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ソロ・パブリッシュ

エア充。

ポコポコ実現

2018.7.27(金)

2018年の6月半ばからしばらく、「実現」というテーマについての記事がつづいたので、
「実現のメタフィジクス」として、1つのカテゴリーにまとめた。
通りすがりにご覧になった方に、何らかの参考になればさいわいです。

言葉は、見えもさわれもしないが比較的自覚しやすい思考、感情、気分(マインド)に
対応する道具なので、言葉にするとどうしても七面倒くさい表現になりがちですが、要は、
ふっ、と浮かんだことが、ポコポコと実現しやすくなるということです。
その前提は以下の3つ。
①Zero Point Fieldとつながっている
ZPFとつながることは②③を促します。
②“私”が澄んでいる
“私”意識(エゴ、自我)のスジてっぺんから地面まで通っていてブレておらず、
どんな思いとも、entityとも同一化しておらず、夾雑物が混じっていない。
③コヒーレンス
見えない宇宙の各層と見える宇宙とが相似形で重なっている、コヒーレントである。

実現というのは、コンセプトがデザインや仕様になるとか、それがさらに製品になるとか、
上位の段階が、より具体的になることなので、
物理像で、物や出来事として現れるケースばかりではありません。
マインドで、考えや気持ちやイメージとして「わかる」という形で具体化するケースもあるし、
夢のなかで具体化したことがヒーリングになっているケースは多々あるし、
高次帯域で、もっと漠としたエネルギー的な感じで具体化することもある。
Zero Point Fieldのフォースは、それぞれの帯域の“私”の観察/創造によって、
それぞれの帯域に適した形で具体化する。
で、コヒーレントなときは、高次の“私”の挙動なんか全然自覚してなくても、
勝手に最適な具体化が起きる。

で、ふっ、と浮かぶことが「~が欲しい」「こうなったらいいのに」「こうなりますように」
といった、願望形とか仮定法願望形みたいな形をとることもある。
“私”を軸とする個体宇宙がコヒーレントなとき、やってくるそうした願望形は、
もう充ち足りていなかったり感謝が足りなかったりする兆候ではないんで、
放っておいていいのです。放っておけば、適した時機に実現します。
引き寄せ工作が必要なら高次屋さんたちが勝手に仕掛けてくるし、
何か行動が必要なら、一念発起しなくても身体が勝手に動く。

“私”が「中年の男性」「主婦」「こういう性格」「これこれの実務経験がある」といったような
限定的なセルフイメージと同一化しているときに抱く欲求や、
何かの思いに同一化して自己犠牲的な献身モードになっているときの利他的欲求は、
究極には自身による自己承認に必要な要素を充たそうとして、
悩みや欠乏にもとづいて発動されるので、
欲求にストレス感や焦燥感が混じっています。
どうしてもこうあってほしいとキリキリ念を込める感じ(「昨晩捨てたあの部分だけはテストに
出ませんよーに!」と祈るときのあの感じ)とか、
ハズレたときの凹みを和らげるために、あらかじめ「やるだけはやってみる」的な諦めを
まぶしておくとか、
実感的にいってズッシリ重かったり、翳りがあったり、どこか輝きがないんですわ。
フィクションでもノンフィクションでも、ドラマのネタになるのはこういう欲求ですが、
①②③の前提ができていると、こういう欲求が渦巻く世界とは縁がなくなります。
興味がなくなるので、袖も擦り合わなくなる。

①②③の前提ができてるときに出てくる欲求は、
煩わしくも悩ましくもないんで、煩悩ではありません。
それが唐突でも、かつてどこかで願ったことの差し戻しでも、ベタベタに生活密着系でも、
無邪気で、軽やかで、「えーこれかよ」って、ちょっと笑える感じもある。
『夏の夜の夢』の妖精パックとか、ムーミントロールとか、
人外系フェアリー族のメンタリティに近い感じがする。

実現の原則は、「既に(上の次元で)成っていることが成る」です。
物理像が最終形となる場合、
高次帯域にデザインがあれば、マインド帯域にはそれに呼応する仕様書があり、
両者が相似形でそろって、相似の物理像へ跳ぶ(量子跳躍する)はずなのに、
マインドがねじれこじれしていたんで、
受け皿となる仕様書がどっかに雲隠れして出てこず、
保留になってる案件が多々ある。
「欲しい」とか「こうなったらいいのに」という願望形は、
デザインに対応するその仕様書を呼び出すコマンドです。
仕様書とは、物理像で実現したときのイメージのことです。

波動が具体化する案件の数は、
 高次帯域 > マインド > 物理像
の順で多く、
1つのコンセプトに対して多数のデザインが、1つのデザインに対して複数の仕様書が描け、
最終的に製品に落とし込まれるのは1つであるのと同じように、
上位次元になるほど実現ポテンシャル(可能性)が余っていて、
「もしも」の余地がたくさん含まれています。
そのなかで、物理像が実現のゴールになる案件(下記のA)については、
 高次帯域A-マインドA-物理像A
という相似関係でそろえる必要があり、
マインドの仕様書(物理像での実現イメージ)をすっ飛ばすわけにはいかない。
なので、「欲しい」「こうなったら」のコマンドで仕様書(イメージ)を呼び出すわけ。

①②③のお膳立てができて、ようやく、引き寄せの法則がまともに機能しはじめる、
といってもいいかもしれません。

あたしはまだセルフイメージも煩悩も消えてないしぃー、
コヒーレンスにはまだまだ程遠いってカンジだから、
ふと浮かんだことがポコポコ実現なんて当分先の話だわ2024年くらいかしらアハハ、
などと人ごとモードで斜め読みしてる画面の前のキミ、甘いよ。
宇宙ってのは完璧主義じゃないんで、
8割方できあがってればクリアとみなして次に進んじまうんだよ。
ポコポコ実現の時代はもうはじまっている。

で、おわかりになる方にはおわかりになるかと存じますが、
ポコポコ実現てのは、お願いしたことがなんでもかなっちゃうステキなステージ到来!
って話じゃなくて、
あれってまさかのオーダーだったの!? えええーっ!?って件が増えるぜ、
<人類>風味な時空先入観通用しないからそのつもりで、って話です。
移行期にはフェアリーテイストが前景に出てくるけど、
フェアリーはいたずら大好きだってことお忘れなく。
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  1. 2018/07/27(金) 17:21:20|
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コヒーレンス

2018.7.22(日)

Zero Point Fieldとつながる(2016年秋~2017年)、エゴの復元(2018年1~4月)、
コヒーレンスへの回帰(2018年4~8月)と、
私版のメタフィジクス(物理を超え、物理を包摂する宇宙のしくみ)はそんなふうに
開いていった。
カッコ内の年月は、徐々ににではなく突如とした量子跳躍的変化が私に起きた時期の
暦目安であって、世の大勢とかオカルト界の趨勢とは何の関係もない。

エゴという言葉は誤解を招きやすいので、毎度のことながら言い訳しておくと、
これは経験記憶から精製されたセルフイメージのことではなくて、
そのセルフイメージも含めて、全部の体性感覚(物理像)、心理、超心理を観察すると
同時に出現させている、それら全部からなる宇宙の芯になる観察/創造意識のこと。
エゴの復元とは、観察/創造に徹することで、セルフイメージを対象化して“私”から剥がし、
もとの芯だけに戻すことをいう。
“私”(エゴ)がセルフイメージとくっついて「“私”=セルフイメージ」になっていると、
どんな出来事も、ある種の万能調味料みたいなセルフイメージ色に染まり、
マインドが高次帯域と相似形になったナチュラルな状態からわざわざ逸れてしまう。
セルフイメージに限らず、“私”が何らかの思考とか感情とかentityなどと同調しやすく、
自他の区別がきちんとできないと、
「他(対象)」として現れる光景が歪んでしまい、
というのは芯の“私”ではない思考や感情やentity色に染まってしまうからで、
やっぱりナチュラルな相似状態からわざわざ逸れていってしまう。

コヒーレンス(coherence)は「議論などの筋が通っていること、首尾一貫、整合性」、
物理学では「2つの波が干渉しうること、干渉性」を意味するが、
メタフィジカルには、ハイアーセルフ‐高次帯域‐マインド‐物理像の各周波数帯が、
相似形でそろっていることをいう。
わかりやすくいうと、
①閃き‐②直感‐③イメージ‐④行為、実現状態と、
上位のコンセプト的なものと下位の具体化した状態が一致していてズレていないことである。
これの典型例が、④の時点で「これは知っている」と気づくこと、
予知夢やデジャヴュに気がついたそのときであるが、
上位の既知感が70~90%くらいの場合もあって、
その場合は既知率100%の場に(引き寄せられて)飛ぶので、
70~90%の場と、100%の場とのちがいが時間の差異や完成度の差異として現れる。
平たくいえば、実現にいくらか時間がかかったり、
少しだけちがう形で実現したりする。
実現というのは物理像で実現する場合だけでなく、
マインド帯域でイメージやアイデアを思い描く場合でも同じである。
高次帯域での既知率(「知っている」感じ)が低いと、いいアイデアはなかなか思いつけない。

私の場合、コヒーレントな個体宇宙のイメージって、数字を合わせると開錠される鍵とか、
ルービックキューブ(立方体の面の色を合わせる立体パズル玩具)みたいな感じです。

ZPFとつながっていて、“私”が宇宙を貫通していて、その宇宙がコヒーレント。
これは修行や輪廻を積み重ねてようやく至れる境地じゃなくて、
人間でも、動植物グループでも、無機物(元素)でも、
ありとあらゆる「ある」ものの原初の状態です。
なので、余計なことをしなければ、もとの状態に還る。
ほんというと、何をしていても、放っておいても、時機がくればもとに戻る。
人によっては、量子跳躍的なその時機がくるまで、
現実感覚をともなう夢のなかで長い長い時を過ごすようですが、
その時機がきてもとに戻ってみると「なぁんだ。こんなのわかってたよ」てな感じです。
長い長い歳月も、夢だと気づいたとたん、それが圧縮された動画ファイルみたいなものだった
とわかり、拍子抜けするでしょう。
修行などは、何かを得たり積み重ねたりするためにすることではなく、
反対に引き算して削いでいく方法のひとつです。
何らかの修練への関心が戻り時機のサインになっている人もおられるかと思います。

コヒーレンスを阻害する余計なことは、人が「心」とか「頭のなか」とか「肚(はら)」と呼んでいる
マインド帯域(思考、感情、気分、それらの組み合わせ)で起きます。
「余計なことをしない」とは、具体的には以下のようなことです。
(1)物理像への情動反応を初発で止める
・物理光景に対してマインドで反射的判断が起きて、イラっとしたり期待したりテンションが
落ちたりしても、経験記憶を検索サーチして原因を追究したり、
思考の堡塁を築いて防御態勢をとったりしない。深追いしない。
・反射的判断による情動反応はしょっちゅう起きますが、これを抑えることもしない。
抑えるとこじれます。
・とにかくマインドで何かが起きたら、最初の一歩を観察して終わりにする。
つい「これは私のせいだ」「いつもの癖で~」といった二歩目が出てしまったら、そこで止める。
(2)唐突に湧いてくる思いを放っておく
物理像への判断からではなく、唐突に何かの思いが湧いてきたり、突然気分が変わったり
したら、「なんでそう思ったんだろう?」「昨日聞いた話からの連想かな?」などと
掘り下げたりせず、放っておく。
(3)不思議な出来事があっても、同時に(2)のようなことも起きて瞬時に理由や意味が
判明するのでない限り、自発的にサーチしたりしない。意味づけの努力をしない。


コヒーレンスは、数字を合わせる鍵やルービックキューブ、あるいはゾロ目のような
ひとつの状態なので、てっぺんから物理像までそろっていても、
何かの拍子にマインドのパフォーマンスが大きくなると、コヒーレントでない状態、
アンコヒーレンスになります。
が、何度もコヒーレントな状態へ跳んでいると、
マインドの動きは(2)のパタンが多くなってくる。
唐突に何かの思いが湧いたり、瞬時にわかるというパタンで、非常に高速です。
離島の珍しい動物が一瞬、目の前を横切っていった、みたいな状況に似て、
一瞬閃いて、それがスルスルと自動的に解けてくるというような。
これはマインドが高次帯域と相似形になって連動しているからで、
この周波数帯域の本来のありように戻ったのです。

コヒーレントになってるときは、とくに何かを引き寄せようとしていなくても、
ふっと思い浮かんだことが、物理的な出来事(物理像)なりアイデア(マインド)なり、
その思いの具体化にふさわしい帯域で、形になりやすい。
その思いがポジティブか、ネガティブか、といった傾きは、もはや問題ではありません。
コヒーレンスはその種の二元性を超えているから。
とはいえ、
「ものごとを放置しておくとネガに落ちていく→がんぱって±0以上にアゲておく」
という自転車操業モードが通常だった地球人標準からするとポジティブです。

そうそう、コヒーレンスといえば、
2017年9月10日(日)の記事で紹介したRTLFは、
じぶん宇宙(個体宇宙)のコヒーレント化を加速させる不思議グッズです。
↓これ
RTLF(右)
RTLF(左)
ご興味のある方は上記の記事中リンク、またはブログ右のカテゴリ「不思議なお店」から
分かれている「RTLF」からご覧になってみてください。
  1. 2018/07/22(日) 21:20:51|
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欲しくてもOK

2018.7.16(月)

図書館の新着本コーナーに、読みたかった本みっけ。
前々から、「連作中、なぜこの巻だけ図書館に置いてないの?」と思っていた本が
新着本として届いていたという、
ターゲットを絞った感のあるギフトっぽさに驚喜した。

これを、
「このシリーズは人気があるから、どこかに読みたい人がいて、その人がリクエストしたのだ」
と推測する一般常識には、このシリーズは「誰か」によって借りられていることが多いとか、
「どこかにいる読みたい人」とか、そのどこかにいるだろう人の行為とか、
現れている物理像を思考で延長していって、そこにも物理光景があるはずだとする
空間思考がぱんぱんに詰まっている。
私の物理像にはいない「読みたい人」や「その人のリクエスト」が想定されている。
想定の根拠は経験記憶で、経験記憶の真偽は証明できない。
なのに、そう考えるのが一般的とされているんだから、一般って不思議よな。
一般常識って、そんなふうに、足もとがユメマボロシでできている。
足もとのマボロシ性にフタをし、ここにない空間も実在することにして成立している一般常識は、
みんなの信用によって価値があることになっている貨幣に似ていて、
その「みんな」もマインドで思考された概念であり、物理像にはいない。
私の宇宙には、「みんな」を数えてたしかめた人なんていない。

読みたかった本が新着本として並んだ日の数日前、私はこの本の内容が気になって、
あるブログに紹介された目次やあらすじを読んでいた。
どうもそのときに「図書館にこの本がある」という場面を引き寄せる磁場ができたみたい。
私は単純に「読みたい」と思っただけで、引き寄せ工作をした覚えはないけど、
ハイアーセルフ‐高次帯域のほうで工作して確率をアゲてくれていたようである。

この一件を通じて、「あれが欲しい」とか「こうなったらいいのに」という思いには、
とくに実害はないということがわかった。
スピリチュアル業界の公式見解では、
「あれが欲しい」という思いは「あれが欠けている」物理像を、
「こうなったらいいのに」という思いは「こうなっていない」物理像を実現してしまっている、
ということになっている。
私もそういう話を本で読んだときはそれで納得していたんだけど、そうではなかった。
少なくとも私のメタフィジクスではそうではない。

「Xが欲しい」という思いが同時に「Xが欠けている物理像」を生じさせているという説は、
「Xが欲しい」という思いを「Xが欠けている物理像」へと、思考上で置換しただけで、
「Xが欠けている物理像」などというものはどこにも存在しない。
物理像というのは、“私”が感覚を統合的にとらえて結んでいる像で、
見えたりさわれたりはするが、それ自体はどんな解釈も含んでいない。
足りているとか欠けているとか、ポジ/ネガの角度がつくのはマインドで、
物理像というのはポジもネガもない、中立な、唯の像なのです。
ある自然現象が自然災害になるのは、人の安全や生活が脅かされるからで、
その自然現象そのものはただの自然現象である、というのと同じ。
1階に何らかの物理像があって、
2階のマインドで、「これは“Xが欲しいという思いが出現させているXの欠けた状態だ”」
と解釈しているだけである。
「Xが欲しい」という思いは、経験記憶や人からの情報にもとづく思考だったり、
眼前の物理像の解釈から生じた思考かもしれないが、
ともかく「Xが欲しい」という思いは、物理像に何の影響も及ぼしていない。

実害があるとすれば、「Xが欲しい」という思いが、「Xがないから不遇だ」とか「Xを持っている
誰それがうらやましい」とか、ほかの思いと連動して、高次帯域とのシンクロ率が下がる場合、
つまり「欲しい」という思いがストレスになる場合で、
「欲しい」という思い自体は無害である。

「あれが欲しい」「こうなったら」という思いには、
マインドで何らかのイメージを立ち上げる指向性がある。
たとえば新しい家電製品のイメージとか、漠然としたしあわせなイメージとか、
そういったイメージを起動させる。
「欲しい」「なったら」と思った時点でイメージが立ち上がる以上、
マインド帯域ではタイムラグなしに即時に成就していることになる(※1)。

さて、「思考が現実になる(物理像になる)」とは、
「マインドと物理像が相似関係で重なって、マインドがこれを既知として認識する」、
そういうコヒーレンスが起きるということであって(※2)、
思考が周波数や波形を変えて物理像に変化するわけではない。
ハイアーセルフ‐高次帯域‐マインドという見えない帯域が、
潜在している相似形の物理像をアクティベートして顕在化する、
そのアクティベートの動因が「既知」もしくはそれに近い「8割方わかってる」的な磁力である。
早い話、見えない帯域がウマの合う物理像を連れてくるのだ。

では、マインドでイメージした時点で成就しても、
そのイメージが、イメージ通りもしくはそれに近い物理像を連れてこない場合、
なぜそうなるのか。これは2つのケースに大別される。
①エネルギー強度が「Xのイメージ<連鎖マインド」になる場合
「Xが欲しい」という思いが、「Xがなくて不遇」「Xを持つ人がうらやましい」とか、
「これは(一般的な意味での)エゴから出た欲求だからどうのこうの」とか、
さらには時間思考、空間思考など、他のさまざまな思考、感情、気分を連鎖起動させ、
これらが、Xのイメージが相似物理像をアクティベートする力を相殺すると、
Xのイメージ単独では基底次元(物理像)にコヒーレンスを起こせなくなる。
ごちゃごちゃとした複雑な連鎖式(関係)ができるために、
マインド全体の動態も高次帯域とシンクロしなくなる。
②マインドがゴールで、物理像になる必要がないイメージの場合
夢のなかの出来事の大半、ヒーリングやセラピーの最中に出てくるイメージの大半、
文章やアートなどの作品の材料になるイメージ、など。

「あれが欲しい」「こうなったら」という類の思いは、
パッと端的に思いついた状態のままで、
深く考え込んだり練ったりしなければ、物理像化する確率はかなり高いということだ。
深刻でない願いごとがかないやすかったり、ビギナーズラックとかが起きるのも、
初発のシンプルさが保たれるからだろう。

お釈迦様が垂らしてくだすった蜘蛛の糸を切らしちゃったカンダタもなー、
あとから来る人のことなど一切眼中になく、単純にキタ!って喜ぶか、
もし下を見ちゃっても、このくらいの人数全然余裕、イケる、と思えれば、
地獄からアセンションできたのになー。
あの話は、<人類>的には自分だけ助かろうとする利己心から起きたことと
解釈されるけど、そうじゃなくて、
きわめてまっとうな常識で損得計算している間に、
思考のパフォーマンスが大きくなって切れちゃいました、という話なんですよ。
少なくとも私周りのentityチームはそう読むよ。


※1
基底次元が上昇して、“私”が物理場から離陸すると、
「思い描いたことが即時に“現実”として体験される」世界がはじまって、
マインドのパフォーマンス(思考や感情などの動き)をほとんど観察しておらず、
“私”がマインドから剥がれていない(特定の思考や感情などがパッケージになった
セルフイメージセットと同一化している)と、
破天荒な夢のような世界に投げ込まれて混乱するのだが、
物理身体像があるうちはまだそんなことにはならない。

※2
これを図式化すると、

最上階:Zero Point Field―すべてはあり、かつ、ない(既知であるとともに未知)
5F:0/1帯域―全ハイアーセルフのデータを「ない/ある」という形に圧縮して知っている
4F:ハイアーセルフ―個体宇宙(1~4階)の全データが既知
3F:高次帯域―物理光景をマインドが知っていることを知っている
2F:マインド帯域―1階の物理光景をすでに知っている
1F:物理像―特定の物理光景
B1F:物質波―1階の物理光景に物質っぽい質感を与えている
B2F=最上階:Zero Point Field―物質波がZPFに還流

ということになる。
ささやかな光景でも、バウムクーヘンさながらに、タテ方向にはこれだけの層が重なっている。
個体宇宙(魂)を構成しているのは1~4階で、
1~4階が「すでに知っている」という形で相似的な関係になっているとき、
個体宇宙はコヒーレント(整った状態)である。
典型的なのは予知夢やデジャヴュに気づいているときで、
1~4階とも相似的な関係で重なり、「既知」で目がそろっている。
  1. 2018/07/16(月) 15:56:29|
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「既知」の世界

2018.7.9(月)

マインド(思考や感情や気分)は物理像ではありません。
両者は別の周波数帯なので。
一般的にいっても、思考や感情などは、物体や出来事ではありません。
もっとも一般的には、思考や感情などは物体(身体)の作用として生じた感覚を
言語やイメージなどで象徴化したものであると、物体ベースでとらえられていますが。
しかし、マインドと物理像は、「である」で結ばれる合同的な関係ではないにしても、
「マインドと物理像が重なる」という相似的な関係にあるときもある。
それは予知夢やデジャヴュに気がついているときです。

6月の半ば、モナ@アルクトゥルスと、「観察/創造と実現のポテンシャル(可能性)は
反比例する」ことについて交信していたとき、
同時にソフィア@シリウスから予知夢についての情報も入ってきていたんですが、
同時並行処理できなくて保留しておいたところ、
こちらは一昨日くらいに解凍されました。

私が投げた質問は、「特定の周波数帯で観察/創造されたことはそれ以上実現しない、
だとするとなぜ予知夢のような現象が起きるのか」。
つまり、マインドとか、マインドを超える高次帯域で、その帯域に適した形で具体化された
ことは物理像にはならないはずである、
これは上述の、異なる周波数帯域は「である」の等式では結べないことを意味しています。
スピリチュアル業界の公式とちがって、「思ったことは物理像にならない」と言っている。
思ったことは、思った段階で、マインド帯域で「思い」として具体化を完了しているからです。
そして、「~になる」というのは「である」に時間を導入した等式です。
水蒸気と水と氷みたいなもので、「水蒸気は水になる」から時間を抜けば、
「水蒸気は水である」と言ってもいい。
で、「マインド≠物理像」である以上、マインドは物理像にはならない。
でも、だとすると予知夢が起きるのはなぜか。
予知夢というのは、夢という超物理像帯域で形になったことが、
物理像で再び形になる現象だから。
・・・と思っていたのですが。

私がこの質問をしたとき、思い出していた(呼び出していた)のは、
十代の終わりくらいに起きた、ある鮮烈な予知夢の記憶(データ)です。
夏の日の午後、私は実家の二階で寝ていて、友人がクルマで私の実家まで来て、
ドライブに誘われるという夢を見ていました。
そしたら、夢から半ば覚めたところに、クラクションの音が聞こえて、
一階に下りていってみると、夢で見たその人が訪ねてきていた。
彼女は私が夢で見たクルマに乗ってきていて、いまからドライブに行こうと言う。
私は、驚いたというよりはなんか唖然としてしまって、
彼女に夢での出来事は話せませんでした。
もし本当にあった不思議な話マイランキングというものをつくったら、
これはきっとベスト3に入ると思う。

物理像を超えたところで観察/創造されて完了したことは物理像にならない、
とすれば、なぜこのように夢が物理像として実現することがあるのか?
これに対してソフィア@シリウスは、
「その夢はいつ予知夢とわかるのか?」と、質問を投げ返してきます。
むろん、「あ、これは夢で見た光景だ」と、夢を思い出す(呼び出す)のは、
夢と一致する出来事が起きたときであって、夢を見ている最中ではありません。

夢を見ているときには、その夢は予知夢じゃないんです。
何かの出来事が起きて、何らかの物理像の場を観察/創造したとき、
その物理像に重なって、物理像には属していない記憶(データ)が呼び出されている。
物理像(出来事)とマインド(記憶)が相似的な関係で重なっている。
これが「予知夢に気づいている」状態です。
「これは前に見たことがある」という感じが湧いてくるデジャヴュの場合も同様。
ある出来事が起きたときに「既知であることに気づいている」状態です。

マインドで呼び出されている記憶が、
かつて本当に夢や物理像の景色として見たものであるかどうかは問題ではありません。
記憶していることが本当にあったことかどうかは、突き詰めていくと誰にも証明できないし、
そもそも記憶の真偽はリニア時間を展開しているときにだけ通用する区別で、
物理像とマインドは別の周波数帯なので、
マインドに属する記憶は、物理像がどうなっていようと関係なく、データとして存在しています。
上述の例のようなドンピシャ感満載の場合でも、
「夢を見ているとき」と「予知夢に気づいたとき」は、私の“私”が関連タグを付けない限り、
縁もゆかりもない別々の場です。

以下、ソフィア@シリウスからの情報のまとめです。

ということは、予知夢でもデジャヴュでも、
物理像(出来事)とマインド(記憶)が相似的関係で重なって、
「この出来事は既知である」と、マインドで認識されている状態です。

スピリチュアル業界の公式「思考は現実になる」とは、
本来はその「既知」に気づくことをいいます。
思考、あるいは感情や気分が、波形や周波数を変えて物理像に結晶するのではなく、
思考、あるいは感情や気分が、物理像と相似的な関係で重なっていて、
これは知っている、「既知」であるとわかること。
「~になる」と時間が導入されているのは、気づいていない→気づいている、の段差があるから。
この段差は徐々に埋められるのではなく、突如とした量子跳躍で変わります。
たとえば1→7だとすると、1、2、3、4・・・と徐々に移っていくのではなく、
1から7にジャンプする、そういう変わりかたをする。

予知夢やデジャヴュでは、なにかこう、じぃん、としている間(ま)があるけど、
「既知」の感じが頻繁になると、それは瞬間になり、不思議ではなくなります。
元来、どの周波数帯域も相似的関係で重なるようにできている(これが「コヒーレント」と
呼ばれる、波動が整った状態)ので、
マインドのパフォーマンスが小さくなる(あれこれと考え込む反応が止まる)と、
「既知」世界に跳躍しやすくなるみたい。

引き寄せの法則を使って望む状況を物理像化するというのは、
マインド帯域でその望む状況をイメージにし、
このイメージを「もう知っている、既知である」と認識してしまうことです。
今年の春分にウニキス@アルデバランと交信したとき、ウニキスは、
引き寄せの法則を使うということは、特定のマインドの周りに磁場をつくることだと
言ってましたが、その磁場の最強MAX値が「既知」です。
イメージで描いた状況を既知だと認識すると、
その状況と物理像が相似関数(相似的な関係)で重なっている場へと飛ぶ、
もしくはその状況と相似関数で重なっている物理像を呼び出す。どっちも同じ。
これは、予知夢やデジャヴュを意図してつくりだすことだ、ともいえるし、
望む状況が予知夢やデジャヴュになっている場をダウジングしている、ともいえる。

引き寄せの法則をなかなかうまく使えないケースというのは、
マインドで望む状況を既知の値までもっていくのがむずかしい場合です。
マインド帯域には、時間や空間についての思い込みをベースに、経験とか知識とか
悲喜こもごもの感情とか、いろんな波動データが渦巻いているんで、
望む状況のイメージがそれらと相克する(互いに争う)と、
とくにセルフイメージを形成しているデータと相克すると、たちまち確率拡散します。
そもそも、望む状況をイメージするのに「時間がかかる」とか、
物理像に物質的な確固としたイメージがあって、実現するまでにいくらか「時間がかかる」、
あるいは望む状況が実現すると「信じる」とか、
イメージできても「行動しないとだめ」とか、
「私は引き寄せがヘタだ」とか、
この法則を使うことそのものに何らかの努力や制約イメージが伴っていると、
確率は駄々下がりします。

でも、べつに引き寄せスキルが高くないとデムパ人間としてダサいというわけではなく。
“私”意識が個体宇宙を貫通してハイアーエゴになってる人の場合、
行為が起動するとき以外は動かない、考えが現れるとき以外は考えない、
自発的には極力何もしないってのがベストかも。
先にも書いたように、マインドのパフォーマンスが小さくなると既知場面が増えるので、
望む状況を引き寄せまくってるのと結果的には同じになります。
  1. 2018/07/09(月) 15:47:07|
  2. 実現のメタフィジクス
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実現のメタフィジクス(力学)

2018.6.17(日)

Zero Point Fieldのフォースが出来事として実現するとはどういうことか、
というテーマで、モナ・アマーリエ@アルクトゥルスとのチャネリを記事にしました。
ブログの記事としてはかなり長いので、各段落ごとに見出しをつけてみました。
長文めんどくさい方は、見出しだけご覧になるのでもよくってよ。

1.観察/創造と実現のポテンシャル(可能性)は反比例する

みけ “私”が何かを外側に対象化して観察する、と、同時にその場面が創造される。 
これはZero Point Fieldのフォースが具体的な形をとって実現するってことだよね?
ZPFが“私”という認識装置を使って、自身を具体的な形として認識する、
と言ってもいいんだけど。
モナ そうです。
みけ これは西洋古典哲学の「形相」(=“私”)と「質料」(=ZPFのフォース)という枠組に
似ているけど、古典哲学では質料よりエライとされている形相が、
じつはおバカだとされている質料から生まれているという点で、クラインの壺的なねじれがある。
ZPFを具体化する“私”は、ZPFで生じた原初の違和感、あるいは最初の気づきによって、
「これではない」とZPFを外側に対象化して、対象化したZPFを認識する側になった意識だから。
要するにZPFから分かれて認識主体になったのが“私”だから。
モナ そうよ。で?
みけ “私”が観察すると同時に創造が起きて、即、出来事が完了するってことは、
そこでZPFのフォースを具体像にし展開して使い切るわけでしょ。
てことは、ZPFのポテンシャル(実現可能性)ってその分、減るでしょ。
つまり観察/創造とポテンシャルって反比例するわけじゃん。
モナ 反比例だったらどうなのさ。
みけ だったら、なるべく観察/創造しないほうが実現のリキって大きくなるんじゃないの?
モナ なに、それでポテンシャルを貯金しとこうって?
みけ まあ、そう。
モナ バカだねーーーwww なんでも実現すりゃいいってもんじゃないじゃん。
いい? 「なるべく観察/創造しない」ってどういう状態よ。
みけ だから、経験記憶とか、そのときの気持ちや気分にしたがって動く・・・って、あれ?
これはマズいね、たしかに。
“私”が唯の認識装置になってないと、「時間」や「空間」や「人生」に囚われたままだし。

2.下で起きている出来事は、上でも起きている

モナ こういうお話はおソフィア様向きなんだけど、
私も勢いだけのentityじゃないってことを証明するために、このお座敷は私が務めるわ。
まず、出来事ってのはね、どっかの次元(周波数帯域)で単発で起きるんじゃなくて、
個体宇宙全体で起きるんだわ。たとえばAという出来事が起きるとすると、
ハイアーセルフA‐高次帯域A‐マインド帯域A‐物理像(※)A
と、いくつもの層で、同時に、その層のバージョンで起きている。
※物理像は物質波をエーテル界面に反映させた像で、厳密にはエーテル帯域に属する
だから、高次帯域で出来事Aが観察/創造されても、それは高次帯域のバージョンが完了した
ってことで、Aにはまだ、より具体化されていく(ディセンションする)余力がある。
いわばまだラフスケッチで、下絵とか色を塗ったりとかの工程が残ってる。
時間的に展開するこの工程が、タテに、垂直に並んでると思ってもらっていいわ。
みけ たとえば何階建てかのビルがあって、てっぺんの人はコンセプトを出すだけ、
その下の階の人はラフスケッチしか描かない、その下の階の人は下絵だけ、みたいな。
で、いちばん下の物理像で完成品の絵になるから、
最下階だけ見てると全部の作業が同時に行われたことになると。
モナ そう、そんな感じ。でも“私”意識ってのは全部の階を貫いてるから、
どこに観察/創造の焦点を当てるかによって、Aの現れかた(Aの相)が変わってくる。
観察って、対象をとっくりと吟味する的なイメージを持たれがちだけど、そうじゃなくて、
ラフスケッチの段階なら、ZPFのフォースをラフスケッチとして出現させる、
アクティベートするってことなんだよね。その次元に合う形で実現させる。だから観察即創造。
みけ 気づいた瞬間に場面が出現していて、場面が出現した瞬間に気がついてるってことね。
観察/創造って、思考に対応させた<人類>言語による表現で、
制約的な時間や空間の思考が織り込まれてるから、
「瞬間」と言ったところで「いくらか時間がかかっている」イメージは拭えないけど。
モナ 観察/創造の対象と同一化してセルフイメージに繰り込むってことがなくなって、
エゴが研ぎ澄まされると、
× 短い瞬間の時間に観察と創造が起き、それが加算されて世界像ができる
 “私”が焦点を絞る(注意、関心を向ける)ことで対象がアクティベートされる
  起きていることはそれだけで、認識意識でしかない“私”には時間も空間も介在していない
ってことが、「感じ」としてわかってくるよ。
対象に“私”を重ねてると、どうしても対象の行方が気にかかって、そっちを追っちゃうけど、 
“私”から対象が剥がれると、“私”のほうにウエイトが移って、
アクティベートした場面の持続性とか空間範囲とか、そういう発想がなくなるから。

3.高次帯域を見聞きできなくてもいい

みけ 私には高次帯域を観察/創造しているっていう自覚がないんだけど。
モナ 観察/創造=アクティベートは、その次元に合う形で起きるって言ったじゃん。
だから、それが物理像やマインド帯域の形で、何かの光景や音声として出てこなくても当然。
でもさ、最終的に完成した絵にも、下絵にも、コンセプトやラフスケッチが含まれてるように、
物理像にもマインドにも、高次帯域のアクティベートって活きてるの。響いてるよ。
ただ、高次帯域でアクティベートされた波動が、全部下の次元に下りるわけじゃなくて、
そこで完成して完了しちゃうケースもあって、むしろそのほうが多い。
「これはわざわざ物理像にする必要ないね。これでOK、完成だわ」っていうケース。
みけ それは試作品というわけじゃなく?
モナ 試作品とはちがう。「このラフスケッチはこれだけでコンセプトを十分表現できてる」
ってやつ。そこでZPFのフォースのポテンシャル(実現可能性)を使い切ってる。
みけ 物理像まで下りる波動は、そこまで展開してみないとわからない、
まだ謎めき余地がある波動なんだ。
モナ うん。で、マインド帯域ってのは、もうかなり具体的なの。
形のないデータが時間形式に沿って記憶イメージに翻訳されるのもマインド帯域だし。
なので、マインド帯域で観察/創造=アクティベートされた波動の大半は物理像まで下りない。
ここを超えて物理像で実現するのは、
①最初からマインド帯域の認識対象ではない波動~ある物体がある形状に見える、
特定の音声が聴こえる、身体のある部位にある感覚を感じるなど、体性感覚化する信号。
要するに最初からマインドを通過して物理像になることが決まっている信号
②マインド帯域で思考や感情になったうえで、それが活用されて出来事になるケース
③本来、マインド帯域でアクティベートされて思考や感情などになるはずの波動が、
観察/創造されず、スルーされて、物理像での実現化のエネルギーに使われるケース
この3つで、③は出来事の振幅が烈しくなる。
スルーされた分が加わって、物理像になるのに必要な本来のエネルギー量を超えるから。

4.ポジにもネガにも傾かないニュートラル状態で、最適の出力になる

みけ イメージ記憶とか、そのイメージをつくってる潜在観念(思考のもとになるメタ思考)とか、
いろんな考えとか気持ちとか、そういうマインドのエネルギーを、“私”がきちんと対象化して
認識できれば、そのエネルギーはそこで使い切られて完了するんだよね? 
そうやって、散らかっていたマインド帯域の掃除が進むと。
けど、振幅が烈しい出来事って、反応次第でネガティブにもポジティブにもなるでしょ。
だったらさ、マインドの掃除なんて全然しなくても、
「わースゲ!」とか「どうなっちゃうのわくわく」とか、ポジで受けられれば問題なくない?
モナ 原理上はそうだけど、地球人って「“私”の消滅」っていう、ありえないことを怖れてるから、
ネガティブ優位で、おおかたはネガティブに反応しちゃってるよね。
それに、そもそも物理像世界にそんな烈しい振幅っていらないのよ。
振幅を大きくしてる余計なエネルギーは、本来はマインド帯域で使われるはずの分なんだから、
マインドで観察/創造すべきことはマインドでやっておいたほうがいい。それが最適。
みけ ニュートラルがベストってこと?
モナ ここでおソフィア様の波動形態模写いくわよ。
「ウォッホン! ニュートラルとはどのような状態だろうか?」
みけ デフォルメやばいw 清水ミチコさんみたい。
モナ 「+でも-でもない0°とは、フォースが中庸に調節された状態だろうか?」
みけ いいえ。0°は、ZPFのフォースが+にも-にも迂回せず、最短距離、最速で
回ってる状態です。
モナ 「然り。これですべてわかったなどと思わぬように(←合格を意味する定型句)」
われながらいい出来。こんどアストラル酒場で披露しようかな。
そう、0°ってじっと止まってるわけじゃない、凪いでないの。 
最小のパフォーマンスでZPFが動いてる状態。これがナチュラルな状態。
たしかに観察/創造=アクティベート=認識によって、
ZPFのフォースのポテンシャルはだんだん下がっていくんだけど、
ZPFのフォースってとてつもなく大きいからさ、E=mc∞みたいな。
そのまま下ろしたらえらいことになる、てか、できませんから。
だから、各次元で適切にエネルギーを使って、成形していくんだよ。
どこの次元だろうが、ニュートラルで過不足なし、ジャストフィットの像になる。
そのニュートラル状態が、テラン的には「ポジティブ」なんだよね。
ネガティブへの傾きが常態になってるから、まんなかはポジ寄りに見える。
  1. 2018/06/17(日) 16:22:09|
  2. 実現のメタフィジクス
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みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
人間(♀)仕様だが
中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
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