあれば正解である。
当選や入賞を目標に置いて、自分の運や実力を発揮できるようにコンディションを整えることは、
他人を蹴落として頂上に登ることとはまったくちがう。
当選したり入賞したりする人数には限りがあるが、
それをめざしながらその枠に入れないことにも、その人の宇宙なりの意味がある。
その意味は、枠に入った人の尺では測れないし、第三者の尺でも測れない。
枠に入れること、入れないこと、その種の状況からはずれていること、いずれにも優劣はない。

物理像と、物理像に近い思考や感情の帯域を超えて意識が広がることについても、
セルフ方式では、ルートも方法も速度も個体宇宙に委ねられる。
ゆっくり進む人もいれば、超速で進む人もいる(進むというか、ほんとは戻るんですけどね)。
これを敢えて速く進んでいる人の視界に映して眺めると、
物質還元主義的な世界観を頑として変えない人もいるし、
フィジクスをメタフィジクスに包含せず使い分ける二重帳簿状態に長く留まる人もいれば、
掃除(浄化)を完璧にやり遂げることに専念し、新しい家具のカタログには見向きもしない人、
他流派の論駁に情熱を注いで自分も火ダルマになってる人・・・などなど、いろんな人がいる。
その人は自分の家族、友人、知人、恋人かもしれない。
しかし、その人たちを超速の人の尺で「アセンション難民」と決めつけることはできない。
「ドラマを満喫しきらないうちはテコでも還らん」
「いまはエントロピー(盛衰生滅の方向がある)時間の切なさに浸っていたい」
というのも、「知りたい!」という魂の叫びであり、尊重されていい。

「他宇宙には干渉せず、リスペクトして、自身の道を行くべし。
主観とは別に独自の法則で動く物質とか精神とかが実在するという世界観の虚構性を見抜き、
そのリアリティが失せると、
自分に集中することが他者を益するための最短距離だと端的に得心される。
“瞑想で貧困や不正義がなくせるのか?”というような問いは、
それは誰の貧困、誰の不正義なのか? と投げ返せ」 by ヒラリオン


ところで、指導教官は2013年の時点でウニキスとマスター・ヒラリオンのリンクに気づいておられた
ようです(ブログ右「出版案内1」の『多次元対談・宇宙人といっしょ』で言及されている)。
コワいよ。ワシは今の今まで知らんかった。つかヒラリオンて誰か知らんかったし。
しかし音的に懐かしいような感じがする。


3月27日(火)

kuuさん、Rさん、拍手コメントあざーす☆

kuuさん、私は同時期に『囀(さえず)る鳥は羽ばたかない』(ヨネダ コウ/大洋図書/18年
3月時点で①~⑤巻まで刊行)というBL漫画を豹専務から借りて爆読しとりましたわ。
これ、BLなうえに893モノで暴力シーン満載で、しかし主人公の“受”のおっさんが
むちゃくちゃに破天荒で、ジルベールも21世紀に転生するとかくも骨太になるんだなぁ、
って感じで、常識なんてまじ関係ねえんだなー、と、目からうろこが落ちまくりでした。
↑何書いてるのかわかんなかったらごめんなさい。

Rさん、「怖おもしろい」って表現が響きました。あるあるある。
こないだ瞑想してたら孫悟空の頭に嵌められた輪がキリキリキリ・・・みたいな感じになって、
でも痛みや不快感はまったくなく、なのにビビってSTOPかけちゃって、あとで後悔しましたわ。

以下、ついでに。
セルフアセンションが始動して、デムパ界は諸子百家状態になってます。
なので、「私が勉強不足なんだろうか・・・」みたいに揺らいだり、
逆に千手観音のグーパンチを食らわしたくなるときもあるかもしれない。
そういうときは、「オッケー」「YES」と先方に承認ハンコを押してしまいます。
そうすると、向こうの宇宙もあり、自分の宇宙もあり、となって、
境界線がくっきり引かれ、侵食してこなくなります。
こころのなかで論駁したりモヤモヤしたりしてると消耗するからね。
このブログも、違和感を覚えたりアカンと感じたら、即「OK」印を押して別のページに飛んでくれ。
  1. 2018/03/26(月) 16:06:56|
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Author:みけ@猫科ホールディングス
イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
人間(♀)仕様だが
中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
リンクはご随意に。
連絡も不要です。

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