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ソロ・パブリッシュ

エア充。

感覚宇宙の深いリラックス感について

2018.9.16(日)

物理的な知覚、思考や記憶や感情や気分、微妙で言いがたい直感や直観イメージ、
いずれも何らかの「感じ」で、
スピリチュアル業界ではこの「感じ」を「波動」「エネルギー」「周波数」などと呼ぶ。
世界像とは、そうした濃淡と質感がさまざまな感覚の重なりであり、
さまざまな感覚を感じているという「感じ」が「私」という当事者意識である。

物理的な知覚とは、五感と、痛みや嚥下感などの感覚をいう。
痛みや嚥下感などは、視覚や触覚からなる身体像よりさらに「近く」に感じられる、
いわば拡大された触覚である。
拡大されて「近く」感じられるので、皮膚像の下に内部があるという思考を誘導しやすい。

さまざまな感覚を、「“私”が感じるより先に客体(物体、精神、エネルギーなど)がある」
という客体思考を使って便宜的に言い表すと、下記の<存在論的表現>になる。

<認識論的表現>     <存在論的表現>
  濃い感覚         物理像
  中濃感覚         エーテル像
  中程度の感覚       マインド像(低次アストラル像)
  微妙な感覚        高次の像(超アストラル像)
※中濃感覚は、濃い感覚のコントラスト比率を保って全体の強度を和らげたような
感覚なので、中程度の感覚である思考や感情や気分よりも感じにくいことが多い。

ふむ。なんだかカレーの辛さ段階のようであるな。
カレーでいうと、濃い感覚と中濃感覚は辛さがちがっても具が同じなので区別しづらい。
中程度感覚からは、具がルーに融けていく。
中程度だとまだ具は残っているけど、微妙な感覚になると、具は全部ルーに融けている。

あるもの、見聞きされる他人の言動、思うこと、
すべては、「私」が感じている濃淡と質感がさまざまな「感じ」の重なりである。
物体はない。身体もない。
空間も時間もない。
ただ「私」が感じた「感じ」である。
清々しい。
あんまりないないづくしなんで、昭和のアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」OPの
「オバケには学校も試験もなんにもない」という部分が、
エンドレスでリピートされてしまう。
ちなみに2番は「会社も仕事もなんにもない」で、
3番で「オバケは死なない。病気もなんにもない」だぜ。すげえな。

「感じ」だけだと魂底わかると、すごく深くリラックスし、安堵する。
これはどうしたことかしら、
なぜこんなに、しあわせとも至福ともちがうんだけど近似表現でしあわせなのかしら、
と中程度感覚で感じていたら、数日して理由がわかったわ。

それは、環境が敵対的でなくなるからだ。
全部が「私」の感じた「感じ」の重なり、それだけ、ということは、
その感覚の向こう側に客体(一般的には物体)がデンと控えているわけではない、
と、「感じ」としてわかっているということである。
そうすると、環境という中程度感覚(概念)そのものが瓦解する。
ないものは敵対的になりようがない。
襲っても向かってもこないし、罠を仕掛けたりもしない。ないんだから。

客体‐空間‐時間思考システムを走らせているとき、
「私」に先立って、時々刻々変化していく物体の組み合わせが世界として存在する。
「私」も「感じ」を感じる単なる当事者意識ではなくて、
その時々刻々変化する物体の組み合わせに属する身体が、
物体固有の物理、化学法則にしたがって生じさせる生理反応に、
言語や身振りなどの象徴表現を対応させて、
生理反応や生理反応の解釈を表現する主体とされる。
客体‐空間‐時間思考システムにいる「私」は、第一義的に身体をさす概念である。
「私」は概念(思考)であって身体そのものではないが、
このシステム下では、概念は物体である身体の諸反応を起源としていて、
諸反応のまとまりをさす象徴的表現とされる。
要するに、物体の一部である身体がなければ身体の諸反応も生じないから、
「私」という概念もないということだ。
けれども、第一義的に身体をさす概念だった「私」は、いったん立ち上がると、
ほかの概念や、「感じ」を時空思考で変換した記憶などと連繋し、
それらをさまざまな感情で染めて、セルフイメージに織り上げる。
「私」は身体にもとづきながら、物体や身体の諸反応を抽象した概念の世界で、
セルフイメージを統括する概念へと膨れ上がる。
こうして、概念の世界で身体を超えるテリトリーを獲得した「私」は、
絶えず物体の組み合わせのなりゆきを見張っていなければならない。
物体は、物理、化学などの物体固有の法則で動いているので、
いつなんどき、「私」の基盤たる身体を脅かすかわからないからである。
固有の法則がどこまで解明されようと、
「私」がカバーできる客体は身体だけなので、皮膚の外側にある物体は信用できない。
どころか、身体も物体に通底しているのだから、油断できない。
身体が物体固有の法則をふりかざしてセルフイメージを切り崩してくることもあるからだ。
このようにして、客体‐空間‐時間思考システムを走らせていると、
時々刻々変化する物体の組み合わせからなる環境の動向に用心し、
先手を打って対処しようとする自動反応パタンができあがる。

「私」が感じている感覚の向こうには客体があるはずだという思い込みがなくなると、
客体でできた空間も、客体の不可逆変化の尺である時間もなくなり、
環境なるものがまるごとごそっと抜けるので、警戒が解ける。
「私」が感じている感覚があるだけなので、それを感じていればよいのである。

「私」より先に客体ありきが前提の世界では、
高次発のメッセージを受信することと、
それにもとづいて物体に属する身体を動かすこととは、別の行為になる。
なので、「直感や直観イメージが降りても行動しないと実現しない」とか、
「本当の直感かどうかは動いてみないとわからない」とか、
直感的指示と身体による行動との間に何やかやと葛藤が起きたり、
迷いが生じたりしがちである。
感じることと行動することが分離しているからだ。
しかし全部が濃淡や質感の異なる「感じ」に融解してしまうと、
メッセージを「感じ」として感じることも、
行動することや態度を決めることも、どちらも何らかの「感じ」である。
感じることと行動が分離しておらず、
「私」はメッセージを感じ、行動が起きるのを感じる、それだけになる。感じる即行動。
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  1. 2018/09/16(日) 17:20:45|
  2. 仮想集合システム
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イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
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中身は外来種(宇宙人)らしい。
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