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ソロ・パブリッシュ

エア充。

透明な額縁、あるいは空気イス

2018.12.21(金)

額縁があります。
額縁のなかには絵があります。
絵は平面ですが、視覚の作用で奥行きがあるように見えます。
動きもあります。音や香りもあり、味を感じることもできます。

朝、起きて、布団をかたづけ、窓を開けて換気をする、
顔を洗い、洗濯機のなかに洗濯物を入れて、洗剤も投入、洗濯機を回す、
お湯を沸かし、ゴミ箱にたまったゴミをゴミ袋に移す、
というようなことが、額縁のなかで行われています。

あるとき、絵の周りを囲んでいた額縁がはずれます。
額縁はなくなり、絵は、それまで額縁の外だった世界とつながって、
全体の一部になりました。

が、この絵を見ている視線は、額縁があったときと同じように、
絵を構成する物や人の位置、変化のようすを、じっと凝視しています。
目を離すと、何かとんでもないことが起きたり、動きが滞ったりして、
絵がめちゃめちゃになってしまうかもしれないからです。
そうやって視線を絵に固定していると、
絵の構成や動きは、額縁があったときとまったく変わりません。

額縁があったときには、
絵の構造(空間)や変化のしかた(時間)に一定のルールがありました。
額縁がはずれると、このルールもなくなるのですが、
絵を凝視していると、ルールは変わらず機能しつづけます。
なので、絵のレイアウトや、それが動いてくようすは、前と変わらないのです。
まるで、まだ額縁が存在しているかのようです。
空気イスみたいです。

額縁は、「私」に課せられた制限を表しています。
すなわち、濃い感覚(物理像)も中程度の感覚(マインド)も微妙な感覚(高次)も、
全部「感じ(周波数)」として感じて出現させる当事者意識である「私」を、
一塊の物体(身体)と物体から生じるとされる心(主観)に制限して、
「“私”とはこの身体と心のことだ」と思い込ませている客体思考の象徴が額縁です。
額縁に囲まれた絵の内容は「現実」と呼ばれている物理世界。
額縁があるときは、それは物体だと考えることがお約束になっていますが、
額縁がなくなると、濃い感覚の束からなる「像」であることがあきらかになります。
額縁、つまり客体思考がはずれて、
「全部“私”が感じている“感じ(周波数)”だ。その“感じ”が濃く強烈に感じられるのが
物理世界で、これは濃く強烈な帯域というだけで、
“感じ”の向こうに物体があるわけじゃない」
とわかると、物体が一律に広がっていると思い込ませている空間思考や、
物体が一律に変化すると思い込ませている時間思考も、ただの思い込みだとわかります。
と、微妙な感覚(高次)が、その周波数と相似形の中程度の感覚(マインド)を呼び出し、
呼び出されたマインドが、その周波数と相似形の濃い感覚(物理像)を呼び出す、
という、上流から下流まで位相のそろった観察と創造が起きます。
高次の信号がマインドのわくわく、ぞくぞくになり、それが通常の状態で、
マインドのわくわく、ぞくぞくが、それに合った場面を連れてくる。
わくわく、ぞくぞくは通常の状態ですから、
タイミングがいいとか、必要なものが全部そろってるとかいうのも通常の状態で、
とくに奇蹟ではありません。

が。
空気イスをやってると、
制限がはずれても、なお制限の範囲内でしか、ものごとは起きません。
「私」は制限の範囲内のことしか感じないし、出現させません。
能力は無限大なのに、ですよ?
パガニーニやチャイコフスキーの協奏曲を弾けるヴァイオリニストが、
なぜか人前だとキラキラ星しか弾けなくなっちゃう、みたいな。
100メートルを9秒台で走れる人が、
公式タイムを測ろうとすると小学生でも抜かせるタイムまで落ちちゃう、みたいな。

額縁(制限)が消えても、絵の内容が額縁があったときと同じ状態にとどまるのは、
絵の内容を凝視しているからです。
これは、物理像の面倒をみようと身がまえているマインドの状態です。
物理像にフィーチャーする(注目する)と、
①注目→②ケア姿勢発動→③バーチャル額縁アクティベート→④むかしの現実の継続、
という一連の反応が速攻で起きます。
額縁しばり(客体‐空間‐時間思考システム、またの名を仮想集合システム)のしくみ上、
①は②のボタンを押すという連動プログラムになっているので。
物理像にスポットを当てると、必ず、そこに評価や判断が被さり、
どうなるんだろうどうしようといった心配がはじまるしくみになっているのです。
これを宇宙人とか天使とかのentity目線で見ると、
道を渡るときに、道路の凹凸や手足の動きに注意が行ってしまって、
とっとと渡れる道を、ぎくしゃくとひどく苦心しながら横断している、とか、
隣の部屋に行くのに、今日はドアがちゃんと開くだろうかと気にしているとか、
そんなふうに見えるみたいだ。
実際には、特別な事情がない限り、道を渡るときには渡り切れるかどうかを心配したりせず、
さっさと渡ってしまうし、隣の部屋に行くのにドアの開閉を気にかけたりしません。
物理像への目配りって、そのくらいでいいんです。
物理像を特別視してケア姿勢になることはグラウンディングじゃありません。
グラウンディングとは、自分が降りているいちばん低い次元に接続していること、
濃い感覚(物理像)を、どんな評価も被せずにそのまま感じることです。
要は道をスムーズに渡れる状態です。

物理像にフィーチャーしなくなった状態を実感的にいうと、
生活が存在へと融解してしまう感じです。
ずっと居て、何かを感じている、どの感じも瑞々しい。それだけ。
日時や場所や言葉の意味はわかるけどどれもBGMみたいで、
人生とか社会とかへのリアリティがない、
とにかくなぜかわからないけど楽しい! というような。

制限がはずれると、
「私」のフィーチャーゾーンは一段上がって、マインドがメインになります。
次元が上昇するんですよ。
思考システムのコントロールから脱して、もとに戻ったマインドが、
わくわく、ぞくぞくしたり、こんこんと湧いてくるようだったり、宇宙大にくつろいでいたり
しているかどうかがメインテーマ。
それがどんなふうに形になるかは副産物で、
マインドのわくわくが副産物の豊作をもたらします。

それにしても、
微妙な感覚(高次の信号)がマインドのわくわく波動として具体化するって、
とくに不思議だと感じませんが、
マインドのわくわくが濃い感覚(物理像)を変える、
そのわくわくに釣り合う現実を連れてくる、って、すごく奇蹟っぽい。
それって、現実ってのはそう易々とは変わらない、
現実の基本は物体だから、物体自体の法則で動いていて、
不可知、不可測な要素もいっぱいある、
人の意思でどうにかなるようなものじゃないんだ、
っていう考えが暗黙の常識になっているからで、
現実が変わる!? へえ、すごい、っていうこの特別視こそが、
セルフマインドコントロールががっつり利いてたあかしのように思う。
上の次元が中次元で具体化するのも、中次元が下次元で具体化するのも、
原理はどちらも同じなんですけどね。
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  1. 2018/12/21(金) 16:57:27|
  2. 仮想集合システム
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Author:みけ@猫科ホールディングス
イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
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中身は外来種(宇宙人)らしい。
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