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ソロ・パブリッシュ

エア充。

気づきから得心までの時差を解消する

2018.6.5(火)

6月に入ってすぐ、最近のソフィア@シリウスとのチャネリング対話です。

みけ アセンションという用語で言われている意識拡大作用の要って、
自分があらかじめ承認されていることを納得することだと言っていいですか。
ソフィア 承認しているのは誰、あるいは何ですか。
みけ 虚空。Zero Point Field。
ソフィア それはあなた、つまりあなたの“私”意識ですか?
みけ いいえ。ZPFは「全部ある」と「何もない」が渾然一体のフォースそのもので、
観察も創造もしていないからです。
観察し創造する“私”意識ができるのは、ZPFを「対象(外側)」として認識しはじめる0/1帯域。
こういうふうに説明すると空論ぽいけど、要するに、ちょっとでも意識があれば、
もうZPFに留まったままじゃなくて、“私”を通した観察と創造がはじまっています。
ソフィア あなたの“私”意識ではないZPFが、あなたの“私”意識を承認していると、
どうしてわかるの?
みけ “私”意識が“私”でありながら同時に“私”じゃなくZPFだから。
つまり“私”意識として自他分離し、ものごとの区別をつけつつ、もう一方では渾然一体だから。
で、渾然一体サイドってのは、観察も創造もしていないので、
「これはよし」とか「それはちがう」といった区別も一切せず、
自他分離した“私”の観察と創造がどうであろうとも、無条件にフォースを供給します。
それが無条件の、あからじめの承認です。
でも実感的には、わかるからわかる、ダイレクトにわかる、って感じなんですが。
ソフィア 突然わかったの、それとも徐々に?
みけ 突然、ふっと。暦上でいうと2018年の5月の終わりに。
何が起きたのかというと、一瞬、行動強迫がまったく消失したんです。
月単位、年単位のことじゃなくて、あれしなくちゃこれしなくちゃっていう、
目先の先回り思考ですけどね。
あれ、もしかしたら何もしなくていいんじゃないかと。
マインドがきりきり予想図を出して指示を出して、って発動しなくても、
この世界は勝手に回っていて、身体もマインドも、必要があれば自動的に参加している、
私の個体宇宙が、私の身体やマインドを活用して動いていく・・・そんな感じ。
そしたらそれは、あらかじめ無条件に自分が承認されている世界だったんだよね。
対象が個人でも集団でも神様でも、何であれ、
自他分離している“私”の存在意義を認めてもらうために、何も発動させる必要がない。
自他分離のないZPFは常にYESで、
どんな状況でも、“私”の観察と創造を実現するフォースは流れているから。

ソフィア OK。「アセンションの要は無条件の自己承認を納得することか」という
最初の質問への答はYESです。要である、とは、一切の観察/創造の土台、前提ということ。
けど、あなたの訊きかたには、気づくことと得心することの間には時差がある、
という意味が含まれているね。
みけ それ。気づいてすぐそのとおりになることもあるけど、すぐには変わらないこともあるん
ですよ。それって、しばらくは自動的に経験記憶で動いてるせいかな。
時差ボケとか、船から下りてしばらくは地面が揺れてる気がするみたいに。
ソフィア 記憶とはなんだろう?
みけ あるプログラムに、ある変数をインプットすると、これこれの結果がアウトプットされますよ、
という、そういうデータの集まり。
「×5」というプログラムだったら、2を入れれば10になるし、3だったら15になる。
これが「×3」だったらどうなるとか、そういうデータが無数にあって、
いずれもZPFのフォースの実現形式です。何かが実現するときのデザインといってもいい。
ソフィア では、本当にあったことの記憶、経験記憶とは?
みけ リアリティが濃厚なデータ。それが「かつて起きた」「知っている」という時間表現をとって
ONになる、顕在化します。過去形なのはそのたしかさ、リアリティの濃さを表しています。
ソフィア ではリアリティの濃厚なデータと、希薄なデータとのちがいは何?
みけ えーと、“私”との距離ですね。ああそっか、リアリティの濃厚なデータ、経験記憶って、
「私の記憶」「私の過去世」「私が何度も経験したパタン」みたいに、“私”と密着している。
“私”が記憶というデータで着ぶくれしてアイデンティティになってます。
てことは、気づきと得心の間に時差ができるのは、“私”が経験記憶と同一化されてて、
0/1‐ハイアーセルフからまっすぐ下りてる観察/創造意識になってないからだ。
ソフィア “私”がどんなデータも対象化して観察/創造しているとき、
データつまり記憶が「本当にあったことかどうか」という問いは立たなくなる。これはわかる?
みけ わかります。日付がいつであっても、記憶という形で出てくるデータはどれも
物理像じゃないんだから、物理像を「本当」の基準とすれば、どれも本当じゃないし、
物理像に関係なく存在するかどうかということなら、どれも本当だから。
ソフィア だから、“私”がどんなデータも対象化して観察/創造していれば、
あらゆるデータを記憶として呼び起こして使えるようになるんだよ。
“私”が観察/創造している場に必要なデータ、記憶がすべて下りてくる。
みけ だからマインドから何も発動させる必要がないんだ。
ソフィア あなたはそれ、もうわかってるよ。
みけ へ? そうなの?
ソフィア そちらの暦上の2018年5月、モナ@アルクトゥルスに、物理像にフォーカスしろって
言われてたでしょう。ほとんど付きっきりで。
みけ ええ。5月ってマインド揺れ揺れ月間だったんですよ。
特定の考えや感情にとりつかれてたわけじゃないんだけど、気分の帯域のへんで重くって、
何か急(せ)いているような、焦燥感ぽい感じもあって、
ちょっとそっちに呑まれぎみになると、あれしろこれしろって、ちまちました発動要求が
五月蝿(うるさ)くってさ。
それで、モナが、目に映ってる指先を見ろとか、左の足が床に着いたのを感じろ、次は右、とか、
一日じゅうじゃないけど、一日に何十回みたいな感じで、四六時中、指示してきてたの。
教わったことはないけど、ヴィパッサナー瞑想やってるみたいだった。 
ソフィア “私”意識が観察/創造している最も具体的な帯域、つまり基底次元に注意を向け切ると、
“私”意識すなわちエゴから基底次元でないもの(記憶)が剥がれて、
全部の超基底次元データを均等に対象化して使えるようになるのよ。
要は、エゴをリセットできる。
一般的に、外側で嵐が吹き荒れてるときは内側に集中しろと言われているけど、
それはむしろ逆で、どんな嵐も内側と呼ばれている帯域で起きるのだから、
外側とされている基底次元にフォーカスすることで回復するんです。
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  1. 2018/06/05(火) 17:04:39|
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視覚のシフトを促す

2018.4.17(火)

私の世界は信号の階調、グラデーションになっています。
最も信号の刺激が強く、ハッキリ濃ゆいのが物理像で、
それがだんだんぼやけてビートが細かくなっていき、エコーでぼわぼわになり、
ピアニッシシモの先で全信号の開始/終止地点であるZero Point Fieldに突入します。
そして、それぞれの階調を感じて世界像に仕立て上げているのが、
輪郭だけのエゴである“私”。

この階調を同心球に喩えると、
中心に濃ゆい物理像世界があって、外側に向かうにつれ薄くなる、とイメージしがちですが、
どっこい逆に、外縁球がいちばんコテコテで、内側に向かうにつれ薄くなるのです。
設計帯域(いわゆるエーテル帯域)は原子核を構成するクォークより小さいし、
思考や感情などのマインド帯域も同様。
超物理像帯域には「大きさ」がないので、どのみち比喩ですけども、
次元が上がるにつれ小さくなるとしたほうが、
「雲の上に神々や天女が~」といった、物理像の延長イメージから脱却できるので、
実用的だと思います。
身体像の周りにエーテリックボディとかライトボディが見えるというのは、
物理像サイズに拡大(変換)投影されているためです。
不思議系の出来事というのは、みな非常に小さな場で起きています。

病院に行ってこういう話を滔々と述べ立てれば、たぶん何かのクスリを盛られるでしょう(笑)。

クスリを盛られないようにするには、
主観とは別に確固とした客体があって、それは一般的には物質で、身体もまた物質の一部、
物質である身体器官の周囲の物質への諸反応から主観的意識世界ができる、
という前提に立っているフリをしないといけません。どんなにリアリティがなくてもね。

波動(信号)の一元世界に住むか、物質還元世界に住むかは、究極には嗜好の問題で、
どっちが正しいとかいうことではありません。
どっちも究極「そうなんだもん!」という根拠しかなく、根拠なんかないんだから、
説得できるようなこっちゃないんです。
しかし私の場合は、もう感覚が前者になってしまっていますので、
以下、世界は波動の階調である説を前提に話を進めます。

波動の階調世界のありさまには「あ、そうだ、これは知っている」という既知感があり、
そっちに移行するにつれ、これが前進変化ではなくて後退変化、
思い出しのプロセスであることがわかります。
物質がベースで、物質から主観的な意識が派生するという感じかたにわざわざ切り替え、
もとの感じかたを忘れるほどそっちに慣れ、あげく、またもとのほうに戻っていると。
この移行期に、案外、シフトが遅いのが視覚です。
たとえば、目を閉じて瞑想しているとき、そのときは波動の一元世界を実感していても、
目を開けたとたん、もしくはしばらくすると、
外に物体があって、この身体も物体だ、という感じに戻ってしまうというような。

まず外に物があって、それを物である身体諸器官が知覚している、
その知覚から主観的な意識ができる、という、物質還元説(厳密には、まず客体が存在して、
その客体が主観の要因になるという客体還元説。客体が物質でなくても、「意識」でも
「精神」でも同じ)に則った世界では、
「見える」ということは、外側に物体が実在することの証拠として、圧倒的な説得力をもちます。
聞こえることや、匂いがする、味がすることなどには比較的個人差が認められ、
自分の感じたことが人に感じられなくても「気のせい?」ですまされることも多いのですが、
なぜか「見える/見えない」となると、そのような曖昧さの余地が少ない。
視覚は、実在リアリティとの結びつきが強いという点で、体性感覚のなかでも特権的です。
観測機器を使った実験でも、アウトプットされるデータは数値とかグラフとか、
視覚で確認するようになっているし。
で、「見える。ゆえに、実在する」の公式を補強するのが触覚です。

形や色が「見える」ということは、信号を変換した結果であって、
そこにそういう形、色のものが実際にあるという証拠などでは全然ありません。
さらに、物や空間に奥行きがあるというのは一種の錯覚で、本当は面しか見えてません。
この現象に、光子に感覚器のレセプターが反応して云々、という説明をつければ、
物質還元説に立つ自然科学からいってもそうです。
動物や植物はそれぞれ、おそらく全然ちがう世界像を構成しているでしょう。
ただし、物質還元説は、見えたとおりではないにしても、
反応が起きる以上は、反応を喚起する物質が何か存在し、
反応を起こす身体も物質である、ととらえます。
また、物質には自律的なメカニズムがあるので、個々の生物、身体に起きる反応は、
いくらか例外があるにしても、おおむね共通していると考えます。
一方、波動階調説では、さまざまな視点(肉眼サイズ、顕微鏡サイズ、望遠鏡サイズなど)での
反応があり、「反応があった」とわかるのは、
それらの反応ではない“私”意識が反応を外側に対象化して観察しているからだ、ととらえます。
つまり反応の背後に原因を想定しない。
何らかの反応が起きたからといって、反応を喚起する物質が存在する証拠にはならないけど、
物質が存在しないという証拠もありません。だからここは嗜好の問題。

視覚は外側にある物体を正しく(=みんなが見ているように)見通すための感覚ではなく、
その人の物理像を形や色という側面から構成する要素、主観的な感覚であり、内感です。
A「これ、黄色いね」 B「うん、黄色いね」
という了解が成り立つのは、思考と対応する言語やその使用経験に支えられているからで、
AもBも互いの個体宇宙を交換体験できない以上、
本当に同じ信号を受信しているのかどうかはわかりません。

視覚が内感のひとつにすぎないことを腑に落とすには、
ZPFアクティベートのワークをするときに、
合掌して掌が合わさったところや、指と指をくっつけて合わさったところを、
目で見ながら「融けてる感」を感じるようにするといいです。目は全開でも半眼でもOK。
ぴったりくっついていないとか、左右対称じゃないとか、
細かいことを気にする必要はありません。
(ZPFアクティベートワークについてはブログ右「出版案内3」にある『ようこそ☆ゼロポイント
フィールドへ』第1章を参照してください。)

これは私の宇宙人版アリョーシャ@アルクトゥルスから教わったやりかたで、
私も1週間くらい前からそうしています。
つづけていると視覚情報から「背後」が抜けて、
視覚像のイリュージョン性がはっきりしてきます。
物理像と、チャネリングあるいは直感が起きる帯域との連携が思考で分断され、
物理的な出来事に対応するさい、まず経験記憶や知識を検索してしまいがちな人にお勧め。
  1. 2018/04/17(火) 18:24:31|
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『ようこそ☆ゼロポイントフィールドへ』1,000ダウンロード超御礼記事

2018.3.13(火)

パソコンの電源入れる前に「パブーのマイページにログインしな」とデムパで指示され、
言われたとおりにしてみたら、2016年秋にリリースした『ようこそ☆ゼロポイントフィールドへ』が
1,000ダウンロードを超えてました。
その数字は私が見た時点で1039、センthank youでした。
ダウンロードして、あるいはウェブ閲覧の形で読んでくださったみなさま、
またそのほかの既刊書籍を読んでくださった方たちも、ありがとうございます。
いよっ、センキュー☆

ちなみにパブーというのは、個人が電子書籍を作成したり、購入したりできるサイトです。
(拙著につきましては、ブログ右の「出版案内1~3」をご覧ください。)

ZPF(ゼロポイントフィールド)本については、
何人かの方から「こんな濃ゆい本がなぜ無料なん?」とのご質問をいただいておりますが、
正直、私にもよくわかりません。なので回答していません。すみません。
有料の本についても、なぜ有料なのか、なぜその値段なのかわからん。
私は、作文してるときは自分の宇宙人版(なぜかアレクセイ、通称アリョーシャというロシア人
名前がコードネーム)につながりっ放しなんで、
「なぜこうなんだ?」と訊かれても、自分でもわからん場合が多々あるのです。
奉仕とかじゃないですよ。私に奉仕マインドは1ミクロンもありません。
私は自分がおもしろいと感じたことしかしません。ハイアーエゴイストです。

でもそういえばなんで無料なんだろう? ってあらためて思ったので、
冒頭の指示をしてきたソファイア@シリウスに訊いてみました。

ソファイア メタエコノミーではタダってのはありえないんだよ。
物でもサービスでも情報でも、還元すればエネルギーのやりとりだから、
エネルギーが出たり入ったりすれば、必ずどっかで反対の動きがあって、
バランスがとれるようになってるんだ。
あんたの仕事については、こっちの口座にペイされてるよ。
読んだ人からじゃなく、土星評議会とか、そっち方面から。決済はそっちの暦だとまだ先だけどね。
みけ そっちの口座・・・決済・・・ゾゾゾゾゾー|||
ソファイア あの文書には呪いがかかっててなw、
あれはアセンション支援系の合議体がアリョーシャに依頼して作成された文書だから、
読んだ人は、エゴの融合回路がものすごく開きやすくなる。
その結果、ZPFのフォースの循環がよくなって、セルフアセンションが加速する。
瞑想して、観察して、高次自我(ハイアーセルフ)がアクティベートされて、っていう、
オーソドックスな積み上げがなくても、
融合回路が開いてフォースが入ってくるようになると、すごく直感的になるんだ。しかも安全に。
あとからハイアーが開く人もいるし。
みけ でもさ、どんなコンテンツでも、相性ってあるじゃん?
あれを読んで、こんなのだめだとか、期待してたのとちがうとか、否定的な見解をもつ人だって
いたと思う。途中で読むのやめたりとか。私だってそういうことあるし。
ソファイア そういう場合にも、その人なりのかかわりかたで影響する。
その人のセルフアセンションに何らかの形で影響するってこと。
みけ そんなの、どんなコンテンツにだって言えることじゃない?
ソファイア 食い下がるね、あんたも。たしかに、どんなコンテンツも波動であり、影響力はあるさ。
けど、そのコンテンツがコヒーレント(波動が整っている)かどうかは、また別の話。
ソフィア@シリウス この人、オカルト嫌いだし、ライティングの経験があって、
「読むだけで感覚が変わる」的な文言はただの宣伝用のキャッチコピーだと思ってて、
信用してないんだよ。
放っておきなさい。オファーだの責任だのってお説教すると、かえって聴かなくなるから。
ソファイア そういやこいつ、あまのじゃくだっけ。
みけ あ、そういやむかし、「雨野ジャック」っていうペンネーム使ったことあったわ。

ところで、1,000ダウンロード超を記念して、ちょっとした応用テクを公開します。
合掌するとか、左右のどれかの指をくっつけるとか、身体の異なる部位の面をくっつけて、
合わさった面が「融けてる感」を感じたら、
融合回路が開いてZPFとつながってるサインだと拙著に書きました。
ついこないだ発見したんですが、
これを各チャクラの前でやると、チャクラの調整に効きます。
どうもムカシの記憶に引きずられがちだと感じたら、3番目のチャクラの前で合掌するとか、
ハラが座らんなーと感じたら丹田の前で合掌とか(掌は下向きでもよい)。
チャクラっていうかなんか右肩のあたりなんだよ、と感じたら、
右手もしくは左手で右肩にさわって「融けてる感」に入るとか。
ピンときたらやってみてね☆

~お礼~
拍手コメントくださったKさん、と、Kさんに拙文を薦めてくださったお身内の方、
ありがとうございます。
宇宙人さんかフェアリーさんかアースエンジェルさんか、いずれにしても、
潜伏の時代は終わりですフフフ。どんどん脱ごう、そしてソウルフルネスへ。
  1. 2018/03/13(火) 18:46:33|
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“私”という柱に気づく

2018.1.23(火)

瞑想するとき、2~3回に1回くらいの割合で、目を開けています。
半眼ではなくて、いつもと同じように目を開けている。瞬きもする。
そうするようになったのは3年くらい前からで、たぶんウチュージンから指示があったのだと
思いますが、きっかけは忘れてしまいました。
なんでそんなことをしてるのか、理由が全然わかんなかったのだけど、
こないだそのわけがわかりました。

瞑想すると、体性感覚が希薄になって、もしくは体性感覚を残したまま、どちらにしても、
高次帯域へ昇っていくというイメージがあります。
こちらが高次帯域を訪問して、また戻ってくる。
しかしいつもどおりに目を開けていると、上または奥に吸い込まれるようなトランスが起きにくくなって、
逆に向こうがこちらに降りてくるのです。
といっても、そのへんにentityとかオーブとかがいるというわけではなく、
降りてくるのは0/1帯域の“私”意識、もしくはハイアーセルフの“私意識”です。
どちらも“私”意識の始原で、Zero point Fieldから分離しつつそれと融合し、
次元を下って景色が段階ごとに形をとり、像を成していくのをずっと観察しつづけている、
魂宇宙の軸である統覚意識。
人との関係のなかにいる私、仕事や役割を担っている私、こういう性格、これこれの体質の私、
どこかの異界と縁のある私、そういう色は一切ついてなくて、
ただ“私”であるというだけの私です。
これが、全コンテンツをまとめて受けとり、それぞれを「YES、これは存在している」と承認し、
それぞれを「これは私である」と包み込みながら、「これ」として対象化して観察している。
だから、降りてくるというよりも、実感的には、
色のついたいろいろな私が脱げていって、“私”意識一本に回帰していく感じです。

座って、瞑想のポーズのまま、私の場合は意識を丹田に固定して、目を開けています。
その状態で、見えているもの、聴こえる音、匂い、身体内で感じられる感覚などを、
それらが起きるままに、「あ」という感じで、深く入りこまずに感じます。
この「あ」という感じは、「あ、いま猫が横切った」みたいな、動体視力でものとらえるときの
感じに似ています。
何かモノローグがはじまったら、そこにギアを入れないで流れるままにして通過させる。
「暑い」は感覚だけど、「暖房効きすぎかな」は思考のモノローグ。
感覚を感じることに注意を向けていると、モノローグのボリュームは小さくなります。
これは瞑想の導入のプロセスに似ています。もしかしたらまったく同じかもね。
でもそんなことはどうでもいい。
とにかく、視覚も含めて、起きる感覚全部を受けとめるようにしていると、
何者でもなく、ただ“私”でしかない私が、巨木の幹のごとく立っているのがわかります。
これこれ、こいつが全コンテンツの受け手で、創造主です。
観察即創造ですからね。

試してみたところ、とくに瞑想のポーズじゃなくても、椅子とかにゆるんと座っていても、立っていても、
寝ていても、これはできます。
視覚とか聴覚とか、特定の感覚に一極集中しないで、
五感+身体内で感じる感覚を全部受けとめることがポイントなので、
それさえできればどんな格好でもOK。慣れれば動いていてもできるかもね。

おもしろいのは、あるかないか微妙な線の感覚、科学的に分析したらだぶんないだろうと思われる
感覚も入ってくることです。
香りのもとが何もないのに果物の香りがしてきて、それが左半身だけで止まるとか、
光が射さない箇所なのに明るく見えるとか。
1分間くらい頭のてっぺんが涼しいとか。
なお、私の場合は四六時中、左右で周波数のちがう音がルゥンとかタリラリ~とか鳴ってますが、
これもほかの音や感覚と等しく感じつづけます。
濃淡さまざまないろ~んな感覚があって、その合間に「何の感覚もない」ところもあって、
宇宙の多彩さ、豊かさをあらためて実感するっすよ。

これは、ワンネスタイムとエゴタイムが昼と夜のように別々モードになりがちな、
アセンドトランス型(AT)の人が両者を統合する方法として有効ですが、
もともとワンネスとエゴの区別が希薄で、いつでもユルラリのナチュラルトランス(NT)型の人が、
健全な自己肯定感をとり戻すのにも役立ちます。

私自身がナチュラルトランスであるためか、
ときどきNTの方から「あー自分はこれだったんだとわかりました」といったメールをいただくんですが、
自分の経験と、それらのお便りの内容を総合すると、
NTの人はもともと自他の境界線がはっきりしていて、自他の区別をきちんとつけられる。
ですが、境界線の向こう側の常識は、ぼんやりと、もしくは表面的にしか理解できません。
向こうの人が何を言っているのかはわかるし、何を大切と考えているのかもわかる、
しかし、なぜそこが問題なのか、なぜそれに一生懸命なのかがわからぬ。
喜怒哀楽のツボもちがいます。
なので、「自分のほうがヘンなのだ」という認識になります。
それで、自分の天然センスと、向こう側の暗黙ルールが両立する落としどころを探って、
ここなら自分は呼吸できるし、周りの人も不快にならないだろう、という立ち位置に落ちつきます。
それでも嗤われたり、ときにドン引きされたりするのですが、そのくらいはしかたありません。

自分をプッシュしたり相手を否定したりせず、相手にまるっと染まることもなく、
共存可能な落としどころが探れるのは、自他の区別がしっかりついている証拠ですが、
相手のルールには合わせられても、ルールの根っこにある欲求には共感できないというか謎なので、
何かにつけ要領がわるく、
往々にして生活上の諸問題をテトリスチックに処理していくだけで手一杯になりがちです。
外国にいるようなアウェー感も抜けません。

こういう人が観察即創造主である“私”になると、
アウェーだった自分がホームになります。
境界線の向こう側も、“私”が包み込んで観察しているので、ホームになります。
自分は興味ないし、参加しないけど、いいよ、自由にやって、みたいな生温かめの放牧愛w
自分も、相手も、“私”宇宙の住人で、対等であり、どちらも“私”です。

きっと、ほかにもやりかたはいろいろあると思うけど、ご参考までに。
  1. 2018/01/23(火) 22:55:01|
  2. デムパなメソッド
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波動ワールド☆

2017.12.7(水)

物音と物音の間に、耳を澄ます。
エアコンの音、冷蔵庫の音、部屋の外から聞こえてくる人の声、クルマの音。
そういう物音の間に広がる無音に、聴覚を向ける。
もし、これは体内の血流の音だ、というような思考がはじまったら、
血流の音が止んでいるところへ向けて、聴覚を凝らす。

テーブルと食器棚の間の、何もない空間に手をかざす。
木の感触やガラスの感触の間に広がる空間に、触覚を向ける。
これは空気、これは掌の体温、というような思考が浮かんだら、
空気でも体温でもないところへ向けて、触覚を凝らす。

同じようにして、色や形のない空間を見る。
壁でもドアでもテーブルでも椅子でもないそこに、視覚を向ける。
これはホコリ、光の反射で見える模様、といった思考が入ってきたら、
ホコリでも模様でもないところへ向けて、視覚を凝らす。

嗅覚でも味覚でも、同じことができる。
何もないところ、無へ向けて、感覚を研ぎ澄ます。

そうすると、何もないはずのところに、何かがある(こわ!)。

アホみたいですが、ゼロ年代の終わりごろだったか、そんなことをしていた時期がありました。
なんとなく、地味におもしろくて。
小中学生が消しゴムのカスを集めてボールをこしらえるようなノリで。
当時はシニア猫3匹+中年おっさん猫1匹が家にいて、世話に奔走していたので、
しぃんとした静かな時空間が稀少で、そんなことがささやかなセルフヒーリングだったのでしょう。
こういうことをスピリチュアルマッスルを鍛える練習とかなんとかでやってるとつまんなくって、
超能力が開発されるとかってご褒美でもない限りやってらんないですが(私はそう思う)、
ふと気が向いて、天使な風かなんかに誘われたおりに、試してみるといいかもです。

何もないはずのところにある何か。
それが4次元を超える高次帯域の波動であり、メタフィジカルなエネルギーです。
見えたり聞こえたり、身体内部で快感や痛みを感じたりするのは、還元すれば化学信号や電気信号、
さらに還元すれば波動です。
つまりは体性感覚も波動で、その延長上に高次帯域の波動がある。
体性感覚をどんどんデクレシェンドさせていって、それが消え行くところから高次帯域がはじまります。
両者のちがいは、
物理像をつくっている体性感覚の波動は振幅が大きくて強いパルスだけど、
高次帯域の波動は超速で、体性感覚を基準にすると、すごく微妙だということ。
銅鑼が1分間隔でぐぁんぐぁん鳴るのと、
スネアドラムが『ボレロ』の冒頭くらいの小さなボリュームで0.5秒おきに鳴るみたいなちがい。

なぜ体性感覚でも観測機器でもとらえられず、数式で仮定するしかないくらい微妙なのかというと、
以前の記事にも書きましたが、
物理の大小(空間)、速度(時間)を基準にすると、
3次元を超える世界はとてつもなく小さくて速いからです。
本当は大小とか速度とかいうスケールが通用しないくらいに。
物理学では「余剰次元が畳み込まれている」といった表現をします。
もっとも物理学では余剰次元は仮説であり、私がここに書いているようなことが
証明されているわけではありません。
高次元が、物理世界のスケールを基準にすると、把握できないくらい小さくて速いというのは、
私がチャネリングで知った、物理学に照らすと限りなくうさんくさい情報です。

ともかくそのうさんくさい情報をありうると仮定して話を進めると、
体性感覚の向こう側の、何かあると何もないのギリギリの線で、かすかに「ある」側に傾く程度に、
どうも何かあるようだ、と感じられる、それが「波動ないしエネルギーを感じる」ということです。
これが感じられるとき、高次元に周波数が合っている=チャネリングが起きているということです。
チャネリングでとらえた波動は、その波動のほうで言葉やイメージに一体化していくのでない限り、
無理に言語化、イメージ化する必要はなく、波動でとらえておけばOKです。

人により場合により、微妙なはずの波動が体性感覚に反映されて、見えるとか聞こえるといった形に
なることがありますが、
これは2が×5で10になったり、3が×7で21になったりする感じで、
物理像をつくる電気・化学信号になるくらいに増幅されて変換されるからです。
何かのきっかけ(たとえば何らかの極限体験、サイキッカーと出会ってエネルギーが同期する、
わくわくすることを追究した結果、もしくは単にそういう時機がきた)によって、
増幅回路がONになり、高次周波数帯の波動が視覚化、聴覚化することもあります。
私自身は2011年から常時、宇宙音りんりん、通電びりびりですが、これも増幅作用です。
あんまりサイキックっぽくないんですが(自分基準だと、なんかもっとすごいヒーリング能力とか、
水をワインやトクホコーラにする能力とかがないとサイキックじゃないような)。
しかし、増幅された信号は、もとの波動に比べると解像度が粗々で略式です。
なので、不思議な音が聞こえるとか不思議なものが見えるとかじゃないと未熟だとか、
ダメってことはないです。
なんとなく、えも言われぬ感じを感じられるということが基本です。

高次周波数帯の波動は、思考という形をとって表れることもあります。思考には2つあって、

①機能不全のエゴが、自身を守るためにかき集めた情報によってなされる思考
(機能不全のエゴとは、ものごとを「私」「あなた」「彼」「それ」というように分けて見る方向でのみ
働いていて、融合、統合して見る方向が封印されているエゴです。
分離-融合の両方向が開いていれば、何の問題もありません)
②高次周波数帯の波動が直線的な指示や論理構造に変化し、イメージや言葉と連結する思考

この2つは、“幅”のあるなしで見分けがつきます。
①は「3年前にはこう処理した」「Aさんの場合はこうだった」といったように自他の経験を根拠に
していて、参照先まで時間、空間の幅があります。
どこを参照しているのか心当たりがなくても、モタモタしていたり、迷ってる暇があれば①です。
②は「えっ、どこからそんな考えが?」みたいにこつ然と表れるんで、幅がありません。
タメがなく、タイトで、考えにエネルギーがあるので、考えるまでもなくそっちに振り切れてしまう。
波動を波動のまま感じることと、①の沈静化は並行するので、
波動ベースでいれば、思考という営みそのものが②になっていきます。
  1. 2017/12/07(木) 19:09:33|
  2. デムパなメソッド
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みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
人間(♀)仕様だが
中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
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