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ソロ・パブリッシュ

エア充。

エゴっておもろい(追記あり)

2017.12.22(金)

『わかっちゃった人たち』という本を再読した。
本の内容は、副題「悟りについて普通の7人が語ったこと」のとおり、
スピリチュアル界の先生でも専門家でもない人たちに、悟りステージに至るまでの経緯と、
で、今どうよ? てなことを話してもらって、まとめている。
どの人も淡々としたテンションで、「たいしたことじゃないよ。とくに神秘的じゃないし」
「スピリチュアルな探究も含めて、何かに駆り立てられることはなくなった。情熱とか意欲とか、
そういうバネなしに充足している」といった話がつづく。

スピリチュアルの流派でいうと、いわゆる「非二元」の本で、2008年にオーストラリアで発行され、
2014年に邦訳が出版された。
この本の語り手のような人たちは、きっと、もっと増えてるんじゃないかな。

最初にこの本を読んだときは、「ふーん、そんなもん」てな感じで、けど先生じゃない人の話は
珍しかったし、トンデモネタもなければ専門用語も出てこず、わかりやすくて、しみじみおもしろかった。
あらためて読んでみると、随所で「ああ、そうだよね」とうなずきつつ、笑える。
どの人も、「自分」が消えていない。

7人とも、全体しかないのが当たり前になっていて、全体の一部で全体とつながっている
某という人物(語り手自身)が何か言ったりしたりしている、という在りかたになっている。
けど、ときどき、自分が戻ってくる。「私」と言う、こいつが。
なぜ、どういうわけで戻ってくるのかわからんが、ふいに「私」は戻ってきて、
でもそれは当面「私」をやっている一体性だから、混乱はしないと。
これってたぶん、「私」がミュートされたり、濃くなったりしているんだろう。

それはエゴコードがあるからだよ。notとnot“not”がペアになって踊ってるんだよ。
周波数帯(次元)のちがいからズレができて、振付が片方ずつ見えることがあるだけ。
と、私は本のなかの語り手ではなくて、
彼らの話にエゴコードのトリッキーなふるまいが表れているのが可笑しい。
not(~ではない)がそれ自身を否定しちゃう(“~ではない”ではない)のも笑える。
お笑い芸人のノリツッコミのよう。

エゴとは「私」という統覚意識のことだ。
「私」はこつ然と“私”という主体で現れるのではなく、
一体性に「これはちがう!」という否定が生じて、否定したものを外側へ対象化し、
外側ではない側が“私”として立ち上がってくる。
しかし、同時に「これはちがう!」はこの否定自身にもかかるので、
<これはちがう!「これはちがう!」> →「“これはちがう”はちがう」 →ちがわない、
ということになって、「私」と「全体」は同時に両立する。
この<これはちがう!「これはちがう!」>ってのがエゴコード。
その起原は、0(振動していない)かつ1(振動している)であるZero Point Fieldが、
0と1に分かれた0/1帯域である。
しかし、0/1の“私”意識は、同じエゴコードの作用によってZPFに還っているので、
0(振動していない)と1(振動している)は互いのちがいを認識するだけで、対立はしない。
人間のエゴも同様に、エゴコードが健全に(0/1と同じように)作用していれば、
「私」であると同時に「私」ではないことになり、「私」は「私」でない環境を認識するだけで、
「私」と環境は対立しない。

統覚意識は、全体が物質(元素)意識、動植物意識、個体(人間)意識に分かれる前の
ワンネス意識(ZPFと0/1)に起原をもつから、とてつもなく深い。
悟ったくらいじゃなくならないよ。なくす必要もないし。

「これはちがう!」と宣告して外側をつくり、その外側の環境のなかで孤立する「私」は、
意識の認識範囲を制限する。
本来、全体である意識は、「私」になったとたん、「私」がいる次元(基底次元)に閉じ込められる。
6次元の「私」は6次元しか、5次元の「私」は5次元しか認識できない。
物理像に「私」がいれば、物理像の範囲しかわからない。
「私」と言わせる“私”意識が基底次元をつくるといってもいい。
けど、「これはちがう!」自身に「これはちがう!」を宣告する融合コードが活きていれば、
「私」が全体と重なり、「私」であると同時に「私」が消失するZPFが限界範囲となる、
つまり限界がなくなるので、高低どの次元も認識できる。

なお、物理像は3次元かと思いきや、どっこいギリ4次元です。
4次元にある設計図を、3次元以下まで降りてる物質波動の周波数で変換し、
感覚(体性感覚:五感+身体内部に感じる感覚)という信号にして、
この信号で、感覚でできた立体動画すなわち“像”を構成してるから。
物理像の周波数帯域は設計図より低いけど、物質そのものではありません。
これを便宜的に3次元と言ってるけど、人間意識体の基底次元は本当は4次元です。
で、「私」を低い次元に降ろすほうが、昇るよりも、ほんとはむずかしい。

全体でありつつ、全体から分離して「私」が出現すると、
宇宙は、半身は宇宙全体でありながら、
もう半身は、何が起きるかわからず偶然に左右されるカオスに投げ込まれる。
だがこのツインがエゴコードで同時循環していれば、
全体でありカオスである宇宙は、数多の音色で響く交響楽になる。

なんかスピリチュアル界では相変わらずエゴは悪役だけど、
それは「これはちがう!」という分離コードだけが作動している、
融合コードを欠いた機能不全エゴがエゴだということになっているからだろう。

あるメジャーな宗教の教典に出てくる、みだりに口にしちゃいかん神様の名前ってのも、
ほんとはエゴコードのことなんだよね。
その神様も、私が知る限り、スピリチュアル界的にはあまりよく言われていませんが。
般若心経といい、この神様のネーミングといい、
集合システムでキリキリ緊縛してるわりにはヒントがぼろぼろ。
つか集合システムがあるためにネタバレにならんのかな。

<本のデータ>

タイトル/わかっちゃた人たち 副題:悟りについて普通の7人が語ったこと
原題/Everyday Enlightenment――Seven Stories of Awakening
著者/サリー・ボンジャース
訳者/古閑博丈
発行/ブイツーソリューション
発売/星雲社
発行年月日/2014年1月20日
価格/1,500円+税

12月23日(土)

意識が広がるとは、統覚意識“私”が広がることといってもいい。
“私”って、基底次元で環境と分離している人物(筆者なら“みけ”って人)だけじゃないのだ。
この、おなじみの“私”感だけが“私”じゃないんだよね。

①基底次元で“みけ”だけをやっている“私”(こてこて)
②基底次元で“みけ”をやりながら全体である“私”(ほどほど)
③ついに“私”が消えてしまうほど全体である“私”(ホワイトアウト・・・)

とりあえず、地球人のアセンションの着地点は、
基底次元を物理像としたときの②で、
それには、おなじみの①で閉じないで、③に開かれている必要がある。

でも、どの次元にも、この3パタンがあるはず。
どの次元にも“私”はいて、それぞれ“私”感がちがう、
って、私にはまだよくわかってないんだけど、
私的にはすごくおもしろいよ。わくわくするぜ。

そういえば「私はいる」ってのが例の神様の名前だったっけ。
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  1. 2017/12/22(金) 22:49:35|
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