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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

「ゆらっと感覚」つづき

2019.2.1(金)

前回の記事(2019.1.31「ゆらっと感覚」カテゴリ:デムパなメソッド)に非公開拍手コメント
くださったAMさんへ、サイラス@ベガからの伝言です。
「演奏するときには、AMさんが心を込めなくても、
音楽がAMさんの身体像を使って何やかや込めてきます。音楽があなたを奏でる。
なので、マインドも身体像も開放して、
あなたの“私”で音を聴くと同時に創造してください。楽しんで。
感覚視野が宇宙全体に行き届いていれば、すべてが歓びであり、
楽しくないことも楽しめることがわかるでしょう」
・・・とのことです。

わしも自分が入力する文字にはひとつも心なぞ込めとれせんわハッハー。

サイラスには地球でいうところの音楽愛好家という側面があります。
私のアストラル宇宙には職業はないので、
何か精通した分野があれば「~愛好家」といったところ。
音楽関係の仕事をしているわけではなく、音楽に詳しいわけでもない私に、
なぜこういうentityがガイドスピリッツのひとりとしてついているかというと、
言葉になる前の信号(ソースコード)が音楽と関連しているためであるらしい。
なお、私は言葉にも精通していませんよ。

音楽といえば、昨秋くらいから先月半ばくらいまで、
ヒーミル@シリウスイルカが歌う、次のような歌詞に翻訳されるような歌が
頻々と聴こえてきていました。
メロディーは表記できないので、てきとーに想像してください。
(コードはDmぽい? 宇宙音にありがちな、同じメロディーの繰り返し。
チェレスタっぽい音の伴奏あり)

 ぐらぐら ぐらぐら グラウンディング きみのとなりで グラウンディング
 
 わざわざ わざわざ グラウンディング きみのちかくで グラウンディングー(リタルダンド)

これ、グラウンディングするときに
客体‐空間‐時間思考システムもいっしょに再起動させちゃったら意味ないよ、
ハイヤーと物理像(濃い感覚)のツーポイントとって、思考システムは組み込むな、
っていうメッセージだったんですね。昨日、謎が解けたわ。
(↑この4行についての詳細は前回の記事に書いています)
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  1. 2019/02/01(金) 17:17:01|
  2. デムパなメソッド
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ゆらっと感覚

2019.1.31(木)

今月半ばの記事で、
「感じ(周波数)」を感じている視点の「私」をハイヤーセルフまで後退させる方法として、
次のようなイメージワークを紹介した(2019.1.13「問題を解決したければ、問題がないことに
気づくのが最善」カテゴリ:仮想集合システム)。

①両手から黄金の光が、遠く空まで届く勢いで放たれているのをイメージする。
②その手を丹田の上で重ねる。左右どちらが上でもよい。
 丹田に点った黄金光が、全身に広がり、頭頂と足元を突き抜けて広がる。
③そのまま目を閉じ、何秒かしたらに開く。同時に丹田から手を離す。
 目を開き、手を離したときに、「ドリーム」と口に出すか、心のなかで言う。

これは、物理像もマインドもロングショットで感じられるようにする方法のひとつである。
物理像もマインドも、さまざまな感覚でできた模様でしかなくなる。
じつは、「私」視点がハイヤーセルフまで後退すると、微妙な高次の感覚も模様化する。
ふだん、私たちは物理像やマインドへのクローズアップを多用しているので、
この見えかたは奇妙あるいは新鮮かもしれないが、じつはこれが初期設定で、
物理像、マインド、高次、すべての帯域でできた具体像を夢に戻す立ち位置なのです。

ブログで公開する前、私はガイドスピリッツから指示されて、
上述のワークを何度かやってみたんだけど、
最初のうち、丹田のうえで両手を重ねたとき(上記②)、
おっとっと・・・っと、ちょいうしろにヨロけそうになった。
倒れる、というより、何かスコンと脱落してくずれる、という感じ。
もちろん手で押してはいないし、手から出ている「黄金の光」に圧倒されているわけでもない。
今は慣れて、あとずさるようなことはないが、やっぱり脱落感はある。

これって、ひょっとするとアレではないか、
マトリックス・エナジェティクスの施術動画とか、momoyoさんのヒーリング動画とかで見た、
施術された人がホホエミながらバタバタ倒れていくという、合気道みたいなアレ。
どんなヒーリングでも、自分にはそこまでの烈しい反応は出たことがなく、
アレはどんな心地なんだろう、いっぺん倒れてみたいものだ、と思っていたのだが。

私のガイドスピリッツに訊いてみたところ、
私の場合はちょっとヨロけただけだけれども、本質的には同じ現象であるらしい。
以下に、ガイドスピリッツのひとり、ソフィア@シリウスとの対話を掲載します。
最初はサイラス@ベガに出てもらおうとしたんだけど、
以前に一度、登場したことがあるにもかかわらず、サイラスはまだ地球人がコワいらしく、
「ヒッ!」みたいな拒絶反応を示して仕事場に閉じこもってしまったので。

ソフィア ふだん、物理像とマインドに強くフォーカスしていた「私」視点が、
個宇宙全体を見わたせるところまで急に後退すると、
感覚視野(感じられる周波数の範囲)が急激に膨張するように広がって、
客体‐空間‐時間思考システムを使って記憶という形でプールしていた空間‐時間データが
機能しなくなる。それで、人によってはそういう現象が起きます。
個宇宙全体を見わたす視点に慣れれば、そうした崩落(ほうらく)感はなくなります。
みけ 物理的な遠近感が変わったり、床が消えたりするわけじゃないんだけど。 
ソフィア 「私」視点の制限解除は、濃い感覚(物理像)ではない周波数帯域で起きるからね。
あなたがたの言語で「内面」とか「内側」というと、一般的には(思考システムの枠内では)
マインドのことをさしていて、この対応関係になじんでいると、
「私」視点の制限解除といっても、心の持ちかたとか考えかたの変化といった意味になって
しまい、たいしたことではないような印象になってしまうけど。
みけ たしかに、スピ系の話や記事で「変化は内側で~」とかいわれて、五感的な現象としては
何も起きないとなると、まやかしとまではいわないけど、けっこうテンション下がるわ。
ソフィア 濃い感覚(物理像)や中程度の感覚(マインド)として感じられる波動って、
ほんとに、ごくごく一部なんだよ。
たとえば地球という惑星像に喩えると、どこかの半島の一部とその近海だけが地球で、
大半の大陸や大洋を「ない」ことにしているのに等しい。
みけ テンション下げないようにするにはどうしたらいいの?
ソフィア 物理像やマインドの動向を気にかけないことよ。
「何か変化が、不思議なことがあっただろうか?」と推移を気にすればするほど、
時間思考、空間思考に引っかかって、思考システムから抜けられなくなる。
逆説的だけど、推移を気にかけていないと、量子的変化が実際に起きていることがわかる。
(量子的変化:1、2、3・・・と連続的にではなく、1から7に跳ぶように変化すること)
みけ 推移を気にかけるって、過去のストーリーから未来を予測するってことだもんね。
てことは、「何か変化が?」という発想をしたら、そこで思考システムが速攻再起動し、
思考システム仕様の「物体としての身体+その身体にもとづく心=私」に戻っちゃうと。
ソフィア 奇蹟的な治癒とか、思いがけない展開とかっていうのは、
思考システムのプログラムの動きを尺としたときの見かたで、
そうした奇蹟の類を含めた自在な場面展開は、「私」が個宇宙全体を見わたしていないと
できない。
「私」が思考システムの定義にしたがって「物体としての身体+その身体にもとづく心」に
制限されていると、
「私」が思考システムによる情報処理を超える周波数(感じ、感覚)を感じられないから。
すると、「私」は思考システムが想定していることしか感じられず出現せず、
現実(物理像とマインド)が非常に狭い範囲に限定されて硬直してしまいます。

みけ 逆に「私」視点が高次ゾーンだけにフォーカスされているとどうなるの。
ソフィア マインドを超える帯域の周波数をエーテル像(物質波を反映させない物理像のこと)
に翻訳して、簡単にいうと夢のような場面として認識かつ創造できたとしても、
その周波数にふさわしい(相似形の)マインドや物理像を呼び出せない。
ゆえに高次ゾーンで体験したことは、マインドや物理像では実現しません。
みけ そういう人って、物理像やマインドの認識をいったん封印、あるいは弱めて、
「私」視点を高次に引き上げて集中フォーカスするんだよね?
ソフィア そう。そうすると、微妙な感覚は増幅して、エーテル像に対応した、色や形をもった
像として感じられ、出現する。
みけ 私はナチュラルトランスタイプなので、あまりそういうことがないんですが、
何回かは体験したことがあって、物理像ともマインドの想像ともちがう、
クリアな夢のような独特のナマナマしさがあります。
ソフィア 高次ゾーンをそういうやりかたで認識する人の場合、
グラウンディングをしたあとで、あなたが紹介している①~③のイメージワークをするとか、
何らかの方法でハイヤーセルフの視点を回復させておくことをお勧めします。
グラウンディングして濃い感覚(物理像)と中程度の感覚(マインド)に再接続するとき、
客体‐空間‐時間思考システムも込みで再起動させてしまうことが多いから。
めんどうでも、ハイヤーセルフの視点を回復させる手つづきを何度も繰り返しているうちに、
思考システムを取り込まずにグラウンディングするコツがわかってくるでしょうし、
いずれは、高次ゾーンを認識するのに「私」視点を引き上げる必要もなくなるでしょう。
みけ 地球人の場合、高次と、マインド+物理像とを切り離す方式が主流だったんだよね?
ソフィア 切り離し方式は思考システムに影響しないから、
思考システムを温存しておきたい地球人自身にとって安全だった。
だから、座禅や瞑想や、さまざまな方法で意識を探究しても、
思考システムにもとづく生活とか人生という「思考」からは逸れず、
ダブルスタンダードになっていた。
みけ これは私だけかもしれないけど、「グランディングとは日常生活にしっかり対応できる
意識にしておくこと」みたいに誤解していた時期があって、
というのは、伝統的なやりかたをしていると、どうしても「日常生活をしっかり~」の方向に
マインドが接続されてしまうんで、それにすごく違和感を感じていたわけ。
ソフィアやモナ@アルクトゥルスに別のやりかたを指示されて、そのなんともいえない
キモチわるさは解消したんだけど、あれは思考システムを取り込んでたからなのかな。
ソフィア 本来のグラウンディングは、ハイヤーセルフと、ハイヤーセルフから最も遠い
「私」視点が開く感覚(地球人であれば濃い感覚=物理像)のツーポイントをキープして
おくことで、日常生活云々は何の関係もありません。
日常生活というのは思考システムの枠内でだけ通用するフィクションです。
みけ 物理像とマインドだけしか認識しない状態でも、
物理像とマインドをスリープモードにして高次だけに絞るにしても、
「私」の集中フォーカスって、なんか特殊よね。特殊技能って感じ。
ソフィア 「私」視点が特定の周波数帯に偏ることなく、全体を見わたせる軸であることが
原点です。現実がどうなるこうなるってのはその結果だから、気にしなくていい。
みけ あとね、重力がヘンっていうか、
足裏の下に電気の膜みたいなものがあって、それに載ってるような感じ。
上下左右前後の空間感覚のコントラストも弱くなって、フラットになってきてる・・・?
ソフィア 物理“像”が適正化してるんだよ。それも気にしなくていい。
  1. 2019/01/31(木) 16:34:35|
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ザ・問題

2019.1.4(金)

(   )はどうにもならないorz
(   )ができないorz

カッコのなかには何でも入る。
仕事の技能、金銭の収支、健康状態、他人の言動、社会の現状、不慮の災難。
自分がそれに食い入るようにフォーカスし(◎_◎)がっつり四ツにかかわって
エンジョイモード全開でいるとき、
どんな状況も、目の前に立ちはだかる巨大な、不倒の壁になる。
状況というのは、五感や痛みなどの濃い感覚で感じていること(物理像)に、
マインドで、記憶や知識や、それらを組み合わせて得られる解釈や推測を被せたときの
マインドスケイプ、心象風景である。
エンジョイモード全開のときにはエンジョイしていることに気がつかないくらい没入するので、
これは心象風景なぞじゃない、紛うかたなき現実だ! という気でいるだろうが、
濃い感覚の束(物理像)は輪郭(他の感覚との差)のはっきりした感覚の集まりにすぎず、
どんな意味もないのだ。
これが問題という意味をもつようになるのは、
マインドの思考や感情や気分を被せて、マインドを通して見ているからである。
だから例外なく、問題となっている状況は心象風景である。
濃い感覚からなる物理像では、コタツにあたってお茶を飲んだりしているのに、
マインドだけで問題を立ち上げて(想像上で)あれこれ吟味していることもある。

というか、むしろ心象風景のほうが物理風景を出現させている。
ただし、心のなかでつぶやいている言葉や、思い出している記憶絵図が、
そのまま視覚化、触覚化して現れるのではない。
(↑ここは勘ちがいされやすいが、「思考が現実になる」とはこういうことではない)
心のなかの言葉や記憶絵図の「感じ(周波数)」が、
その「感じ(周波数)」とマッチする「濃い感じ(周波数)」を呼び出すのである。
ある「濃い感じ」から呼び出された「濃い感じ」へと、途中経過なしに移行する。
この途中経過なしの移行を量子跳躍という。
途中経過というのは、いくつもの場面に連続性を想定しているときのパラパラ漫画的な
見えかたで、本当は個々の場面に関連性はない。
場面から場面へ跳ぶのは、
場面を構成するさまざまな「感じ(周波数)」を感じる主体である「私」の視点である。
つまり、
①「私」がマインドの、ある「感じ」に注目し、それを感じる。
②「私」の注目先が、マインドの「感じ」とマッチする「濃い感じ」に量子跳躍する。
③「私」が跳躍先の「濃い感じ」に注目し、それを感じる。
というように、「私」の視点移動によって量子跳躍が起きる。
コタツにあたってお茶を飲みながら、心のなかで何か悩んでいても、
「感じ(周波数)」の整合性はとれている。
コタツにあたってお茶を飲んでいるイコールしあわせとは限らないし、
悩みかたがもっと強烈なら(マインドで感じている「感じ」の周波数がもっと低ければ)、
コタツに入ってさめざめと泣き、ティッシュをとろうとしてお茶をこぼす、
というような物理像になるかもしれない。

何か問題がもち上がったとき、
自分で考えられる限りの手を尽くして解決しなさい、
と、私たちは教えられてきた。
だから、知識や経験を総動員し、対処法を知っていそうな人に訊き、ネットで情報を集め、
具体的な方法や手順を考え、予定を立てて行動する。
それが気の進まないことでも、
感情の激流が治まったり、ある程度元気が回復すれば、
しぶしぶでも立ち上がって、必要な手を打つべく努力したのである。
これが現実に直面する態度として、称揚されてもきた。
だがときとして、こういう<現実直面法>ではどうにもならないこともある。
圧倒的に物資が足りないとか、体力が足りないとか、原因がわからないとか、
考えられる限りのことをしてもだめ、あるいは何も考えつけないときだ。

このどうにもならなさとは、いったい何か。
なぜ、どうにもならないのであろうか。
それは、「考えられる限り」のやりかたで対処しようとしているからである。
「考えられる限り」とは、
客体‐空間‐時間思考システム(仮想集合システム)の限界を意味している。
その問題は、
客体‐空間‐時間思考システムが指示する既知のやりかた、常識では解けない
ということである。
その問題を解くには、まったく知らないことを引っ張ってこなければならない。
ということは、
どうにもならない、どん詰まり状況は、思考システムから脱するチャンスなのだ。
ピンチはチャンス!

思考システムの枠の外から最適の情報やノウハウを呼び込むには、
「感じ(周波数)」を感じる当事者意識である「私」が、
物理光景がただの濃い感覚の集まりに見えるところまで、
さらに、
やばいとかしんどいとかの思いがただの中程度の感覚の集まりに見えるところまで、
下がらなければならない。
「私」が物理像とマインドでできた状況から後退すると、
濃淡の差はあるけど、どちらもただの模様のようにしか感じられなくなる。
すると、重かったり粘っていたりギザギザしていたりして
全体とそぐわないミスマッチな模様があるのがわかるので、
それをまとめて透明なカプセルに入れ、
えいやっ、とZero Point Fieldに還すのである。
えいやっ、と書いたけれども、ここまで「私」が後退すると、
「今までありがとう。でも、きみはもうゼロポに還っていっていいんだよ。お疲れさん」
といった殊勝なキモチになってしまう。波動が底上げされてるからね。

思考システムはマインドに仕掛けられているので、
状況が問題化するのは百%マインドにおいてである。
なのでマインドが模様化するまで、「私」はバックしていかないといけない。
思いから言葉がはずれ、
くっついていた言葉は音や形に戻ってしまう。
記憶絵図は、線や面や色や音などからできた、
濃い感覚(物理像)を一段階薄くした感覚になる。
感情は、重たい、冷たい、鋭い、金属っぽい、などの感じがする感覚になる。
そうすると、それらの感覚をまとわりつかせていた観念が、
何か固くて大きな磁石みたいなものという感覚として現れる。
こいつがミスマッチ模様のラスボス。

「私」を後退させるには、
うしろにあるドアを次々開けて「奥へ」入っていくとか、
自分が左回りに回転して「奥へ」下がっていくイメージを使うとよいでしょう。

でも「私」の視線が問題に食い込んで離れられず、
「私」が問題劇の登場人物(主人公)と化してしまい、
分析が、予測が止まらない、立て板に水の勢いで自己批判や他者批判が・・・
というときの秘技を、とくべつに公開しておくね。
これは私バージョンなので、直感とかご自身のガイドの指示でアレンジしてくださって
かまいません。
①両手から黄金の光が、遠く空まで届く勢いで放たれているのをイメージする。
②その手を丹田の上で重ねる。左右どちらが上でもよい。
 丹田に点った黄金光は、全身に広がり、頭頂と足元を突き抜けて広がる。
③そのまま目を閉じて、何秒かしたらに開く。同時に丹田から手を離す。
 開いたときに「ドリーム」と口に出すか、心のなかで言う。


そうやって、状況を問題に仕立てていた感覚がZPFに還ったあと、
あなたはとりあえず、布団を敷いて寝るかもしれないし、
急に掃除をはじめるかもしれないし、
外出するかもしれない。
何の根拠もないのにわくわくしたり、
室内の景色が美しく、あるいはオツなアートみたいに見えたりするかもしれない。
とくに特別なことは起きないかもしれないが、
あなたの「私」は状況を問題にする軌道からはずれ、
直面すべき現実などもうどこにもないのだから、
あとは直感で動いたり、動かなかったりしていいのである。
これを「放っておく」ともいう。

ピンチはチャンス。
でもピンチが来ないと思考システムから出られないってわけじゃないんで、
ふだんから「私」の視点を後退させてマインドと物理像を模様として感じたり、
些細な違和感をZPFに還したりできれば、もっといい。
すべて感覚模様、感覚宇宙に帰すると、問題は起きない。
問題が起きるのは、物理像とマインドでできた現実を改善するためではなく、
「私」を軸とする感覚宇宙に戻るためである。
  1. 2019/01/04(金) 16:07:17|
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気づきから得心までの時差を解消する

2018.6.5(火)

6月に入ってすぐ、最近のソフィア@シリウスとのチャネリング対話です。

みけ アセンションという用語で言われている意識拡大作用の要って、
自分があらかじめ承認されていることを納得することだと言っていいですか。
ソフィア 承認しているのは誰、あるいは何ですか。
みけ 虚空。Zero Point Field。
ソフィア それはあなた、つまりあなたの“私”意識ですか?
みけ いいえ。ZPFは「全部ある」と「何もない」が渾然一体のフォースそのもので、
観察も創造もしていないからです。
観察し創造する“私”意識ができるのは、ZPFを「対象(外側)」として認識しはじめる0/1帯域。
こういうふうに説明すると空論ぽいけど、要するに、ちょっとでも意識があれば、
もうZPFに留まったままじゃなくて、“私”を通した観察と創造がはじまっています。
ソフィア あなたの“私”意識ではないZPFが、あなたの“私”意識を承認していると、
どうしてわかるの?
みけ “私”意識が“私”でありながら同時に“私”じゃなくZPFだから。
つまり“私”意識として自他分離し、ものごとの区別をつけつつ、もう一方では渾然一体だから。
で、渾然一体サイドってのは、観察も創造もしていないので、
「これはよし」とか「それはちがう」といった区別も一切せず、
自他分離した“私”の観察と創造がどうであろうとも、無条件にフォースを供給します。
それが無条件の、あからじめの承認です。
でも実感的には、わかるからわかる、ダイレクトにわかる、って感じなんですが。
ソフィア 突然わかったの、それとも徐々に?
みけ 突然、ふっと。暦上でいうと2018年の5月の終わりに。
何が起きたのかというと、一瞬、行動強迫がまったく消失したんです。
月単位、年単位のことじゃなくて、あれしなくちゃこれしなくちゃっていう、
目先の先回り思考ですけどね。
あれ、もしかしたら何もしなくていいんじゃないかと。
マインドがきりきり予想図を出して指示を出して、って発動しなくても、
この世界は勝手に回っていて、身体もマインドも、必要があれば自動的に参加している、
私の個体宇宙が、私の身体やマインドを活用して動いていく・・・そんな感じ。
そしたらそれは、あらかじめ無条件に自分が承認されている世界だったんだよね。
対象が個人でも集団でも神様でも、何であれ、
自他分離している“私”の存在意義を認めてもらうために、何も発動させる必要がない。
自他分離のないZPFは常にYESで、
どんな状況でも、“私”の観察と創造を実現するフォースは流れているから。

ソフィア OK。「アセンションの要は無条件の自己承認を納得することか」という
最初の質問への答はYESです。要である、とは、一切の観察/創造の土台、前提ということ。
けど、あなたの訊きかたには、気づくことと得心することの間には時差がある、
という意味が含まれているね。
みけ それ。気づいてすぐそのとおりになることもあるけど、すぐには変わらないこともあるん
ですよ。それって、しばらくは自動的に経験記憶で動いてるせいかな。
時差ボケとか、船から下りてしばらくは地面が揺れてる気がするみたいに。
ソフィア 記憶とはなんだろう?
みけ あるプログラムに、ある変数をインプットすると、これこれの結果がアウトプットされますよ、
という、そういうデータの集まり。
「×5」というプログラムだったら、2を入れれば10になるし、3だったら15になる。
これが「×3」だったらどうなるとか、そういうデータが無数にあって、
いずれもZPFのフォースの実現形式です。何かが実現するときのデザインといってもいい。
ソフィア では、本当にあったことの記憶、経験記憶とは?
みけ リアリティが濃厚なデータ。それが「かつて起きた」「知っている」という時間表現をとって
ONになる、顕在化します。過去形なのはそのたしかさ、リアリティの濃さを表しています。
ソフィア ではリアリティの濃厚なデータと、希薄なデータとのちがいは何?
みけ えーと、“私”との距離ですね。ああそっか、リアリティの濃厚なデータ、経験記憶って、
「私の記憶」「私の過去世」「私が何度も経験したパタン」みたいに、“私”と密着している。
“私”が記憶というデータで着ぶくれしてアイデンティティになってます。
てことは、気づきと得心の間に時差ができるのは、“私”が経験記憶と同一化されてて、
0/1‐ハイアーセルフからまっすぐ下りてる観察/創造意識になってないからだ。
ソフィア “私”がどんなデータも対象化して観察/創造しているとき、
データつまり記憶が「本当にあったことかどうか」という問いは立たなくなる。これはわかる?
みけ わかります。日付がいつであっても、記憶という形で出てくるデータはどれも
物理像じゃないんだから、物理像を「本当」の基準とすれば、どれも本当じゃないし、
物理像に関係なく存在するかどうかということなら、どれも本当だから。
ソフィア だから、“私”がどんなデータも対象化して観察/創造していれば、
あらゆるデータを記憶として呼び起こして使えるようになるんだよ。
“私”が観察/創造している場に必要なデータ、記憶がすべて下りてくる。
みけ だからマインドから何も発動させる必要がないんだ。
ソフィア あなたはそれ、もうわかってるよ。
みけ へ? そうなの?
ソフィア そちらの暦上の2018年5月、モナ@アルクトゥルスに、物理像にフォーカスしろって
言われてたでしょう。ほとんど付きっきりで。
みけ ええ。5月ってマインド揺れ揺れ月間だったんですよ。
特定の考えや感情にとりつかれてたわけじゃないんだけど、気分の帯域のへんで重くって、
何か急(せ)いているような、焦燥感ぽい感じもあって、
ちょっとそっちに呑まれぎみになると、あれしろこれしろって、ちまちました発動要求が
五月蝿(うるさ)くってさ。
それで、モナが、目に映ってる指先を見ろとか、左の足が床に着いたのを感じろ、次は右、とか、
一日じゅうじゃないけど、一日に何十回みたいな感じで、四六時中、指示してきてたの。
教わったことはないけど、ヴィパッサナー瞑想やってるみたいだった。 
ソフィア “私”意識が観察/創造している最も具体的な帯域、つまり基底次元に注意を向け切ると、
“私”意識すなわちエゴから基底次元でないもの(記憶)が剥がれて、
全部の超基底次元データを均等に対象化して使えるようになるのよ。
要は、エゴをリセットできる。
一般的に、外側で嵐が吹き荒れてるときは内側に集中しろと言われているけど、
それはむしろ逆で、どんな嵐も内側と呼ばれている帯域で起きるのだから、
外側とされている基底次元にフォーカスすることで回復するんです。
  1. 2018/06/05(火) 17:04:39|
  2. デムパなメソッド
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視覚のシフトを促す

2018.4.17(火)

私の世界は信号の階調、グラデーションになっています。
最も信号の刺激が強く、ハッキリ濃ゆいのが物理像で、
それがだんだんぼやけてビートが細かくなっていき、エコーでぼわぼわになり、
ピアニッシシモの先で全信号の開始/終止地点であるZero Point Fieldに突入します。
そして、それぞれの階調を感じて世界像に仕立て上げているのが、
輪郭だけのエゴである“私”。

この階調を同心球に喩えると、
中心に濃ゆい物理像世界があって、外側に向かうにつれ薄くなる、とイメージしがちですが、
どっこい逆に、外縁球がいちばんコテコテで、内側に向かうにつれ薄くなるのです。
設計帯域(いわゆるエーテル帯域)は原子核を構成するクォークより小さいし、
思考や感情などのマインド帯域も同様。
超物理像帯域には「大きさ」がないので、どのみち比喩ですけども、
次元が上がるにつれ小さくなるとしたほうが、
「雲の上に神々や天女が~」といった、物理像の延長イメージから脱却できるので、
実用的だと思います。
身体像の周りにエーテリックボディとかライトボディが見えるというのは、
物理像サイズに拡大(変換)投影されているためです。
不思議系の出来事というのは、みな非常に小さな場で起きています。

病院に行ってこういう話を滔々と述べ立てれば、たぶん何かのクスリを盛られるでしょう(笑)。

クスリを盛られないようにするには、
主観とは別に確固とした客体があって、それは一般的には物質で、身体もまた物質の一部、
物質である身体器官の周囲の物質への諸反応から主観的意識世界ができる、
という前提に立っているフリをしないといけません。どんなにリアリティがなくてもね。

波動(信号)の一元世界に住むか、物質還元世界に住むかは、究極には嗜好の問題で、
どっちが正しいとかいうことではありません。
どっちも究極「そうなんだもん!」という根拠しかなく、根拠なんかないんだから、
説得できるようなこっちゃないんです。
しかし私の場合は、もう感覚が前者になってしまっていますので、
以下、世界は波動の階調である説を前提に話を進めます。

波動の階調世界のありさまには「あ、そうだ、これは知っている」という既知感があり、
そっちに移行するにつれ、これが前進変化ではなくて後退変化、
思い出しのプロセスであることがわかります。
物質がベースで、物質から主観的な意識が派生するという感じかたにわざわざ切り替え、
もとの感じかたを忘れるほどそっちに慣れ、あげく、またもとのほうに戻っていると。
この移行期に、案外、シフトが遅いのが視覚です。
たとえば、目を閉じて瞑想しているとき、そのときは波動の一元世界を実感していても、
目を開けたとたん、もしくはしばらくすると、
外に物体があって、この身体も物体だ、という感じに戻ってしまうというような。

まず外に物があって、それを物である身体諸器官が知覚している、
その知覚から主観的な意識ができる、という、物質還元説(厳密には、まず客体が存在して、
その客体が主観の要因になるという客体還元説。客体が物質でなくても、「意識」でも
「精神」でも同じ)に則った世界では、
「見える」ということは、外側に物体が実在することの証拠として、圧倒的な説得力をもちます。
聞こえることや、匂いがする、味がすることなどには比較的個人差が認められ、
自分の感じたことが人に感じられなくても「気のせい?」ですまされることも多いのですが、
なぜか「見える/見えない」となると、そのような曖昧さの余地が少ない。
視覚は、実在リアリティとの結びつきが強いという点で、体性感覚のなかでも特権的です。
観測機器を使った実験でも、アウトプットされるデータは数値とかグラフとか、
視覚で確認するようになっているし。
で、「見える。ゆえに、実在する」の公式を補強するのが触覚です。

形や色が「見える」ということは、信号を変換した結果であって、
そこにそういう形、色のものが実際にあるという証拠などでは全然ありません。
さらに、物や空間に奥行きがあるというのは一種の錯覚で、本当は面しか見えてません。
この現象に、光子に感覚器のレセプターが反応して云々、という説明をつければ、
物質還元説に立つ自然科学からいってもそうです。
動物や植物はそれぞれ、おそらく全然ちがう世界像を構成しているでしょう。
ただし、物質還元説は、見えたとおりではないにしても、
反応が起きる以上は、反応を喚起する物質が何か存在し、
反応を起こす身体も物質である、ととらえます。
また、物質には自律的なメカニズムがあるので、個々の生物、身体に起きる反応は、
いくらか例外があるにしても、おおむね共通していると考えます。
一方、波動階調説では、さまざまな視点(肉眼サイズ、顕微鏡サイズ、望遠鏡サイズなど)での
反応があり、「反応があった」とわかるのは、
それらの反応ではない“私”意識が反応を外側に対象化して観察しているからだ、ととらえます。
つまり反応の背後に原因を想定しない。
何らかの反応が起きたからといって、反応を喚起する物質が存在する証拠にはならないけど、
物質が存在しないという証拠もありません。だからここは嗜好の問題。

視覚は外側にある物体を正しく(=みんなが見ているように)見通すための感覚ではなく、
その人の物理像を形や色という側面から構成する要素、主観的な感覚であり、内感です。
A「これ、黄色いね」 B「うん、黄色いね」
という了解が成り立つのは、思考と対応する言語やその使用経験に支えられているからで、
AもBも互いの個体宇宙を交換体験できない以上、
本当に同じ信号を受信しているのかどうかはわかりません。

視覚が内感のひとつにすぎないことを腑に落とすには、
ZPFアクティベートのワークをするときに、
合掌して掌が合わさったところや、指と指をくっつけて合わさったところを、
目で見ながら「融けてる感」を感じるようにするといいです。目は全開でも半眼でもOK。
ぴったりくっついていないとか、左右対称じゃないとか、
細かいことを気にする必要はありません。
(ZPFアクティベートワークについてはブログ右「出版案内3」にある『ようこそ☆ゼロポイント
フィールドへ』第1章を参照してください。)

これは私の宇宙人版アリョーシャ@アルクトゥルスから教わったやりかたで、
私も1週間くらい前からそうしています。
つづけていると視覚情報から「背後」が抜けて、
視覚像のイリュージョン性がはっきりしてきます。
物理像と、チャネリングあるいは直感が起きる帯域との連携が思考で分断され、
物理的な出来事に対応するさい、まず経験記憶や知識を検索してしまいがちな人にお勧め。
  1. 2018/04/17(火) 18:24:31|
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イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
人間(♀)仕様だが
中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
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