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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

違和感と不快感のちがい

2019.5.13(月)

マインドで生じる違和感をゼロポイントフィールドへ還そう、
それが制限のない宇宙に戻るコツだよ、ということを、何度か書いてきました。
高次像-マインド像-物理像、この連動する具体化の流れが途切れるのは、
中間のマインドに仕掛けられた客体‐空間‐時間思考システムによって、
微妙な感覚で現れる高次の信号が伝言ゲームのように変形してしまうからです。
すると、客体‐空間‐時間思考というシステムに沿って組まれた一般常識ソフトウェアが動き、
物理像の周波数帯は、一般常識思考と相似形の場面に飛びます(量子跳躍する)。
一般常識思考と連動する物理像が現れるわけです。
このとき、もし一般常識思考に「クルマ」という言葉が含まれているとすると、
言葉どおりクルマが現れるのではなく、
「クルマ」という言葉やイメージを含むこのときの思考の「感じ(周波数)」に合う物理像に飛びます。
その結果、一般常識思考の妥当性が証明されたかのように見えるので、
一般常識思考は経験則として強化されます。
経験則化した一般常識思考は、常識だとか思考だとか、自覚されることすらなく、
習慣的に、反射反応的に繰り出されています。その多くは言語化されていません。

原初の宇宙の自在な創造力をとり戻すには、
マインドでブロックを構築している一般常識思考<客体‐空間‐時間思考から出る必要がある。
マインドにあるヘンな工作物を解体すれば、高次-マインド-物理像の流れはスムーズになります。
それには、一般常識思考<客体‐空間‐時間思考がアウトプットしてくるさまざまなお題に対し、
おかしいという違和感が出てこなければなりません。
最近、私が体験した例を挙げます。

お題:プリンタを使おうとしたら、作動はしているけれども、印刷されず、白紙しか出てこない。
サポートデスクに電話して、ノズルチェックやクリーニング等をしてみたが直らない。

こういうとき、違和感として感じられるはずの感覚とは、
白紙しか出てこないという物理像状況への焦りや苛立ち、ではありません。
「修理に出すより新しいプリンタを買ったほうが安い、でも、もしインクに問題があるだけだったら、
インクだけ買えば純正品でも数千円の出費ですむ、けど、インク買ったあげく直らなかったら
ヤだなー。あるいはとりあえず印刷だけ外注するか。さてどうしよう」といった迷いでもない。
この状況を「解決を必要とする問題」に仕立てている思考です。
ある状況を問題視している思考に「あれ、おかしいぞ?」と引っかからないと、
焦りや苛立ちや迷いをゼロポに還したところで、冷静に対処できるようになるだけです。
「プリンタを買う」「インクを買う」「外注する」という選択カードも変わりません。

このあとどうなったかというと、
これが問題だという見かた自体に違和感を覚えたとたん、この「感じ(周波数)」はゼロポに還り、
ガイドスピリッツのひとりから「夜になるまで待て」という謎の指示があった。
で、夜21時すぎごろ、歯を磨いていたときに、
フタの開いたプリンタのイメージが出てきて、
そういえば押入れの奥にダンボールに入れて置いてある古いプリンタにまだインクがあるかも
しれないと思いつき、調べてみたら、ちょうど必要なカートリッジだけが残っていた。
このカートリッジと取り替えてみたら、プリンタは正常に印刷されました。
なおゼロポイントフィールドに還す方法は
19.1.13「問題を解決したければ、問題がないことに気づくのが最善最速」カテゴリ:仮想集合システム
の最後の付録部分に書いていますが(http://solopub.blog103.fc2.com/blog-entry-830.html
慣れてくると、違和感に気づいただけで、その波動がゼロポに還るようになります。

問題視への違和感をゼロポに還した結果、物理像状況がどう変化するかはケースにより、
上述のような出来事でも、
場合によってはもっと高性能で高価なプリンタを買うことで決着するかもしれないし、
印刷という作業をしなくてよくなるかもしれない。
どうなるにせよ物理像状況は最適の場面に飛躍します。
トラブル、問題という、どちらかというとネガティブな型だけでなく、
好機が到来したけどすぐに動けないというような場合には、
「好機」というとらえかたに違和感を覚えるかもしれません。

こうした違和感に気づくということが、
宇宙のコヒーレンス(一貫性、整序)とスムーズな循環を回復させるうえでのヤマ場です。
でも一般常識思考<客体‐空間‐時間思考に制御されていると、
「これはまずい」とか「これは好機」といった見立てをまったく疑わないので、
ピンチとかチャンスといった視角が、なんかズレてる、ミスマッチだという違和感にならない。

不快な場面というものは存在しません。
①まず不快感を感じさせるしくみ(思考)があって、
②このしくみが、ある場面をきっかけに望ましくない展開をつくり(これも思考)、
③不快感という「感覚(周波数)」を感じさせて(周波数を合わせるようにさせる)、
「対処せよ」「備えよ」という警告を発する。
ある場面というのは物理像からなる状況で、これは五感的な濃い感覚の集まりにすぎず、
よくもわるくもありません。中立です。
したがって、①②③は、「ある場面が出現している」こと以外は、全部マインドで起きています。
なので、①の「しくみ」に気づいてはじめて、全体の流れが変わります。


このとき、「しくみ」を「こういう損得計算をしている」とか「十年前の経験記憶にもとづいている」
といったように、言葉や情景イメージまで落とし込む必要はありません。
「おかしい」「引っかかる」という違和感、異物感があれば、それが気づきです。
「やばい!って、あれ? なんでやばいの?」
と、不快感の背後に何か(思考による)操作感を感じるということ。

ゼロポに還すべきは①の「しくみ」であって、③の不快感ではありません。
「しくみ」に気づくには、①②③の全体が見える統覚視点の「私」まで後退している必要があります。
私が上述の過去記事で紹介している方法や、何らかのほかのやりかた、
あるいはRTLFのようなグッズを使ったりして(カテゴリ:RTLF参照)、
年がら年じゅう統覚視点「私」に後退しまくり、
「私」が感じて創っているコヒーレントな宇宙を体験、体感して知っていると、
非コヒーレントな「しくみ」に気づくのが早くなります。

特定の場面(物理像状況)に「しくみ」が反応しやすいのは、以下のような理由によります。
客体‐空間‐時間思考システムにもとづく一般常識思考にもとづいている「しくみ」は、
マインド帯域のデータ(中程度の感覚でできた情景イメージなど。記憶)を使って、
「しくみ」に沿った標準処理モデル(という思考)をつくっていて、
この標準処理モデルにしたがえばこのような五感的感覚(物理像)が現れるはずだと予測し、
待ち構えています。
なので、予期していない場面(五感的感覚からなる物理像)が現れるとイレギュラーと判断し、
不快感という中程度の感覚(感情、気分)を動員したり、
「しくみ」の範囲内で提供できる選択肢を想起させたりして(奇蹟や偶然に頼るのはだめ)、
「いろいろあったけど無事でした」というストーリーに差し替えて、
標準処理モデルの流れを維持しようとします。
ところが、「しくみ」は根本的には客体‐空間‐時間思考にもとづいていますから、
「“私”の感覚の向こう側に客体(物体)が実在する」
「客体(物体)は“私”の感覚とは関係なく、客体固有の法則で動く」
という客体思考を前提にしている以上、
客体側が標準処理モデルを裏切る可能性はいつでもあるわけで、
イレギュラーな場面の発生を抑えることはできません。
しかし、そもそもレギュラーもイレギュラーも「しくみ」という思考から生じている思考です。

逆に、ある場面から愉快な感情、気分が起きるとすれば、
標準処理モデルを「やや」上回る結果が出たというポジティブなイレギュラーである、と、
「しくみ」<一般常識思考<客体‐空間‐時間思考に牛耳られたマインドが判断しています。
でも不快感が起きる場合とちがって、処理の流れを止めたり変えたりはしないので、
ああしろこうしろという対処方法は提示しません。
ただ、標準処理を大きく上回る結果はネガ転して、不安や恐怖といった不快感を呼び起こします。

もし「しくみ」に違和感を覚えて、「しくみ」がゼロポへ還る、あるいは手動で還したとすると、
標準処理モデルもチャラになるので、
特定の場面(物理像状況)はレギュラーでもイレギュラーでもなくなり、
これで完了です。
物理像は「私」による認識と創造の最終局面で、
濃厚な五感的感覚で感じられ切り、現れ切っていますから、
これ以上操作したり変えたりすることはできません。あとはゼロポに還るだけです。
次に現れる場面は、「しくみ」がなくなったマインドと連動する、最適の物理像になるでしょう。
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  1. 2019/05/13(月) 19:59:33|
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思考システムをゼロポイントフィールドへ還す

2019.3.19(火)

「あり、かつ、ない」ゼロポイントフィールドから、
ゼロポイントフィールドを対象として認識し創造する「ある、もしくは、ない」0/1帯域が生じる。
ここで、「私は感じる(認識する)」「私の感じたものが出現している(創造する)」という統覚視点、
「私」という認識即創造の形式が生まれた。
ここで統覚視点「私」が生じたことによって、ゼロポイントフィールドははじめて対象化され、
認識され創造される。いわば発見されたのである。
統覚視点「私」は、ゼロポイントフィールドが自身を発見するための反射コードといってもいい
(コードcode:符号、プログラミングで使われる「コード」のようなもの)。
ゼロポイントフィールドを対象化した側(ゼロポイントフィールド“ではない”側)の「私」は、
「あり、かつ、ない」ゼロポイントフィールドとちがって、「ある(1)」と「ない(0)」を区別する。
そしてここから、「ある(1)」と「ない(0)」の無数の組み合わせによる、無数の個別宇宙が生じる。
個別宇宙では、「私」の認識と創造によって何らかの具体像ができ、
描き切られた具体像、つまり認識即創造され尽くした像は、ゼロポイントフィールドへ還る。
①ゼロポイントフィールド→②0/1→③個別宇宙→①ゼロポイントフィールド
このトーラス(円環)構造のうち、何らかの具体像という夢が見られているのは③だけである。
家族とか仕事仲間とか、床とかドアとか、ふと浮かんだ思い、記憶情景、好き嫌い、
直感的理解や直感的行動、何々星の宇宙船とか、entitiesとか、次元の数がいくつだとか、
きわめて具体的なことも、いくらか抽象的なことも、感覚的で言葉にしづらいことも、
どれもこれも全部③の世界です。
そしてどれもこれも「像」という夢。
夢を見ているのは、つまり「像」を認識し創造しているのは、統覚視点「私」です。
②の0/1は、この夢見手の「私」が覚醒する瞬間です。
「ある(1)」と「ない(0)」は最初のビート。

起きていることはきわめてシンプルで、
統覚視点「私」があらゆる「感じ(周波数)」を感じて出現させている。
それが「像(夢)」である。
それだけです。

身体の生理反応から心という主観や魂という概念ができるのではなく、
魂のなかに身体という物質があるのでもなく、
すべては「私」がゼロポイントフィールドを質感や濃淡の異なる感覚として感じ、創りだした像です。
ある像を手として認識するか、細胞として認識するか、分子として認識するかは、
「私」のアプローチのしかたによります。
観測機器を使ったり、あるいは人によってはサイキックな視覚でとらえれば、
細胞や分子という像が得られるでしょう、が、
手も細胞も分子も、「私」が視覚や触覚などの感覚にまとまりを与えて名づけた像であり、
「私」が手の像と細胞や分子の像とに関連性を与えなければ、どれも別々の像です。
分子は細胞を構成し、細胞は身体を構成し・・・というように3つの像が無条件に関連するのは、
客体‐空間‐時間思考システム(仮想集合システム)を使って、
客体(物体)としての身体と、その一律な構成を(空間思考で)設定したときだけです。

すべては統覚視点の「私」がゼロポイントフィールドを感覚化して認識し創造している像、
夢である、ということがわかると、
インスピレーション(直感)の夢、イマジネーション(想像)の夢、五感的な夢は、
コンセプトがデザインになり作品になるような一貫性をもって現れます。
自分の宇宙がコヒーレントかどうか(一貫しているかどうか)は、
マインドが宇宙のビートを感じているか、つまりわくわくやエクスタシーを感じているかどうかで
わかります。
ビートを感じていたら、そのままビートに乗って自然に、歩くように、呼吸するように動けばいいし、
ミスマッチな像(=感じ、周波数)がビート(振動)を止めていたら、それをゼロポに還せばいい。
これって、「私」の実感でいうと、「存在しているだけ」なんだよね。
チャネリがはじまった、暦年的には2011年以来ずっと、ガイドentities像から言われつづけていた
「あなたは存在しているだけでいい」というメッセージの意味が、
あーこういうことだったのか!って、最近になって具体的にわかりました。

客体‐空間‐時間思考に対応している言葉の意味で受けとっていると、
「存在する」は「活動する」の対極で、じっとしている、とか、
あるいは、ある集合体、集団のなかで特定の位置を占めている、みたいなイメージがあって、
「でも具体的に何をすればいいの?」という問いが必ず出てくるんです。
それに時間思考で動いていると、
「存在しているだけでは飯は食えんだろう」とか、
「食うためにやりたくないことやるのはヤだから、自分のやりたいことと稼ぎをリンクさせたいのよ。
でもやりたいことって何?ってとこが茫洋としてるから、そこが明確になるヒントがほしい」とか、
「平穏無事な日々に感謝できるようになればいいのか? テンション下がるんですけど」とか、
いろんな思いが産出される。
「存在するだけ」とは、「統覚視点の“私”である」こと、「ただ宇宙である」ことで、
そうなると絶えず認識即創造、この湧出の連続ですから、
どんな環境で、どんな活動をして、とか、全然関係ない。
そこが注目ポイントじゃなくなるんです。
たとえば、電卓を素早く操作できないことでくよくよしていた人が、職場が変わって、
電卓の素早い操作を求められない仕事に就いたとたん、そのテクのあるなしがどうでもよくなるように。
忙しいか暇かも関係なく、傍目にどう映ろうと、
「私」は存在しており、認識即創造はコンコンと湧出しつづけます。
これは客体‐空間‐時間思考をやってるとわかりません。少なくとも私はわからなかった。

ところで、2019年3月半ば、
私は、客体‐空間‐時間思考システムそのものをゼロポイントフィールドに還してしまいました。
まとわりつき感とか摩擦感などのミスマッチ感をゼロポに還す場合、
そうしたミスマッチ感は無自覚に思考システムを使ってアウトプットされたデータですが、
データだけじゃなく、
そのデータをつくっているプログラムに気がつけば、それもゼロポに還せるのです。
それにはまず、ゼロポイントフィールドとつながっていること、統覚視点の「私」になっていることが
前提です。
<参考>
・ゼロポイントフィールドとつながる
 『ようこそ☆ゼロポイントフィールドへ』(ブログ右「出版案内3」)第1章
・統覚視点の「私」に戻る
 2019.1.13の記事「問題を解決したければ、問題がないことに気づくのが最善」
 (カテゴリ:仮想集合システム)の後半<付録>部分参照
 http://solopub.blog103.fc2.com/blog-entry-830.html

(1)「私」がハイヤーセルフまで後退した状態、つまり統覚視点の「私」になった状態で、
客体‐空間‐時間思考がソフトウェア製品のようにパッケージされているところをイメージします。
私の場合、下図のようなトーラスの立体図が途中で途切れている(上か下のどちらかが
ふさがっていて、ドーナツのような穴が開いていない)イメージになりました。

トーラス構造
(2)このイメージ像を透明なカプセルに封入します。
空中にゼロポイントフィールドの窓をイメージし、窓の向こう側へカプセルを放ちます。


人によっては、これとはちがった図形になったり、数字や文字で出てきたり、
聴覚とか触覚など、視覚以外のイメージになるかもしれません。
いずれにしろ、何らかの「感じ(周波数)」としてとらえられていればOKです。

私は、何度かミスマッチ感をゼロポに還しているうちに、めんどくさくなって、
「こういうデータ(ミスマッチ感)って思考システムを使って出てくるわけだから、
大元のシステムのほうをゼロポに還すことってできないの?」
と、ソフィア@シリウスに訊いてみました。
そしたら、マインドに仕掛けてあるプログラムはデータより深い層にあるから気づきにくいけど、
気づいているのであれば、
プログラムを「感覚(感じ=周波数)」としてとらえられればゼロポに還せるとのことだったので、
速攻やってみたのでした。
たぶん、こういう質問が出てくる時点で準備ができているということだったのでしょう。

何度もデータをゼロポに還していると、そのうち思考システムというプログラムを使わなくなるので、
放っておいてもいいのかもしれませんが、
おそらく、何度もデータを還しているうちに、客体‐空間‐時間思考というしくみがどういうものか、
その「感じ(周波数)」がはっきりしてきて、イメージ化もしやすくなり、
ある時点で、もうこれいいわ、お疲れ~、ってことになるんだと思う。
客体‐空間‐時間思考システムは、マインドのほんとに深いところにあって、
私の高次像でいうと、
「地球と呼ばれる物理ポイント(物質波の変換係数)で物理像を体験するには、
ある時期まで(暦年で2012~13年)インストールが必須だったシステム」であり、
ある種のメタフィジカルなデータ(たとえば「過去世」「来世」という形で想起されるデータ)や、
神話のもとになっているイメージデータ(集合記憶、集合意識)なども、
このシステムに沿う形で情報処理することができます。
つまり客体‐空間‐時間思考と矛盾しないデータに加工することができる。
たとえばエーテル像(五感化しない物理像)でentityを視覚的に見たりした場合、
「客体としてエーテル像があるから私はそれを対象として感知できる」
と思い込むことができます(実際には「私」が認識することによって創造している像)。
特定の感慨深い記憶などは、むろん、「幼少期に起きたこれこれの出来事」などとして、
思考システムに沿って整理されたフィボナッチ(累積)アルバムになっています。
このように、客体‐空間‐時間思考システムを通してアウトプットされたデータに何らかの愛惜が
ある場合、そうイッキにゼロポに還すというわけにはいかないかもしれない。
思考システムをゼロポに還してもデータ自体は消えませんが、愛惜感情はなくなるからね。
なので、宇宙断捨離は無理せず進められるのがよいかと思います。
そうはいっても、そういうタイミングは来るときには来ちゃいますけど。

  1. 2019/03/19(火) 16:57:32|
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夢=現実

2019.3.6(水)

客体‐空間‐時間思考システムを使うと世界はどのように見えるのか、ということを、
高次世界まで広げて記述してみます。
思考システムの基礎は、感じ手(「私」)がいようがいまいが、まず客体がある、という定義です。
客体を物体とすると、まず物体がそこにあるから、感じ手は見たりさわったりできるのであって、
感じ手が見たりさわったりすることによって物体が出現するのではない、ということ。
これはきわめて当たり前で、常識以前の常識になっています。

①物理世界
・まず物体がある。物体の構造や生成変化のしかたは、物体固有の法則により決まっている。
・物体の一部として人体があり、人体の諸々の生理反応から「私」という自意識ができる。
・世界には人体をハードウェアとする「私」が多数いて、みな物体固有の法則にしたがう。
・多数の「私」にとって、物体の広がりかた(空間)、変化のしかた(時間)は一律である。
②主観世界
・人体をハードウェアとする「私」は、「私」を囲む環境(人間、動植物、物)からの刺激を受け、
快不快を覚えたり、リアクションしたりして、パタンを形成する。
これらが知識、記憶として蓄積され、総合されて「心」と呼ばれるソフトウェアになる。

  ↓ 「まず何らかの客体がある」という客体思考を高次世界まで延長させた場合

③高次世界
・非物体(意識、霊、形而上的な光など)からできた客体世界がある。
・物理世界は、非物体世界に固有の法則(引き寄せの法則、鏡の法則など)によって、
非物体世界の構成単位(形而上的な光の粒子など)が物質化してできたものである。
・いったん物質化した物理世界は物体固有の法則をつくり、それにしたがうが、
非物体世界の法則を知ってそれに習熟すると、物体固有の法則で説明できないことも
実現可能になる。
・非物体世界を感知するには、一時的に①②への注意を弱める必要がある。
・①②を非物体世界を原図とした世界にするには、利己的にふるまう自意識「私」(エゴ)は
究極不要である。
  ↓ しかし多数の人(人体+主観として存在する人間)がエゴを手放すには時間がかかる
・①②が完全に非物体世界を原図とする世界になるのはⅩ年後(2~4ケタ)くらいである。

まず物体がそこにあるから、感じ手は見たりさわったりできるのであって、
感じ手が見たりさわったりすることによって物体が出現するのではない。
そんなの、アホらしいくらい当たり前だと思えます。
それは、まずそこにある、と設定している対象が「物体」だからです。
これが物体ではなく、「夢」だったらどうなるでしょうか。
まず夢がそこにあるから、夢見手は夢を見られる、というのはヘンですよね。
夢見手が夢を見ているから、夢が出現しているのです。
キモはここなんです。
物理的な物や出来事を、物体として感じるか、夢すなわち像として感じるか。
「理解しているか」ではなく「感じるか」です。


物や物理的な出来事を、物理的な夢、物理像として感じられるようになると、
まず物体があるから感じ手がそれを見たりさわったりできる、というのは、
夢があるから夢見手は夢を見られる、と言っているようなもので、
ずいぶん妙だなぁ、と実感するようになります。
誰も彼も、あれもこれも、自分の身体も、自分が見ている夢の一部であって、
物体世界の一部ではない。
だとすると、物体固有の法則とか、空間や時間も夢のなかの話にすぎない。
ここから、客体‐空間‐時間は思考の産物だと、イッキに解けます。
客体‐空間‐時間思考システムは、夢を夢だと気づかせないための思考操作のしくみであり、
一種の自己催眠、セルフマインドコントロールです。

どのようにして操作しているのかというと、
本来はただの統覚視点である「私」を客体だと思い込ませ、ハードウェアとソフトウェア(身体と心)を
もたせることによって、①の物理世界と②の主観世界しか認識できないようにしたのです。
ハードとソフトをセーフモードにする(フルトランス、セミトランスする)と高次帯域を認識できますが、
ハードとソフトを回復させると①②しか認識できない状態に戻ります。
そのため、高次情報は客体思考ベースの③のように翻案されます。
さらに、ハードウェアは物理法則などの物体(客体)固有の法則にしたがい、
ソフトウェアはハードウェアの構造や機能に制約されるので、
このソフトとハードが自分だと思い込んでいる「私」(自意識)に、認識による創造の能力はありません。
これが「私」を制限するということです。
「私」を制限することは、「私」の認識/創造能力を封印することと同義です。

この自己催眠から醒めて、すべてが夢(像)だとわかると、宇宙は次のように単純になります。

①物理像―濃厚でコントラストの強い夢
統覚視点「私」が感じて(認識)出現させている(創造)濃い感覚の総合。
②マインド像―イマジネーションのような夢
統覚視点「私」が感じて(認識)出現させている(創造)中程度の感覚の総合。
③高次像―淡く精妙な夢
統覚視点「私」が感じて(認識)出現させている(創造)微妙な感覚の総合。
※統覚視点は①~③の感覚を統合する視点であり、人体や人格のような体積ないし擬似体積はない。
※①~③はオクターブの音のように一貫しており(コヒーレント)、①は②と、②は③と連動する。

①②③の全部が夢(像)ですが、①の物理像を「現実」と呼ぶなら、すべてが現実です。

宇宙人、天使、ペガサス、神仏、祖霊などのentitiesが、何々星や天界、太古の地球などで活躍する
高次時空話とか、彼らのバックグラウンド(例:あるプロジェクトを指揮する司令官)などは、
上記の③高次像が②マインド像に翻案された夢です。
私自身もそういう類の話(『Starry Souls』ブログ右の出版案内2)を書いています。
ただ、高次像のなかには、①と②の間の、物理的にならない物理像つまりエーテル像まで
下りてくるものもあります。
たとえば、私には常時、左右で周波数のちがう音が聴こえていて、皮膚などに振動も感じている
のですが、これはエーテル音であって、物理的な音ではありません。
物理的な音とは区別することができ、会話などのじゃまになったりすることはありません。
なので、エーテル視覚像や嗅覚像なども、物理的な光景や香りとは区別できると思います。
エーテル五感像を感じるかどうか、どういう形で感じるかには個人差があるので、
気にする必要はありません。
「私」の軸が③~①を貫通してコヒーレントであればいいのです。どうせみんな夢だしね。

高次情報や高次時空話が客体‐空間‐時間思考ベースで語られたものか、
どなたかの宇宙で夢見られたものか、
その区別はどうでもいいです。
前者はご本人が夢だと気づいていない夢の話、後者はご本人が夢と知っている夢の話で、
どっちにしろ他人の夢の話なんですよ。
この記事だって夢一般を解説している私の夢の話です。
なので、「あ!」と感じるところがあれば参考にすればいいし、
ピンとこなかったらスルーすればいい。
自分の「私」を軸とした夢宇宙そのものになると、
判断の基準が真偽ではなく「合うか、合わないか」になります。
センスとかテイストとかヴァイブスとか。要は「感じ(周波数)」です。


さて、以下は個人的な話。
私は、客体‐空間‐時間思考システムが「仮」の状態、いわばベータ版で動いているようなもので、
ずっと物理世界にしっかりしたリアリティがありませんでした。
自分の五感的感覚の向こうに客体なんかないんじゃないかと、
客体としての物体の実在性が疑わしかったのです。
無自覚に夢ワールドにいながら、
ベータ版の思考システムを通してフィードバックされてくる社会通念や世間の声に対し、
法律とか就業規則のような表立った部分には適応しつつ、
規則を成り立たせている水面下の道徳や倫理や共同体意識などには違和感を覚え、
しかしこれも長くても何十年かのことだから、なんとかやり過ごそうとしていた。
いろんな規則はむきだしのサヴァイヴァルゲームを制約するためのルールですが、
そもそもサヴァイヴァルする気がないんだから、違和感を覚えるのは当然です。
こういう、最初から思考システムにハマりきれていない人のことを、ナチュラルトランサー
(ナチュラルトランスしている人)といいます。

「ナチュラルトランスの人は~」と一般化できるかどうかはわかりませんが、私の場合、
中空に天使が現れる、宇宙船に乗る、耳元で日本語のメッセージが聴こえるといった類の、
鮮烈な不思議体験はありません。
こういう不思議体験は、思考システムの制約を弛めることで、
思考システムに制約されない高次の波動と、
思考システムの枠内で思考システムに沿って整理、蓄積されたデータ(潜在記憶)がブレンドして、
データ(潜在記憶)が高次の波動の象徴になることで出現します。
が、はじめから思考システムの制約が弱いと、
流れを止めていた堰(せき)を除けたときのような劇的な現象は起きにくい。
マインドに蓄積しているデータ(潜在記憶)の量が少ないと、象徴も抽象的になり、
視覚で感じる光景の明度がちょっと変わるだけとか、ちょっと気圧が変化した感じがする程度で
終わってしまうこともある。
そのかわり、もう(思考システムベースの)常識と妥協するのやめるわ、楽しくないし、
となった時点で(「妥協をやめる」はコミットメントになる)、
高次の波動が、思考システムに沿って整理、蓄積された顕在記憶、つまり通常意識で使っている
言語や絵画的イメージ、音のイメージ、身体動作などを使って、どんどん翻案されてきます。

とはいえ、ゆるゆるのベータ版であっても思考システムは使っているので、
客体‐空間‐時間を思考による設定だと見極められるまでは、
「この高次情報なるものは、自分の主観世界で織り上げたイタい妄想では?」
という疑いが晴れません。
自分の高次情報に、上述のような鮮烈な不思議体験による裏づけ(?)がとれないために、
「精神世界系のセミナーとかを受講してスキルを上げないと確信がもてないのでは?」
と、たまに思ってみたりもするけど、コンサートや演劇のチケットをとるときみたいに、
「これ!」という直球一択感がないので、結局行かない。
また、この段階で、
「ほんとはあると感じられない時間や空間があるように思えるのはなぜ?」とか、
「思考が現実になるってどういうこと?」
といった類の問いを自分の宇宙に投げても、客体‐空間‐時間思考システムに沿った翻訳で
答が返ってきます。
私が客体‐空間‐時間を思考による設定だと見破っておらず、
私の「私」を「体積のある身体と、擬似体積のある心」に制限しているからです。

私に起きていたのはそういったことです。
そんなわけで、コミットメントから脱システムの間に書かれたブログの記事は、
これは自分的に興味深いからとっておこう、というもの以外は削除しました。
ご感想等お寄せくださったみなさま、ありがとう☆よい夢を。
  1. 2019/03/06(水) 17:03:39|
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シンプルな宇宙へ

2019.3.2(土)

五感的な濃い感覚も、思考や感情のような中程度の感覚も、淡い微妙な感覚も、
それらを感じて出現させているのは「私」という統覚視点(感覚を統合する視点)です。
「私」には、身体とか心とか人格ハイヤーセルフのような体積ないし擬似体積はありません。
物理像とかマインドとか高次感覚とかを感じて出現させている、ただの視点ですから。
この統覚視点が、
 ①濃い感覚(物理像)-②中程度の感覚(マインド)-③微妙な感覚(高次ゾーン)
と、全周波数帯域を貫いて一本化したとき、
②に仕掛けられた客体‐空間‐時間思考システムを経由して産出された、
健康、経済、人間関係などの問題や、義務感、罪悪感、焦燥感、自他への批判などが、
いびつな、ヘンな「感じ(周波数)」としてとらえられます。
一本化した「私」が認識し創造する宇宙にそぐわないからです。
思考システムは②に仕掛けられているので、ミスマッチが生じるのは②です。
このミスマッチな「感じ(周波数)」をゼロポイントフィールドに還せば、
①②③はコヒーレントに(一貫した状態に)なり、
 ③高次信号-②③にふさわしいエキサイトメントやエクスタシー-①②にふさわしい物理像
という整った流れが実現します。

旧来の諸々のスピリチュアルな言説は、①~③の感覚帯域を、 
①と②はエゴ(「身体」と「心」に制限された「私」)の領域、③はハイヤーセルフの領域として、
さらには、①は外側、②と③は内側として説明してきました(下図)。

 ①濃い感覚(物理像)-②中程度の感覚(マインド)-③微妙な感覚(高次ゾーン)
 ← エゴ(「身体」と「心」に制限された「私」)→ ← ハイヤーセルフ  →
 ←    外側  → ←          内側            →
 ※③には、この帯域全体をワンネス(0/1とゼロポイントフィールド)につなぐハイエストセルフ
  またはモナドと呼ばれる接点が、ハイヤーセルフの頂点として設定されている。


これだと、エゴのもぐらたたきがいつまでたっても終わらないし、
内側と外側とのリンクの説明が光のツブツブがどうしたとか形而上的な素粒子がどうこうとか、
えらく神秘的になって、理解できたとしても、実感的にそうなる気がしないんですね。
スピ言説がこのように複雑になったのは、
「“私という”統覚視点の向こう側に客体(一般的には物体)がある」
という客体思考に依拠しているからです。
つまり「“私”の認識が像を創造する」ではなく、「“私”の認識以前に対象が存在する」という、
西洋哲学でいうところの存在論を前提に説明をはじめたからです。
客体思考を採用すると、客体の広がりは空間思考、客体の変化は時間思考によって
とらえられます。
と、物理世界ではない高次世界(天界、シャンバラなど)が設定されたり(空間思考)、
輪廻転生や超古代史やスペースオペラ的なサーガが実際の体験として語られたり(時間思考)、
客体‐空間‐時間思考に囚われた個人史を形而上的に拡張したお話が展開するだけで、
客体‐空間‐時間思考自体はまったく揺らぎません。

要するに「エゴvs.ハイヤー」「外側vs.内側」と二元的説明になるのは
客体‐空間‐時間思考システムを暗黙の前提として組み込んでいるからです(下図)。

 ①濃い感覚(物理像)-②中程度の感覚(マインド)-③微妙な感覚(高次ゾーン)
            ←   思考システム  →
                  ↓ その結果、以下のような二元的説明が必要になる
 ← エゴ(「身体」と「心」に制限された「私」)→ ← ハイヤーセルフ  →
 ← 外側(客体世界)→ ← エゴが支配する内側→ ← エゴによらない内側 →
 ※②に仕掛けられた客体‐空間‐時間思考システムでセルフマインドコントロールしていると、
   ①濃い感覚(物理像)-②中程度の感覚(マインド)/微妙な感覚(高次)
   というように、微妙な感覚(高次)が遮断される。
   ③に感覚を集中させれば認識はできるが、①②と連動はしない。


ここから客体‐空間‐時間思考システムをはずすと、次のようにすっきりします。

 ①濃い感覚(物理像)-②中程度の感覚(マインド)-③微妙な感覚(高次ゾーン)
 ←           統覚視点「私」                 →
 ←           すべて像(内外なし)               →


濃い、中程度、微妙というのは、「私」の感じかたによる認識論的な分けかたです。
物理像、マインド、高次ゾーンは存在論的な区分ですが、
これらは「私」の認識より先に存在している客体ではなく、
「私」の認識と同時にどういう像が現れるかを示しています。
①~③は全部ゼロポイントフィールドが具体化したものです。
「私」の認識するものが存在する。認識と存在は表裏一体なのです。複式簿記ですw

さて、公私大小を問わず、何ごとかを変えたいと思うことは、
客体‐空間‐時間思考システムが定義する「客体」にアプローチしようとすることです。
客体を設定すると、「私」はコスモス全体の統覚視点ではなくなり、
客体世界のなかに投げ込まれた客体の一部(身体と心)へとダウンサイジングされます。
客体世界には、大勢の客体セルフがひしめいていますから、
何ごとかを変えるには、それにかかわる客体セルフたちを説得しなければなりません。
自分も含めた多数の客体セルフにとって、空間の広がり、時間の進行は一律なので、
場所の制約や、盛衰方向をもつ時間の制約からも逃れられません。
また客体は、「私」の感じかたに関係なく客体独自の法則(物理法則など)で動いているので、
法則や、法則を基盤とする経験則を学び、事例を調査して、
法則に則った手段を案出しなければならない。
したがって、何ごとによらず何ごとかを変えたいと思うと、
自動的に思考システムが適用されて、そう簡単には変えられなくなります。
「(   )を変えるために何をしたらいいか?」
この問いのカッコ内は「自分の生活」でも「誰それの現状」でも「社会」でも「地球」でも同じ。
「X年後の(   )のために何をしたらいいか?」でも同じです。
何ごとかを変えたいと思うことは、
「私」の感じかたに関係なく「何ごとか」が客体として存在するという呪文ないしイメージワークです。
「変えなくては」は「変わらない」と同義なのです。
「20XX年に大きな変化が訪れる」といった類のアセンション予報がことごとく空振りするのも、
それが周知されていようと、自分ひとりだけの予定表であろうと、
時刻を設定したとたん、その予測の「感じ(周波数)」が客体‐空間‐時間思考にからめとられる
ためだと思われます。
この場合、「大きな変化」は客体セルフがひしめく客体世界に到来するのであり、
客体を前提にするということは「“私”の認識には影響されない世界が存在します」と
言っているのと同じなので、そう簡単には変わらないという形で実現します。

そうじゃなくて、
変えたいと思うようなそのいびつさ、そぐわなさ、その「感じ(周波数)」をゼロポに還すのです。
この違和感のある「感じ(周波数)」は、無自覚に思考システムを使って考えたデータだから。
思考システムによるセルフマインドコントロールが止めば、
マインドが復調して、上の青い図のように単純に、コヒーレントになり、
「問題」に見えていたことはどうでもよくなるか、自然解消、自然成就するかして、
いずれにしても問題ではなくなります。
ゼロポに還すことを何度かやっていると、コヒーレントでいるのが当たり前になってきて、
そこからはずれた「感じ(周波数)」に気づくのも格段に早くなるでしょう。
  1. 2019/03/02(土) 16:24:42|
  2. 仮想集合システム
  3. | トラックバック:0

例外はない(追記あり)

2019.2.26(火)

昨年末、私は、youtubeにアップロードされている関野あやこさんの動画、
「エネルギーとしてのお金」シリーズ(DAY1、DAY2)を、毎日10~20分くらいずつ、
じくじくと見ていました。どちらの動画も尺が長いからです。

この動画のなかで、関野さんは、
「“ビジネスは別”じゃない(ビジネスを精神世界と切り離すことはできない)」
「それまですごく波動の高かった人が、お金の話をはじめたとたん、急降下する」
とおっしゃっていて、
お金というものがいかに波動を下げるのに有効な、強力なツールであるか、
本来の「私」を制限して地球人社会に適応するのに役立ってきたか、
というお話をされています。

文字ではニュアンスが伝わらないと思いますが、
「お金は使うと減る、先細りしていく」とか、
「波動の高かった人が、お金をことを口にするとたちまち下がる」といったフレーズが、
私には可笑しくてたまらず、
また私の周りのシリウス系イルカ集団が「先細り!」とか「急降下!」とか唱和していて、
ブラウザを閉じてもその音を入れてくるものだから、
昨年末は腹筋が震えどおしでした。

まだ客体‐空間‐時間思考システムなどのしくみがわかる前の話ですが、
自分にも覚えがあって。
朝、瞑想とかしていても、取引先に出かけて、
ちっともわくわくしない、かといってできないわけではない仕事を提示され、
「この条件だと、こちらで調査している余裕はないから、先方で資料を全部そろえて
くれるなら引き受けてもいいかな」などとコストをめぐる画策をしていると、
その場で自分の光度が下がる下がる。
お金の話、ビジネスの話をしてはいけないわけではないんです。
ただ近い将来の収支とか、自社や自分のキャリアにとってプラスになる仕事かどうか、
単発に終わるかそれとも次期の発注につながる案件なのか、
お世話になった人からの依頼だから断るとオニなのか、などといったように、
ビジネス対応の思考を起動させて、その枠内であれこれ思考を繰り広げだすと、
瞬速で客体‐空間‐時間思考システムを基盤とするサヴァイヴァルゲームの世界になり、
そこがリアルな現実になってしまう。
ほかの現実も、いくらも呼び出せるのに、
サヴァイヴァルゲームを選んだことによって、そっちには自動的にフタがされてしまい、
ゲームの盤面に現れてくる選択肢だけに絞られてしまうのです。
「これはビジネスの話だから」と区別して特別扱いすることがゲーム開始の合図です。

お金やビジネスの場面で常識的な対応を想定することは「グラウンディング」ではありません。
グラウンディングとは、五感的な濃い感覚(物理像)をちゃんと感じていることをいいます。
思考システムに再連結することではなく。

ふだんから「私」の軸を通し、
自分版の宇宙に合わない「感じ(周波数)」をゼロポイントフィールドに還していると、
上述のような場面では、ビジネスの定石なんか動員しなくても、
直感でぱぱぱぱ、と決断が下せます。
もしその場でビジネスの定石に呑まれてしまったり、
先方を気遣って本音と矛盾することを言ってしまったりしても、
事後にその歪みをゼロポに還しておけば、帳尻が合うのでだいじょうぶ。
自分自身がそのズレや歪みに気づけるということが大事です。

「これだけは別」と例外扱いにして、常識にしたがった対応を考えはじめると、
たちまち波動が下がり、選択肢も限られてしまうのは、
お金やビジネスに限ったことではありません。健康でも人間関係でも、何でも同じ。
いつもは瞑想とかクリスタルヒーリングとか何やかやスピなことに浸ってる人でも、
「お金がなくなったら」「信用がなくなったら」「手遅れだったら」「この人を失ったら」などなど、
生存や存続にかかわる問題が勃発したと思い込むと、
いとも簡単に客体‐空間‐時間思考に乗っ取られてしまう。
そして思考システムは、それまで知ったり実践したりしてきたスピ系のデータ(記憶)さえも、
思考システム仕様に変換して弁解としてアウトプットしてきます。
有史以来、スピリチュアルやオカルトで社会が変わった試しはない、とか、
(↑「有史」は時間思考、「社会」は空間思考だよね?)
物理次元のことは物理次元のやりかたで解決しなくては、とか、
(↑ここでいう「物理次元のやりかた」は客体‐空間‐時間思考のことなのでは?)
ハイヤーセルフに自分の代わりに生きてもらうわけにはいかないのだから、
ここは自分で対処しなくては、とか、
(↑ハイヤーセルフは人格存在? そして自分とは別もの???)
まず自分を愛さなければ、とか。
(↑思考システムで「私」を制限つきにしておくことが愛することか???)

これは会社を辞めないとだめだとか、病院に行っちゃだめだという話ではありません。
会社を辞めること、病院に行かないことが最適な選択である場合もあれば、
そうでない場合もあります。
どういう行動がベストであるかは、直感判断の結果であって、ケースによってちがいます。
こういうときはこうするのがいいという定型的な手引きがあるわけではない。
ただ思考システムに囚われると、その直感が利かなくなって(注)、
選択の可能性が著しく狭くなり、
思考システムによって制限された、「AかBか」のような硬直したアイデアしか出てこず、
そのうえAとBの間で迷い悩むことにもなります。
それに対し、直感が使えると、無数の選択肢のなかから状況に最適のものが選ばれ、
言葉やイメージになって降りてくるときには一択に絞られる、
または行為に直結するので、迷うことがありません。
(注)直感が利かなくなるのは、思考システムに再連結すると、
宇宙の軸であるはずの「私」が客体(物体)に逆戻りしてしまって、
 濃い感覚(物理像)-中程度の感覚(マインド)/微妙な感覚(高次ゾーン)
のように、感覚がスラッシュのところで分断されて、高次信号が入ってこなくなるから。
また客体と定義された「私」は、「私」以外の客体とともに物理法則などの客体固有の法則にしたがうので、
認識即創造の能力はない。


どんな問題でも、問題というものを発生させるのはマインドに仕掛けられた思考システムなので、
システム的に一体となって作用している客体‐空間‐時間思考に気づいて、
ここから離脱し(軸の「私」に戻ること)、
自分版宇宙のマインドが微妙な感覚(高次)と連動して健全に動くようにする必要があります。
マインド(思考、感情、気分)は諸悪の元凶ではなく、
本来は高次の信号がエキサイトメント(わくわく、ぞくぞく)やエクスタシーとして現れる舞台です。


そもそも生存だの存続だのが客体‐空間‐時間思考にもとづく思考の最たるもので、
身体は客体(物体)だから客体(物体)固有の法則から逃れられないという通念、
一律な空間の広がりや一律な時間進行にもとづく将来予測が前提となって、
「なくなる」とか「失う」といった危機感が生じています。
この危機感自体、思考システムによって歪んだ「感じ(周波数)」なので、
決断する前に、または決断して何か行動してしまったあとでも、
ゼロポに還したほうがいいといえます。
なんらかの状況をマインドで「死活問題」に仕立てた瞬間、思考システムは再起動に成功します。
それは、スピリチュアルをお伽話に終わらせるか、現実にするかの分かれ目といえるかも
しれません。いっぺんお伽話にしてしまっても、次の機会はめぐってきますが。
自分版の宇宙にそぐわない「感じ(周波数)」をゼロポに還すということを何度もやっていると、
死活とか危機といった「感じ(周波数)」に違和感を覚えるセンスができてくると思います。

終わりに、記事を書いてる最中に飛び込んできたソフィア@シリウスからのメッセをどうぞ。
「生存とか存続にかかわる問題など存在していません。
なぜなら、問題というもの自体が存在していないから」


19年2月27日(水)

「エゴ」「高次の某(高次ゾーンで宇宙人だったり天使だったりする自分)」「ハイヤーセルフ」と、
スピリチュアル業界が統覚視点「私」を分断したことは、混乱のモトになっているように思う。
いわゆる利己的なエゴというのは、
 物理像-マインド-高次ゾーン
というように一本につながっておらず、
 物理像-マインド/高次ゾーン
と、スラッシュのところで途切れてしまっている制限された「私」、
統覚視点であるセルフの機能不全状態のことだ。
全部の帯域の統覚視点が一本につながって軸が通っていれば、
「エゴ」「高次某」「ハイヤー」に分ける必要はない。
直感やインスピレーションを「ハイヤーセルフの声」などというように便宜的に言い表すことは
あってもね。
  1. 2019/02/26(火) 15:27:31|
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Author:みけ@猫科ホールディングス
イタリアの美少年のような女(豹専務)
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(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
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