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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

眠り、夢見、覚醒

2019.5.9(木)

前回の記事(2019.5.3「夢見と眠り」カテゴリ:次元上昇)は、波動で受けていたときには、
何か詩的というか高踏的な雰囲気をまとっていてアートみたいだったのに、
文字を入力しはじめるやいなや、例によって家電のトリセツふうの無粋な文になり果てた。
ある会社の広報誌にジを書いていたころ、
地球人母(故人)に「つまらん。もっと情趣のある、向田邦子のような文章は書けぬのか」と評され、
?(-д-)?じぶん向田邦子じゃねーしなにシュールなコメントこいてんだかこの婦人は、と吃驚したが、
宇宙書記母(「音楽の母」とかそういう意味)トート閣下からもなんかシュールなツッコミが入ってもおかしく
ないような無骨な文字列に、自分で読み返してみて放心したわ。
これは、読者にわかりやすくするためではなく、
私に象徴リテラシーがなく、トリセツレベルまで平易にしないと自身が理解できないためである。

人間と呼ばれる宇宙存在は、大きく分けると、眠り、夢見、覚醒という3つの意識状態(周波数帯)で
存在している。
メインステージは覚醒時で、眠ったり、夢を見たりしているときは、覚醒時により健康に、快適に
活動するための回復&チャージタイムと、一般的、生物学的、医学的にはされている。
私も習慣的にそのようにとらえていた。
統覚視点「私」は、覚醒時に最もはっきりした像(物理像)を感じて出現させる。
高次像やマインド像と連動して何か自然な行動や気づきが起きるとかなんとかいうのも、
そのくっきりした物理像を感じられる覚醒時の意識状態を前提としており、
眠りだの夢見だの、スリープモードで画面まっ暗なときのことは知らんもんね、という感じだ。
でもなんとなく謎ではあった。
しかし、人間を一般的、生物学的、医学的にではなく、宇宙存在としてとらえたとき、
言い換えると、客体‐空間‐時間思考で「私」を身体や心といった体積に閉じ込めていないとき、
眠りの意識状態がいちばん周波数が高く、「感じ」が感じられないくらいに精妙で、
次いで高次の像が感じられ創られる夢見の意識状態の周波数が高く、
覚醒の意識状態には、さほど実現余力(具体化に向かう潜在的な可能性。ポテンシャル)はない。
漫画の作画に喩えると、もう下絵(これはエーテル像に等しい)まで描き終わってて、
あとはペン入れ、ベタ塗り、トーン貼り、消しゴムかけといった仕上げ作業のみの状態。
もちろん仕上げをしないと作品(物理像)にはならないのだが、
どういう話になるとか、構図とか、人物のセリフとかは、もう決まっちゃってる段階である。
ファイナルステージではあるけれども、メインではない。

むかし、どこかのサイトで、「宇宙人は数十分しか眠らない」というような話を読んだことがある。
これは一見「へー、波動が高いと活動的なんだな」と読めるが、
“彼ら”の活動ステージは地球人標準でいう眠りの意識状態。
だから、地球人標準にすると「数十分しか起きておらず、あとは寝ている」ことになるのだ。
その数十分も、濃い感覚(物理像)をつくらない宇宙人の場合は夢見タイムということになるので、
地球人標準からすると「ずっと寝ている」ことになる。
いくらかは覚醒しているタイプ(いわゆる身体があるとされる宇宙人)にしろ、
夢見の意識状態でつくるエーテル像がファイナルステージ(基底次元)になっているタイプにしろ、
だいたいは寝ている連中であって、地球人標準ではとんでもない怠け者なんである。
地球人的な「眠りの意識状態」こそが“彼ら”の「覚醒した意識状態」であり、
地球人が「起きて活動している」と考えている意識状態は、
“彼ら”にとっては「眠り」である。
だから、覚醒した意識状態を3つの意識状態のメインとして、そこにフォーカスしている地球人は、
“彼ら”にしてみると「眠りベースの人々」とみえる。
これはどの意識状態をメインに据えているかによることで、睡眠時間の長短などは関係ない。
それも、覚醒が眠りや夢見とともに意識全体の「相」であること、
=全周波数帯域のうちの特定の周波数帯域であること、
つまり覚醒時の活動が、覚醒という意識状態で見られる濃厚な夢であることに気づかず、
なんかガチで実在している物(客体)を動かしているつもりでいるのだから、
深く昏々と眠っていることになる。
私たちが素早く計算したり、問題への対処に没入しているとき、
“彼ら”は「ぐっすり眠り込んでいる」と見ているのである。

物理像に対処するのを止め、
物理像を「対処すべき問題」としてとらえる、マインドで生じるその見かたのほうをゼロポイント
フィールドに還し、
高次‐マインド‐物理像の連動のままに、風や波に乗るようにその動きに乗り、
身体も心もその動きから現れる像へと融解すると、
覚醒した意識状態は夢見や眠りの意識状態(周波数帯)に近づき、
夢見や眠りの意識状態(周波数帯)が覚醒した意識状態に浸透してくる。
つまり、悩みを悩みに仕立てている型(感じ=周波数)に気づいてこれを手放せるようになると、
眠りや夢見の意識状態に含まれる智慧が、直感や思考や行為として具体化してくる。
それは物理像に上手に対処するためではなく、
3つの相がコヒーレントな(一貫性をもった)あるべき状態に戻るというだけのことである。
漫画の喩えでいうと、
それまでは白紙にダイレクトにペン入れ(!)する描きかたしかないと思い込んでいたのが、
下絵が見えるようになる、下絵とネーム(プロットのラフスケッチ)のつながりもわかるようになる、
といったところであろうか。

うんとむかし、当時住んでいたアパートの隣室にいた友人が、
「夢日記は怖いよ。夢と現実の区別がつかなくなるから」と言っていて、
へー、と思い、試しに夢日記をつけてみたことがあった。
それから十数日くらいたったころだったか、
ノートに夢の内容を書いていると、ぐらっ、と景色が歪んだような感覚に襲われ、
一瞬、ここが夢なのか現実なのか定かでなくなって、
やばい、と感じ、以来、夢日記を止めてしまった。
友人が言っていたのはこのことか、と思った。とくにその人に報告はしなかったけれども。
それから幾星霜、
数年前から、印象的な夢を見たときとか、なんとなく書いておこうと思ったときだけ、
夢の記録をノートにつけているけれども、
ぐらっ、とくるようなことは全然ない。
また、夢の記録とはまったく関係なく、不意にぐらっ、とか、ぐらぐらっ、とくることはあるが、
べつに怖くないし、屁とも思わない。
おそらく、覚醒した意識と夢見の意識との壁がなくなり、開通しているせいと思う。
ちなみに、記録を読み返して解釈したり分析したりはしていない。
しかし、電話で話していた指導教官から「去年のx月x日のところを見てみて」
と言われて、ノートを繰ってみたら、
そのとき話していた内容と寸分たがわぬことが書いてあった件には、さすがに驚愕したわ。
人って不思議よねw
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  1. 2019/05/09(木) 16:16:06|
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夢見と眠り

2019.5.3(金)

昨年後半くらいから、夢見と眠りが、鍵として浮上してきている。
物理像とマインドは、まだ全部が自覚されてはおらず、
無自覚に、無意識に現れている部分があって、そのボヤけた部分が夢や眠りと連動している。

眠りの状態や夢の情景を使って、
「現実(物理像とマインド)」を読んだり、「現実」の操作に役立てるのではなく、
むしろ現れた「現実」を使って、眠りや夢に近づき、眠りや夢と混じり合うのである。
眠りや夢は「現実」の象徴ではなく、「現実」が夢や眠りの象徴なのである。

現れた「現実」を使って眠りや夢と混じり合う、とはどういうことか。

①「現実」を使う
目覚めて活動しているときに、「疲れ」「重だるさ」「苛立ち」「心細さ、不安」といった感覚(周波数)で表出するミスマッチ感(ミスマッチな周波数)に気づくこと。
これらの感覚(周波数)は、微妙な感覚(高次像)と連動しておらず、コヒーレントではない。
異物のようなものである。
ゼロポイントフィールドの感覚に慣れ、「私」から身体とか心といった暈(かさ)がなくなっていると、
ミスマッチ感に気がついただけで、そのミスマッチ波動はゼロポイントフィールドへ還流する。
問題が発生して解決するというパタンから抜けられなかったり、何か停滞感がある場合は、
マインドで生じている違和感に気づいていないからであって、
スピリチュアルなワークやヒーリングがヘタなせいではない。
何ごとにつけ、気づけるということがポイントでありヤマである。

②眠りや夢と混じり合う
濃いとか中程度とか微妙といった感覚帯(周波数帯)を、それぞれの意識状態と呼ぶとすると
(たとえば濃い感覚帯=物理像をつくる意識状態)、
①によって、
物理像やマインドをつくる覚醒時の意識状態が、眠りや夢見の意識状態に近づき、
眠りや夢見の意識状態が覚醒時の意識状態に近づき、
両者の境界帯域が融合して、
「現実(物理像とマインド)」が柔らかく、変わりやすくなる。
わかりやすく言い表すために自然科学チックな用語を使うと、
δ波(熟睡)、θ波(夢見、まどろみ)とα波(覚醒・リラックス)、β波(覚醒・活動中)が接近し、
θ‐α波とか、α‐θ波といったゾーンで「現実(物理像とマインド)」を感じ、創造するようになる。
ただ、α波とかθ波とかいう脳波話は、客体‐空間‐時間思考を前提とする説明であり、
意識状態を自然科学用語で象徴させた喩え話といってよく、ベタに受けとると、
「(暈をもった)“私”の脳波がθ‐α波やα‐θ波になって、現実を思い通りに操作しやすくなる」
といった類の、客体‐空間‐時間思考を一歩も出ていない、つまらない結論が出てしまいがちである。
そうではなくて、統覚視点「私」ではない自分の身体とか心とか魂とかも含め、
「現実(物理像とマインド)」全体がジェルジェルになるのである。
「現実(同上)」をつくる感覚帯が微妙な感覚(高次像)に近づき、次元上昇するといってもいい。
それが①によって訪れるのは、
「現実(同上)」に働きかけて操作するという、客体前提の「現実(同上)」への応答を放棄することで、
客体思考から醒めるからである。次いで空間思考、時間思考からも醒める。

ジェルジェルな「現実(物理像とマインド)」は、微妙な感覚(高次像)と連動する。
それは高次で蒔かれた種が勝手に芽吹き、伸びていき、花や実をつけ、ゼロポに還る世界であり、
暈をもった「私」の願望が成就するとかしないとかの世界ではなく、
また、エゴを手放してすべてを粛々と受け入れるとかの世界でもない。
エゴ(私)とは本来、循環宇宙を認識し創造している統覚視点、循環宇宙という夢の夢見手のことで、
エゴなしには認識も創造もなく、宇宙だってない。
でも、エゴという言葉の印象がわるければ、真我とか、なんとかセルフとか、別の言葉で表象させても
よいと思う。
何と呼ぶにしても、「私」はすべてを感じて創造している夢見手であり、粛々と受け入れてなどいない。

眠りと夢見の意識状態は、覚醒時に直感を感じる意識状態とともに、
微妙な感覚帯域(高次像)に属する。
実感的にいえば、眠りは何も体験していない無、夢見では何らかの情景を体験していて、
どちらも微妙な感覚とはいえない。
それは、眠りも夢見も、覚醒時の「濃い感覚(物理像)」から離れているからで、
いちばん低い感覚帯(周波数帯)が「中濃感覚(物理波を反映しない物理像すなわちエーテル像)」
になっているからである。
中濃感覚は夢の情景を構成しており、物や人物の像になるくらいには波動が具体化している。
中濃感覚の情景は、(多くは無自覚、無意識の)マインドと連動して呼び出されてきているが、
中濃感覚で具体化するのは夢見の意識状態のごく一部であり、
残りの波動は精妙なままで、情景化しない。
一方、眠りの波動は、非常に精妙なので、物や人物などの像にはならない。
つまり、眠りも夢見も周波数が高く、覚醒時に「微妙な感覚」として感じられる波動と同質である。

覚醒、夢見、眠りは、それぞれ、
人間と呼ばれる宇宙存在、また動植物に分類される宇宙存在の意識状態の相であり、
全体として宇宙である。
覚醒時の活動のチャージのために夢見や眠りがあるわけではない。
というか、夢見と眠りが宇宙存在の常態であって、
どちらかというと覚醒時のほうが特殊な相なのである。

ジェルジェルな「現実(物理像とマインド)」は、
実感的にいって、像をつくる感覚のコントラストが相対的に弱く、
ある場面から次の場面への変化が起きやすい。
言い換えると、統覚視点「私」の感じかたが変わりやすい。
空間思考に遠近や内外がなく、時間思考は線形でも円環でもなく、そこには決まった順序もない。
必要なデータ(記憶)は即時に思い出せるか提供されるが、
必要でないデータは全然思い出せず、深追いしようとするとジャマが入る。
さっきまで憶えていたことをきれいに忘れてしまう。
必要があるときには、自分にはとてもムリと思われることでもなぜか簡単にできてしまい、
余計なことをしようとすると、非常に簡単にできるはずのことが全然できない。やり直してもできない。

ジェルジェル現実の質感は、夢の情景に近い、というか等しい。
眠りや夢見の意識状態と、覚醒時の意識状態の境界帯域は、夢の情景をつくる「中濃感覚」であり、
中濃感覚で織られる像はエーテル像である。
新覚醒時(?)の現実の実質はエーテル像なのだ。
この件は、以前に、アニータ=クラリッサ@プレアデス=シリウス(ハイブリッド)と交信したさい、
「本来、物理像はエーテル像です。あなたがたは物理像をエーテル像として体験するようになる」
と告げられていた。
私はそれがどういう意味かわかったし、得心もしたけれども、
これまでにも何度か入力しているにもかかわらず、
「エーテル」というオカルト用語に腰が引けて、
自分用のメモにちょろっと記録するだけにとどめたのだった。
エーテルってなんだよ自分サイキッカーじゃねーからわかんねーよ、と思われる方は、
眠っているときに見る夢のあの質感、アレだと思えばいいです。
  1. 2019/05/03(金) 18:29:55|
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夢見の世界

2019.4.12(金)

まずは業務連絡。悲報wです。
2019年9月30日、電子書籍の出版販売サイトであるパブーが閉店になります。
なので、私がパブーで刊行している電子書籍も9月30日で絶版です。
原稿データは保存してありますが、今後、これらのコンテンツをどこかで再刊行するかどうかは
わかりません。
19年9月30日まではご購入、ダウンロードできますので、ご関心のある方は、この日までに
お手つづきをお願いいたします。
閉店になるとwebページでの閲覧はできなくなるので、webページで読まれていた方は、
保存しておかれるのであればPDF等でのダウンロードをお勧めします。
これまで読んでくださった方々、またご感想等をお寄せくださった方々、ありがとうございました☆

では、ソフィア@シリウスとのチャネリ記録を公開します。
一部、モナ@アルクトゥルスからの通信も入ってます。

みけ 私のメタフィジクスには、ちょっと霞がかったというか、神秘的というか、
論理的には説明できないところがあるんですが。
ソフィア うん?
みけ 連動という部分です。高次像(微妙な感覚)はマインド像(中程度の感覚)と連動し、
マインド像は物理像(濃い感覚)と連動する、
感覚としてより淡い感覚からなる像が、より濃い感覚からなる像が結ばれるレイヤー(層)で、
淡い感覚からなる像と相似形の周波数(感覚)を呼び出す、というところ。
ソフィア それはコヒーレントである(波動が一貫している)ってことでしょ。どこが神秘的なの?
みけ 直感的、実感的にはしっくりくるんだけど、なぜコヒーレントになるのか説明できない。
ソフィア それは、高次像、マインド像、物理像の関連性を言い表すために
「コヒーレント“になる”」というように仮に導入した時間展開表現に引きずられて出てくる疑問です。
りんごは、芯が果肉になり、果肉が皮になるわけではなくて、
りんごの構成を調べた場合に、芯や種、果肉、皮といった部分からなっているといえる。
それと同じです。全体でとらえれば、りんごがある、それだけ。
みけ でも、りんごの芯と果肉、果肉と皮は、形態的にも味的にもとくに相似じゃないけど、
統覚視点(私)が感じて創りだす宇宙には、淡い層と濃い層の間に相似という関連性があるんだよね。
相似というか、集約というか。
同じ色づかいだけど、画素数を落としてコントラストを強くしたのが濃い層だと。
相似、または集約という関連性があるということは、どうやってわかるの?
ソフィア 感覚によって。すなわち統覚視点(私)が認識し創造している像を構成する感覚によって。
ある物理像を感じて創造しているとき、マインドに感じている中程度の感覚(思考、感情、気分)
によって。そのマインドの感覚がより精妙な感覚へと開かれていると感じることによって。
つまりね、りんごは食べてみれば、これはりんごだとわかるでしょう。
あなたは、りんごの芯と果肉、果肉と皮は相似ではないと言ったけど、
それは客体‐空間‐時間思考に支えられた常識による見かたで、相似なんだよ。
りんごという統一体であるということは、構成要素が相似の関係にあるということです。
だから、食べてみたときに、りんごという統一体だとわかる。
みけ ああ、それはもう、言葉で論理をたどって証明したり、実験で証明したりできない、
感じてわかるしかない、身体技芸や体育の世界だってことね。
ソフィア 自身が統覚視点だけの「私」として、感じて創りだしているのを体験すればわかります。

みけ 自分の世界のとらえかたが客体‐空間‐時間思考に拠っている、
これはそういう考えかたであって、絶対的に決まっている原理じゃないという気づきは、
この思考システムの枠内にいて、ちょっとアヤしげだな、と、剥がれかけてきたときに起きるけど、
この考えかたを使って「人生」とか「社会を構成する自分」といった制限枠内で、成功したり、
幸せな人間関係を築いたり、人格的に成長したり、
いわば決まったプロットから逸脱しないで最良の結果を求めるか、
思考システムを一切やめちゃって、統覚視点(私)が感じて創りだす宇宙というありかたに戻るか、
どっちも選択できるよね。
気づいた時点では、まだ「私」は視点じゃなく、身体だったり心だったりと嵩(かさ)があるから、
嵩すなわち身の振りかたを自由意思で決定することになる。
ソフィア 思考システムに気づいていながらそれを使いつづけるというダブルスタンダードを選ぶと、
統覚視点(私)の感覚と関係なく存在する客体を設定しているから、
環境(客体)との相克が「問題」となって、それに対処するというパタンが延々とつづきます。
地球暦上の2012‐15年の時期まで、在地球宇宙存在(=全地球人)の方々には、
思考システムに気づきながら敢えてその制限を守り、
メタフィジカルな情報や技法を活かしつつ「人生」を生きるというやりかたしかなかった。
思考システムの枠内で嵩をもった在地球宇宙存在たちの総意が、
制限から出ることを止めていたからです。
現時点ではどちらを選択してもいい。
しかし、あなたの高次像に出現している私たちとしては、統覚視点を制限しない完全な「私」回帰、
全帯域のコヒーレンスの確立を推奨しています。遅かれ早かれそうなるのだし。
みけ なぜ制限に固執していたんですか?って、私も地球人だけど、ピンとこない。
ソフィア 秩序の崩壊を怖れているからです。
秩序の崩壊というイメージ自体、客体‐空間‐時間思考を使っていないと出てこないので、
いわばセルフマインドコントロール下の恐怖ですけども。
みけ ああ、教祖の教えに背くとひどいことになるぞ、というような。
ソフィア 人によっては、アトランティスやレムリアといった太古の文明の崩壊、惑星の破壊、
文明間の戦争による破壊といったデータとリンクする形で、マインドのトラウマになっている。
しかし、記憶というのは「かつて実在した物理像」ではなくて、情景などに翻訳されたデータを
読み込んでるだけだから、どれほどリアリティがあろうと、
崩壊や破壊の記憶は怖れを根拠づけるためのシンボルです。
実際に客体‐空間‐時間思考をやめて、統覚視点(私)が感じて創りだす宇宙に戻ったところで、
そんなドラマチックなことは何ひとつ起きない、と、実際にやめてみれば即座にわかるのだけど、
億単位の嵩をもつ「私」たちがそれぞれ勝手に夢を見はじめたらとんでもないことになる、という、
セルフマインドコントロール下の恐怖があまりにも大きいので、
高次像から情報がもたらされる場合にも、それへの配慮が施されて、
客体‐空間‐時間思考に収まるように、
つまり「人生」や「社会」や「人類の未来」をより良くするという観点を入れて、
あたかも客体としての地理空間とか、累積時間に沿った個人史や歴史が実在するかのように、
受信者や伝達者が翻訳していたわけです。
チャネリング情報だけでなく、古今東西の教典の類もそう。
モナ@アルクトゥルス バシャールの情報の波動なんか、ソースコードはすっごくキレキレよ。
あなたはご存知でしょうけど、バシャールの情報伝達は、
地球人の総意を反映した土星評議会のガイドラインを無視して単独でやってたから、
ほんとは黒船同然なんだから。
みけ 黒船!(三角形の黒い宇宙船・・・?)
ソフィア 権力や権威をもつ人々が隠している情報という形で流布している、
その秘匿情報の核心は、UFOとか大気圏外の実像といった個別的なことではなく、
一切が夢(像)で、各人に、特定のプロットに縛られずに自在に夢を見る能力がある、
ということです。 
視角が数十億あろうと数兆だろうと、「私」という統覚視点の形式はひとつしかないから、
各視角がばらばらに勝手に見ている夢は、大きな絵巻物の一部のようなもので、
全部、ひとつの夢なんだよ。だから各人が勝手に夢を見はじめても、争いも混乱も起きない。

みけ 私はすごいエゴイストなんで、あるいはバカなのかもしれないけど、
秩序の崩壊も人類の滅亡も気にしてなくて、
ただ客体‐空間‐時間思考が描くプロットの枠内で最良を追究する方向を選ぶと、
先を予測したり、計画を立てたりできるじゃないですか。
けど、統覚視点に戻るほうは、やってみないとわからないわけでしょ。
個人的にはそこが不安。
りんごだと思ってるものが、自分に合わない味かもしれないし、毒かもしれないし。
シリウス人って、智慧の実を食べるといいことあるよ、って、イヴを騙したじゃん。
ソフィア 待って、あなたはもう、客体‐空間‐時間思考をはずしたんじゃなかった?
それと、「創世記」の蛇はたしかにシリウス人の象徴だけど、本題とずれるから今は言及しない。
みけ はずした。てかゼロポに還しちゃったよ。 
でも、客体‐空間‐時間思考がなくなっても、「もし客体、または空間、時間を設定していると」
っていう思考実験はできるじゃないですか。
だから、「もし自分が選択局面に立っているとすると」っていう思考実験をして、
先の見通しが立たない方向を選択するのは不安だと言ってるの。
あと、はずしちゃってから「これでよかったのかな」と思うんじゃないかと、はずす前に思ってるとか。
ソフィア それは思考実験で予想される不安であって、自分がたどったプロセスではないよね?
あなたのデータ構成(記憶)のどこを見ても、不安になってないし、選択すらしていない。
何の迷いもなく思考システムから離脱してるよね?
みけ だってつまんないんだもん。
客体‐空間‐時間思考システムがつくる制限の範囲内で最良を追究したって高が知れてるでしょ。
成功してうれしくても、失敗して凹んでも、幸せでも不幸でも、人格的に成長しても、
そういうのはみんな思考システムに仕切られた範囲内でのマインドの動きだし。
なのに、その高の知れた成果のために「問題の解決」っていうパタンをずっとやらなくちゃならない。
それは環境(客体)を克服できるかどうかっていうゲームをずっとつづけるってことで、
引き寄せの法則とかヒーリングの技法とかを使って勝率を上げたとしても、
ゲームのオペレーティングシステムである客体‐空間‐時間思考がつくる筋書きからは出られない。
だったらさ、これをやめちゃうとどうなるのかな?ってほうを知りたい。
ソフィア 客体‐空間‐時間思考をしているから先の見通しが立つんでしょう。
見通しというのは、客体を設定したときの、客体固有の法則にもとづく客体の動きを予測して
生まれるものだから。
あなたは先の見通しが立たない、制限のない世界を知りたいと思った、
しかし、思考実験の実験室にいるあなたは、先の見通しが立たないと不安だと言っている。
実際には、あなたは思考実験で想定しているような不安を感じなかった。
当然、感じられていい不安を感じなかったわけだよね。
だから選択すらせず、離脱一択だった。それはなぜ? 何が背中を押していたの?
みけ どうなるのかな、っていう、わくわく?
エキサイトメントと不安って、表裏一体(+30°と-30°のちがいのようなもの)だから、
思考実験で裏(マイナス)にしてみただけなのかな。
ソフィア しかし、実際、あなたが思考システムをやめると決めたときには不安ではなかった。
統覚視点(私)が身体とか心といった嵩に閉じ込められておらず、
感じること(認識)や現れること(創造)が客体設定によって制限されない世界は、
あなたにとって本当に未知ですか?
みけ うーん・・・ていうか、「私」に身体とか心とか魂とかっていう体積があったり、
客体として物体やエネルギーが実在していて、物体やエネルギーの法則ですべてが決まる、
っていう、制限があるほうに違和感があった。
本当は全部、夢かもしれないという気がしてた。
いま、全部が夢見である世界の感触を思い出しつつあるのかもしれません。
ソフィア 「知る」ということが「思い出し」であることを思い出せないときに、
ひとつの周波数がエキサイトメントと不安に分極する。
知りたいことがまったく未知のことだと思っていると、
探究心の裏側に不安ないし怖れが喚起されるからです。
みけ てことは、客体‐空間‐時間思考からの離脱は、実際には「思い出し」から起きていたけど、
思考実験では、「もし夢見の世界をまったく未知の世界だととらえているとどうなるか」という設定で
考えてたわけか。もしまったく未知だったら、はっきりした選択局面が現れ、不安も出てくるだろうと。
ソフィア どんなデータも既知であって、必要じゃないときは出力されず潜在しているだけだから、
正確には「夢見の世界の思い出し度合が低かったら」ということになるけどね。
不安が出てきても、客体‐空間‐時間思考システムを振り切ると決断していれば、
その不安はゼロポイントフィールドに還せばいい。
先の見通しが立つ、勝算がある、リスクヘッジしてある、といったことは、
思考システムによって嵩ができた「私」が行動するときの指標だけど、
それは、客体もなければ一律な時空間展開もない、
「私」の感じかたでどのようにでも動く夢見の世界では行動指標にはなりません。
統覚視点(私)が夢見る像の感覚は、わくわくする、美やエクスタシーを感じる、くつろげる、
しっくりくる、これだと直覚できる、といった「感じ(周波数)」で、
思考システム標準では、いずれもいわゆる「ポジティブな」波動です。
それが身体像を使った行動も含めた、認識と創造の指標。
もし違和感を覚える感覚があれば、ゼロポイントフィールドに還せばいい。
基準が全然ちがうから、夢見の世界で先の見通しを知りたいというのは、
たとえば、野球の試合に参加しないで映画を見たり本を読んだりしている人の行動を
野球のルールで説明してほしいと言っているのと同じくらい、ちぐはぐなことです。
モナ もうひとつ、夢見の感覚(周波数)と、アディクション(依存症)的な欲求とのちがいに
ついて言っておくね。
夢見の感覚っていうのは、高いところ、広いところに抜けていくような響き、余韻がある。
「上が開いている」と言えばいいのかな。音楽でいうと倍音が聴こえている感じ。
鋭敏な人なら、いちばん淡い感覚がゼロポに抜けて融解していっているのを感じるでしょう。
一方、アディクション的な欲求の感覚には収縮傾向がある。
「これじゃないとだめ」とか「これがなかったら終わりだ」といった限定傾向、
あと「いついつまでに動かないと間に合わない」みたいな切迫感とか。
そういう脅しっぽい周波数で、両岸が切り立った細い道みたいになってて、
輪郭ははっきりしてるけど硬くて鋭角的で余裕がない。
「私」が統覚視点だけに戻った人なら、ちがうって即わかると思うけど。
  1. 2019/04/12(金) 22:48:40|
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引き算すると累乗になる~アセンション期の創造

2019.3.25(月)

まず客体があり、
「私」を含め誰も彼も何もかも客体の一部で、客体固有の法則にしたがう、
客体の広がり(空間)や変化(時間)は誰にとっても何にとっても一律である、
だってみんな客体なんだから、というのが客体‐空間‐時間思考システムです。
前回の記事に書いたように、私はこれをまるごとゼロポイントフィールドへ還してしまいました。

客体とは何か。
「何かがあるから、“私”はその何かを対象として認識することができる」、
そういう設定にしたとき、
認識に先んじて存在しているその対象が「客体」です。
この設定をひっくり返して、
「“私”が夢を見ているから、その夢が出現している」
(=“私”の認識によって、認識対象が出現する)
とすれば、対象は夢見手が認識し出現させている夢ないし像であって、客体ではありません。
夢見手がいようがいまいが、確固として存在しているのが客体です。

宇宙を、夢見手が見ている夢としたとき、
夢見手がいようがいまいが確固として存在する客体がある、というのも、
夢見手が夢を見ながら夢と気づかないでいるための設定だとわかります。
この設定を「客体思考」といいます。
夢見手がいようがいまいがまず客体があって、
客体は夢見手の認識と関係なくそれ固有の法則をもつことにしよう、という考えかたです。
一般的な書きかたをすれば、まず物体がある、
物体は個々の統覚視点「私」の認識と関係なく、物理や化学などの法則で動くということ。
これは客体思考に気づいていないと常識ですが、じつはそういう「考えかた」です。

客体の中身が物体ではなく、形而上的な光だったり、エネルギーであったとしても、
光やエネルギーが「私」の認識に先んじて存在している、という設定にしていれば、
客体思考です。
たとえば、「私たちは光でできたライトボディである」という考えかたは、
「私たちは細胞(という物体)でできた身体である」という考えかたと同じです。
どちらも、まず客体X(細胞、光)があって、客体Xから認識主体(私たち)が構成され、
その認識主体が客体Xを対象として認識する、という考えかただから。
この認識主体(私たち)には、身体やライトボディという体積があり、
その体積の境界面によって、
「“私”といえるのはここまで。境界面の先は“私”の圏外」と制限されています。
一方、全部が夢見手の見ている夢(像)であれば、
それぞれの「私」は、質や濃淡がさまざまな感覚を統合して感じている統覚視点であって、
体積はありません。
身体もライトボディも、いくつかの五感的感覚や形而上的感覚にまとまりを与えたときの像で、
境界面をもちますが、境界面の内も外も「私」です。

ちなみに、すべて夢(像)である、というのは、考えかた(思考)ではありません。
これは感覚です。
言葉で説明するとめんどくさそうだけど、直截な感覚しかない感覚宇宙なの。
だから実際に感じて納得するしかないんです。

で、まずこの客体ありきの客体‐空間‐時間という考えかた(思考システム)をゼロポに還したら
気がついたというか、思い出したことがあります。
それは逆に、統覚視点「私」が全感覚を感じて創りだす宇宙存在から、
客体‐空間‐時間思考に制限される世界に下降するときのやりかた、
思考システムを使ったゲームのはじめかたです。
まず、
微妙な感覚の束(ライトボディ、魂など)→中程度の感覚の束(心、主観)→濃い感覚の束(身体)
というように、境界面をつくる設定をして、
夢見の主体である統覚視点「私」が、その境界面に集中フォーカスし、
境界面の「感覚(周波数)」を増幅させて、輪郭面を厚くする。
同時に境界面の内側の「感覚(周波数)」に集中フォーカスして、
境界面の内側が「私」の認識/創造の対象だという、
「私」と境界面の内側との区別を薄めていく。
これが臨界点までくると、「私」は魂や心や身体と同一視され、「私」に何らかの体積が生じます。
簡潔にいうと、魂や心や身体といった体積のある箱に「私」が憑依されるわけです。
こうして「私」が体積をもつと、
「私」は全感覚を感じて創りだす統覚視点ではなく、
何らかの材料(光、エネルギー、物質など)からできた箱になる。
すると、材料は「私」が夢見た像ではなく、
「私」が認識しようがしまいが確固として存在していて、「私」の基盤になっている客体になります。
「私」の認識と創造によって材料像ができるのではなく、材料から(箱の)「私」が生じるという
転倒が起きるわけです。
このひっくり返しは、微妙な感覚(ライトボディなど)からより濃い感覚(身体)へと、
段階的に、着実に進んでいきます。
これがスピリチュアル界でいわれるところの「ディセンション(次元下降)」です。

BOXセルフ(?)ができると、
自動的に、この箱と箱の外は「私」の感じかたに左右されない客体(という設定)になるので、
その得体の知れない客体がもつ法則を探り、情報収集して、
BOXセルフを消失させないために奮迅努力するというゲームがはじまります。

箱の外からはキリなくお題が降ってくるので、
「何らかの問題を解決するために情報収集して対策を立て、対策にしたがって行動する」
というやりかたがBOXセルフの姿勢であり、
こういうやりかたが客体‐空間‐時間思考システム枠内での「創造」です。
当面、問題がなくても、年収いくらいくらとか、もっとキレイになるとか、ゼッタイ悟るぞ! とか、
プラスを積み上げるタイプの目標を立てることも、思考システム枠内のやりかたです。
目標が、同じ境遇にいる人たちのため、国民のため、人類のためとか、他者指向であっても同じ。
それらの他者は、箱つきの「私」が思考システムを使って考えた他者概念だからです。
それらはどれも、箱つきの「私」を箱つきのまま維持ないし拡充していく発想です。

ライトボディ、心、身体、そういった箱に入った「私」から、
全感覚を感じて創りだす統覚視点の「私」、つまり夢見手に戻るときには、
上述とは逆のやりかたをします。
上述のやりかたでは、どう変化しようと箱から出られませんが、
今度は箱という制限から出る、箱の憑依を解くわけだから。
問題が出てきたら、それを対処すべき問題ではなく、ミスマッチ感(ミスマッチな周波数)として
とらえてゼロポイントフィールドへ還す。
「こんなの問題じゃないね」とか「やばい、チャンス!」とか、
心のなかで独り言を言うだけでも、問題から意味が抜けてミスマッチ感に変わります。
そして目標は立てない。人の役に立つとか人類に貢献するとかいうことも射程に入れない。
そうすると、微妙(高次)から濃厚(物理像)に至る全感覚が連動してくるので、
必要な考えは自然に湧いてくるし、
起きるべき行動は呼吸するように自然に起きてきます。
客体‐空間‐時間思考をしていると、行動って客体の身体を使って客体の物や他者に働きかける
ことだから、パフォーマンスが大きくて、すっごくたいへんっぽいんですけど、
本来は全感覚の一部だから、自然現象といっていいくらい自然です。
あと、未来図というか収束図というか、高次元チックな抽象的な想像ないし予感が降ってくる
ことがあるけど、これも一生懸命読み解かなくても、受けとっておくだけでいいです。
とにかく還す。自発的に箱(ライトボディ、心、身体など)を動かすことはしない。
還すと動く、広がる、創造されるべきことが累乗的に(!)出現してくる。
というのが、アセンション(次元上昇)期の「創造」です。

客体‐空間‐時間思考システム全体をゼロポに還しても、
ミスマッチ感のゼロポ還しはまだまだつづくよ。なんせそれまでの在庫があるからね。
あと、他宇宙(他人)と「感じ(周波数)」の共有が起きたとき、
波動の引き込みによって、関係ない波動をコピーしちゃって、それがミスマッチってこともある。
ただし、ゼロポの窓が開きっ放しになるので、イメージワークをしなくても、
ミスマッチに気づくだけで還るようになります。


「私」が感じて創りだす宇宙として存在してるだけって、
常時アドリブ、即興演奏の世界です。
でもコード進行は演奏しながら見えてるから全然だいじょうぶ。てかわくわく。
  1. 2019/03/25(月) 17:09:46|
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宇宙のビート

2019.3.13(水)

①物理像(五感的な濃い感覚)、
②マインド(思考、感情、気分。五感的ではないが、ある程度はっきりしている中程度の感覚)、
③高次ゾーン(淡い微妙な感覚。瞬間的な閃きや、気配的な広がりとして感じられたりする)、
この3つが全部「像」として、
統覚視点の「私」が見ている夢として感じられるようになると、
ふだん「私は~」とか「私が~」とか言っている自意識としての「私」から、
体積(身体という思考)や擬似体積(心という思考)が自然消失します。
こういう嵩(かさ)のある「私」は、
五感的感覚の向こう側に感覚対象である物体(客体)がある、
自分も自分以外の人もその物体(客体)の一部で、
みんな物体(客体)固有の法則で動いている、
という思い込み(客体‐空間‐時間思考システム)によって巧妙に仕立てられた概念です。
これが思い込みだと気づいていないと、
自分の感覚は物体や物体固有の法則にしたがって生じたもので、
自分の感覚が物体や物体固有の法則を動かすなどということはありえないことになるので、
まさに思い込んでいるとおりの、物体や物体固有の法則に制約される現実が展開します。
しかし「私」から嵩がなくなってただの統覚視点(感覚を統合する視点)になると、
「私」の感じたことが感じたように実現していきます。
そのさい、高い帯域で「私」が感じて出現させたことは、低い帯域の相似形の像を呼び出し、
それを「私」が感じて出現させる、というように、
物理像はマインドと、マインドは高次ゾーンと連動します。

「私」の感じたことが出現するとは、
バシャールの言う、「自分の与えたものが返ってくる」ということです。
このフレーズの原義は、「私」の認識かつ創造のことです。

マインドが高次と連動しているかどうかを示す指標が、エキサイトメントやエクスタシーです。
わくわくする気持ち、あるいは気分。湛(たた)えられ、あふれこぼれてくる歓び。
これは宇宙のビートです。振動。波打つ感じ。


客体‐空間‐時間思考システムを使っていると、この思考システムに高次ゾーン(微妙な感覚)が
阻まれてしまって、マインドが高次と連動せず、思考システムの言いなりになる、
だからビートが感じられない、もしくは信用できない。
信用できないのは、エキサイトメントやエクスタシーは物体固有の法則で根拠を説明したり、
その結果を予測したりできないからですが、
そもそも物体固有の法則は思考システムの枠内にしかない概念ですから、
説明や予測ができないのは当然です。
したがって、わくわくしているのに動いてみるのが怖いとか、
わくわくしていない(ビートを感じない)のに動こうとしている、あるいは断れないというのは、
客体‐空間‐時間思考を使っている証拠といっていいでしょう。
このミスマッチ感をゼロポイントフィールドに還せば、仕切り直しできます。

客体‐空間‐時間思考システムを使っていると、
物理像は客体‐空間‐時間思考で操作されたマインドと連動し、
客体‐空間‐時間思考と符合する像となって出現します。
過去の経験則にしたがうとこうなるとか、備えがないと先々には何が起こるかわからないとか、
物理像は客体‐空間‐時間思考でデザインしたとおりに仕上がってきます。

バシャールが「わくわくすることをしよう」というメッセージを伝えたとき、
大多数の人が「行動に移す」ことに焦点を当ててこのメッセージを受けとりました。
「じっとしていたら何も変わらないよ。わくわくすることを“しよう”」というように。
そして行動してみたけどうまく行かなかった、
「本当のわくわく」と「依存症的なニセのわくわく」があるんじゃないか、両者をどう区別するか、
所詮わくわくって感情の高揚だから、一時的にうまく行ってもエゴが肥大するだけで、
すぐ行き詰まるんじゃないか(エゴとは私の表現では「嵩のある“私”」のこと)、
ずっとポジティブでいるのも疲れる、
ていうかわくわくすることが見つからない、
・・・といったような問題が出てきて、ニューエイジの流行としては下火になった観がある。
バシャールのメッセージの本質は、
わくわくするというマインドのビート感を指標に、
場面D → 場面G → 場面A → 場面D´ → 場面B・・・というように、
常識的な時空間概念を超えた行程を体験してみよう、
そうすると結果がどうであれ、これでいいんだ、これが宇宙だ、ということがわかるよ、
結果を気にして、常識的な時空間概念を使って生き残りをはかるステージから抜けられるよ、
ということであって、
客体‐空間‐時間思考の枠内での成功術や幸せ処方箋を伝えたわけではありません。
しかし、メッセージを受けとった人の多くは、無自覚に客体‐空間‐時間思考に囚われていたので、
「わくわくする」のは何かポジティブな高揚状態のように思えたし、
「わくわくする」と「行動する」の間には高い壁があるように感じられたのです。
わくわくすること、宇宙のビートを感じていることに、とくにポジティブな傾きはありません。
これは中立な、ナチュラルな状態のマインドです。
この信号に「ポジティブ」という訳語が当てられるのは、
客体‐空間‐時間思考を使っていると、
中立イコール平穏無事な日々とか淡々とした日常といったイメージにしかならず、
こういうビート感に満ちた中立がイメージできないからです。

マインドが高次と連動して、宇宙のビートが感じられていると、
物理像をマインドに連動「させる」意思とか努力とかがいらなくなります。
それは歩いたり、呼吸するのと同じくらい自然なことです。
なぜなら、物理像には、客体‐空間‐時間思考システムのような操作システムがないからです。
五感的感覚で認識され創造される物理像帯域は、
いたってシンプルにマインドに連動して現れているだけで、タネもシカケもありません。
ややこしくなるのはマインドを操作システムでセルフマインドコントロールしているからで、
コントロールをやめれば全部コヒーレント(一貫した状態)になり、ナチュラルになります。

ボーヨーとしてよくわからなくなったり、
第4密度への道は果てしなく遠い、来世で本気出すしかないかも、
みたいになっちゃってるときには、
棚にたくさん並んでいる商品のなかからどれにするか、とか、
飲み物をコーヒーにするか緑茶にするか、
作業時のBGMを何にするか、
といった、たくさんある小さな選択局面で、マインドの振動を聴いてみて、
よりわくわくするほう、ビートを感じるほうを選ぶようにするとよいでしょう。
「小さな」というのは思考システムにもとづく常識的な表現で、ほんとは大も小もないんだけどね。

ところで、このFC2ブログサイトの「拍手」というのをやめました。
当初、記事の下に出る数字付きの拍手ボタンが好きになれず、数字なしのにしたんですが、
正直、数字なしのボタンも個人的にはダサい気がしていたので、このさいやめます。
これまで、この機能を使ってご感想等お寄せくださった方々、ありがとうございました。
そのかわり、記事によってはコメント欄を承認制でオープンにします。
「管理者にだけ表示を許可する」にチェックを入れれば、非公開コメントにすることもできます。
原則、返信はしませんが、何かございましたらこちらにどうぞ。
  1. 2019/03/13(水) 16:06:27|
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みけ@猫科ホールディングス

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(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
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