ソロ・パブリッシュ

エア充。

人類とは誰のことか

2018.6.11(月)

<人類>というのは個人の思考である。
ある人が人類のことを考えているとき、その人の考える人類が、思考として存在している。
だって、<人類>に会って、つぶさに見て話を聞いて、頭数を数えた人なんて、
どこにもいないっしょ。
と、こういうのを中学生の理屈という。でもほんとのことでしょ。
同じ中学生の理屈でいくと、この「ある人」ってのは、私が認識している世界に属していて、
「どこ」ってのも私が認識している不特定の場所のことである。

私がメディアのニュースで、ある情報を知ったとして、
その情報は、私が認識する世界では、画像や音声や文字がつくる情報として存在する。
ニュースの向こう側で、本当にその事件が起きているわけではない。
本当の事件というのは、私が認識する世界に、事件として現れる。
画像や音声や文字がつくる情報に対して、何らかのアクションをすることもあるが、
それは情報の向こう側で本当に何かの出来事が起きているからではなくて、
画像や音声や文字がつくる情報に対して特定のアクションをするようにと、
私が認識している世界の側から促してくるからだ。
感情や気分が反応してざわざわすることもあるが、私の場合、
ざわざわからアクションすることはなくなった。

以上のように、私にとっては<人類>は概念(思考)なのだけども、
私の認識する世界には、どうもガチで人類がいることになっているっぽい人も住んでいる。
私が認識する世界には、「人類」という言葉に対し、
次の3つのとらえかたをする人が住んでいるようである。

①<人類>は実際にいるという前提で世界像を構築している人。
②<人類>が概念(思考)だと気づいている人。
この人は、<人類>という概念を、自身の認識世界にある思考のひとつとして扱っている。
たとえば、「人類」という言葉に接したとき、「あ、<人類>を想定した話ね」ととらえる。
③マインドを超えたところから感知される何らかの集合フレームに対して、
思考帯域で「人類」という訳語を当てている人。

③は何かというと、
夢やビジョンとして現れるケースもあるけども、基本的には信号でしかとらえられない、
言葉やイメージで直訳できない世界(アストラル帯域)に、
同胞ソウルとでも呼べばいいのか、大きなグループソウル的な連帯フレームが
あって、このフレームを「人類」と呼んでいるんである。

つい二、三日前、私は、私用語で「前期レムリア」と呼んでいる、
人が言語を介さず、ナマの信号のやりとりで交流している世界をチラ見した。
コンピュータでいうと、機械語ですらない、電気パルスで交信しているような感じ。
しかしこれとて、個体宇宙で起きている自作自演交流である。

たとえばAさんが認識する世界、つまりAさんの宇宙に、B、C、Dなどの人たちが
住んでいるとすると、この人たちは、
Aさんの“私”意識(エゴ)が自他分離して観察している局面では、それぞれ別人だが、
AさんのエゴがZero Point Fieldとつながって自他の区別を解消している局面では、
Aさんでもなければ、BでもCでもDでもなく、何者でもない。唯のZPFです。
にもかかわらず、これがAさんの個体宇宙になるのは、
自他分離しているときの統覚意識(観察者“私”)がAさんだから。
ハイアーセルフ‐高次帯域‐マインド帯域‐物理像(エーテル帯域に反映された物質波)、
上から下まで、どこをとっても、観察者=Aはぶれていない。
0/1帯域で生じた“私”意識は、数多の視角に分かれ、それぞれの視角から、
個々の宇宙を観察/創造している。
この個体宇宙の頂点(それぞれの視角の始点)がハイアーセルフです。
そういうAさんの宇宙で、AさんはB、C、Dなどの人たちとパルス交流している。
リニア時間を想定したうえで「現代」と呼ばれている世界でも、高次帯域はパルス交信ですが、
「前期レムリア」世界の特徴は、この交信方式がマインド帯域でも変わらず、
言語のような象徴体系がないことです。
これがいくらか言語に近づき、機械語交信になったのが、私用語で「後期レムリア」または「ムー」、
アセンブリーになったのが「アトランティス」です。

レムリアとかアトランティスとかっていうのは、
「現代」とは異なる特徴をもった世界の呼び名であって、
そういう文明が実在した、いや実在していなかった、という話ではありません。
そういう世界は「現代」と重なって、個体宇宙のどこかの周波数帯を成しています。
こういう世界が「過去世記憶」として、また「現代」との重なりが「転生記憶」として
思い出される場合、リニア時間形式を使ってファイルを開いているだけで、
それは異なる世界へのアプローチのしかたのひとつです。
もし「多くの転生を重ねた」という実感があるとすれば、
多くの別世界に通じている、アカウントをもっているということです。
アプローチのしかたはそれだけではなくて、要は周波数が合うとファイルが開くので、
瞑想してるときとか、何かの拍子にふっとつながることもある。

さて、高次帯域では、自他分離局面での他者との交流はパルス交信方式ですから、
上述の②の人でも、観察を重ねて、“私”(エゴ)が研ぎ澄まされてくると、
パルス方式は実感されてきます。
③の人とのちがいは、③の人の場合、
やりとりの頻度が高い対象範囲(同胞的フレーム)と、「人類」という概念とがリンクしていること。
②の人には、そのようなリンクがありません。
この「人類」概念は、言語による思考というよりイメージです。
同胞的フレームと「人類」のイメージがリンクしている理由は、
アカウントをもっている別世界とのかかわりにあるようです。
レムリアとか、古代とか、どこかの時代のどこかの地域のクラン(氏族)といった形で、
あるいはどこかよその星のなんとか族といった形であっても、
別世界がマインド帯域で翻訳変換されて開くとき、
翻訳ツールとして使われるイメージに、同じマインド帯域の「人類」イメージと親近性がある。
たとえば直立二足歩行といった外見の特徴とか、ジェンダーとして翻訳される二極性があるとか、
似たような感情反応をするとか。
つまり、③の人たちの「人類」イメージは、さまざまな別世界の同胞的フレームの別称です。

しかし、「現代」世界で、思考と対応した言語で示される「人類」は、
非常に多様な人間坩堝をひとつにくくる概念であり、
上述のような同胞的なフレームと対応させるにはムリがあります。
意識の広がり度合もばらっばらで、パルス交流にはほど遠く、
ひとつの象徴記号(言葉など)が、いくつもの意味、何十ものニュアンスを帯びて拡散します。
言葉で「いいよ」と言いつつ、パルスで「だめ」と伝えていることも珍しくありません。
少なくとも、私が認識している世界ではそう。
同胞的フレームを翻訳した「人類」と、<人類>の実態は大きくかけ離れています。

では、③の人が自身の宇宙で感じている同胞的フレームがアクティベートされると、
マインド帯域‐物理像でどんなふうに具体化するかというと、
・それぞれの“私”が認識する世界での交流がパルス的になる
(Aさんの場合だと、Bさん、Cさん、Dさんなどとのやりとりがパルス交流に近づく)
・個体宇宙の高次帯域とのやりとりがスムーズに、自在になる
といったように、それが及ぶ範囲は、それぞれの“私”が認識する世界です。
ざっくりいえば、リアル、バーチャル問わず「隣人」範囲に波及するといっていいでしょう。

私が認識している世界すなわち私の個体宇宙には、
意識の広がり度合もさまざまなら、アプローチのしかたもちがう人たちが住んでいます。
で、私の個体宇宙から私に求められているのは、
これらの人たちに連帯を呼びかけたり、
想像力を広げて共感する努力をすることではなく、
このばらばらさ加減をばらばらなまま承認し、それぞれのやりかたを尊重することです。
物質還元主義に立つ人も、私とはちがうメタフィジクスを展開している人も、
まちがってません。
「関係ない」という関係が築けることは、共存の鍵です。

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』には、修道僧のゾシマ長老に、
「私は人類のために奉仕したい気持ちでいっぱいだけど、
人類愛に燃えれば燃えるほど、身近な人たちが嫌いになる」と訴える女性が出てきます。
この人にとっての本当の「人類」は、嫌いになっていく身近な人たちで、
何かあるごとにこいつ嫌いとか許せないと感じるのを認めることと、
そう感じることで自分を責めないことが、愛の実践のはじまりではなかろうかと思った。
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  1. 2018/06/11(月) 16:58:38|
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