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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

宇宙人などのエンティティについて

2019.2.12(火)

私が交信している何とか星人の誰それ、というのは、
五感的感覚にもマインドの感覚(思考、感情、気分)にもならない、
もっと微妙な感覚(高次帯域)の「感じ(周波数)」につけた名前である。
微妙な感覚のうち、ある特徴をもった「感じ(周波数)」が、
 微妙な感覚→漠然としたイメージ→キャラクター像
というようにマインドで変換、翻訳され、私のボキャブラリーから名前が選択される。
キャラクター像ではなく、道具(デバイス、ツール)に変換されることもある。
こういう作業をしているのは、私の「私」、すなわち私の個宇宙の軸視点である。
この軸が高次の微妙な感覚を認識するとともに、その微妙な感覚が創造され、
それにふさわしい(その周波数と相似形の)マインドのイメージ等が呼び出されてくる。
と同時に、そのイメージ等は軸視点「私」に認識され創造される。

たとえば、バシャールというentityは、
地球から見たときのオリオン座の近くにあるエササニという星の宇宙人で、
宇宙船で主に生活しており、ときおり地球人と交信している、
何人かの地球人はこのバシャールと交信したり、バシャールの宇宙船に乗ったりしている、
というわけでは、まったくない。
チャネラーの「私」とは無関係に、遠い星や宇宙船にバシャールというentityがいる、
という理解は、がっつり客体‐空間‐時間思考システムを経由させた見かたである。

バシャールというのは、微妙な感覚として感じられる、ある「感じ(周波数)」が、
それを感じた(認識し創造した)人の「私」によって、
それを感じた人のマインドで、もっと具体的な感覚として変換アウトプットされた像なのである。
神仏、天使、フェアリー、アセンデッドマスター、亡くなった著名人などもそうである。

しかし、思考システムでセルフマインドコントロールしていると、次のようなことが起きる。
①微妙な感覚を思考システムにもとづくサイエンスで説明してカタをつける。
「微妙な感覚なるものは、客体(物体)の一部である身体の諸反応から生じる心理」
と定義され、原因は必ず客体(身体もしくは環境)にあるとされるので、
entityとかいうものは想像の産物とされる。
なお、「“私”に先んじて客体(物体)がある。世界は客体からできていて、“私”もその一部」
というのはじつはメタフィジクスのひとつなのだが、こういう人にとってはフィジクスである。
②微妙な感覚を感じていながら、思考システムに気がついていない。
チャネリングやヒーリング、サイコキネシス(念力)などが起きる変性意識状態と、
思考システムを適用している通常意識状態が別々で、ダブルスタンダードになっている場合、
通常意識に適用されている思考システムには気がつかず、思考システムは保持される。
つまり客体‐空間‐時間は自明の常識となっていて、揺らがない。
そうすると、entityは、変性意識状態で感知される「高次世界の住人」ととらえられやすい。
すると、「私」とは無関係に、客体として、高次世界の遠い星や宇宙船に某というentityがいる、
ということになって、ステージが上がっただけで、
客体‐空間‐時間を無自覚に適用した解釈は何も変わらないのである。
雲の上に白い髭を生やし白いローブを着て杖をもった神様がいる、というのと同じだ。
白い髭の神様が「光」とか「エネルギー」であっても、「私」とは無関係な客体であれば同じである。
客体としてentityがいるということは、本来なら、誰がコンタクトしてもその特性やメッセージは
同じになるはずである。だから、②の場合、情報が正確であるかどうかが問題になる。
また、客体entityと対等に付き合うとか、ネガティブな客体entityから自分を守るとか、
高次政策がややこしくなり、テクニカルメソッドの数も増える。
思考システムが支えている社会の複雑さが、そのまま上にもち越されるわけだから、
ややこしくなるのは道理である。

地球(と呼ばれている物質波の変換ポイント:物理的な像がつくれる場)では、
宇宙を認識/創造する「私」の能力を制限するために思考システムが固守されてきたので、
微妙な感覚(高次)を感じるさいには、
微妙な感覚(高次)に集中フォーカスして、マインドと物理像をスリープ状態にするか弱める
(フルトランスないしセミトランス:変性意識状態に入る)という方法がスタンダードであった。
こうすれば、微妙な感覚(高次)の「感じ(周波数)」は、
思考と気づかれていない客体‐空間‐時間に適合する形で翻訳され(例:輪廻転生)、
思考システムを阻害しないからである。
①だった人が、何かのきっかけで精神世界に興味をもつようになった場合も、
セミナーや独習メソッドでは集中フォーカス方式から入ることが多い。

「私」視点が微妙な感覚(高次)に集中フォーカスしても、
物理像やマインドの帯域が完全にシャットダウンされるわけではない。
スリープ状態か、すごくボリュームを絞って弱めた状態で残っている。
「私」の感度が逆三角形▽のようになったこの状態で、
「私」によって感じられ出現した微妙な感覚(高次)が、
それにふさわしい(相似形の)マインドと物理像を呼び出すと、
マインド帯域で機能している思考システムも減弱して途切れがちになっているので、
通常意識状態なら思考システムによってはじかれるか整理されてしまうデータが総動員され、
クリアな夢のような生々しい像(映像、音や香りなど)が出現する。
宇宙船や天使やユニコーンなどが、実際に目の前にいるかのように感じられたりする。
ということがあるために、
トランスから醒めたあと、この高次像に思考システムが適用されると、
高次像はたちまち客体化し、思考システム仕様の高次世界の住人になる。
ただし、物理像やマインドをスリープさせるフルトランス状態だと、
トランス中に起きたことは憶えていないことが多い。
どっちにしても、セミでもフルでも、トランスでは思考システムは微動だにしない。
通常意識状態で適用している客体‐空間‐時間が思考だと気づき、
この枠をはずして、微妙‐中程度‐濃い感覚の全帯域を貫く「私」に戻ると決めない限り
(コミットメントしない限り)、セルフマインドコントロールはつづいていく。

高次への集中フォーカスによって高次帯域を認識/創造していると、
通常意識状態では無自覚に思考システムが適用されるため、
本来ひとつであるその人の「私」宇宙が、
「高次世界」と「日常生活」に乖離した、②のようなダブルスタンダードになることが多い。
「高次世界」も「日常生活」も、どちらにしても客体‐空間‐時間が自明の常識だから、
思考システム仕様になった「高次世界」の情報を、
同じく思考システム仕様の「日常生活」に活用しようとするのは、
客体‐空間‐時間を自明の常識とする自然・人文・社会科学情報を活用するのと変わらず、
(客体として実在する)地球の裏側(空間思考)でこれこれのことが起きているとか、
何十年後(時間思考)の社会(客体‐空間‐時間の複合思考)はこうなるとか、
(客体として実在する)私の寿命(時間思考)はこのくらいで何歳まで地球に滞在するとか、
思考システムベースの同質の発想である。
スピリチュアルな感性や情報や技法を社会や人類に役立てるという志が頓挫するのは、
「スピリチュアル」も「社会」も「人類」も「役立てる」も、全部、
客体‐空間‐時間を自明の常識としていて、思考システムの掌の上にあるからである。

なので、②のタイプの方には、
「3次元」とか「現実」等の呼称でトランス状態と区別しているその非トランス状態で、
「私」視点をハイヤーセルフまで後退させておくことをお勧めする。
参考/19.1.13(日)「問題を解決したければ~」記事後半の<付録>部分
http://solopub.blog103.fc2.com/blog-entry-830.html
あるいは、目を開けたまま(半眼ではなく全開、瞬き可)瞑想し、
物理像とマインドのボリュームをキープする(トランスしないよう耐え抜くというか)のも
よいと思う。

さて、entityは客体ではないけれども、というか客体などというものはないのだけれども、
微妙な感覚(高次)のひとつとして、
またときとしてマインド帯域や、物理波を反映させない物理像すなわちエーテル像で、
より具体的な形態や特性をもった「感じ(周波数)」となって、存在する。
五感的な濃い感覚でない感覚も実際に感じられる現実なのだから、
entityも現実である。
ただし、私が交信しているentityと同名のentityと交信している人がいるとしても、
両entityの周波数が同じとは限らない。
その人の「私」と私の「私」では、ワンネス(ゼロポ‐0/1帯域)を個宇宙へと開く角度が
ちがうからだ。簡単にいうとハイヤーセルフがちがうからである。

想像の産物は現実ではないという思考は、思考システムを通したときに出てくる思考で、
「私」によって想像された像は、物理像と同じく現実であり、また両者とも像である。

で、このくどくどと長い記事の本旨はここからなのですが、
思考システムを適用して、「私」が「(客体の)身体と心」に制限されていると、
想像やイメージは、(客体の)身体の諸反応、たとえばエンドルフィン等の分泌などと
結びついた説明がなされない限り、客体世界に影響しないし、
影響しても変化の幅は小さい。
「現実とは客体(物体)でできた世界のことで、
客体でできた世界は客体固有の法則で変化するから、想像の産物とは関係ない」
という思い込みが現実化(!)しているからです。
しかし、「私」視点の軸が通って、個宇宙の全感覚(全周波数帯域)が現実になると、
ふっと想像されることや、
両手から光が出ているだのゼロポの窓だのといったイメージワークの類が、
マインドや物理像のレイヤー(層)にほんとに効くのだと実感されてきます。
想像やイメージは異なる周波数帯域の現実であって、
それが下位の(物理像)、あるいは関連する(マインド)周波数を呼び出し、
両者が連動するからです。
引き寄せ、アファメ、イメトレの類もここからが本番というか、
生活に溶け込んでくるので、「引き寄せよう!」とか「イメージを描こう!」
という感じではなくなるのです。

たとえば、先だってアニータ=クラリッサ@プレアデス=シリウスと交信していたときのこと。
このチャネリはたいへん長丁場で、
ブログの記事(「在地球人は地球人じゃない」カテゴリ:アセンションについて)にした
以外にもいくつかのテーマがあって、音楽もそのひとつでした。
私とアニータは、1989年に亡くなったカラヤンと、彼が指揮者だった時代のベルリン・フィルの
音について、プレアデス人が他星人に感じさせる「美」と関連させて交信していたのですが、
「この話、なんかまだ茫洋としてるんで、もっと掘り下げられないかな?」
と私が問いかけたところ、これがオーダーになってたみたいで、
翌日、返却期限がきた本を図書館に返しに行ったら、
そのままズバリ『カラヤン』(文藝別冊/河出書房新社)とゆー本があったのですよ。
探したんじゃなく、館内をふらふら歩いていたら数秒後に目が合った、という感じです。
それからしばらく、「天才バカボン」の歌詞の「ボン、ボン、バカボン」というところが
「ヤン、ヤン、カラヤン」に、「天才一家だ」が「天才指揮者だ」に替えられた歌が
マインドで、弦楽合奏つきwで流れてました。
私版のプレアデス人はこういうおバカな芸はやりません。
仕掛けていたのはアルクトゥルスの仲間たちです。
このようなことは多々あって、ちょっと思いついた程度のことがオーダーに直結したり、
物理像でブツになって届いたりと、
いちいち驚いていられないくらい実現速度が高速化しています。

というわけで、全帯域がコヒーレントになって連動するようになると、
イメージや想像の実効性が格段に上がります。
もしわるいイメージというか、違和感があったらゼロポに還しちゃえばいいんで、
問題はありません。
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  1. 2019/02/12(火) 21:44:52|
  2. 実現のメタフィジクス
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いつまでも「制限のマスター」と思うなよ(追記あり)

2018.11.15(木)

スピリチュアル業界の決まり文句のひとつに「自分の内側」というのがある。
自分の内側を変えれば現実は変わる、とかね。

しかし、「自分」とか「私」という言葉にはトラップがあって。

「自分」「私」という言葉を聞いたり、文字で見たりしたとたん、
まずたいてい、皮膚に覆われた人体の面的輪郭をイメージする。
ここでもう速攻、客体‐空間‐時間思考システム(仮想集合システム)のおおもと、
客体思考にからめとられてしまう。
世界は観察主体のあるなしに関係なく、まず客体(物体)である、客体でできている、
身体はその客体(物体)の一部で、「私」はそのうちの一体です、
という、きわめて常識的な考え。でも常識であっても、これは思考である。
誰もが観察主体である以上、
誰かが観察する前から存在している客体世界なんて、誰も見たことはないのだ。

「身体」とは、肌色の面的広がりとか、その面にふれたときの触覚とか、痛覚とか、
面の「内側」と定義した部分を検知したときに視覚でとらえられる赤い色など、
濃い感覚の集まりをマインドで仕分けして名前をつけた概念です。
スピ業界の人がよく言う「身体をもったままアセンションする」とは、
濃い感覚をキープしたままで微妙な感覚(高次)まで感じられるようになること。
また「グラウンディング」は、濃い感覚をちゃんと感じること。
→感覚としてちゃんと感じていればよいのであって、「解釈」はいりません。
というわけで、「私」は、「身体」と呼ばれる思考のことではない。

では、「私」の内側とは?
客体‐空間‐時間思考システム適用状態だと、自分の内側とは、
皮膚に覆われた人体の内部ということになるけれども、
筋肉や骨や臓器をイメージする人はあまりいない。
「自分の内側」と言ったときには、それらの器官の諸反応から生じるとされる、
思考や感情や気分(まとめてマインド)をさす。
でも、「“私”=客体の一部である身体」がシステムの枠内だけで通用する考えなら、
「“私”=客体の一部である身体の諸反応から生じるマインド」も、
システムの枠内でだけ通用する思考から派生した、やや複雑になった思考である。
だから「私」はマインドではない。

マインドとは、視覚や聴覚などでとらえる濃い感覚(物理像)ではないが、
なんとなくもやっと感じられる中程度の感覚である。
この中程度の感覚は、言葉とか絵図とかの濃い感覚でできた象徴で表されると、
輪郭ができたような感じになって、濃い目寄りになる。

客体‐空間‐時間思考システムは、思考でできたシステムなので、
この中程度の感覚として仕掛けられている。
しかしさまざまな思考のベースになっている思考なので、
ふだんは雑多な思考の裏に隠れていて意識に上らず、非常に気づきにくい。

「自分の内側」と言ったときに、筋肉や骨や臓器をイメージする人があまりいないのは、
ふだんは見えないからです。
人間が、というか地球人が濃い感覚をマインドで仕分けして概念化するとき、
分ける基準が視覚優位なので、圧迫感や痛覚を感じることがあっても、
見えないとリアリティをもちにくいのだ。
リアリティがなければ「(見る機会がある場合を除いて)内部器官などない」と
言い切っても全然かまわないのだけど、
マインドに器官の知識があるから、
濃い感覚でリアリティがなくても、中程度の感覚(思考)で器官があることにしている。

一方、「自分の内側」と言ったときに、思考や感情などのマインドがイメージされるのは、
マインドの本体である中程度の感覚は、
言葉や表情や絵図などの象徴を使わないと伝えられないので、
身体(=概念化した濃い感覚)の皮膚と境界線が一致するかのように思えるからです。
要するに、仮想集合システムの枠内でマインドを言い表すときの比喩表現です。

結論。
「自分」「私」というのは、身体のことではない。
身体の内側にイメージされる心(マインド)のことでもない。

身体や心を感じている側、この感じている主体こそが「私」です。

身体や心は、「私」が感じている対象であって、「私」ではない。


この「私」は認識の主体、であるとともに認識した対象を出現させている創造の主体で、
形はなく、形がないので、
「あ、これが“私”」とわかるときは、必ず何らかの対象を感じています。
感じる対象とともに、それを感じている主体として現れる。
感じる対象なしに、感じている主体の「私」だけが単独で出てくることはありません。
なので、濃い感覚(物理像)にしろ中程度の感覚(マインド)にしろ、
そのまま感じる(観察する=創造する)ことは、「私」を復元するうえで非常に重要です。
そのまま感じるというのは、
濃い感覚(物理像)を概念化しないで一次感覚のまま感じること、
マインドを複雑にしないで一次感覚のまま感じることをいいます。

濃い(物理像)‐中程度の感覚(マインド)をナマの感覚で感じられるようになると、
客体‐空間‐時間思考システムからはずれて、本来の「私」が復元され、
その「私」が、微妙な感覚(高次ゾーン)も含めた全感覚を感じて、出現させるようになる。
と、微妙な感覚は中程度の感覚や濃い感覚とコヒーレントになる(一貫し、そろう)ので、
高次ゾーンに適したマインド、物理像を呼び出し(そこに量子跳躍し)、
現実は、それ自体をいじっても、対処することが増えるだけで、根本的には変わらない、
が、
「意識を変えると現実が変わる」
「なぜかわからないけど、うまくいった」
「とくに何もしてないけど、解決してた」
という、あの、おスピなヨタ話と思われていたことが本当になる。

高次ゾーンがマインドを動かすときには、
ワクワクするとか、おもしろい、笑えるとか、美しいとか、あり余るほどに豊かだとか、
静かでもハイテンションな、荘厳で神々しいほどの静けさとか、
そういう突き抜けた感覚に翻訳される。
行動は、自分を鼓舞しなくても、ベストのタイミングで起きる。
こういうのって、システムの枠内だと「ポジティブ」と呼ばれるのだが、
ほんとはこういう「感じ」が平常心なのよ。
システムが適用されてる中立マインドって中立じゃない、ネガティブだから。
0°が0°じゃなく、あらかじめマイナスのほうに傾いてるので。
0°でもマイナスなら、ふだんはもっとマイナスなわけで、
そこからプラス方向に動こうとすると、すごい熱量が必要です。
なので、システム枠内の「ポジティブ」は妙に熱っぽくて重たい。

自分は客体‐空間‐時間思考システム(仮想集合システム)によって考えだされた身体と、
身体の生理反応から生じる主観のことだ、と思い込んでいると、
生まれて成長して成熟して老いて死ぬ、とか、
客体世界(物体でできた世界)の不意打ちから生命や生活を守る、とか、
仮想集合システムのシナリオが想定していることしか実現できない。
   ↑
こうやって「私」が自分をだましている、
だまされた「私」はマインドに、しかもシステムによって操作されたマインドに囚われ、
濃い感覚の向こうにガチの物体があると思い込んでいるうえに、
微妙な感覚を感じられなくなっている、
したがって全感覚を感じることで可能になる宇宙創造ができない、
てか発想もできない、
ゆえに地球人は他星人含む全異界人から「制限のマスター」と呼ばれてきたのである。
自分で自分をだますって、ちょっとできないよね、すごいね、ってことで。
これにはちょびっと草も生えていたwwwんだが、
近頃では、偏差値35からのアセンションが瞠目され、本気でリスペクトされている。

11月16日(金)――ポールシフトについて

物というのは、「固い」「まるい」「白い」などの濃い「感じ」のこと。
この「感じ」というのが、
「私」が感じている、意識の周波数(濃淡や質感のちがい)である。

つまり物は、意識の海に現れた大波みたいなもの。
中波がマインド。

ところが、われら地球人は、
「物が先にあって、物から意識ができ、“私”ができる」
というように、これを180°ひっくり返したのだ。

もいっかいひっくり返せば、もとに戻る。
  1. 2018/11/15(木) 21:10:08|
  2. 実現のメタフィジクス
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ポコポコ実現

2018.7.27(金)

2018年の6月半ばからしばらく、「実現」というテーマについての記事がつづいたので、
「実現のメタフィジクス」として、1つのカテゴリーにまとめた。
通りすがりにご覧になった方に、何らかの参考になればさいわいです。

言葉は、見えもさわれもしないが比較的自覚しやすい思考、感情、気分(マインド)に
対応する道具なので、言葉にするとどうしても七面倒くさい表現になりがちですが、要は、
ふっ、と浮かんだことが、ポコポコと実現しやすくなるということです。
その前提は以下の3つ。
①Zero Point Fieldとつながっている
ZPFとつながることは②③を促します。
②“私”が澄んでいる
“私”意識(エゴ、自我)のスジてっぺんから地面まで通っていてブレておらず、
どんな思いとも、entityとも同一化しておらず、夾雑物が混じっていない。
③コヒーレンス
見えない宇宙の各層と見える宇宙とが相似形で重なっている、コヒーレントである。

実現というのは、コンセプトがデザインや仕様になるとか、それがさらに製品になるとか、
上位の段階が、より具体的になることなので、
物理像で、物や出来事として現れるケースばかりではありません。
マインドで、考えや気持ちやイメージとして「わかる」という形で具体化するケースもあるし、
夢のなかで具体化したことがヒーリングになっているケースは多々あるし、
高次帯域で、もっと漠としたエネルギー的な感じで具体化することもある。
Zero Point Fieldのフォースは、それぞれの帯域の“私”の観察/創造によって、
それぞれの帯域に適した形で具体化する。
で、コヒーレントなときは、高次の“私”の挙動なんか全然自覚してなくても、
勝手に最適な具体化が起きる。

で、ふっ、と浮かぶことが「~が欲しい」「こうなったらいいのに」「こうなりますように」
といった、願望形とか仮定法願望形みたいな形をとることもある。
“私”を軸とする個体宇宙がコヒーレントなとき、やってくるそうした願望形は、
もう充ち足りていなかったり感謝が足りなかったりする兆候ではないんで、
放っておいていいのです。放っておけば、適した時機に実現します。
引き寄せ工作が必要なら高次屋さんたちが勝手に仕掛けてくるし、
何か行動が必要なら、一念発起しなくても身体が勝手に動く。

“私”が「中年の男性」「主婦」「こういう性格」「これこれの実務経験がある」といったような
限定的なセルフイメージと同一化しているときに抱く欲求や、
何かの思いに同一化して自己犠牲的な献身モードになっているときの利他的欲求は、
究極には自身による自己承認に必要な要素を充たそうとして、
悩みや欠乏にもとづいて発動されるので、
欲求にストレス感や焦燥感が混じっています。
どうしてもこうあってほしいとキリキリ念を込める感じ(「昨晩捨てたあの部分だけはテストに
出ませんよーに!」と祈るときのあの感じ)とか、
ハズレたときの凹みを和らげるために、あらかじめ「やるだけはやってみる」的な諦めを
まぶしておくとか、
実感的にいってズッシリ重かったり、翳りがあったり、どこか輝きがないんですわ。
フィクションでもノンフィクションでも、ドラマのネタになるのはこういう欲求ですが、
①②③の前提ができていると、こういう欲求が渦巻く世界とは縁がなくなります。
興味がなくなるので、袖も擦り合わなくなる。

①②③の前提ができてるときに出てくる欲求は、
煩わしくも悩ましくもないんで、煩悩ではありません。
それが唐突でも、かつてどこかで願ったことの差し戻しでも、ベタベタに生活密着系でも、
無邪気で、軽やかで、「えーこれかよ」って、ちょっと笑える感じもある。
『夏の夜の夢』の妖精パックとか、ムーミントロールとか、
人外系フェアリー族のメンタリティに近い感じがする。

実現の原則は、「既に(上の次元で)成っていることが成る」です。
物理像が最終形となる場合、
高次帯域にデザインがあれば、マインド帯域にはそれに呼応する仕様書があり、
両者が相似形でそろって、相似の物理像へ跳ぶ(量子跳躍する)はずなのに、
マインドがねじれこじれしていたんで、
受け皿となる仕様書がどっかに雲隠れして出てこず、
保留になってる案件が多々ある。
「欲しい」とか「こうなったらいいのに」という願望形は、
デザインに対応するその仕様書を呼び出すコマンドです。
仕様書とは、物理像で実現したときのイメージのことです。

波動が具体化する案件の数は、
 高次帯域 > マインド > 物理像
の順で多く、
1つのコンセプトに対して多数のデザインが、1つのデザインに対して複数の仕様書が描け、
最終的に製品に落とし込まれるのは1つであるのと同じように、
上位次元になるほど実現ポテンシャル(可能性)が余っていて、
「もしも」の余地がたくさん含まれています。
そのなかで、物理像が実現のゴールになる案件(下記のA)については、
 高次帯域A-マインドA-物理像A
という相似関係でそろえる必要があり、
マインドの仕様書(物理像での実現イメージ)をすっ飛ばすわけにはいかない。
なので、「欲しい」「こうなったら」のコマンドで仕様書(イメージ)を呼び出すわけ。

①②③のお膳立てができて、ようやく、引き寄せの法則がまともに機能しはじめる、
といってもいいかもしれません。

あたしはまだセルフイメージも煩悩も消えてないしぃー、
コヒーレンスにはまだまだ程遠いってカンジだから、
ふと浮かんだことがポコポコ実現なんて当分先の話だわ2024年くらいかしらアハハ、
などと人ごとモードで斜め読みしてる画面の前のキミ、甘いよ。
宇宙ってのは完璧主義じゃないんで、
8割方できあがってればクリアとみなして次に進んじまうんだよ。
ポコポコ実現の時代はもうはじまっている。

で、おわかりになる方にはおわかりになるかと存じますが、
ポコポコ実現てのは、お願いしたことがなんでもかなっちゃうステキなステージ到来!
って話じゃなくて、
あれってまさかのオーダーだったの!? えええーっ!?って件が増えるぜ、
<人類>風味な時空先入観通用しないからそのつもりで、って話です。
移行期にはフェアリーテイストが前景に出てくるけど、
フェアリーはいたずら大好きだってことお忘れなく。
  1. 2018/07/27(金) 17:21:20|
  2. 実現のメタフィジクス
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コヒーレンス

2018.7.22(日)

Zero Point Fieldとつながる(2016年秋~2017年)、エゴの復元(2018年1~4月)、
コヒーレンスへの回帰(2018年4~8月)と、
私版のメタフィジクス(物理を超え、物理を包摂する宇宙のしくみ)はそんなふうに
開いていった。
カッコ内の年月は、徐々ににではなく突如とした量子跳躍的変化が私に起きた時期の
暦目安であって、世の大勢とかオカルト界の趨勢とは何の関係もない。

エゴという言葉は誤解を招きやすいので、毎度のことながら言い訳しておくと、
これは経験記憶から精製されたセルフイメージのことではなくて、
そのセルフイメージも含めて、全部の体性感覚(物理像)、心理、超心理を観察すると
同時に出現させている、それら全部からなる宇宙の芯になる観察/創造意識のこと。
エゴの復元とは、観察/創造に徹することで、セルフイメージを対象化して“私”から剥がし、
もとの芯だけに戻すことをいう。
“私”(エゴ)がセルフイメージとくっついて「“私”=セルフイメージ」になっていると、
どんな出来事も、ある種の万能調味料みたいなセルフイメージ色に染まり、
マインドが高次帯域と相似形になったナチュラルな状態からわざわざ逸れてしまう。
セルフイメージに限らず、“私”が何らかの思考とか感情とかentityなどと同調しやすく、
自他の区別がきちんとできないと、
「他(対象)」として現れる光景が歪んでしまい、
というのは芯の“私”ではない思考や感情やentity色に染まってしまうからで、
やっぱりナチュラルな相似状態からわざわざ逸れていってしまう。

コヒーレンス(coherence)は「議論などの筋が通っていること、首尾一貫、整合性」、
物理学では「2つの波が干渉しうること、干渉性」を意味するが、
メタフィジカルには、ハイアーセルフ‐高次帯域‐マインド‐物理像の各周波数帯が、
相似形でそろっていることをいう。
わかりやすくいうと、
①閃き‐②直感‐③イメージ‐④行為、実現状態と、
上位のコンセプト的なものと下位の具体化した状態が一致していてズレていないことである。
これの典型例が、④の時点で「これは知っている」と気づくこと、
予知夢やデジャヴュに気がついたそのときであるが、
上位の既知感が70~90%くらいの場合もあって、
その場合は既知率100%の場に(引き寄せられて)飛ぶので、
70~90%の場と、100%の場とのちがいが時間の差異や完成度の差異として現れる。
平たくいえば、実現にいくらか時間がかかったり、
少しだけちがう形で実現したりする。
実現というのは物理像で実現する場合だけでなく、
マインド帯域でイメージやアイデアを思い描く場合でも同じである。
高次帯域での既知率(「知っている」感じ)が低いと、いいアイデアはなかなか思いつけない。

私の場合、コヒーレントな個体宇宙のイメージって、数字を合わせると開錠される鍵とか、
ルービックキューブ(立方体の面の色を合わせる立体パズル玩具)みたいな感じです。

ZPFとつながっていて、“私”が宇宙を貫通していて、その宇宙がコヒーレント。
これは修行や輪廻を積み重ねてようやく至れる境地じゃなくて、
人間でも、動植物グループでも、無機物(元素)でも、
ありとあらゆる「ある」ものの原初の状態です。
なので、余計なことをしなければ、もとの状態に還る。
ほんというと、何をしていても、放っておいても、時機がくればもとに戻る。
人によっては、量子跳躍的なその時機がくるまで、
現実感覚をともなう夢のなかで長い長い時を過ごすようですが、
その時機がきてもとに戻ってみると「なぁんだ。こんなのわかってたよ」てな感じです。
長い長い歳月も、夢だと気づいたとたん、それが圧縮された動画ファイルみたいなものだった
とわかり、拍子抜けするでしょう。
修行などは、何かを得たり積み重ねたりするためにすることではなく、
反対に引き算して削いでいく方法のひとつです。
何らかの修練への関心が戻り時機のサインになっている人もおられるかと思います。

コヒーレンスを阻害する余計なことは、人が「心」とか「頭のなか」とか「肚(はら)」と呼んでいる
マインド帯域(思考、感情、気分、それらの組み合わせ)で起きます。
「余計なことをしない」とは、具体的には以下のようなことです。
(1)物理像への情動反応を初発で止める
・物理光景に対してマインドで反射的判断が起きて、イラっとしたり期待したりテンションが
落ちたりしても、経験記憶を検索サーチして原因を追究したり、
思考の堡塁を築いて防御態勢をとったりしない。深追いしない。
・反射的判断による情動反応はしょっちゅう起きますが、これを抑えることもしない。
抑えるとこじれます。
・とにかくマインドで何かが起きたら、最初の一歩を観察して終わりにする。
つい「これは私のせいだ」「いつもの癖で~」といった二歩目が出てしまったら、そこで止める。
(2)唐突に湧いてくる思いを放っておく
物理像への判断からではなく、唐突に何かの思いが湧いてきたり、突然気分が変わったり
したら、「なんでそう思ったんだろう?」「昨日聞いた話からの連想かな?」などと
掘り下げたりせず、放っておく。
(3)不思議な出来事があっても、同時に(2)のようなことも起きて瞬時に理由や意味が
判明するのでない限り、自発的にサーチしたりしない。意味づけの努力をしない。


コヒーレンスは、数字を合わせる鍵やルービックキューブ、あるいはゾロ目のような
ひとつの状態なので、てっぺんから物理像までそろっていても、
何かの拍子にマインドのパフォーマンスが大きくなると、コヒーレントでない状態、
アンコヒーレンスになります。
が、何度もコヒーレントな状態へ跳んでいると、
マインドの動きは(2)のパタンが多くなってくる。
唐突に何かの思いが湧いたり、瞬時にわかるというパタンで、非常に高速です。
離島の珍しい動物が一瞬、目の前を横切っていった、みたいな状況に似て、
一瞬閃いて、それがスルスルと自動的に解けてくるというような。
これはマインドが高次帯域と相似形になって連動しているからで、
この周波数帯域の本来のありように戻ったのです。

コヒーレントになってるときは、とくに何かを引き寄せようとしていなくても、
ふっと思い浮かんだことが、物理的な出来事(物理像)なりアイデア(マインド)なり、
その思いの具体化にふさわしい帯域で、形になりやすい。
その思いがポジティブか、ネガティブか、といった傾きは、もはや問題ではありません。
コヒーレンスはその種の二元性を超えているから。
とはいえ、
「ものごとを放置しておくとネガに落ちていく→がんぱって±0以上にアゲておく」
という自転車操業モードが通常だった地球人標準からするとポジティブです。

そうそう、コヒーレンスといえば、
2017年9月10日(日)の記事で紹介したRTLFは、
じぶん宇宙(個体宇宙)のコヒーレント化を加速させる不思議グッズです。
↓これ
RTLF(右)
RTLF(左)
ご興味のある方は上記の記事中リンク、またはブログ右のカテゴリ「不思議なお店」から
分かれている「RTLF」からご覧になってみてください。
  1. 2018/07/22(日) 21:20:51|
  2. 実現のメタフィジクス
  3. | トラックバック:0

欲しくてもOK

2018.7.16(月)

図書館の新着本コーナーに、読みたかった本みっけ。
前々から、「連作中、なぜこの巻だけ図書館に置いてないの?」と思っていた本が
新着本として届いていたという、
ターゲットを絞った感のあるギフトっぽさに驚喜した。

これを、
「このシリーズは人気があるから、どこかに読みたい人がいて、その人がリクエストしたのだ」
と推測する一般常識には、このシリーズは「誰か」によって借りられていることが多いとか、
「どこかにいる読みたい人」とか、そのどこかにいるだろう人の行為とか、
現れている物理像を思考で延長していって、そこにも物理光景があるはずだとする
空間思考がぱんぱんに詰まっている。
私の物理像にはいない「読みたい人」や「その人のリクエスト」が想定されている。
想定の根拠は経験記憶で、経験記憶の真偽は証明できない。
なのに、そう考えるのが一般的とされているんだから、一般って不思議よな。
一般常識って、そんなふうに、足もとがユメマボロシでできている。
足もとのマボロシ性にフタをし、ここにない空間も実在することにして成立している一般常識は、
みんなの信用によって価値があることになっている貨幣に似ていて、
その「みんな」もマインドで思考された概念であり、物理像にはいない。
私の宇宙には、「みんな」を数えてたしかめた人なんていない。

読みたかった本が新着本として並んだ日の数日前、私はこの本の内容が気になって、
あるブログに紹介された目次やあらすじを読んでいた。
どうもそのときに「図書館にこの本がある」という場面を引き寄せる磁場ができたみたい。
私は単純に「読みたい」と思っただけで、引き寄せ工作をした覚えはないけど、
ハイアーセルフ‐高次帯域のほうで工作して確率をアゲてくれていたようである。

この一件を通じて、「あれが欲しい」とか「こうなったらいいのに」という思いには、
とくに実害はないということがわかった。
スピリチュアル業界の公式見解では、
「あれが欲しい」という思いは「あれが欠けている」物理像を、
「こうなったらいいのに」という思いは「こうなっていない」物理像を実現してしまっている、
ということになっている。
私もそういう話を本で読んだときはそれで納得していたんだけど、そうではなかった。
少なくとも私のメタフィジクスではそうではない。

「Xが欲しい」という思いが同時に「Xが欠けている物理像」を生じさせているという説は、
「Xが欲しい」という思いを「Xが欠けている物理像」へと、思考上で置換しただけで、
「Xが欠けている物理像」などというものはどこにも存在しない。
物理像というのは、“私”が感覚を統合的にとらえて結んでいる像で、
見えたりさわれたりはするが、それ自体はどんな解釈も含んでいない。
足りているとか欠けているとか、ポジ/ネガの角度がつくのはマインドで、
物理像というのはポジもネガもない、中立な、唯の像なのです。
ある自然現象が自然災害になるのは、人の安全や生活が脅かされるからで、
その自然現象そのものはただの自然現象である、というのと同じ。
1階に何らかの物理像があって、
2階のマインドで、「これは“Xが欲しいという思いが出現させているXの欠けた状態だ”」
と解釈しているだけである。
「Xが欲しい」という思いは、経験記憶や人からの情報にもとづく思考だったり、
眼前の物理像の解釈から生じた思考かもしれないが、
ともかく「Xが欲しい」という思いは、物理像に何の影響も及ぼしていない。

実害があるとすれば、「Xが欲しい」という思いが、「Xがないから不遇だ」とか「Xを持っている
誰それがうらやましい」とか、ほかの思いと連動して、高次帯域とのシンクロ率が下がる場合、
つまり「欲しい」という思いがストレスになる場合で、
「欲しい」という思い自体は無害である。

「あれが欲しい」「こうなったら」という思いには、
マインドで何らかのイメージを立ち上げる指向性がある。
たとえば新しい家電製品のイメージとか、漠然としたしあわせなイメージとか、
そういったイメージを起動させる。
「欲しい」「なったら」と思った時点でイメージが立ち上がる以上、
マインド帯域ではタイムラグなしに即時に成就していることになる(※1)。

さて、「思考が現実になる(物理像になる)」とは、
「マインドと物理像が相似関係で重なって、マインドがこれを既知として認識する」、
そういうコヒーレンスが起きるということであって(※2)、
思考が周波数や波形を変えて物理像に変化するわけではない。
ハイアーセルフ‐高次帯域‐マインドという見えない帯域が、
潜在している相似形の物理像をアクティベートして顕在化する、
そのアクティベートの動因が「既知」もしくはそれに近い「8割方わかってる」的な磁力である。
早い話、見えない帯域がウマの合う物理像を連れてくるのだ。

では、マインドでイメージした時点で成就しても、
そのイメージが、イメージ通りもしくはそれに近い物理像を連れてこない場合、
なぜそうなるのか。これは2つのケースに大別される。
①エネルギー強度が「Xのイメージ<連鎖マインド」になる場合
「Xが欲しい」という思いが、「Xがなくて不遇」「Xを持つ人がうらやましい」とか、
「これは(一般的な意味での)エゴから出た欲求だからどうのこうの」とか、
さらには時間思考、空間思考など、他のさまざまな思考、感情、気分を連鎖起動させ、
これらが、Xのイメージが相似物理像をアクティベートする力を相殺すると、
Xのイメージ単独では基底次元(物理像)にコヒーレンスを起こせなくなる。
ごちゃごちゃとした複雑な連鎖式(関係)ができるために、
マインド全体の動態も高次帯域とシンクロしなくなる。
②マインドがゴールで、物理像になる必要がないイメージの場合
夢のなかの出来事の大半、ヒーリングやセラピーの最中に出てくるイメージの大半、
文章やアートなどの作品の材料になるイメージ、など。

「あれが欲しい」「こうなったら」という類の思いは、
パッと端的に思いついた状態のままで、
深く考え込んだり練ったりしなければ、物理像化する確率はかなり高いということだ。
深刻でない願いごとがかないやすかったり、ビギナーズラックとかが起きるのも、
初発のシンプルさが保たれるからだろう。

お釈迦様が垂らしてくだすった蜘蛛の糸を切らしちゃったカンダタもなー、
あとから来る人のことなど一切眼中になく、単純にキタ!って喜ぶか、
もし下を見ちゃっても、このくらいの人数全然余裕、イケる、と思えれば、
地獄からアセンションできたのになー。
あの話は、<人類>的には自分だけ助かろうとする利己心から起きたことと
解釈されるけど、そうじゃなくて、
きわめてまっとうな常識で損得計算している間に、
思考のパフォーマンスが大きくなって切れちゃいました、という話なんですよ。
少なくとも私周りのentityチームはそう読むよ。


※1
基底次元が上昇して、“私”が物理場から離陸すると、
「思い描いたことが即時に“現実”として体験される」世界がはじまって、
マインドのパフォーマンス(思考や感情などの動き)をほとんど観察しておらず、
“私”がマインドから剥がれていない(特定の思考や感情などがパッケージになった
セルフイメージセットと同一化している)と、
破天荒な夢のような世界に投げ込まれて混乱するのだが、
物理身体像があるうちはまだそんなことにはならない。

※2
これを図式化すると、

最上階:Zero Point Field―すべてはあり、かつ、ない(既知であるとともに未知)
5F:0/1帯域―全ハイアーセルフのデータを「ない/ある」という形に圧縮して知っている
4F:ハイアーセルフ―個体宇宙(1~4階)の全データが既知
3F:高次帯域―物理光景をマインドが知っていることを知っている
2F:マインド帯域―1階の物理光景をすでに知っている
1F:物理像―特定の物理光景
B1F:物質波―1階の物理光景に物質っぽい質感を与えている
B2F=最上階:Zero Point Field―物質波がZPFに還流

ということになる。
ささやかな光景でも、バウムクーヘンさながらに、タテ方向にはこれだけの層が重なっている。
個体宇宙(魂)を構成しているのは1~4階で、
1~4階が「すでに知っている」という形で相似的な関係になっているとき、
個体宇宙はコヒーレント(整った状態)である。
典型的なのは予知夢やデジャヴュに気づいているときで、
1~4階とも相似的な関係で重なり、「既知」で目がそろっている。
  1. 2018/07/16(月) 15:56:29|
  2. 実現のメタフィジクス
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みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
人間(♀)仕様だが
中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
リンクはご随意に。
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