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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

テレポーテーション?

2019.1.21(月)

きのう、テレポーテーションした?っぽいです・・・。

図書館からの帰り道、途中の道が大幅にカットされて、
はっ、と気がついたらけっこう自宅の近くにいたのです。あれれ。
じつは昨年の7月にも同じ道、同じ場所で、同じことがありました。

昨日は時間を測っていませんが、
昨年7月のときには、たまたま図書館内で時計を見ていたので、
ないないない、暑くて自分がぼーっとしてたんだろ、と思って、帰宅して時計を見たら、
ふつうに歩いて片道約20分かかる道に、40分もかかっていました。
途中で立ち止まったり、どこかに寄ったり、歩く速度を落としたりはしていません。
なんかテレポーテーションした意味なくない?
なので、このときは、空白の20分間はどっか異界にいたのかな、と。

テレポーテーションって、アニメやドラマ、映画、漫画、小説とかでは、
人間、もしくは動植物や物体が空中にスッと消えて、別の場所にスッと現れる、
というように描かれます。
これは、他の作中人物から見た光景、
あるいは視聴者や読者に説明するための、視聴者、読者目線の光景、
つまり他の作中人物や視聴者、読者の「私」視点から描かれている、ように一見、思えますが、
実際にはそうではなくて、
制作者が、「もしテレポーテーションが起きるとすれば、誰から見てもこんなふうになるだろう」
と、おそらくは無自覚に客観的な第三者視点を設定して描いています。
この第三者視点というのは、
認識即創造の視点である「私」を「物体の一部(身体)」に制限する客体思考をベースに、
同じように物体世界に投げ込まれ、物体固有の法則に縛られる人間が大勢いる、
その人たちにとって空間の広がり、時間の流れは一律である、とする、
客体‐空間‐時間思考システム(仮想集合システム)に則って設定された見かたで、
本当は第三者視点なんてものはありません。
どんな出来事、現象であれ、体験当事者各人の「私」が感じることによってしか
認識できないのです。
そして「私」が感じることでそれは出来事として現れるので、認識は同時に創造です。

このようなことを書くと、物自体の認識の可否を問題にしたカントを想起する方がおられる
かもしれませんが、カントは「物体なんてものはない」などとは言っていません。
カントはまっとうな哲学者ですから、「人は物体があると認識できるが、本当にその対象が
実在するかどうかは誰にもわからない。みな自分の認識による世界しかわからないのだから」
と、ちゃんと「わからない」で踏みとどまったのです。
しかし私は非哲学徒で、そのカントの著作も読んでない輩ですから、
「物体なんてものはない」と、物体の実在可能性をばっさり切り捨ててしまいます。
理由は、「物体が実在するとすると、金属曲げなどのあからさまに物体に作用する能力を
説明できない、もしくは、できる人とできない人がいる、できるときとできないときがある、
といった再現率のばらつきを説明するのがむずかしい」ということで、以前にも書きましたが、
込み入っているのでここでは詳述しません。
もっと端的にいうと、「物体があるとは感じられないから」です。
もうずぶずぶにデムパになってしまって、
私バージョンの世間が「物体」と呼んでいるものは、
「私」が感じた濃い感覚(濃い周波数)からなる物理像としか感じられなくなってしまいました。

さて、冒頭に書いた出来事は、「私」視点の個宇宙でとらえた場合、
①視覚を主とする濃い感覚が突然、途切れて、別の濃い感覚に変化した。
(前の物理像から移動先の物理像に、徐々に変わるのではなく量子飛躍した。)
②連続的に形成していた記憶が突然、途切れて、連続場面の途中をショートカットした
直近過去場面(直近過去とは一般的にいう「今」)にいた。
という2つのケースが考えられる、と思っていたら、
ソフィア@シリウスから「その2つを区別することにどんな意味が?」と指摘され、
2つは同じなのだとわかりました。
②は、①の濃い感覚(物理像)レイヤーの現象を、マインドでプロセスを導入(思考システムに
よらない自分版の時空間概念を使うこと:前後関係や速度は自在)してとらえたときの記述です。

瞬間移動も、瞬間でない移動でも、場面の移り変わりというのは、
当事者がどんな時間概念、空間概念を使うかによっていて、
「どんな場面も連続的にしか変わっていかない」と定義すれば物理像はそう見え、
飛躍的変化があっても何らかの連続性が見い出されるし、
「どんな場面も飛び飛びに(量子的に)変化する」とすれば、
前者が連続的と見ているような場面の流れでも非連続になる。
なお連続しているとか非連続とかいうのはマインドの感じかたで、
物理像には端的に濃い感覚しかありません。
時間思考、空間思考はマインドのツールで、システムに縛られなければ、
それらは遊び道具です。

私は、同じ場所で同じ体験をしたのですが、家に帰ってから思い出したことがあって、
そういえば、テレポーテーションぽいことがあった道は、むかし、猫を保護した場所でした。
2016年冬に帰星した、通称「おじさん」です。
(おじさんは私版の宇宙でメッセンジャーとして活躍中☆コードネームは「ベコ」)
  ↓
自撮りおじさん
そこはなんかゲート的というか、その種のことが起きやすいのかもしれない。

こういう不思議な出来事って、自分の「私」視点にいると、一瞬あれっ? となるだけで、
たいして不思議感はないですね。平熱です。
不思議に感じられるのは、
こういうことを超「常」現象ととらえる思考システム側から見ているからで、
私もまだ思考システムになじみがあるので、一瞬あれっ? になるんだけど、
すっかり「私」回帰したら、もう気にも留めないかもしれません。
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  1. 2019/01/21(月) 17:45:56|
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自己承認欲求のない世界

2018.5.30(水)

朝、唐突に、自己承認欲求のない宇宙? 世界? が出現するさまを、象徴的にかいま見た。
凹面状にへこんでいたポッドのような白い物体が、ぽむん、と弾んでもとに戻る、みたいな。
一瞬、かつ永遠、みたいな間(ま)に、あーこれすばらしいーと感じ、
次の一瞬、かつ永遠の間に、待ってよすばらしいってなにこれがふつーなんですけど?
とツッコミが入る。

自己承認欲求が皆無の世界は、
自分から働きかけなくちゃ、という行動強迫が皆無の世界でもある。

自己承認欲求とは、文字どおり、自分を承認したいという欲求。
一般的には、他者に認められたい、というふうに受身形をとるわけだけど、
さまざまな顔ぶれによる、幾たびもの承認のはてに行き着くのは、
自分が自分を認める、自分YESなので、結句、求愛の相手は自分自身である。
で、求めているからには得られていないということ、
まだ自分を承認できていないから、承認したいという欲求が起きる。

自己承認欲求は、いろんな形をとって現れる。
自分の言動、制作物、チョイス、コーディネートに対して称賛や共感を求めるといった、
わかりやすいパタンのみならず、
人の言動や態度を批判したり、集団のしくみを批判したり、批判する人を批判したり、
あらかじめ自己卑下しておくことによって他者からの批判をかわしたり、
あるいは自己卑下によって他者からの関心を集めようとしたり、
権力や権威や、むきだしの暴力によって、強引に認めさせようとしたり、
特定の相手への親切やケアによって、その人との依存関係を構築しようとしたり、
すでに亡くなった親や、何十年も会っていない学校の先生や先輩に対し、
自分の正しさを証明しようとする思考パタン、行動パタンを繰り広げたり・・・などなど、
表現のヴァリエーションはじつに多彩だ。
↑高次帯域のentity視点からだと、こういうのは曲芸に見えると思う。
 私のアストラル業務をサポートしてくれているサイラス@ベガみたいな純粋培養星人
 にはガクブルかも。一方、ゼータ星人は興味シンシンかも。

言葉とか行為とかで表される自己承認欲求は、そのように多彩な表現になる、けれども、
形にならない周波数帯でそのエネルギー的形態を見てみれば、
「欠けている」だけである。
冒頭に書いたような、凹面状の何か。
この凹面部分が「欠けている」という思考、感情、気分の(マインド状態の)象徴である。

このたわみが、あるとき、ぽむん、と、もとに戻る。
ぽむん。
アセンションってこれだけだと言ってもいいかな。
あらかじめ承認が与えられまくっていて、
自分を認めてもらうためには何ひとつせずともよく、居るだけでよく、
何かを為す動機は天からの促し(循環するZero Point Fieldのフォース)しかない。

この景色がどんなものか、凹面時代には想像できない。
「欠けている」状態を充たそうとする欲求が行動の、表現の、創造の原動力となっていて、
それなしには無気力とか停滞とか、
ともすると、多数を不足状態に留めておいて操ろうとするハードな管理社会が訪れる、
といった方向でしか思い描けない。
というのは、それはある程度、経験記憶や歴史が証明していて、
それらは、凹面状態で探れるアストラルデータが集まって記憶化された、
凹面時代の経験記憶や歴史だからである。
ぽむん、ともとに戻ったときに、
この経験記憶や歴史が凹面状態という特殊な精神状況で物語化されたものだということが、
はっきりわかるだろう。

あらかじめ承認されている完全な自己(エゴ)を通して、ZPFのフォースが具体化していく、
その状態を、スピリチュアル業界用語を使った言い回しでは、
「無条件の愛がめぐっている」ともいう。

通俗心理学などでは、
あらかじめの自己承認の基盤となるのは、両親からの愛情であるという。
ばかいっちゃいかんよ。何言ってんだ。
両親が何の期待もなくわが子を承認してるわけないじゃん。ハードル上げすぎ。
地球人の親でインナーチャイルドやインナー思春期やインナーミドルが癒されてる人なんて、
ほとんどいないじゃん。つか、いつの時代もむしろ満身創痍じゃん。
仮に親になった人が凹面じゃなくなっているとしても、
それが他宇宙(子ども)に自動的に伝播するというものではない。個体宇宙は個別だから。
何らかの形で無条件の自己承認への機会を提供するかもしれないけど、
それを機会とするかどうかは、子ども側の宇宙の問題だ。
きっかけが何であれ、自分が自分(の宇宙)によってすでに承認されているということには、
自身で気がつくしかない。そうじゃないと気づいたことにならないし。

にしても、5月のエネルギー模様、
マインド帯域の「気分」のあたりでバタバタしたりテンポが揺れたりして、
けっこうしんどかった。
それが朝の幻視的イメージですっと晴れた感じ。あっけなく。
  1. 2018/05/30(水) 21:46:45|
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他人の話を観察モードで聴く

2018.4.22(日)

今年に入ったくらいからずっと、
自分(の宇宙)と他人(の宇宙)との境界線を明確にすることを求められている。
個体宇宙はそれぞれ異なるから、それはもとから質的な、というか総合的なちがいとして
現れている。明確に、とは、それに気づけということ。
ワンネスは個体宇宙の十全な発現を前提としており、それを摂理として要求する(そういう
しくみなんだからそうならざるをえないということ)けれども、
ワンネスがトゥッティ(全員の合奏)として表された状態は、
他人(の宇宙)への共感や同情や気遣いとかで調整された予定調和とは全然ちがう、
そのことが、心情的になかなか得心しにくいからでしょう。

私は自分が人外系だと気づく前から自他ともに認める変人フォルダ枠だったので、
どんなに親しい人でも、人が自分の思うような人じゃないことは、
リニア時間でいう「幼少のころ」からずっとマイ原則でした。
しかし同調圧力に気がつかないほど集合体、集団のエートス(規範、慣習)を落とし込んでいて、
「人はこれこれの出来事に遭ったらうれしいはずだ/悲しいはずだ」
といった一般的反応通則が何か考える以前に動きだすような人には、
説明しても納得してもらいにくいことです。つか説明しないほうがいいですね。

社会的なコミュニティと、超物理像帯域の縁とは一致していません。
超物理像帯域のほうは、ある程度の年月をともに過ごすといったような時間、空間の近接性とは
関係なく、時間的には永遠で刹那、空間的には無辺で一点の舞台で、
何度出会っても、そのつど一期一会の邂逅として起きます。
家族、友人、何かの活動をともにしている仲間であっても、個体宇宙として別々、
周波数も時と場合によって変わります。
ある時期、意気投合しても、それがつづくとは限らないし。てか継続って時間思考でしかないし。
そういう実態が、はっきりしてきており、
リニアな暦時間の進行においても、よりはっきりしていくでしょう。

人の姿形をした個体宇宙になっている人は、もうエネルギーの動きのままに動いているので、
家族だとか友人だとか社会的なコミュニティの形には囚われていません。
そうなってみればわかりますが、
そこにこだわってると直感、デムパの速度についていけないよ。

個体宇宙になっちゃった人ってのは地球人の形をしたentityです。
そういう人が、<人類>の一員プレイをやっている人と接すると、
相手の言動から、ともすると最初の第一声とか、メールを開いたとたんに、
その人の真意とか、その人が置かれている状況の全体像などが、
一発でわかってしまうことがあります。でもだからといって、周波数に開きがあると、
「それはハイアーセルフの視点に立てばギフトだよ」
てなことを直言するわけにはまいりません。ハイアーだとかなんとかいう用語を使わないで、
「これこれの社会通念をはずしてみれば、ちがう景色が見えてくるんじゃない?」
というような言いかたでも、ほとんどの場合はむずかしい。
相手は、自分の思考や感情の根拠が社会通念にすぎないことに気がついていないからです。
ただし、コスモス化した人が<人類>の一員をやっている人より偉いというわけでは
決してありません。ただ周波数がちがうだけです。

こういう場合は、傾聴に徹することが最善です。
相手の話には入り込まず、
自分の思考や感情が動きはじめて心のなかのおしゃべりが出てきたらそれを通過させ、
ただただ聞いていく。
と、その人はそのときの落としどころ(それはまだ「真意」や「全体像」まで至っていないとしても)
を自分で見つけて、自問自答の形でケリをつけられます。
相手の話に入り込むというのは、
話に出てくる人物や出来事、話しているときの相手の表情や挙動などを読んで、
自分だったらこうするとか、一般的にはこうなるとか、
経験記憶や知識に照らし合わせて、回答っぽい考えを構成していくことです。
つまり、いくつかのデータを自分のマインド帯域に採取してシミュレートすることです。
どんな見解、意見がアウトプットされてこようと、
それは自分(の宇宙)バージョンのお話に沿った見解、意見にすぎず、
相手(の宇宙)に適した回答ではありません。
私も、ぼんやりしていなくてむしろいくらかイケイケな波動のときに、
うっかりそのテの思考を走らせてしまうことがありますけど、
案外、自分が思ってるよりエネルギーを消費するんで、気づいた時点で止めたほうがいいすよ。

誰に対しても親身にならない。
これは本当に百パーセント、他者をその人の宇宙ごとリスペクトしていないとできないことです。
私もまだできているとはいえません。

何か人に対して親切な行為をするとか、言葉をかけるときなどは、
それが必要なときに、自分の宇宙で起きます。
なので、人への親切は、すべて自分のためにしていることです。
  1. 2018/04/22(日) 17:04:41|
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独り独りのコスモス

2018.3.31(土)

アセンデッドマスター・ヒラリオンからのメッセージ(以下、前回の記事から再掲)、
「他宇宙には干渉せず、リスペクトして、自身の道を行くべし。
主観とは別に独自の法則で動く物質とか精神とかが実在するという世界観の虚構性を見抜き、
そのリアリティが失せると、
自分に集中することが他者を益するための最短距離だと端的に得心される。
“瞑想で貧困や不正義がなくせるのか?”というような問いは、
それは誰の貧困、誰の不正義なのか? と投げ返せ」
これが解凍される直前、
「主観とは別に身体や物が実在し、それらが組み合わさったり動いたりして出来事ができる。
主観は、その出来事への身体諸器官の反応を言葉やイメージで象徴化したもの。
つまり身体や物という実在から派生した二次的な世界である」
という常識的な感覚で周りの景色を捉えてみるように促されて、そうしてみたけど、
もう全然だめだったわ。
体性感覚(五感と身体内感覚)がどう感じ、思考や感情がどう動いていようと、
すべてが主観世界、全部が“私”ごとであった。
いつしかリアリティが逆転し、というかもとに戻り、
それが神秘体験とかの特別なことではなくなっていたんだな。

ウニキス@アルデバランとのチャネリングの前に私が読み返していた引き寄せ本とは、
『ザ・シークレット』(ロンダ・バーン 著/山川紘矢・山川亜希子・佐野美代子 訳/角川書店)で、
この本の終章の最後には、
「地球はあなたのために回っている。潮の満ち干はあなたのためにある。
鳥たちはあなたのために歌う。太陽はあなたのために昇り、沈む。星はあなたのために輝く」
てなことが書いてある。
これは煽りじゃなく、本当だ。
もっとも、「地球」とか、それが「回っている」というのは、
物理像空間だろうとアストラル空間だろうと、現にその視座に立って見ない限り、
どこかで習い覚えた知識であり、思考に属するけどな。
昼夜の別とか季節などの現象のメカニズムを説明するさいの、効率のいい(数式や論述が短くて
すむ)作業仮説ではあるが、まったくちがう観点からの作業仮説があってもおかしくないし、
昼夜の別とか季節といった課題自体も恣意的で、着目しなければ課題として設定されず、
説明の必要が生じない。
生命の恒常性維持という観点からみて妥当な課題であり、
その課題の答として最も効率のいい説明である、とケリをつけるとしても、
「生命ってナニ?」と問いだしたら、とたんに揺れはじめるぞ。

それはさておき、宇宙はそれぞれのあなたのためにある、というのはその通りである。
宇宙=あなた、なのだから、そりゃそーだ。ごもっとも。
それぞれの主観である宇宙の、それぞれの視角の差は、
全主観(具体像ではなく周波数)をとりまとめる0/1帯域で波動精算されている。
だからそこんとこは考えなくてよいというか、予定調和しようとしないほうが調和する。

この視角の差は、
たとえばある種の音楽を美しいと感じるか、ダサいと感じるかといったちがいであり、
私の宇宙の事物像の一部、場合によっては事物像を超える帯域で焦点を結ぶ像の一部である
人物(当然これも像)が、その人独自の宇宙として存在するという、カテゴリー差でもある。

それはともかく、一般常識に照らすと自分は相当に奇っ怪なことを書いている、
のみならずスピリチュアル界においても、どうも変であるようだという自覚はある。
なぜなら、私の知る範囲では、ネットでも本でも、ほとんどのコンテンツで、
エゴは滅却ないし執行猶予つきの滅却みたいな方向でとらえられているのに、
私のメタフィジクスではエゴは“私”という統覚意識、
さまざまな信号をひとつの世界像にまとめる当事者視点のことをさし、
これなしにはZero Point Field以外のどんな帯域も創造されないことになっているからだ。
自他や、他に含まれる個々の像を区別する感覚と、全部を一体として感じる感覚が併立して
いれば、つまりエゴのてっぺんがZPFへと開放されていれば、何も問題はない。
ジェンダー同一性が壊れていて、そのうえデムパであるというだけで十分マイナーなのに、
このうえマイノリティの袋小路を攻めるような言動はいかがなものか、
せめて「エゴ」という表現を換えてみてはどうよ、と提案しても、
自分の宇宙人版を含めてentityさんたちががん首そろえて「だめ。この音は大切」
と譲らないのでしかたない。
前の記事の追記でも書いたけど、つき合いきれんと感じたら、迅速に見切りをつけて
他のページに移ってくださいね。
これ、被害妄想じゃなくってよ。
かつて別のブログサイト(2014年に閉鎖)で音楽やテレビ番組にからめて好き放題書いてたら、
「天使が“その種の音楽は聴かないで!”と言っています」とか、
「アセンションに向けた大切な時期に、どうでもいいことを書いている人がいる」とか、
詳細は憶えてないが、なんやかや拒絶反応があったからな。
あなたの宇宙の天使がSTOPかけてるのなら、そんなコンテンツは見んほうがいい。
  1. 2018/03/31(土) 19:44:14|
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言葉の周波数をアゲる

2018.2.21(水)

自転車で縦に並んで走っている、40代くらいの女性ふたりの会話。

 今の時期、汗かくのはあんまりよくないらしいよ。
 え、なんで!?
 暑いと涼しくしなきゃっていうか。
 へー、そーなんだ。

なにがへーだよ、これでいいのか、もっと突っ込まんか! と突っ込みたくなるが。

BさんはAさんとのおしゃべりをどうでもいいこととして受け流している、ために、
これで会話が成立してしまう、とも考えられる。が、
Bさんの「なんで!?」には、意外、まじで理由知りたい、という響きがあった。
おそらく、何かもっと込み入った医学的な説明を期待していたのだろう。
でもBさんは、Aさんの茫洋とした答から、
「暑いときに体温を下げるために発汗するというのが自然な生理で、
暖かくなってきたとはいえ、まだ気温は冬のこの時期に、
運動などでわざわざ体温を上げて発汗を促すのは、かえって健康にはよくないらしい。
身体の自然な働きにさからうことだから」
というような内容を読みとって、この言葉足らず的な回答であっさり納得したのである。
(Aさんの情報が正しいかどうかはわからない。)

Bさんは、見えないアストラル帯域でAさんが伝達しようとしたことを瞬時にリーディングし、
ふたりの会話を聞いていた私には、このやりとりの全容が1秒くらいでリーディングされた。
言葉を発し、返すことを当たり前に感じていると、大げさと思われるかもしれないが、
実際、起きていたのはそういうことだ。

私も含めて、地球在住のヒューマノイドentity(人間型意識体)は、
魂宇宙のてっぺんから降りてくる波動が、声や形として具体化するライトランゲージではなく、
思考の帯域で、集団意識単位で、事物像と声や形との対応関係を規則化している思考言語を
使っている。
ために、事物像(の周波数)が思考言語(の周波数)によって分節され(事物像の分けかたが
決まる)、思考より高い周波数の波動の迂回が起きる。
なので、読み書きが過ぎたり、おしゃべりし過ぎたりすると、
事物像と思考の間でエネルギーがぐるぐるする、一種のブロック回路ができ、
高い周波数がブロック解除待ちになる。

なので本来、ここぞというとき以外は読まず書かず聞かず話さないほうがいいらしく。
ここぞというときってのは、
言葉のほうから「読んどけ」「書けや」「聞きな」「しゃべれ」とキューを出してくるときです。
そうすると、思考言語の規則はそのままだけど、
高次周波数がその規則を活用して降りてくるので、ライトランゲージに近くなると。
たとえば家庭内において、
いつもの習慣で、条件反射みたいに「定期持った? 財布は? 携帯?」と声かけするんじゃなく、
まさに「なんか知らんが定期のイメージが浮かんだ」そのときに「定期?」と発語すれば、
「げ、忘れてた! 言ってくれて助かったよ」てなことになるわけです。
逆に、とくに用事とかなくても、発声したいときはしたほうがいいみたい。
以上10行は、私の宇宙人版であるアリョーシャ@アルクトゥルスとの、これを書きながらの
チャネリングによります。

ただ、スピリチュアルカウンセリングなんかをする方だと、
わざとどうでもよいことをぺらぺらとしゃべりちらして、周波数を下げ、
クライアントさんの周波数と擦り合わせるみたいなことがあるみたいですが。

今日は別のことを書く予定だったのですが、冒頭の会話がみょーに印象に残ったことから、
路線変更になりました。
  1. 2018/02/21(水) 22:41:00|
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プロフィール

みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
人間(♀)仕様だが
中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
リンクはご随意に。
連絡も不要です。

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『ようこそ☆ゼロポントフィールドへ』をパブーで電子出版しました(無料)。「この本を開く」ボタンをクリックするか、ファイルをダウンロードしてお読みください。

出版案内2

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