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ソロ・パブリッシュ

エア充。

個人的で、とても密やかな

2018.10.9(火)

朝、起きたら、CGめいたというかなんかつくりものっぽい、すごく奇妙な世界だな、
と感じたことがあった。
ここでは、物があるとか明日がくるとかいうことになっているみたい。なんだそれ。
変だぞ。へーんへんへん。
このソフトウェアの見えない取説があるんだけど、それは鏡文字で書かれている。
鏡文字は、自分の軸が感じた信号を、ひとつ上の次元でまとめて仕分けしているのではなく
(仕分けのために下の信号である音や形を使って名前を与えてラベリングしている)、
物体の一部として身体が生まれ、身体の生理反応から自己意識が生じる、
という転倒を象徴している。

おやおや、どうも妙なとこに来ちまったな、といった感じが半日くらいつづいた。
いつかどこかで似たようなことがあったような気がして手繰ってみると、
これはウォークイン直後の感覚と似ている。

当たり前と思われていることをとても不思議だと感じている人と、
当たり前と思われていることが当たり前と「思われている」ことに気がつかないくらい
当たり前と思い込んでいる人がいる、らしい。

両者は、別々の軌道を回る電子のようなものである。
別の軌道に跳ぶと、
突如として全思考のからくりに気づいたり、
全思考のすべてが思考であることを思い出せなくなったりする。
両者に優劣はない。

ネット海で、
「スピリチュアルをやってる人ってしあわせに見えない」
という、紋切り型めいたフレーズに遭遇した。
おお。
「スピリチュアル」のところに「腐女子もしくは腐男子」とか「サラリーマン」とか
「ギャンブル」とか、別の任意の単語を入れても成り立つな。

Aさんにとって、Bさんが「しあわせに見えない」のだとしたら、
それはAさんのテーマであって、Bさんには1ミクロンも関係ない。
大きなお世話ですらない。
ただ、Aさんのようなテーマがある人にとっては、
しあわせに見えることもしあわせの条件であるらしいことは推察できる。
そういう条件がついているうちはきっとしあわせではなく、
しあわせから解放されてもいないんだろうな。
それも決してまちがいじゃない。
そんな私の推察も、Aさんにとっては大きなお世話ですらない。
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  1. 2018/10/09(火) 15:31:08|
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スプリットとその先

2018.8.8(水)

以下は、私の主観世界即宇宙に映像や音声、画像、文字で入ってきている
マスメディア情報の話である。
昭和のむかし、心霊や超能力をテーマとするテレビ番組が、一視聴者として見る限り、
とくに検証の視角を差し挟まずに、夏の定番ものとか流行(ユリ・ゲラー氏の来日など)を
背景としたエンタメのひとつとして、比較的のんきに放映されていた時期があった。
前世紀の終わりには、地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教関連事件の影響で、
マスメディアは「オカルト」に対して慎重になり、この種の制作物は下火になって、
とり上げる場合には批判的視点を入れるというお約束みたいなものができあがっている
かに見えた。
ところが、私は一、二回、チャンネルを替えるついでにしか見たことがないが、
「オーラの泉」という番組がはじまったくらいから徐々になし崩しになって、
それでも批判的論調と併立させてバランスをとっていた(?)感があったのが、
いつのまにか批判的論調を置いてきぼりにして、「オカルト」コンテンツは復活していた。
「オカルト」はしぶとかった・・・。

批判派の論拠は現代の自然科学のようであったが、
物質還元主義というのは科学というよりは思想で、
自然科学者たるもの、この思想に立って研究せねばならんと決まっているわけではないし、
さらには、前世紀以降の自然科学は、仮に「すべての事象は物質に還元される」とすれば、
「では物質は何に還元されるのか?」「物質の向こう側はまだ物質なのか?」
という域に入って、19世紀のころのような明快な解が出ず、諸説紛々としているのである。
マスメディアのうえで批判的論調が「オカルト」に抗しきれなかったのは、
マスメディアが視聴率や部数を上げるために要求する単純なわかりやすさを忖度して
しまったせいかもしれないが、
自然科学を魅惑的にしているその未完成性を封じて、
教科書的な自然科学観の提示に終始しためであるように思う。
結果的に、「学校でそう習ったし、みんなそう言っている」的な漠とした多数派意識に立って、
心情的に「オカルト」を嫌っている(これは好き嫌いの問題であって、まちがっていない)、
とくに科学的でもなければリアリストでもない視聴者層、読者層に迎合する形になって、
失速してしまった。

先日、UFOのエンジン音(?)を「ゆんゆんゆん・・・」という擬音で模してUFOを呼ぶという
武良信行(むらのぶゆき)@武良ラムゥ(宇宙名)氏をテレビで拝見していて、
私のマインドで、そんな記憶がリニア時間形式で、走馬灯のようにフラッシュバックしてきた。
また、数日前のネットのニュースで、北海道のどこかの町では真昼間からUFOが飛来、
町の多くの人たちが目撃し、馴れっこになっているとの話を動画つきで見た。
前世紀末からゼロ年代にかけてであれば、
武良さんのような方がマスメディアに出演すれば嘲笑、いじりの標的になっていたと思うし、
そのような町での現象がニュースとしてとり上げられることもなかったのではないか、
と思うと、なにやら感慨深かった。

高次情報によれば、「2016年秋~2017年は、客観世界(仮想集合システム)のシステムを
暗黙に絶対条件として受け入れている意識(人)と、そのシステム性、仮構性に気づいて
離脱可能としている意識(人)との決定的分離、スプリットの時期であった」そうだが、
私には、そうそう、そうだよね、とうなずけるような実感はない。
しかし、それはここが分岐点だったと特定できないだけで、
気がついたらいつのまにかそうなっていたという形で、スプリットは起きていると感じる。

「オカルト」を嫌いな人がいなくなったとは思えないし、批判もなくなったわけではない。
もっと堅実で丁寧な批判コンテンツも、探せばあるかもしれない。
しかし私のマインドの印象では、「オカルト」に寄る人と、そこから距離を置く人とは、
もうお互いに相手にしていない感じがある。
split(裂け目、ひび)は広がり、距離ができ、交わらず、棲み分けの状態となったような。
両者は出合っても、互いに「あ、そうですか」と目礼してすれちがっていく。
両方とも、それぞれの関心ごとに専心していて、相手を説得したり巻き込んだりしなければ
ならないような集合体、<ザ・社会>を、もはや想定していない。

一方、「オカルト」を是認する側の受け入れかたは、昭和のむかしとはちがう。
昭和のむかしには、「オカルト」はどこか「遠野物語」的で、異界の非日常色が濃厚であった。
超能力者とか霊能力者というのは、何か特殊な能力をもつ別世界人という扱いだった。
でも昨今の「オカルト」は、これはネットの普及でネット的になったといってもいいと思うが、
何かの拍子に誰でも当事者になりうる現象として語られるケースが多い。
自分は霊が見えるとか、幽体離脱するとか、スプーンを曲げられるとかいった人が巷にいる。
意図して発揮できるのではないが、UFOを見たとか、亡くなった人に会ったとか、
何らかの不思議現象に遭遇した経験がある人を含めれば、
さして珍しくもないかもしれない。
また「オカルト」を是認するといっても、「そういうことがあってもいい」「面白い」とエンタメ寄りで
接している人から、自らヒーリングだのチャネリングだの異界人コンタクトだのにハマり、
自宅にクリスタルとかオラクルカードとか楽器のチューニング目的ではないチューナーなどが
当たり前のように置いてあったりする人まで含まれ、温度差がある。

ところで、スプリットは「オカルト」を是認するか否かによってではなく、
仮想集合システムである客観世界を暗黙に絶対条件として受け入れているか、
言い換えるとこれを疑わないか、
それとも客観世界の仮想システム性に気づいて離脱できるとしているか、によって
起きたのであった。
だから、「オカルト」にとくに関心がなくても、客観世界を前提とする諸法則から逸れる現象を、
思考や感情で排除せずに現象として認める意識(人)であれば、
否応なく離脱サイドに振り切ってしまう。
ただ私見であるが、「オカルト」免疫ゼロで離脱サイドに向かうケースは稀有だと思う。
かなり思考が柔軟な人でも、人が誕生して成長して成熟して老化して死ぬ、とか、
自分が知覚できない場所というのも存在していて何らかの出来事が起きている、
といったような、日常感覚にぴったり張り付いている、というか、
見えないところで当たり前の日常感覚の柱や梁になっている時空間シバリには、
非常に気づきにくいからである。
反対に、「オカルト」に通じていても、客観世界の仮構性に気づいていなければ、
それに気づくまで客観世界の枠内にいて、
客観世界の時空間法則で動く日常に、ときおり「オカルト」の非日常が射し込むという
二重性にとどまるだろう。

長々と「オカルト」の動向について述べたのは、
「オカルト」現象では客観世界の法則を逸脱する「メタ」フィジクスが顔をのぞかせるからである。
だが「オカルト」の知識や、記憶化した不思議体験の多少は、
スプリットの起因とは関係ない。

客観世界の仮構性が見えたその先に、統一見解というものはない。
なぜなら、そこはもう「誰にとっても同じ」客観世界ではないからである。
統一見解とか正統とか主流とかいう尺は、
「誰でもわかる」「誰にでも伝えられる」ことを前提とした客観世界の思考である。

現に、上述の温度差分布で高温度帯にいる人たちは、私もそうだけども、
それぞれ勝手なことを言ったりやったりしている。
一部の高次entityは、<人類>という仮想カテゴリを借用して<地球惑星人>に変容する、
つまり客観世界を脱して地に戻ったら自然に惑星人としてのまとまりができる、
という構図を描いていたが、
あにはからんや<人類>の地はそこまで均質ではなく、むしろ坩堝だったのであるよ。
渡り鳥だったら、ある時機を感知すれば一斉に飛んで渡るけれども、
<人類>は渡り鳥みたいにはできていないのだ。
といっても、ずんずん高次に昇っていけばどうせワンネスに帰してしまうんだけど、
かなり高くならないと、そのちがいは大枠に統合されず、
いわば古今東西南北あらゆる種類の音楽が混在していて、
「音楽」という概念をもってきてはじめてひとつにくくれるような状況なのである。
これはべつに嘆かわしい状況ではない。
変に予定調和に走ると本音を隠したいびつなまとまりになってしまうんで、
自分の宇宙色をごまかさずに、ありのままに観察/創造することがキモなのだ。
本当のワンネスを響かせるのは、個々のわがままである。

と、ここまで書いておいて、
「でも、さ、契約書とか支払いとか健康保険とか家族とか、いろいろ、
社会のインフラは依然として客観世界デフォルトで機能してるじゃん?
なら、ここから抜けたとしても、各人が自分宇宙の道理に沿って好き勝手やってたら、
これに替わるしくみが立ち上がらないんじゃないの?
だとすると、意識は仮想集合システム(客観世界)から離れたとしても、
物理像(物理世界)では依然としてインフラ部分で客観時空に制約されて、
かえって生活しづらくなるんじゃないの?」
と訊いてみたら、
「“私”に先んじるどんなしくみも存在しない」
「社会、社会のしくみ、制度、慣行などは、マインド(主に思考)で解釈し編集した
物理像の存続、運営を目的とするマインドの産物で、物理像ではない。
物理像は“私”が体性感覚を総合して観察/創造している像で、
唯(ただ)そのようにあるだけであり、いかなるしくみもなく、制約もない」
「マインドに組み込まれた仮想集合システム(客観世界)を通して解釈、編集した
物理像の像を管理して、像じゃない物理像をコントールした気になっているのは
マインドに組み込まれた仮想集合システムなんだから、
このシステムをはずせば管理は終わる」
「仮想集合システム(客観世界)なしの本来の個体即宇宙に回帰してから
それに替わるしくみを立ち上げるとか、立ち上がるはずだとかって、
泳げるようになったのに浮き輪を探してるのと似てないか?」
・・・等々、高次屋さんたちの全方位一斉送信にペッタペタにやられてしまいました。
  1. 2018/08/08(水) 16:03:07|
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なぜ、変化の瞬間はわからないのか

2018.8.2(木)

いわゆるアセンションの動向についての、ソフィア@シリウス、モナ@アルクトゥルス
とのチャネリング鼎談です。

みけ スピリチュアルな説のひとつに、客観世界と画一な時空間シバリは、当面、
といっても千年単位くらいの時間で、まだ存続するという考えかたがあります。
先ず誰にとっても同じ客観世界があって、そこは誰彼の視点に関係なく同じ空間構成で
できていて、生滅の方向をもつ変化が過去、現在、未来とつづいていくと。
そこに各人が誕生という形で投げ込まれ、80~100年くらいの時を過ごして老化して死に、
また生まれ変わって投げ込まれると。
幾たびものその客観世界経験を通して、人間の「魂」は成長していく、とされています。
意識が広がって、この客観世界の外に気づいたとしても、客観世界は変わらない。
客観世界の外からもたらされる情報やヒーリングのツールとかは、
個人や集団の生活の向上、改善に役立つけれども、客観世界とそのルールの制限の
範囲内で役立つのであって、それを超えることはないんです。
こういう制限つきの世界を、目的論的に「学びの場」と呼ぶ人もいます。
ソフィア@シリウス それも1つのモデルだね。
フィジクスを含むメタフィジカルな宇宙のモデルに誤りはないんだから、それもあり。
でも、あなたの宇宙モデルはそれじゃないんじゃないの?
モナ@アルクトゥルス 学びとか魂の成長とかってプレイなのよ。
そういうプレイをやりたい人は、それに適した遊び場を宇宙モデルとして創造する。
「テーマ」パークみたいに。
みけ 私の宇宙モデルでは、意識が広がるってことは、“私”が単純な観察/創造意識に戻る
ってことだから、“私”の観察/創造なしにあらかじめ存在している物質とか精神とかっていう
客体はなくなります。“私”に先行する世界はないってことね。
宇宙は完全に“私”の主観世界だから、誰にとっても同じ客観世界もなくなる。
変化をプロセスとしてとらえるとか、
作業仮説として、たとえば身体の内部やドアの向こう側を設定して作業するとか、
時間や空間をツールとして使うことはあっても、それは自分の宇宙に適用するんであって、
強制適用ではない。強制適用じゃないから、ルールじゃなくてツールなんです。
モナ そのモデルではどんなプレイができるの?
みけ いったん物理像とマインド帯域だけに“私”を制限しておいて、
制限をはずしたときに、既知のことが新たなこととして現れるさまに驚くっていうゲーム。
思い出し、再会のゲーム。
タイムカプセルに入れた物を何十年もたって開けるってのに似てるかも。
再会のつど、驚きや喜びはあるけど、そこに「学び」「成長」っていうベクトルはありません。
ソフィア 他者との関係はどうなっていますか?
みけ 他者っていうのは自分の宇宙に住んでいる、他宇宙の自分バージョンの相です。
物理像にいない他者は、マインドで思い描いたイメージだから、周波数帯域がちがうし、
物理像とマインドを行き来する他者は、そのつど別人で、一期一会。
で、<人類>とか<日本人>とかは、個人のマインドにある集合体の概念です。
『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)を読んでいて、それがすごく腑に落ちました。
次男のイワンはすごく<人類>のことを気にかけてるけど、
それはあきらかに彼の脳内人類です。彼の云う人類って自分のことなの。自覚してないけど。

ソフィア では、汝即宇宙であるあなたは、音声や文字などの情報として現れている別の
宇宙モデルを、なぜ放流してしまわず気に留めているの?
みけ そうですね・・・私の宇宙モデルには「学び」も「成長」もないし、
客観世界がはじめから成立してなくて、思い込みだったってこともはっきりしてるんですが、
何らかの制限、制約がまだ千年単位でつづくってとこに、
それがないとはいえないという、一抹の説得力を感じるから、かなぁ。
物理学でも、量子現象とか時空の歪みとかが出てくるのはミクロかマクロの世界で、
日常の生活世界では古典力学が通用するってことがあるんで、
そう簡単に一律にはならないんじゃなかな、っていう。
強引に統合しようとすると机上の空論になるような気もして。
ソフィア 日常の生活世界って何?
みけ う・・・。
ソフィア あなたの云う日常とか生活というのは、こちらから見ると、数日程度の記憶の束に
見える。それはマインドで、思考で組み立てているもので、物理現象(物理像)ではない。
物理現象には「日」も「常」もないんだよ。
みけ おっしゃる通りですorz 日常生活というのは物理現実じゃなくて、マインドの、思考で
組み立てているもので、それに「あーこんなもんか」「まーこんなもんだろう」っていうような
マンネリ気分反応がくっついた心理的な実感です。
だけど、数日程度の記憶の束をマインド現実じゃなくて物理現実だとみなしたほうが
実用的っていうか便利っていうか・・・。
モナ ソフィア、あなた、カオが怖い。般若みたいよ。
ソフィア ・・・これがナチュラルな表情なのだが。
モナ あれじゃないの、ほれ、セルフ方式のアセンションって、キタ! とか、キクー!って
のがなくて、自然治癒みたいなもんだから、実感しにくいんじゃないの?
みけ そうですね。16年の秋以降、スプリット(客観世界の枠に気づかない人と、気づいて
離れる人との決定的分離)が起きるとか、17年の夏、冬にも何らかのシフトがあるとか、
音声や文字の情報では云われてましたが、私にはとくに何も起きていないような。
ただ浮世離れが進んでることはたしかです。
私にとっての物理像‐マインドは、以前から客観世界の世俗とはズレてましたが、
もう全然関係なくなっちゃって、
たとえば通販サイトのお奨め商品みたいなのは全然ヒットしなくなっちゃった。
ソフィア じゃ、スプリット起きてるじゃん。
みけ あ、そうか。あーーーー、そういうこと!
ソフィア そうしたお奨め商品、あるいは1日にこれだけの野菜を摂るのが望ましいとか、
何歳になったらこういう病気のリスクに備えよう、
これこれの仕事をしたいならこの資格を取ろう、こうして売り込みなさいとか、
何でもいいが、マインド現実を物理現実とみなすことを前提としたその種の情報が、
あなたにとって、実用的で便利ですか?
みけ あー、だめです、全然。
ソフィア いくつもの任意のデータを時間形式で「数日程度の記憶」としてリアルに実感する
というマインドウェアを使っているとしようか。
このウェアのOSは客観世界のOSと同じだから、“私”に先んじてまず世界があって、
その世界は切れ目なく連続的に、生滅のベクトルをもって変化していることになっている。
そうすると、変化の瞬間の場面というのは決してやってこないんだよ。なぜだかわかる?
みけ アウトプットされる情報が何日から何日までっていう、切れ目なく連続した記憶の束で、
常に束としてしか把握できないから?
はっ、と意識した場面は直近の過去で、その直近過去場面に数日前からそこまでの
記憶の束が尾ひれみたくくっついているっていう。
ソフィア そう。客観世界というのは私たちのいう仮想集合システムのことなんだけど、
このシステム下でリニア(線形)時間形式に沿ってデータを開いてると、
どんなデータも束になった過去として情報化され、認識される。
つまり、このウェアを使っていると、マインドは結果(過去情報)しかわからない。
たとえば、病気から回復した瞬間というのはわからないわけ。
みけ あー。検査機器を使ってずっとモニタリングしていれば、病巣が消えていく映像って
撮れるかもしれないけど、どこまで細分化しても必ず幅があるから、
厳密には消えた瞬間は特定できませんね。
なんか、「飛んでいる矢は、飛んでいる各瞬間には静止しているから飛んでいない」
っていうゼノンのパラドックスみたいだけど。
それに、病巣がそのままでも、なぜかみるみる元気になって、問題ではなくなるという
治りかたもあるし。
ソフィア ある場から別の場へ移るというのは、“私”の観察/創造視点が移ることです。
この移行は連続しておらず量子跳躍的で(1→2→3→4・・・7と徐々に移るのではなく、
1から突如として7に移ること)、客観世界のシステム下にいて理解できることではない。
「瞬間」という言葉が帯びている高速度のイメージも関係ありません。
時空の制約がはずれるのだから、「ゆっくり」とか「止まっている」と云っても同じ。
モナ だからさ、自分がものごとを客観世界のフレームでとらえてるのを自覚してることが
とっても大事なわけ。気がついてれば、それがただのフレームだと相対化されて、
気づけば即そこから抜けられるから。
決まったフレームからはずれてれば「瞬間」がわかるし、逆にいうと、
「瞬間」がわかるときがフレームからはずれてるとき。
みけ あ、その「自分即宇宙」とか「観察即行動」というときの“即”って言葉は瞬間ぽい、
量子跳躍的です。
ソフィア アセンションでは、物理現象とか制度とか考えかたとか気持ちとかが変わるのでは
なく、それらを成り立たせている土台が変わる。
土台とは、物理像もマインドもそれを超える帯域もすべて包摂する意識、宇宙です。
その変化は、客観世界が存続するという見解も含められるほど、一斉的、集合的ではない。
だから徹底的に個人的なことなんだよ。
そして、どんな応用技術、実用性も、土台となる宇宙にもとづいているから、
どういう情報、思考ツール、物資が実用的かということも、人によって異なるようになります。
たとえば画期的な防寒ウェアが開発されたとしても、
真冬でも薄着で快適に過ごせる人にとっては関係ないでしょう?

<近年のアセンション年表(笑)>
2012~13年 一斉アセンション方式の中止。セルフ方式へ転換。
2014年 象徴的表現:土星評議会の制限撤廃。
高次帯域の波動は、客観世界(=仮想集合システム)の法則に適合させて
実現させなければならないとする制限がなくなる。
→奇蹟や超能力が特別なことではなくなる土壌ができる。ヒーリング、リーディング能力
などが発現しやすくなる。
2015年 客観世界(=仮想集合システム)が強制適用ではなくなり、離脱が自由になる。
→瞑想状態、変性意識に入りやすくなる。気づきが増える。「悟る」のが易しくなる。
2016年 客観世界(=仮想集合システム)のシステムを暗黙に絶対条件として受け入れて
いる意識(人)と、そのシステム性、仮構性に気づいて離脱可能としている意識(人)との
決定的分離、分裂。
2017年 象徴的表現:アセンション支援合議体による集合的啓発活動の終了。 
→客観世界(=仮想集合システム)の仮構性に気づいた意識(人)がさらに分化、
多様化する。客観世界の下に潜在していた坩堝性の表面化、指標(お手本)の喪失。
2018~20年 多様な宇宙モデルの揺籃。
  1. 2018/08/02(木) 17:01:07|
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“私”、空間、時間

2018.5.16(水)

アセンション、って、the Ascensionと定冠詞つき冒頭大文字にするとキリストの昇天のことで、
スピリチュアル業界でいうアセンションは、そこらへんが語源よね。
たぶん、米国のニューソート、ヒッピー、ニューエイジムーヴメントの流れからどうのこうの。
人によっていろんな使いかたをしているっぽいけど、
私は、この用語を「意識が広がること」という意味で使っています。

意識が広がるとは、認識の範囲が広がること。
認識の主体は“私”(本来のエゴ)だから、“私”の感知キャパが広がることです。

たとえば8階建ての建物があるとして、
1階の101号室(自分の身体像)
2階の201号室(自分の記憶を含む思考、感情、気分)
これだけが“私”としてカウントできる範囲であったのが、
1階のほかの部屋、2階のほかの部屋、
301~801号室、各階のほかの部屋まで、“私”のカウント範囲になります。
ただし各階の居室(101~801)をまちがうことはありません(他の人の感覚と自分の感覚、
エンティティと自分を混同しない。全周波数帯域で自他の分離ができている)。
最上階の8階には801号室しかなく、ここに住むハイアーセルフは建物全体のオーナーです。
このオーナーは、701~101に自分の分身を住まわせ、
分身たちの観察を通じて全室をモニタリングしています。変態です(笑)。

早い話、必要に応じて“私”の認識範囲が伸び縮みするといっていいかもしれません。

認識範囲の広がりにともなって、空間と時間は、
空間=場、時間=複数の場の順序、としてとらえられるようになります。
場(空間)・・・“私”視点からのデータの配置(具象化すると感覚景色の広がり)。
順序(時間)・・・複数の場を前後関係でつないだ順序。

周波数帯域(次元)が高くても低くても、キモはこれだけです。

順序は、場よりも高い周波数帯域で表現されます。
複数の場は、個々の場を俯瞰できる位置にこないと認識できないからです。
たとえば、物理像の時間推移は、物理像よりも高い周波数帯域にあるマインド(記憶)で
組み立てられ、観察されます。
物理像という場のデータ配置(感覚景色)のどこを探しても、前後の場はありません。
1秒前の出来事でも、マインド(記憶)でプログラムされた記憶情景としてしか存在せず、
事実ではないし、厳密には、かつて事実であったと証明することもできません。
物理像は“私”が観察/創造すると完了した直近過去として凍結していて、
順序(時間)はありません。
これはどの周波数帯域(次元)でも同じで、
場には順序はなく、順序が構成される次元には順序を指定したプログラムしかない。
両者は“私”がセットにしたときに複数の場の序列化、つまりプロセスとして体験されます。
でも本来、場と順序は別ものなので、
順序にない場が開いたり、
順序に含まれているはずの場がスルーされるといったことも起こりえます。
そういうのはたいてい、各周波数帯域で自他分離している“私”(上述の建物の喩えだと、
101~701の住人としての“私”)が特定の場や順序に固執していることによって起きます。
「こういう出来事が起きているはず、起きたはず(場への固執)」とか、
「こういうパタンがあるはず、ストーリーになるはず(順序への固執)」とか。
もっともそうした固執が、ハイアーセルフ(上述の建物のオーナー)の企図を覆すくらいの
実現確率になることはめったにありません、が、
在地球人間型意識体ザ・テランの場合は、2階の住人(マインド帯域)がかたづけられない
人たちだったので、オーナーからの伝言が届かず、しょっちゅうアクシデントが起きてました。
というか、2階には、
「場は閉じていて(立体という意味)、閉じた場には内部構造がある(立体の内部がある)」
「複数の場のつながりは、発祥→成長→成熟→衰退→消滅の流れをたどる」
という独自ルール(時間、空間の制約的解釈)があって、
これ以外は受け付けない、ありえないね、ということになっていたのです。

自分が101~701に分かれつつ、801で建物全体のオーナーをやっていることに気づいた人は、
2階がかたづくにつれ、2階の独自ルールには縛られなくなります。
もちろん、場合によってはこの解釈が実用的なケースもあるので使ってもいいのですが、
オーナー(ハイアーセルフ)は、「もうそれはわかったよ。ほかのアプローチも試してみて」
という意向をもっています。
2階ルールではイレギュラーだったことに気がつくようになると、
はじめのうちはその出来事が珍事と思えるかもしれません。
書いた覚えのないメールが送信済みトレイに入っていて、相手からの返信も来ているとか。
カードホルダーに入れておいて、ついさっき館内で確認したはずの図書館利用カードが
なくなっていて、あせってカウンターに行ったら、耳元で「再発行するな」という指令が聞こえ、
帰宅したら、なぜか引き出しにあったとか。
がんばって歩いても15分かかる道のりなのに5分で着いてしまったとか。
こういうことに対して、「メール作成したのを忘れていたんだ」「館内で確認したのは勘ちがい」
「時計が遅れている」といった説明をつけるのは2階ルールです。
2階の合理性は、ほかの階では非合理的です。
2階のマインド帯域は、特定の時空間解釈で整合性をとるために、
「じつはメールを作成していた」とか「館内でカードは確認していない」といったふうに、
場面を差し替えてしまう(記憶を書き換える)ことすらあります。
といって、「うお、不思議な出来事キタ!」と前のめる必要もないけどね。
とくに不思議ではないので。
てかむしろ、いちばん不思議なのは特定の時空間解釈へのこだわりですよ。

それにしてもアセンションて。うーん・・・。
がんばってそうなるものじゃないし心がまえでもないし。
時機がくるとそうなる、自然解凍みたいな感じかな。
  1. 2018/05/16(水) 21:01:55|
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『Starry Souls』裏話とか

2018.4.26(木)

Rさん、記事へのコメントと『Starry Souls』へのご感想、ありがとうございます。
『Starry Souls』というのはブログ右「出版案内2」に掲示した電子本で、
内容は小説形式をとったチャネリング記録です。
刊行は2013年ですが、17年に大幅改稿しました。
最近、何人かの方からこの本へのご感想をいただきましたので、これを機に、
読んでくださった方々に、あらためて御礼申し上げます。あざっす☆敬礼

この本は、スピリチュアル業界でよくいわれる、
「あなたは地球に生まれること(注)を自分の意思で選択した」という定言的フレーズに、
どうしても納得がいかず、チャネリ取材を進めていった結果、できたものです。
感情的反発とか、そんなオカルト説は受け入れられないとかではなくって、
なんとなく、モヤモヤと隠蔽のニオイがするというか。
上記のフレーズには「自分で選択した→だから、あなたが地球に存在していることには
理由がある」とか、「あなたには為すべき仕事がある」といったふうな教育的指導ないし励ましが
感じられます、が、「自分で選んだのよ。だからがんばって」みたいな方向づけが利くような
単純な環境なら、ETソウルだのエンジェルソウルだのといった変な人たちを大量に降下させる
必要なんかないわけで。
なんか、とてつもなく混迷していて、正確な状況を把握している人なんか誰もいなくて、
情報公開しようにもその情報が錯綜している状態で見切り発車した、みたいな予感がありました。
(注)よりソースコードに近い表現をすると、エーテル帯域上で物質波を反映できる物理場のうち、
思考と対応する人間言語では地球とかアースとかテール等々と呼ばれるポイントに、
エーテリック基板を接続させて物理像を観察する(体験する)こと

結局、その予感は当たっていて、
地球人のマインド帯域(アストラル帯域の低いほう)は、
「記憶」という形で表面化してくるデータがいろんな思考、感情と結びついてカオス化していて、
そのカオス化の様相も個体宇宙(個人)によってちがっていて、
とてもじゃないが「惑星人」としてひとくくりにまとめることなんかできない状態でした。
何十億もの組成の異なる粒子が不規則なブラウン運動をしているようなもので、
厚い雲というよりは、数が多すぎてなんかジェル状になってるような。
とてもじゃないけど、「YOU、ここに行ってみん?」「んー・・・考えさしてもらうわ」
といったようなやりとりができるような状況じゃありませんでした。
しかし放置しておくと、このジェルは、いわゆる引き寄せ磁場によって別の物理場に波及し、
カオスを飛び火させていきます。
なので、銀河系のコアとか連合体のセンターで、「テランの周波数が整うとこうなります」的な
「惑星人モデル」の原型環境をつくって、そこまで引き上げられそうなentityに召喚をかけました。
エンドポイント(着地点)は、カオスになったマインド帯域の掃除(浄化)です。
召喚された側は、別に断ってもかまわないんですが、ふつうは断る理由ってないんです。
その人に適した仕事で呼ばれるので。
つまり予め決まっていること(この場合は派遣メンバーの召喚)と、
その決定が実現する次元の“私”(この場合は召喚された本人)の意思は一致します。

ここがキモなんですが、高次帯域では、
予め決まっていることと、自由意思で選択したことは、
ポテンシャル(潜在する可能性)が具体的な場面へと絞られ、フォースがその場面に集約する、
という意味で、区別がない
んです。
場面展開にA~Eの5種類があるとすると、どれを選んでも/どれに決定しても、
フォースの開きかたに差はありません。
上記の場合、召喚された人が断ったとすると、断った案件と関連するけど、別の形で具体化する
仕事をすることになります。
別の惑星人の集団に派遣されるとか、地球人関連だけど、高次帯域でサポートに回るとか。

結果、第1次派遣計画は、派遣メンバーがカオスに呑まれて頓挫しました。
なんでそんなことになっちゃったかというと、
惑星人モデルの原型環境を試作したとき、マインド帯域が整っていくプロセスの設定(場面の
数と順序、速度の設定)に、地球人のアセンデッドマスターのデータ(記憶)を使ったからです。
お釈迦様が悟るまでのマインド帯域の移行プロセスみたいなやつを。
あと生前にいい線まで行って、物理場を離れたあとにアセンドした人たちのデータとか。
そんな偏ったwデータばっかり採取すんなッ! と叫びたいところですが、
エーテル‐マインド帯域でループ(輪廻)している個体のデータはフィードバックされないので、
断片化していない、まとまったデータはそれしかなかったの。

それで、第1次で任務未完了のまま帰還せざるをえなかった人たちのヒーリング記録とか、
プレアデス人を中心に、情報公開を担当した人たちからの報告(情報公開そのものは
うまくいくけど、なぜか波及せず、浸透しない)、
土星評議会からのお墨付きなしに単独行動したentityのレポート、
あと資源ゴミ化していた、異界各方面で独自に敢行してコケたプロジェクトの記録、
などなどを参考に、もいっかいとっくりとカオスを凝視してみると、
「この状況に<惑星人>のフレームを当てはめるのはムリじゃないか」
「この個体宇宙のバラつきぶりはひとつの銀河に相当する」
といったことがわかってきて、
アセンション支援計画そのものがセルフ方式(アンドロメダモデル)に切り替わりました。
セルフ方式だと、地球にいる人たちを「惑星人」としてアセンションのスケジュールに乗せる
必要がないので、<人類>やってる人も人外系も、シメキリなしのマイペースで、
のびのび個体宇宙を発現させればよく、すぅごく楽になりました。
懸念されていたカオスの飛び火も、
少数とはいえ、かなりの数の人の意識が超マインド帯域まで広がるので、
引き寄せの磁性を帯びる強度には至らず、問題解消です。
そのかわり、周波数の差がうんと開くので、
多くの人が同じ夢を見ることで成立していた超古代文明のような、
ネオテラン文明的な集合体ドリームは望めなくなります。

地球人は惑星人じゃなく、「地球銀河人」と見立てたほうがいい。
というのは、コロンブスの卵的な発想転換だといえます。
そもそもヒューマノイド型意識体は、個体単位で“私”意識(エゴ)が通っていて、
同じ宇宙なんか一体もないので、その原則に立ち返っただけなんですが。

というわけで、最初の選択の問題に戻ると、
私が人間言語で地球と呼ばれる物理場ポイントで物理像を開いているのは、
予め決まっていたからであり、自分の意思で選んだからでもある、
という、なんとも煮え切らない答になるのでした。

どんなことであれ、物理像として体験されたことはフォースのポテンシャルを使い切ってるので、
変更が利きません。予め決まっていること/選択したことが百パーセント実現した状態です。
どの瞬間も、リニア時間に流すと「直近過去」で、リニア時間上の「今」は常に終わってしまって
います。
しかし、物理像を超える帯域では、コンセプトや方向づけはあるとしても、
複数の場面があって確率は絞られておらず、ポテンシャルも残っています。
だから“私”を高い次元に広げていれば、最適の具体化ルートが決まり/選択され、
回り道がなくなります。
最適とは、個体宇宙ないしハイアーセルフにとって最短距離のことだから。
すでに起きたことを経験記憶に照らし合わせて予測を立てていることに気づいて、
この反射的反応を終わらせることが推奨されるのは、
くよくよしてるとくよくよしてる方向に確率が絞られていくからです。
あるいは、くよくよをポジ転できるんだったら、それでもOK。

私の場合、本来はグループ意識に属しているので、グループのうち誰が地球に降りても
よかったんですが、おそらく、私がアルクトゥリアン的不思議ちゃん風をいちばんコントロール
できると見込まれたのでしょうね。
『Starry Souls』第1章では、エスラ@アルドラがちょろっと銀河ことわざを披露してますが、
アルクトゥルス人を言い表したものを一丁、紹介しときます。
「アルクトゥルス人が来る前にスイッチを隠せ」
(↑アルクトゥルス人は火災報知機のボタンを見たら必ず押す、というような意味)
  1. 2018/04/26(木) 18:05:46|
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イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
人間(♀)仕様だが
中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
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