FC2ブログ

ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

「0点牧場」の掲載終了(追記あり)

2019.2.17(日)

「スターピープルWEB」(ナチュラルスピリット)に掲載していた「0点牧場」は、
第3回をもって終了となりました。
16日(土)、窓口担当者に、掲載の終了と、すでに送信してある第4回分の原稿の破棄を
お願いするメールを送信し、17日(日)に了解をいただいています。

私が降板を決めた理由は、窓口担当の方を通して、編集者から第3回原稿の一部修正の可否を
訊ねられたさい、私が「元原稿のままで掲載してください」とお伝えした部分が、
何の説明もなく修正されてアップロードされてしまったことです。
アップロードしたという連絡もいただいておらず、私が2月15日(金)の夜7時ごろ掲載に気づいた
ときには、会社は業務を終えていて、電話での問い合わせはかないませんでした。
しかも、アップロードされた記事を読んでみると、記号の入れちがいや読点の位置のズレなど、
意味が大きくちがってしまう誤入力がいくつか発見されました。
私は、その日のうちに訂正の依頼メール、つづいて土日をはさむため訂正が遅れることを考え、
原文をブログに公開したことをお知らせするメールを送りましたが、
自分、編集者、窓口担当者と、制作にかかわる三者にとってもはや「0点牧場」は負担になって
しまっており、無理に継続させようとすると、いたずらにストレスが募るのみで益はないと判断して、
翌16日午後に掲載終了の依頼メールを送信しました。
なお、最初からの約束で、原稿料はいただいておりません。

以上が事実で、元原稿のほか、やりとりしたメールや、第1~3回の掲載時のwebページは
保存してあります。
メディアの責任者(編集長など)には掲載・放送する制作物を加工修正する編集権がありますが、
通常は、著作者との関係が悪化してもかまわないと考えているのでない限り、
このような一方的な手段がとられることはありません。

しかし、このような事態は突然起きることではなく、そこに至る前に兆しが生じています。
第1~2回の記事については、事前の可否の問い合わせなしに修正、加筆された記事が
掲載されていましたが、修正、加筆は本質的な部分ではなかったので、
文章の流れを分断する空白行の削除とか、日本語が破綻している箇所以外は、
訂正を求めませんでした。
けれども疑問には感じていました(修正後に日本語が破綻しているって・・・???)。
これはあくまでも私の推測ですが、先方も、アップロードするたびに訂正を依頼してくる私に、
編集権や編集実務について無知な、傲慢な著者という印象をもたれたかもしれません。
もし私が、初回の掲載段階で抱いた疑問をすべて訂正希望事項として伝えていたら、
「0点牧場」は初回で終わっていた可能性が高いと思います。
要するに、私と編集者あるいは編集を統括している方との相性がよくなかったのです。
双方のセンスが合っていれば、加工修正は協働関係と融合し、問題にはならないでしょう。
じつはこうしたことは出版業界あるあるのひとつです。

以下はデムパ話。
本当のところ、私には、最初の原稿を送る前から、なんかキナくさいな、とわかっていました。
ひとつは、とくに根拠のない直感からですが、
もうひとつの理由は、昨年の11月21日(!)に、指導教官から予告されていたからです。
それは「ヘンゼルとグレーテルがパンくずをまいてどうのこうの~」とかいう、
例によってポエムかよ! なお告げでしたが、
波動を感じれば、だいたいどんなことが起こりそうかわかりましたし、
「スターピープルWEB」誌への掲載のお話をいただいたときに、
あ、これはあのときに予告されたことだとピンと来ました。
にもかかわらずお受けしたのは、
ガイドスピリッツが示していた次のことを自身で明確にするためです。

情報の発信、制作物のリリース、ライブ活動、品物の製造や流通、サービスの提供、
どんな活動にしても、
「私」という視点を軸とした宇宙として存在している人にとって、
名前が知られているとかいないとか、メジャーだとかマイナーだとか、ブランドのあるなしとか、
客体‐空間‐時間思考システムに支えられた社会のなかの認知度は、
もはやまったく関係ないのです。
ブランドがあるからすばらしいというわけではないし、
ブランドがあるから通俗的で創造性がないというわけでもない。
もうそういうステージではないのです。
周波数が合えば、宇宙はどんな像も呼び出し動員し、縦横無尽に活用していきます。


最後に、ブログの記事や電子書籍などの拙文の真意を理解し、
掲載にご尽力くださった窓口担当者の方に深く感謝申し上げます。
ごく短期間ではありましたが、ありがとうございました。
そして生温かく静観してくださった読者のみなさま、ありがとう☆

2月19日(火)

18日(月)、「スターピープルWEB」編集ご担当の方から、
「身をおく」の一連の文章について、私から依頼した訂正は、
作業はしていたのだけれども、なぜかリセットされていて反映されなかった、
とのお詫びのメールをいただきました。
アップロード画面を確認しなかったのでしょうか。
だとすると、少なくとも土日の2日間は誤入力を含む未訂正の記事が掲載されてしまうのだから、
私の記事でなくても、これはまずいと思います。
実務態勢が改善されることを願います。

今回の記事の未訂正が意図してなされたのではなく事故で起きたことだとしても、
第1~2回の記事が著者への事前の打診なしに修正され、
その結果、日本語が崩れてしまっている箇所について私が訂正を求めるなど、
問題は潜伏していました。

こういうややこしい事態になるということは、
やはり著者と編集者のセンスが合わなかったのだと思います。
私の書くものを読んでくださっている方は、
「すごくわかりやすい」
「意味のわからないところはあるが波動で読めるから気にしない」
と言ってくださる方が多いのですが、
「はじめのうちは全然わからなかった」「何度も読み返して理解できた」
というご感想をいただいたこともあるので、
編集担当の方にとっては、たぶん読みづらかったのでしょう。
私はそのことはべつに気にしていません。
波長の合う著者とめぐり合われることを祈ります。


以下に、掲載終了に至った経緯の詳細を述べておきます。
文字系コンテンツを制作するうえで、何らかの参考になればさいわいです。

①原文
人間型、動植物型の宇宙は、直に物質を体験することはできません。
氷の世界みたいに凝結してしまうからです。
なので、マインドほど拡散してはいないが物質のように固まってはいない、
喩えると水とかジェルのようなエーテル帯域に物質波を写し、
エーテル帯域まで下りて具体化した像にナマナマしい質感を与えて、
「もし、この像が物質だったら」という仮想物質世界として体験しています。
これが物理像です。

②最初に提示された修正案(2019.2.14 16:39)
「人間型」「動植物型」の宇宙は、直に物質を体験することはできません。
氷の世界みたいに凝結してしまうからです。
なので、マインドほど拡散してはいないが、
物質のように固まってはいない世界に身をおいています。
(修正の理由:原文ではワンセンテンスが長く、わかりづらい)

*修正可否の問いに対する私の回答(2019.2.14 22:50)
②は元原稿のままでお願いします。
ここは物理像の基礎がエーテル像で、
物質波によってそのエーテル像に物質っぽいリアリティが与えられていることを
説明している非常に重要な部分だからです。
「世界に身をおいています」では、まったく内容がちがってしまいます。
「世界」はエーテル帯域をさすと読めるとしても、「身」とは何でしょうか?
私はこの記事でも次回の記事でもまたブログでも、
「身」などというものはない(何もかも像である)
ということを言っている
のですが。
センテンスが長くても、日本語としてきちんと文意が通るように構成しているので、
ロジックを丁寧にたどっていけば理解できると思います。

③2019.2.15(金)にアップロードされた記事
「人間型」「動植物型」の宇宙は、直に物質を体験することはできません。
氷の世界みたいに凝結してしまうからです。
なので、マインドほど拡散してはいなくても、物質のように固まってはいない
世界に身をおいています。
(1行アキ)
なので、マインドほど拡散してはいないが物質のように固まってはいない、
たとえると水とかジェルのようなエーテル帯域に物質波を写し、
エーテル帯域まで下りて具体化した像にナマナマしい質感を与えて、
「もし、この像が物質だったら」という仮想物質世界として体験しています。これが物理像です。

修正された文章だと、
「なので、マインドほど拡散してはいなくても、物質のように固まってはいない」
(1行アキ)
「なので、マインドほど拡散してはいないが物質のように固まってはいない、たとえると~」
と、同じフレーズが不自然に繰り返されており、
日本語の文章として、いっそうわかりづらくなっています。
もしこのように修正するのであれば、1行アキのあとの「なので」は不要、
「なので、マインドほど拡散してはいなくても、物質のように固まってはいない世界に身をおいています。
(1行アキ)
マインドほど拡散してはいないが物質のように固まってはいない世界とは、
たとえると水とかジェルのようなエーテル帯域のことです。
このエーテル帯域に物質波を写し、
エーテル帯域まで下りて具体化した像にナマナマしい質感を与えて、
「もし、この像が物質だったら」という仮想物質世界として体験しています。」
とすべきでしょう。

いずれにしても「身をおいている」という表現は、
この寄稿記事に限らす、私の書いているもの全部と矛盾します。

編集者からの修正依頼として、
「ワンセンテンスが長いので詰めてほしい」という要望はよくあるパタンですが、
多くの場合、文字数の制限を超えていたり、レイアウト設定とズレてしまうというのが
その理由です。
わかりやすく、読みやすくするという目的なら文を短くまとめるのが最良策とは限らず、
短く切った文を並べることによって、前後の関係がわかりにくくなったり、
全体の印象がぼやけてしまう場合もあります。
簡潔にするにしても、内容が変わってしまったり、全体の流れと矛盾していたり、
著者が書いている世界のコアを壊してしまうようでは、修正する意味がありません。
また、「長い文=読みにくい」というのは思い込みで、
接続詞や助詞、読点の打ちかた、改行のしかた、などによって、
的を射るようなタイトな流れができれば、音的にも視覚的にも印象に残る文になります。

さらに、これは一般常識とかけ離れているのでライティングの参考にはなりませんが、
わかりやすい文章が(波動で)リーディングしやすいとは限らないのです。
スポンサーサイト
  1. 2019/02/17(日) 22:02:53|
  2. 三毛猫亭日乗
  3. | トラックバック:0

ローズクォーツ・マジック

2018.4.12(木)

先週、髪を切りにいったときのこと。
店には、カットの最中のお客さんがふたり、そのほかに待っている人が2人いた。
男性スタッフふたりのうち、ひとりはずっとお客さんと会話しており、
もうひとりは黙々と仕事をしている。
私は、寡黙なほうの人に当たればいいな、と思いながら待っていたのだが、
その人は、そのとき担当していたお客さんのカットが終わると、昼食休憩に入ってしまった。

しゃべるスタッフさんのほうもお客さんが替わり、次の客とも延々と話をしている。
会社の営業がどうのこうの、接待がうんたらかんたら。
私は待っている間、軽く目を閉じて瞑想していた。周りには眠っているように見えたと思う。
スタッフとお客の会話は日本語なので、意味がそのニュアンスごと聞きとれてしまい、
ときどき気が散る。何回か、つい目を開けて作業の進行を確認してしまうこともあった。
それでも、瞑想に集中しよう! という意図は働かせず、
注意が会話に向いたら向いたまま、気が散ったら散ったままにしておく。
目が開いたら、また閉じる。
そうしている間に、どんどん“私”(輪郭だけのエゴ)は研ぎ澄まされていった。

またお客さんが替わる。
次は4月から中学生になったとおぼしい男児で、連れてきた母親が、そばで椅子に座って
待つ態勢。
新しいクラス、先生、小学校時代の友人、入部した部活の話などがはじまる。
スタッフ「やっぱり運動部だと、丸刈りとか、短くしないといけないんだ?」
子「いや・・・」
母「別にキマリはないんですけど、みんなだいたいそんな感じなので」
今度は母親も交えて3人! トリオ! でも実質はお母さんとスタッフさんの雑談。

お客さんが替わっても人数が増えても、ずっと一貫しているのは、
スタッフさんにもお客さんにも、雑談にタマシイがないということである。
どちらも間をもたせるためにだけ音声を発している。
「カットの間じゅう黙りっ放しなのも愛想がないから」お互い発声しているだけで、
本当のところ相手の話なんぞ聞いちゃいないんだよね。
そういうことって(波動で)わかるじゃん。私じゃなくても、誰にでも。

私はそういう会話が嫌いだ。やろうと思えばできないことはないが、
滑らないようにとか、あれこれ臨機応変にいたずらに工夫してしまい、
本心では「間をもたせる」ことだけが目的の人にそれをやると、あとでドッと疲れるので、
なるべく乗らないようにしている。
私が美容院じゃなく理髪店でカットしているのは、
理容師のほうがカットが巧い人が多いという理由が第一にあるけど、
話をしなくても放置しておいてくれるケースが多いという理由も大きい。
本当にホスピタリティのある接客サービス業の人は、
「いいお天気ですね」てなどうってことない言葉をかけるんでも“氣”が通っており、
そういう人がじつはそのへんのよくあるチェーンストアにいる場合もある。すごいことである。

そんなこんなで、自分の順番がくる直前になっても、待望の寡黙なスタッフさんは帰ってこず、
瞑想モードの“私”の輪郭のなかを、
「なるべく先方が気をわるくしないような言いかたで“トークはナシで頼んます”とお願いしよう」
という思考が駆け抜けていった。
ところがよ。
私が席につくと、さっきまで途切れずしゃべりっ放しだったスタッフさんが、
ぴたっと口を閉じたのだ。その人が口をきいたのは、
どんなスタイルにするかとか、髪のボリュームの調整とか、私の希望を訊ねたときだけ。
あとは終始だんまり。サウンドオブサイレンス。きゃー理想の状態キタ!

私は、一見したところ話しかけづらい人ではない。
むしろ逆に、この人なら話しかけてもOK~なオーラを全身で放っているらしく、
道を訊かれたりとか、「ウスターソースはどこに置いてありますか?」とか店の人ではないのに
訊かれたりとか、「ハーゲンダッツの新製品おいしいの?」といった商品レビューを求められるなど、
知らない人から話しかけられることがけっこう多い。
だからこそ、美容院でも整体院でも、私を担当する人はノンストップトークで対応し、
一度それに応えてしまうと断りづらくなるという輪廻に陥っていたのである。
それに、待ち時間には瞑想していて、考えることや感じることは受け身で観察していたので、
「どうか話しかけずに仕事してくれ!」と念を送っていたわけでもない。
なのにこの、テレパシーが通じたかのような豹変ぶりはどうしたことか。
ともかく、私はカットしてもらっている間、快適な時を過ごせたのである。らん♪

と、帰宅して、服を外出着からスウェット上下に着替えようとしたとき、
ジーンズのポケットからローズクォーツ(石)が出てきた。
すっかり忘れはてていたけど、これ、出かける前に「持って行きんさい」というお告げがあって、
ポケットに入れたのだった。テレパシーを仲介してくれたのはこの子か?
  1. 2018/04/12(木) 18:41:24|
  2. 三毛猫亭日乗
  3. | トラックバック:0

珍事

2017.11.26(日)

キマシタ。ちょー久々ですよ。
れいです。自即宇宙ではなく、“人類”のピースになりきってる意識体の。
テラのヒューマノイド(人間型意識体)は、自即宇宙に気づいていないと、
制限を象徴する土星軌道の内側、
すなわちいろんな思いや感情が絡まった構成体に同一化してこれを組み換えつつ、
排除(分離)と排除した対象(外側)への承認要求を延々つづけるループゾーン、
またの名をザ・幽界から出られんのですが、
そういうentityさんに、何十年ぶりかで遭遇しました。
物理像を開いてるタイプ(いわゆる生霊)かどうかは不明。

私は霊感ないので、ふだん、霊など見聞きすることはありません。
せいぜい、実害がありそうな場合に「ヤバい」気配を察知して避けるとか、その程度の感度です。
しかし中高生くらいのころには、
夜中に金縛りにあったりとか、
何かリアルな感触のある気配から逃げて、
幽体離脱っぽくなって(確信はない)室内を歩き回っているとかいうことが、ときどきありました。
でもあまり気にしていなかったし、
後年、心理学とか脳科学みたいな本を読んで、「部活で疲れていて、自律神経とか神経伝達物質の
分泌具合とかがおかしくなっとったんだろう」で決着つけてましたが。

ところが昨晩、そのすっかり忘れはてていた感触と再会しました。
身体の右側を下にして寝ていると、左サイドに、覆い被さるようにして、何かいる。
荒い呼吸のような音がするが、動物のそれではない。
むろん宇宙意識体ではない。波動がぜんぜんちがう。
なんんんじゃこりゃ、もしかして、むかし遭ったあれか?(-_-)? って、
怖くなる以前に懐かしびっくり、みたいな。数十年ぶりに三角関数の式をミタ的な思いです。
がばっ、と起きてみたら、もうそれはいなくなっていた。あとに、なぜかほんのり猫の香りが。
同時にこの件に関する通信が入って、
それによると、entityさんはヒーリングセンターに搬送されたらしい。
ヒーリングセンターというのは、私のアストラルコスモスでの呼称で、
固有の波動構成体として識別できる意識体の、変調したり配線が切れたりしている箇所を整えて
復調させる作用をする周波数帯です。ざっくりいえばボディ&メンタルの病院。
私はヒーリング専でもリトリーバル専でもないし、優しくないから、
こういう場合、中立補正してあげたり、ヒカリに還したりとか一切なし、ヒーリングセンター直送ですよ。

事情を聞くと、なんか勘ちがいして、関係者以外立ち入り禁止のゾーンに踏み込んでしまったところ、
私の宇宙人版のボディガードをしてくれている弁慶のようなガタイのエスラ@アルドラに見つかり、
その区画をガードしている宇宙猫たちにも見つかり、警報が鳴り、いっせいに追っ手を放たれて、
焦っていっそう立ち入り禁止ゾーンの奥へと遁走していったあげく、お縄になったと。
息を荒げていたのは、追われていたからなんだな。

そのentityさんは、地球人の意識の広がりとか、そのなかで人外系ソウルが果たす役割とかについて、
私が多くの機密情報を握っていると誤解されていたもよう。
残念ながら、私は私個人の宇宙を探究し創造しているだけで、
人様の情報の正否を判定したり、裏付けたりするようなソースも権威も持ち合わせてはいない。
物理像を含むメタフィジカル宇宙では、
自分の宇宙音を聴きとっていると、他宇宙とのユニゾンやハーモニーを感じることはある、が、
それは両宇宙に恒常的な協奏関数が働いているシルシでもなんでもなく、
何度重なってもそのつど一期一会の響きであるし、
自分の観察あるいは行為が正しいと証明してくれる権威者や機関は存在しない。
どんな先達も、自身の例を示すことができるだけである。

最後に、トリ頭のマスター・トートのメッセージを引用しておきます。「宝はご自身の書庫にあり」
  1. 2017/11/26(日) 17:55:38|
  2. 三毛猫亭日乗
  3. | トラックバック:0

2017.5.13(土)

先のウエサク満月(5月の満月)のおり、
窓からガラスをとおして見える月が煌々としてなんとも魅惑的で、
遠隔操作されたかのようにベランダに出てしまった。
向かいの建物の屋根に映った黄金の光と瓦の影とがつくる明暗に驚嘆して
空を見上げたのが運のつき、
月とその周囲の空間に全身が捕えられてしまった。

どのくらい月とその周囲の空間に魅入られていたのか、
たぶん何十分とかそんな長い時間ではないのだろうけど、
無機的、鉱物的といっていいような完全な静けさのなか、
そこには、月とその周囲の空間しかなかった。
天空の魔術が浸透してくるのを感じた私は、それに抗って、半ば実験心もあって、
翌日の予定のことや、日用品の買い物リストや、
居宅の消防設備点検日っていつだったっけ、てなことや、
あの日あのときこうしていれば的なこと、
線形時空間上に去来するあれやこれやの雑多な思念を起動しようとしたんだけど、
どれもこれも、月とその周囲の空間がめぐらせたシールドを突破できず消えてしまう。
仮面ライダーにあっけなくやられてしまうショッカーみたいに。
というか線形時空間がフリーズしている。
雑念を流して流して意識の芯である瞑想を顕わにしていくプロセスとは逆で、
押しても引いても瞑想は動かず、雑念の入る隙がない。

もし月とその周囲の空間がトゥーランドット姫(←誰)とそのオーラなら、
「どうする、三つのクイズに正解できんかったら、椅子がくるくる回るくらいではすまんぞ」
「・・・私にはもうあなたしか見えない。そのクイズに得点ポイントのすべてを賭ける」
といったところだろうか。
サレンダー(降伏、明け渡し)。
金縛りには遭ってないが、金縛られたように意識が止まる、釘づけになるなんてことが、
本当にあるのだな、と。
こちらの意識に何かが向こうから飛び込んでくるということが、
これほど明瞭に起きたのはじめてかもしれない。

それ以来、いまだ昼夜をとわずシータ波びんびんである。
眠くもだるくもないが、眠気と紙一重、うっすら水中にいるようだ。魚類だ。
魚類なのに、文字は読めるし入力できるし、
エクセル使えば計算だってできるし、
シンクの下の棚戸のグラグラも、ドライバーでちゃちゃっと修理できちゃうんである。
地に足ついた魚類。キモいな。

というわけで、も少し込み入ったことが書きたかったのだが、
それはまた陸に上がってから、別の機会にということにします。
みなさま、ごきげんよう。
  1. 2017/05/13(土) 21:36:10|
  2. 三毛猫亭日乗
  3. | トラックバック:0

鞍馬山行

2016.10.15(土)

10月12日、京都の鞍馬山に行ってきました。
ここは豹専務と縁の深いスポットで、彼女は5度目ですが、私ははじめて。
事前に豹専務から聞いていたとおり、高尾山に登るよりはラク。
つづら折りの山道とはいえ、ん、キツいかも? と感じだしたあたりになると
折りよく神社があったりして、てっぺん近くの鞍馬寺まで、鼻歌ハイキングのノリで、
トコトコ登っていったのでした。
鞍馬寺の物販所では、源義経にちなんだとゆー「降魔必勝の小太刀」なるものを
購入してしまったりして、修学旅行で木刀買う中坊かオレは、って感じです。
あ、でもこれはプロテクション用なのよね(言い訳)。

今回は背後の「彼ら」の気配もさほどでもなく、
キッキッ、といつもの小猿テンションで観光を楽しんでおったのです、が、
本殿参詣をすませて、貴船神社へと向かう道にさしかかったころ、
突如、頭に、ピィン、とアクセス感があったのです。
え、キタ!? なぜ、どうしてこの段階で? と思う間もなく宇宙音はMAX全開に。
(私には常時、左右の聴覚で周波数の異なる音が聴こえているのですが、
これを私は宇宙音と呼んでいます。個人的に命名した名称です。)
私は、何も下調べせずに、豹専務に引率されるままにあとをついて行ってたんだけど、
そこは鞍馬寺の奥の院である魔王殿に向かう道だったんだよね・・・。

魔王殿。それは、シリウス、金星を経由してサナトクマラがそこに降臨したといわれている、
アヤシサ大爆発の場所です。
私はそうとは知らず、「あーなにこれ、いい音~」とかって、鰐口を2回もたたいてしまったし
(鰐口とは、寺の軒先に下がっている太い綱でたたく、カスタネットみたいな鳴り物のこと)、
建物のなかにベンチがあるのに目をつけ、軽い気持ちで座って目を閉じたのが運のつき、
えらく高い高いたかーーーーいどこかに連れていかれ、
建物も景色も自分の身体も何もかも、トンでしまいました。
エレベーターが、途中階を全部すっ飛ばして瞬速で屋上に着いたみたいな感じです。
物理的な手応え、感覚というものが一切何もなく、重力さえもない感じだ。
そんなことがあったにもかかわらず、私は、パチッ、と目を開けると即起立、
すぐにもとの小猿に戻って、スタスタと歩きはじめました。
松本伊代さんが歌っていた「センチメンタル・ジャーニー」のサビの部分を、
「イヨ」を「サナ」と入れ替えて口ずさみつつ(サナトクマラが永遠の16歳=若者とされているため)。

鞍馬山から貴船神社に至るルートは「木の根道」といわれているそうだけれども、
木の根が絡まりまくってるのみならず、石はごろごろ、階段の段差はまちまち、
山に登るより降りるほうが断然キツいです。
「上りは俗にいうダンセーテキな波動で、下りはもっと繊細? ジョセーテキ?」
とか、事前に豹専務は吹いてましたが、どこがジョセーテキなんだっつ!!!
下りのほうがマッチョもりもりで、足元に注意するのに精一杯、波動どころじゃないよ。
それともこれは、タフでキビしい女子の本性を露わにしている道なのか?
と、そのマッチョルートを逆から登っていく人種さまざまな外国人男性集団とすれちがった。
全員、赤いTシャツを着ているこの人たちは、何かの秘密結社のメムバーであろうか?
ともかく、貴船神社に着くまで息が抜けませんでしたが、
グラウンディングにはよかったのかもしれません。

貴船神社のあと、セルジィちゃん@金星人のリクエストもあって、
慈照寺(銀閣寺)にも寄りました。
銀沙灘(ぎんしゃだん)とか向月台(こうげつだい)とか、怪しさプンプンですね。
禅寺系の庭のデザインには、ナスカの地上絵とか、あのテのものを箱庭にしたような
印象があります。
展望所が設けられている小山の壁面を、でかい木の実をもって遁走していくリスがいて、
この子が小柄ながらも野性的で、この日の面白どころでした。

さて、私は、鞍馬に行く直前にメッセージを受けとっているのですが、それは、
「身体から身体を、魂から魂を解放すべし。見ることによって見ることを終わらせよ」
というものです。
ピンときた方は、ご自身の星系や霊統で吟味なさってください。

貴船神社から貴船口駅(叡山電車)に至る道で見つけた、
いい感じの清流 
貴船口へ
  1. 2016/10/15(土) 16:15:53|
  2. 三毛猫亭日乗
  3. | トラックバック:0
次のページ

プロフィール

みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
人間(♀)仕様だが
中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
リンクはご随意に。
連絡も不要です。

出版案内3(パブー閉店のため2019年9月30日まで)

『ようこそ☆ゼロポントフィールドへ』をパブーで電子出版しました(無料)。「この本を開く」ボタンをクリックするか、ファイルをダウンロードしてお読みください。

出版案内2(パブー閉店のため2019年9月30日まで)

『Starry Souls ☆ 宇宙人語り』の改訂版です。

出版案内1(パブー閉店のため2019年9月30日まで)

『多次元対談・宇宙人といっしょ』をパブー (PC等で読める電子本)で出版しました

最新記事

カテゴリ

三毛猫亭日乗 (22)
社説 (26)
ひみつの閉架書庫 (55)
デムパ話 (24)
超デムパ話 (7)
新世界への回帰 (79)
アセンションについて (8)
実現のメタフィジクス (8)
仮想集合システム (27)
コミットメント (5)
次元上昇 (5)
デムパなメソッド (10)
ナチュラルトランス (14)
ナチュラルトランサーの特徴 (1)
フィロソフィア(愛知) (25)
この女(ひと)を見よ (8)
不思議なお店 (8)
RTLF (2)
未分類 (15)
ブログをご覧になる方へ (1)
音楽 (4)

最新トラックバック

ぞろ目が出るかな?

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: