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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

問題を解決したければ、問題がないことに気づくのが最善最速(追記:コメント御礼)

2019.1.13(日)

前回の記事で、私の対人関係で生じた出来事を例に、
人からネガティブな話を聞かされたら、
相手に共感したり相手に直に働きかたりしないで、
相手の言動や話の内容によって自分のマインドに生じた思いをZero Point Fieldに還す、
そうすると自分の宇宙が本来のあるべき周波数に戻り、
あるべき周波数にふさわしい現実(物理像とマインド)が呼び出される、
現実の量子跳躍が起きる、ということを書いた。
相手のことはフル放置でかまわない、と。
(「現実を使って自分の宇宙に回帰する」19.1.8/カテゴリ:仮想集合システム)

これは、相手が家族やソウルメイトや大切な仲間や大切なお客さんであっても同じである。
その人に好意をもっているとか、その人が苦手だとか、関係ない。
親しい間柄であればあるほど、
自分にできるだけのことをしてあげたいとか、守ってあげなくてはとか、
フル放置とは真逆の姿勢で話を聞いたりアドバイスしたり協力を申し出たりしがち、
なんだけど、
それそれ、そのケア思考! それこそまっ先にゼロポに還したほうがいい周波数なのだ。
それと、あるべき人間関係とか、愛情とか友情とかに関する既成観念から生じる、
思いやりが足りないんではないか、ケアを出し惜しみしてるんではないか、
できることがあったら何でも言ってと言いながらあまり寄りかかってこないでと思っている、
この人のことを助けたいとかってのはウソでほんとはこの人と一蓮托生の自分が困るからで
ああほんとに私ってエゴイストでヤなやつ、
といった、二次反応的な自己批判も、まとめてゼロポに還す。
この人、前も同じことあったよね、なんで自分の型に気がつかないのかな、
といった、相手の話への分析が起きたら、それもゼロポへ還す。

前回の記事に書いた出来事を中心に、そのほかにも何やかや細かいことがあって、
私にはコツがつかめた感があって、
「お金が足りない」でも「仕事がしんどい」でも「身体がつらい」でも「才能がない」でも、
問題のテーマが何であれ、
五感的な濃い感覚の束である物理像に、記憶や経験知やメディア情報を被せて
<問題>に仕立てているのはマインドであり、
本来の自分の宇宙からすると違和感満載のこの<問題化>の「感じ(周波数)」を
ゼロポに還せばいいだけなんである。すると、
高次(微妙な感覚)‐マインド(中程度の感覚)‐物理像(濃い感覚)が「私」を軸に整い、
ここにはどんな<問題>もない。
この本来の自分のマインドの中立な平常心は、
とくに根拠を必要としないワクワク、ゾクゾクとかの湧き上がり感だったり、
のびのびとしたくつろぎ感とか清明な明澄感だったりする。
ここで整体完了。
そのマインドの周波数にふさわしい物理像が呼び出されて、
<問題化>の軌道にいたときに問題だったことは、
「そういえばそんなことを考えてたかな」とほんのり思い出されるみたいな形で、
いつのまにか解決していたことがわかる。
あるいは、自然消滅、自然成就に至るなりゆきがあまりにも自然なために、
問題の件はもはや思い出さないかもしれない。

マインドで仕立てた<問題>に、対処思考の立ち位置から直に働きかける、
すなわち<問題>を抱えたまま求人サイトにアクセス、病院に直行、
というような行動に出るということは、
濃い感覚や中程度の感覚を感じる「私」に先んじて感覚の対象である客体がある、
自分の身体、自分の家、Aさん、社屋、銀行のATM、紙幣、というような物体(客体)が
まずあって、それらを自分の身体が、身体機能にしたがって感じている、という、
客体‐空間‐時間思考システムを即適用しているということで、
すると、思考システムの範囲内で<問題>を<解決>するしかなくなり、
解決の方法も思考システムの範囲内に限られるし、
解決の結果もやっぱり思考システムの範囲内に限られるのである。
また、どんな解決策をとるにせよ、
「私」の感じかたとは関係なく、客体固有の法則(物理、化学の法則、それをベースとする
社会常識など)で動いているものに働きかけることになるので、たいへんな労力を要する。
要は<問題>と<解決>って、思考システムの枠内にしかないプレイなわけです。

そうではなくて、「私」が感じるとともに、さまざまな濃い感覚が出現し、
それを「身体」「家」「Aさん」「社屋」「ATM」「紙幣」等々とマインドで仕分けて、
濃い感覚の一部(音とか文字)を象徴に使って、そう名づけているのである。
だから、「身体」「家」「Aさん」「社屋」「ATM」「紙幣」等々は、
「私」と関係ない、それぞれも関係ない客体(物体)Xではなくて、
すべて「私」を軸とする宇宙に属している。
高次(微妙な感覚)‐マインド(中程度の感覚)‐物理像(濃い感覚)と、
それぞれの層で感じられるべきことが感じられ、現れるべきことが現れているだけで、
もともと<問題>はない。
マインドに<問題>が立ち上がるとすれば、それはイレギュラーな「感じ(周波数)」で、
思考システムを使ってますよ、そのプログラムから出てください、というサインだから、
イレギュラーな周波数をゼロポに還せばオワリだ。
<問題>のテーマが対人関係だったら、
相手のことはフル放置で自分のマインドを整えることが、結局、最大の利他行為になる。

世界を、物体をベースとした物体の相互作用とするか、
「私」という当事者視点の意識の認識かつ創造とするか、
両者はまったくちがうステージです。
優劣はなく、行き来も可能ですが。
前者の軌道にいると、前者の世界観の仮想性すら見えてきません。
世界はまぼろしではなく、人生は遊びなどではなく、現実を変えるのは容易ではない、
などなど、まぼろしではないものがある(!)ことが大前提なのですから。
前者の軌道からは、たとえばこの記事など、
善意で解釈しても心理的な気休めくらいにしか思えないでしょう。
後者の軌道だと、まぼろしではないものがあるという設定がいかに特殊かがわかるし、
心理的な気休めこそが一切の動因だと得心します。
前者から後者へ移行するということは、
「世界があって私がある」から「私があって世界がある」へと180°転換することで、
このセルフポールシフトがセルフアセンションの核心です。


<付録>
マインドで違和感のある周波数を感じたときのゼロポ還しのやりかたを、
いま一度、ここでまとめておきます。

(1)「感じ(周波数)」を感じている当事者意識である「私」を、ハイヤーセルフまで後退させる。
物理像はもとよりマインドも、さまざまな感覚が織りなす模様にしか感じられないところまで
後退する。
方法その1.
自分のうしろにあるドアを次々に開けて奥へと奥へと入っていく、
もしくは、自分の身体が左回りに回転して奥へと下がっていくイメージを描く。
方法その2.
①両手から黄金の光が、遠く空まで届く勢いで放たれているのをイメージする。
②その手を丹田の上で重ねる。左右どちらが上でもよい。
 丹田に点った黄金光が、全身に広がり、頭頂と足元を突き抜けて広がる。
③そのまま目を閉じ、何秒かしたらに開く。同時に丹田から手を離す。
 目を開き、手を離したときに、「ドリーム」と口に出すか、心のなかで言う。

(2)(1)の位置まで「私」が後退している状態で、
マインド(思考、感情、気分といった中程度の感覚)にある、
全体とミスマッチなヘンな「感じ(周波数)」をZero Point Fieldへ還す。
①空中の適当なところにZPFにつながる窓をイメージする。
②違和感のある「感じ(周波数)」を透明なカプセルに入れることをイメージする。
③鳥を放つような感じで、カプセルをZPFの窓の向こうに放つ。


文字で見ていると、手順がめんどいなー、咄嗟のときにはできんわ、と思われるでしょうが、
大部分がイメージワークなので、慣れると数秒もかかりません。
もっと慣れると、「ドリーム!」「ゼロポ還し!」とか、一発アファメ変換に圧縮されます。

もちろんアレンジしてもかまいませんし、
ご自身のガイドスピリッツなどから伝えられた方法があれば、それにしたがってください。

1月15日(火)

非公開拍手コメントをくださったAさん、あざっす☆
RTLFね、使いまくってますEVERYDAY
それに、昨年、豹専務も自分用のRTLFを買ったので、
うちはRTLF屋敷になってます(笑)。
アレの成分は・・・たぶんコカコーラの成分同様、
トップシークレットなんではないでしょか。
(RTLFってなに? と思われた方は、ブログ右のカテゴリ
「不思議なお店」から分かれてる「RTLF」をご覧ください。)
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  1. 2019/01/13(日) 17:11:41|
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現実を使って自分の宇宙に回帰する

2019.1.8(火)

引き寄せの法則、イメージング、アファメーション、などなどのスピテクは、
収支、仕事、健康、人間関係などの改善、向上といったように、
現実を変えることを目的として使われることが多かったように思う。
この場合、現実とは物理像(濃い感覚)とマインド(中程度の感覚)のことである。
しかし現実を変えることを目的にすると、目的に設定した時点で、
仕事の状況とか金銭とか身体とか上司とか、
変えたい現実を操作の対象として客体化し、
即時に「私」も、宇宙を感じるとともに出現させる当事者視点から、
物体でできた世界のなかに投げ込まれた物体(身体)に転落してしまう。
どんなスピテクを使っても、現実の変更を目的にしたとたん、
「私」に先んじて物体でできた世界があり、
そのハコのなかで物体(身体)の「私」が外部環境を操作して変える、という、
客体‐空間‐時間思考システムにもとづく常識的アプローチの延長になる。
「私」と操作対象は、
物体でできた土俵上で物体vs.物体の同格となって真っ向勝負するわけで、
「私」がわざわざ一物体に化身して堕天したことによって、
操作対象の力は相対的に強力になる。
   ↓ 要約
現実を変えることを目的にすると、目的にした時点で、現実にかえって力を与える。
「正攻法では変えがたいからスピテクで」というアプローチは、
現実の変えがたさを認めていることになる。

じゃなくて、現実が居心地悪かったら、
マインドで感じているその居心地悪さをZero Point Fieldへ還せばいいわけ。
それには、その居心地悪さがただの「感じ(周波数)」としてとらえられるところまで、
「私」という視点が後退していなければならない。
つまり現実が居心地悪いというのは、
自分と合わない「感じ(周波数)」だというサインなので、
①「私」がただの当事者視点に戻ること、
②①視点から自分と合わない周波数をゼロポへ還し、本来の自分の宇宙に戻すこと、

というのが着地点になる。
要するに「私」を軸とする本来の宇宙に回帰することが目的なのだ。
そうなったとき、何らかのスピテクが必要なら直感的にわかるので、
そしたらばんばん使えばいいと思う。
実際、自分用のメソッドやアファメなどが降りてくることは、よくあります。

実例をひとつ紹介。
昨年12月はじめごろ、ある人から、電話で「深刻な病気かもしれない」と訴えられた。
この人は、昨秋くらいから体調がわるく、
終活ノートを作成しているとかなんとか言って、そのときも電話があったのだが、
このとき私は、「問題の中身をチェンジしたんだな」と思った。
従来、この人の問題の定番は仕事上の人間関係(自営なので対お客さん関係)
だったのだが、数年越しの付き合いがあった困ったお客さんとの縁が切れたので、
今度はその問題醸成器のフォーカス先を健康・寿命分野に変えたのだ。
問題を立ち上げてそれに悩む、憔悴するという型は変わっていない。
それから治療してはいるものの症状はあまり変わらず、
別の医師に診てもらったところ、
深刻な病気が危惧されるから大きな病院で検査するよう勧められ、
明日、その検査に行くのだという。とり乱して切迫した声である。
私は、私の「私」にまかせて応対し、この人の話を全面笑い飛ばしモードで聞いて、
「もし余命何か月とか言われたら、それまで先のことを考えてやらなかったことを
全部やればいい。私ならそうする」とか、
「ヒーリングとか代替療法とか、何でも試して自分人体実験すればいいじゃん。
私ならそうする」
というような受け答えをしていた。
相手の人は、薄情だとか思いやりがないとか言って私を非難していたが、
そのうち、私のあまりの能天気なポジティブぶりに、「ダメだわ。この人、宇宙人だわ」
という感じで呆れはてて、電話を切ってしまった。
電話が切れたあと、私は、この電話から受けた疲労感とか、
この人の問題起動グセを分析する自分の思考などを、まとめてZero Point Fieldへ還した。

ポイント①
人からネガティブな話を聞かされたとき、「それはたいへんね」とか「心配ね」などと
同調しないほうがいい。
相手のネガティブな波動を増幅させるし、自分も周波数が下がってしまう。
ネガティブな話題には参加しないのがベストだが、何か応答を求められた場合には、
上述のようにハイヤーセルフに回答を委ねるか、
淡々と聞きながら、ネガティブなマインド波を溜めないように、聞いた先から流す。
Zero Point Fieldの窓をつくっておいて、話がそこに流れていくのをイメージしながら
ヒアリングするといいかもね。

ポイント②
人からネガティブな話を聞かされたりしたとき、
相手を直に遠隔ヒーリングしたり、お祈りしたりせず、
自分が抱いた感情、気分、相手に抱いたイメージや状況についての思考などを
Zero Point Fieldへ還す。
自分のほうを整える。
そのうえで、遠隔ヒーリングやお祈りをしたりしたほうがいいという直感指示があれば
やってもいいが、基本的には他人のことはフル放置でかまわない。


年が明けて6日、同じ人から電話。
深刻な病気は杞憂で、ただ深刻でない原因が口腔内にありそうなので、
そちらを治療することになりそうだという。
前の電話では、この人の声は暗くて騒々しかったが、今回は明るく騒々しくなっている。
私は「量子飛躍キタな」と感じた。
最初の電話で、私が大人の応対をして「たいへんね」式の同調をやっていたら、
この人は深刻な病気と診断されていたかもしれない。
言葉ではどうしようどうしようと言いながら、この人は深刻な病気やる気満々だったから。
あのとき、(相手の宇宙ではなく)私の宇宙には、
(1)この人が深刻な病気と診断された現実
(2)この人が深刻な病気ではないと診断された現実
どちらの現実にも行ける可能性があって、
私の「私」が(1)を呼び出すマインド波をすべてゼロポに還して手放したので、
(2)に跳んだのである。
でも、病気かそうでないかという現実はじつはどうでもよく、
病気というのは、ある濃い感覚(五感と痛みなどの感覚)の束からなる物理像に対する、
マインドの(客体‐空間‐時間思考システムによる)仕分けと呼び名なのだから、
ウエイトはそこではなく、「深刻」のほうにあるのだ。
だから、この人は医師から深刻な病気と診断されたけれども、
なぜか本人的には全然深刻でなくなった、という現実もありで、
そういう現実に跳んでもかまわなかった。

なお、2回目の電話では、
今度は深刻でない原因の治療か、もしくは息子が、娘がどうのこうの、とかの別ネタで
話が長くなりそうな気配だったのが、
偶然に! 先方に訪問客があって、電話越しにインターホンが鳴る音がし、
話が報告だけで終わったのである(驚)。むしろこっちに奇蹟を感じた。
  1. 2019/01/08(火) 17:13:22|
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マスターヒラリオンからのメッセージ

2018.12.31(月)

マスターヒラリオンからのメッセージ。

存在は人生の断面(瞬間、あるいは場面)ではない。
存在と、人生は、クロスしない。
人生は、存在が夢を見るときの、無数にある夢見の方法のひとつ。
あなたがたが地上にいて見られる夢は、それだけではない。


ヒラリオンは、神智学協会のアリス・ベイリー氏つながりの七賢entitiesのひとりらしく、
私はそういう系にはまったく詳しくないのですが、
なぜか私周りではウニキス@アルデバランとパイプがあるらしいです。

言われてることは、
「存在する」と「人生を生きる」はまったく別のステージで、
「人生を生きる」は、たっくさんある「存在する」やりかたのほんのひとつにすぎない、
ということですね。
「人生を生きる」とは、誕生して、育って、成人して、職業に就いて、家庭をもって、老いて、
死ぬ、という、
場面が記憶化して積み重なっていく累積線形時間思考によるストーリーとして
物理像とマインドを体験していくやりかた、そういうゲームです。
誕生から死までの線形時間展開中のアトラクションは人によりさまざまですが、
どの体験もストーリーを前提に解釈され、ストーリーに回収されていきます。
一方、「存在する」とは、特定のストーリーやプロットにとらわれずに、
物理像(濃い感覚)、マインド(中くらいの感覚)、さらには高次ゾーン(微妙な感覚)をも
体験していることです。「存在する」の主語は「私」です。
前後関係(時間思考)や相互関係(空間思考)は観察と創造の道具で、
使っても使わなくてもいいし、どう使うかも自由です。キマリはありません。

存在は人生の断面ではない、とは、
①過去、現在、未来という時間思考をしているときの「今」すなわち直近の過去場面は、
時間思考が暗黙の前提となっているときのとらえかただから、
その「今」には存在は感じられないということ。
時間思考の枠のなかにいて時間思考を超えるものを知ることはできない。
②人生をやってる最中に、ハッ、と気づきがあっても、
それを人生の運営に応用する、という使いかたをすると、
それはやっぱり人生を生きているのであって、人生という制限から脱してはいない。
という、2つのことを意味しています。

かつては、地球と呼ばれている物理場で物理像(濃い感覚)を体験するには、
客体‐空間‐時間思考システムをインストールして「人生を生きる」ことが必須でした。
たとえ自分が思考システムによる制限を超えて「存在する」ことに気がついても、
それをわかったうえで敢えて制限された人生をやる必要があった。
なので、②のような形が限界だったわけです。
「かつて」というのは思考システムのなかの時間思考に則った言いかたで、
今昔問わずそういうスタイルはあります。
時間思考をはずして言えば、
一定数の人が②で可能性が閉じている世界にフォーカスしているということ。
しかし、もう自分が「存在する」ことに気づいた人は、敢えて人生をやる必要はない、
人生に制限されない数多の可能性世界に跳ぶことができます。
「地球物理場で物理像を体験しながら、思考システムをはずしてしまう」あるいは、
「思考システムのインストールなしに地球物理場で物理像を体験する」ことができます。
もちろん②のスタイルをやりたければやってかまいません。

何の制限もなく単に「存在する」のは無為自然な状態で、
それを封印して決まったプログラムにしたがう、
プログラムの枠内だけがすべてと思い込む、というのは、
特異で、複雑な思考工程を必要とする高度なワザです。
また「存在する」から「人生を生きる」へと絞り込んでいくより、
「人生を生きる」からもとの単純な「存在する」に戻るほうがずっと易しい。
でも「存在する」ことへの気づきはプログラムを走らせまくってるただなかで起きるから、
回帰にシフトすると、あれこれ勉強したりしないといけない気がしたり、
セミナーや対人セッションなんかをやってる人が雲上人みたく思えたり、
体外離脱ができないとか明晰夢が見られないとかでがっかりしたり、
精神世界的なこと、あるいは特定の流派に反発を覚えたり、
「進歩」のない自分を責めたり、などなど、マインドが千々に乱れることもある。
それはプログラムを通して、「“存在する”に至る道」を見ているからです。
なーんだ簡単だった、ということは、
あるとき、あっけなく「存在する」になっていたときにわかります。
自分はそのままで完璧である、いつだって完璧だったということは、
完璧になってはじめて見えるっていう、そういうムカつくからくりwになってるの。

でも「存在する」のはすばらしいけど、「人生を生きる」のはくだらないとか、
「存在する」に振り切った人はエラくて、「人生」をやってる人はアホだとか、
そんな優劣は全然ありません。
どちらも夢、どちらも遊びで、
ただ「人生」のほうがテクニカル的に手が込んでいるというだけ。
「存在する」に戻るタイミングとかきっかけは個々人でちがっていて、
早いとか遅いとかも関係ありません。
その兆候(サイン)は、「人生」上の成功や失敗、幸不幸が霞がかって見えてくることです。
このソフトフォーカス加減は、そこがターゲットじゃないぞ、っていうお知らせ。

・・・というようなことを、私は2017年12月ごろに記事にしようとしていて、
ああそうだ、何もかもホーリー(holy:神聖)なのだ、という清々しい気持ちで、
そろそろこのブログも終わりにしていいのかな? という瞬間がありました。
ところが、その直後にベト9の4楽章みたく「ちげえよ終わってる場合かよ」的な
怒濤のチャネリングが入って、2013年の主題が再来したかと思いきや、
後半は仮想集合システム(客体‐空間‐時間思考システム)に張りつきっ放し、
その締めくくりに次元上昇という、2017年夏に蜃気楼と思えたものが明瞭になり、
最後に17年末につながるようなヒラリオンのメッセージ。
なんなのよこのUFOのジグザグ飛行みたいな流れ?
個人的には、ずーっと忘れていた、10代のときに知りたかったことがわかったり、
10代のときにかなえたかった願いごとがかなったりもして、
もう時間思考も空間思考も木っ端微塵です。
そんなわけで、年が改まるという実感ゼロなのですが、みなさまごきげんよう。
  1. 2018/12/31(月) 22:10:30|
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マインドの真実

2018.12.27(木)

思考を見て通過させるとか、止めるとかっていう、マインド筋トレ的なエクササイズを
やっていると、
マインドというのは、根本的には打算的である考えやら気持ちやらが跋扈している
残念なゾーンであるという印象に傾きがちです。
私も、思考を通過させてドラマ化させない、というテーマで記事を書いてたときは、
なんか文字だけ見てると思考は悪玉菌、マインドは悪玉菌の巣窟みたいだな、
けどそうじゃないんだよな、と感じていましたが、実際そうじゃないんです。

なんらかの「感じ(周波数)」に前後関係や相互関係といったロジックをつくったり(思考)、
増幅させて際立たせたり(感情)、
思考や感情の調性を決めたり(気分)するマインドは、
本来は、微妙な感覚(高次ゾーン)が具体化するレイヤー(層、次元)です。
微妙で精妙な、えも言われぬ信号、直感、閃きが、
イメージになったり、形や音と結びついて言葉や絵図になったり、確信になったりして、
驚きや歓びがぐわーん、と響きわたる。
高次の信号が果実になる層です。

もし、マインドの中程度な感覚を感じる「私」が濃い感覚(物理像)まで降りていれば
(一般的な言いかたでいうと生存している人であれば)、
マインドで感じられたことは、
その「感じ(周波数)」とオクターブとか和声関係にある(相似形の)物理像を呼び出します。
厳密にいうと、その「感じ(周波数)」は、相似形のエーテル像を呼び出し、
このエーテル像に、地球と呼ばれている物理場の物質波が質感を与えて、
輪郭のはっきりした、濃い物理感覚になります。
呼び出される物理像に対応しているのは、
イメージや言葉で表されている「感じ(周波数)」であって、
イメージのパーツや言葉の意味内容ではありません。
「思考が現実になる」という言いかたには二重の誤解があって、
①思考ではなく、思考をつくっている周波数の波動が作用する、
②思考をつくっている周波数の波動が化学変化するように物理像になるのではなく、
すでに無数に潜在している物理像から、その波動と合う物理像と結びつく、
というのが正確な表現です。
数字が合うと開錠される鍵みたいに、上中下の次元の「感じ(周波数)」がそろう
(コヒーレントになる)ということです。
引き寄せが上手い人は、特定の物理像とぴったりオクターブで重なるマインド波動を探って、
それを「私」が感じることでずばり的中させることができます。
白いジャケットに照準を合わせると、それは白いジャケットとして物理像化し、
黒いジャケットや白いコートになることはない。
が、次元上昇してマインドがメインステージになると、
物理像の細かいとこはどうでもよくなる。
防寒着、サイズ、無地、ってあたりをクリアしてればOK的な。

マインドが、たえず浄化しないといけない残念なゾーンになっちゃってるのは、
客体‐空間‐時間思考システム(仮想集合システム)を使っているからです。
どんな感覚ゾーンの「感じ(周波数)」も、感じているのは「私」という当事者意識であり、
「私」が感じることによって出現させているのですが、
マインドに仕掛けられている客体‐空間‐時間思考システムは、
その「私」を、物体(身体)と物体(身体)の生理反応から派生すると定義した心のことだと
思い込ませていて、
微妙な感覚(高次ゾーン)を無効にしています。
たまに感じられても、「気のせい」「偶然」として思考システムベースの思考で処理しちゃう。
思考システムを使っていると、
「私」は濃い感覚(物理像)と中程度の感覚(マインド)しか感じられない。
これが「制限されている」ということです。
制限された「私」は、
「自身の物体(身体)と心を他の物体の襲撃から守れ」というシステムの指令にしたがい、
ケア思考、メンテ思考、保険思考の「感じ(周波数)」を感じまくって産出しまくる。
と、この「感じ(周波数)」にふさわしい物理像ががんがん出現してきます。
「私」が無自覚に思考システムを使ってこういうテトリスみたいなゲームに興じているうちは、
浄化とか手放すとかいった発想すらないのですが、
思考システムを使ったセルフマインドコントロールに気がついて、
湧いてくる思考を通過させて終わらせる、というようなことをやりながら、
それでもなお、
「職場では周りに合わせる(思考システムを使う)、家に帰ったら脱システム」
「健康上の問題やお金の問題には一般常識で対応する(思考システムを使う)、
それ以外の、人間関係から生じる感情のとり扱いなどでは高次のサインを仰ぐ」
といったダブルスタンダードをやっていると、
マインドの浄化作業はキリなくつづいていきます。
不燃ゴミを出したりトイレに行ったり電車に乗ったりしているこのオレがハイヤーセルフだ
(濃い感覚を感じているハイヤーセルフ)、
「私」が感じるレイヤー全面解禁、
人生? 生活? 老後? ぬ、なんだっけ? 思い出せんぞ?
というくらい全魂コミットメント(脱システムに振り切る)してはじめて、
マインドは高次ゾーン(微妙な感覚)が開くステージになります。

わくわく、ぞくぞく、うきうき、うずうず、
そんなふうに、
深淵(Zero Point Field)からこんこんと湧き上がってくる「感じ(周波数)」は、
本来のマインドの調性(気分)です。
とくにポジティブではなく、これが平常心です。
この湧出感をベースに、
高次の信号は、いろんなイメージや、考えや、気持ちとして形になり、
そのうち、物理像(濃い感覚)を量子跳躍させる波動は、
跳躍先の物理像を呼び出しますが、
なかには物質波の影響を受けずに、半物理像みたいな形になるものもあります。
物理像が物質ではなく、エーテル像に物質的な質感を与えたものだということは、
すでに書きました。
つまり、「感じ(周波数)」が最も具体化した形は(人間型存在の場合)エーテル像で、
なかには地球と呼ばれる物理場では物質的質感を付与できないものもあるのです。
天使とか、UMA(ユーマ)とか。
人間の量子跳躍力が柔軟だと、あるいは一時的に柔軟になると、
パラレルな地球物理場の変換係数を引っ張ってきて画像や動画に写せたりしますが、
そのへんはめんどくさいので説明しません。
要は「感じ(周波数)」を変えられたり、パワースポット的な場所だと、
見えるとか写るとかってこともある。
でも基本的に天使とかUMAの類はエーテル像で止まっています。
マインドが自由になると、こういう物理像化しないエーテル像が感じられるようになる。
ただし、思考システムの定義からはずれるので、
羽があって白いローブみたいなものを着ている姿、みたいに見えるとは限らない。
光の球とかオーブみたいなものとして見えるかもしれないし、
視覚じゃなく、音や香りや、六感的な気配として感じるかもしれません。

思考システムがはずれて、
「私」のフィーチャーゾーン(注目先)が物理像からマインドに上昇すると、
微妙‐中くらい‐濃い、と具体化していく感覚レイヤーのどん詰まりが、
ほんとは物質じゃなくてエーテルだ、
物理像はエーテル像に(地球の物質波で)メリハリをつけたものなんだ、
ということがはっきりしてきて、
物理像(濃い感覚)とエーテル像(中濃感覚)が地つづきになります。
これが目を覚まして夢を見ている状態です。
夢の次元。第4密度あるいは4次元密度。
「死」と呼ばれている節目もまったくドラマチックじゃなくなります。
だって、地つづきになってる景色のコントラストが弱くなるだけですからね。

マインドって、高次層のなかでいちばん元気のあるアストラル帯域の端ですから、
もっと広大な可能性を秘めているんですよ。
これを思考システムに沿った一般常識で表すと、脳の3%しか使ってなくて云々、
という説に喩えられるのですが、うまく機能するには余白も必要だとしても、
97%は余りすぎでしょ。
コンピュータのメモリだったら、まだまだイケイケじゃないですか。
思考システムのお世話で汲々として莫大なメモリを余らせてるのはもったいないです。
  1. 2018/12/27(木) 14:29:12|
  2. 仮想集合システム
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透明な額縁、あるいは空気イス

2018.12.21(金)

額縁があります。
額縁のなかには絵があります。
絵は平面ですが、視覚の作用で奥行きがあるように見えます。
動きもあります。音や香りもあり、味を感じることもできます。

朝、起きて、布団をかたづけ、窓を開けて換気をする、
顔を洗い、洗濯機のなかに洗濯物を入れて、洗剤も投入、洗濯機を回す、
お湯を沸かし、ゴミ箱にたまったゴミをゴミ袋に移す、
というようなことが、額縁のなかで行われています。

あるとき、絵の周りを囲んでいた額縁がはずれます。
額縁はなくなり、絵は、それまで額縁の外だった世界とつながって、
全体の一部になりました。

が、この絵を見ている視線は、額縁があったときと同じように、
絵を構成する物や人の位置、変化のようすを、じっと凝視しています。
目を離すと、何かとんでもないことが起きたり、動きが滞ったりして、
絵がめちゃめちゃになってしまうかもしれないからです。
そうやって視線を絵に固定していると、
絵の構成や動きは、額縁があったときとまったく変わりません。

額縁があったときには、
絵の構造(空間)や変化のしかた(時間)に一定のルールがありました。
額縁がはずれると、このルールもなくなるのですが、
絵を凝視していると、ルールは変わらず機能しつづけます。
なので、絵のレイアウトや、それが動いてくようすは、前と変わらないのです。
まるで、まだ額縁が存在しているかのようです。
空気イスみたいです。

額縁は、「私」に課せられた制限を表しています。
すなわち、濃い感覚(物理像)も中程度の感覚(マインド)も微妙な感覚(高次)も、
全部「感じ(周波数)」として感じて出現させる当事者意識である「私」を、
一塊の物体(身体)と物体から生じるとされる心(主観)に制限して、
「“私”とはこの身体と心のことだ」と思い込ませている客体思考の象徴が額縁です。
額縁に囲まれた絵の内容は「現実」と呼ばれている物理世界。
額縁があるときは、それは物体だと考えることがお約束になっていますが、
額縁がなくなると、濃い感覚の束からなる「像」であることがあきらかになります。
額縁、つまり客体思考がはずれて、
「全部“私”が感じている“感じ(周波数)”だ。その“感じ”が濃く強烈に感じられるのが
物理世界で、これは濃く強烈な帯域というだけで、
“感じ”の向こうに物体があるわけじゃない」
とわかると、物体が一律に広がっていると思い込ませている空間思考や、
物体が一律に変化すると思い込ませている時間思考も、ただの思い込みだとわかります。
と、微妙な感覚(高次)が、その周波数と相似形の中程度の感覚(マインド)を呼び出し、
呼び出されたマインドが、その周波数と相似形の濃い感覚(物理像)を呼び出す、
という、上流から下流まで位相のそろった観察と創造が起きます。
高次の信号がマインドのわくわく、ぞくぞくになり、それが通常の状態で、
マインドのわくわく、ぞくぞくが、それに合った場面を連れてくる。
わくわく、ぞくぞくは通常の状態ですから、
タイミングがいいとか、必要なものが全部そろってるとかいうのも通常の状態で、
とくに奇蹟ではありません。

が。
空気イスをやってると、
制限がはずれても、なお制限の範囲内でしか、ものごとは起きません。
「私」は制限の範囲内のことしか感じないし、出現させません。
能力は無限大なのに、ですよ?
パガニーニやチャイコフスキーの協奏曲を弾けるヴァイオリニストが、
なぜか人前だとキラキラ星しか弾けなくなっちゃう、みたいな。
100メートルを9秒台で走れる人が、
公式タイムを測ろうとすると小学生でも抜かせるタイムまで落ちちゃう、みたいな。

額縁(制限)が消えても、絵の内容が額縁があったときと同じ状態にとどまるのは、
絵の内容を凝視しているからです。
これは、物理像の面倒をみようと身がまえているマインドの状態です。
物理像にフィーチャーする(注目する)と、
①注目→②ケア姿勢発動→③バーチャル額縁アクティベート→④むかしの現実の継続、
という一連の反応が速攻で起きます。
額縁しばり(客体‐空間‐時間思考システム、またの名を仮想集合システム)のしくみ上、
①は②のボタンを押すという連動プログラムになっているので。
物理像にスポットを当てると、必ず、そこに評価や判断が被さり、
どうなるんだろうどうしようといった心配がはじまるしくみになっているのです。
これを宇宙人とか天使とかのentity目線で見ると、
道を渡るときに、道路の凹凸や手足の動きに注意が行ってしまって、
とっとと渡れる道を、ぎくしゃくとひどく苦心しながら横断している、とか、
隣の部屋に行くのに、今日はドアがちゃんと開くだろうかと気にしているとか、
そんなふうに見えるみたいだ。
実際には、特別な事情がない限り、道を渡るときには渡り切れるかどうかを心配したりせず、
さっさと渡ってしまうし、隣の部屋に行くのにドアの開閉を気にかけたりしません。
物理像への目配りって、そのくらいでいいんです。
物理像を特別視してケア姿勢になることはグラウンディングじゃありません。
グラウンディングとは、自分が降りているいちばん低い次元に接続していること、
濃い感覚(物理像)を、どんな評価も被せずにそのまま感じることです。
要は道をスムーズに渡れる状態です。

物理像にフィーチャーしなくなった状態を実感的にいうと、
生活が存在へと融解してしまう感じです。
ずっと居て、何かを感じている、どの感じも瑞々しい。それだけ。
日時や場所や言葉の意味はわかるけどどれもBGMみたいで、
人生とか社会とかへのリアリティがない、
とにかくなぜかわからないけど楽しい! というような。

制限がはずれると、
「私」のフィーチャーゾーンは一段上がって、マインドがメインになります。
次元が上昇するんですよ。
思考システムのコントロールから脱して、もとに戻ったマインドが、
わくわく、ぞくぞくしたり、こんこんと湧いてくるようだったり、宇宙大にくつろいでいたり
しているかどうかがメインテーマ。
それがどんなふうに形になるかは副産物で、
マインドのわくわくが副産物の豊作をもたらします。

それにしても、
微妙な感覚(高次の信号)がマインドのわくわく波動として具体化するって、
とくに不思議だと感じませんが、
マインドのわくわくが濃い感覚(物理像)を変える、
そのわくわくに釣り合う現実を連れてくる、って、すごく奇蹟っぽい。
それって、現実ってのはそう易々とは変わらない、
現実の基本は物体だから、物体自体の法則で動いていて、
不可知、不可測な要素もいっぱいある、
人の意思でどうにかなるようなものじゃないんだ、
っていう考えが暗黙の常識になっているからで、
現実が変わる!? へえ、すごい、っていうこの特別視こそが、
セルフマインドコントロールががっつり利いてたあかしのように思う。
上の次元が中次元で具体化するのも、中次元が下次元で具体化するのも、
原理はどちらも同じなんですけどね。
  1. 2018/12/21(金) 16:57:27|
  2. 仮想集合システム
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みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
人間(♀)仕様だが
中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
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