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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

地球人の特権

2019.1.26(土)

前回の記事で、私は、
自分はもうずぶずぶにデムパまみれで、自分バージョンの世間が「物体」と呼んでいるものは、
「私」が感じた濃い感覚(濃い周波数)からなる物理像としか感じられなくなっている、
と書いた。
だから、西洋哲学の認識論は、「認識の向こうに物体が実在するかどうかはわからない」と、
「わからない」で踏みとどまるけれども、
私は「物体はない。全部、認識による“像”だ」と言い切る、と。
像とは、何らかの感覚の集まりということだ。
物理像は五感的な感覚の集まりだし、
物体のような像は結ばないが、思考や感情や気分(マインド)も何らかの感覚の集まりだし、
マインドを超えるゾーンも、何らかの、マインドよりさらに微妙な感覚の集まりである。

すると、私バージョンの世間から、「洗脳」という声が聞こえてきた。
洗脳、ね。YES。否定はしないよ。お互いさま。

高次‐マインド‐物理像のすべては周波数(感じ、感覚)に還元される。
周波数を感じる視点である「私」がそれらを感じることでそれらが出現している。
  vs.
すべては物体からできていて、物体固有の法則にしたがう。
身体も物体の一部で、物体としての身体の諸反応から「私」という自意識が生じる。
物体からできた世界には、そのような自意識をもつ人間が大勢いる。

というように、
私が「“私”が基礎で物理像は(波動の)具体化の最終形態」ととらえていることを、
世間の常識は「物体が基礎で“私”は物体の組み合わせの複雑化の最終形態」と、
逆さまにしているだけなのである。
だから、世間から見たら、私の書いていることは、
「スピリチュアルに洗脳されて現実を見失っている人の戯言」に映るだろうが、
私から見れば、先方のほうがセルフマインドコントロールされまくりなのである。
また、私自身はとても単純なことを書いているつもりなのだけども、
世間からすれば、自分を欺くための仕掛けがいろいろ施されている、奇妙でややこしい文章と
見えるかもしれない。
一方、私から見れば、世間の常識のほうが、デフォルト(暗黙指定)設定がたくさんある、
入り組んだ複雑なシステムに見える。

これまで何度も書いてきたように、両者に優劣はない。
どちらを選んでも、選んだほうのしくみに沿った現実が実現するだけだ。

選ぶのは「私」である。
けど世間からすれば、私のいう「私」は「イカレた脳と自律神経」といったふうに読めるだろうし、
世間からすれば、常識には「AかBか」というような選択の余地はなく、
「受け入れるか、受け入れないか」しかないのだから、
私(みけ)のような人は、当たり前のことを受け入れられない弱い人とか、ひねくれた人とか
いうことになるだろう。

なんにせよ正しいとか優れているとかいうことはどうでもいいし興味もないのだが、
「私」の選択、決定によって、個々の宇宙のありようはどうにでもなるということ、
「私」のキャパシティーの、そのとてつもないデカさに、私は吃驚する。メマイすら覚える。
「私」は、
「物理像とマインド」を「身体と身体にもとづく自意識が描く主観世界」に転換し、
自身が感じる範囲をそこだけに制限し、認識の裏面の創造には気づかず、
そのような制限を制限ではなく不可抗力の常識と思い込むことすらできるのだ。
→これは世間サイドからすれば「自意識は自身をも欺き、自然科学にもとづく現実を
見えなくすることすらできる」と反転されるのだろうけど。

「私」は宇宙を感じ創造し、自身の力を忘れることさえできる。
ただ、ここまでテッテー的に忘れられたのは私バージョンの銀河では地球人だけだけどね。
すごいよ。銀河英雄伝説だよマジ。

さて、ここで世間の声はかき消え、デムパがクレッシェンドしていくぞ。

「自分の自由意思を発揮して選ぶ」という夢が見られるのは、
客体‐空間‐時間思考システム(=世間の常識の土台)を適用している間だけである。
思考システムの枠内では、皮膚という境界面で区切られる物体(身体)の「私」も、
物体(身体)から派生する自意識の「私」も、
ほかの多くの物体(身体)や自意識とも、動植物とも、無機物とも分離した個体として
物体世界に投げ込まれており、
この分離した個体には、(無機物を除く)それぞれに行動の選択肢がいくつもある。
各個体の選択によって、個体をとりまく環境には何らかの変化が及ぶ。
とくに、自分の身体や主観の利益に逆らう決定をも選択肢に含めた人間の自由意思は、
たいへん尊いと考えられている。
一方、あらかじめ決まっている運命というのは、寿命とか境遇とか、
個体の状態や行動に影響する外部要因をさす。
その基本は物体固有の法則(物理学や化学、生物学など)で、
それをベースに、各個体の意思や偶然などが複雑に絡み合って決まる。
運命は自由意思による選択を制限したり、その発揮を阻んだりすることがあるので、
運命と自由意思は対立している。

客体‐空間‐時間思考システムから出ると、
あらかじめ決まっていることは「私」が欲することになる、言い換えると、
すでにかなっていることしか「私」は望まないので、
運命と自由意思の対立は解け、両者を区別する意味はなくなる。

しかし、
「“私”が感じるより先に客体(物体)がある、というのは思い込みだ。
空間も時間も“私”が感じて創造しているのであり、客体の広がりや変化のことではない」
という気づきは、思考システムにがっつりハマっているときに起きる。
だから、そこから出て、「私」を軸とする一個の宇宙としての存在に戻る、と決めるなら、
その決定は自由意思によってなされる。
これは、自由意思を発揮する最後の機会なのである。

いったん気づきながら思考システムにとどまる人は自由意思を使いつづけるし、
思考システムと「私」の間を行ったり来たりする人は、
中途半端に自由意思を使いつづけるだろう。
どちらも、ときおり降りかかってくる運命の気まぐれに悩まされ、
「運命と自由意思の相克物語」はつづいていく。

自由意思を発揮して思考システムから脱し、「私」に戻ると決めることは、
じつはものすごいことなのです。
「まず世界があって私が生まれる」から「“私”が感じて世界が現れる」への180°転換、
この象徴的ポールシフトを、自由意思で(!)選択するなんてことは、
「まず世界があって~」のほうをガチでやり切った制限のマスター(=地球人)にしか
体験できません。
でんでんコースターのスリルを堪能できるのはコースターに乗ってる人だけ的な。
多くの異界存在が地球人のセルフアセンションに注目し、
「手伝えることがあったらなんでも言って」みたいに前のめりになっているのは、
ただの見守りギャラリーでもいいから、この驚愕もののシフトにかかわりたいからです。
でも実際にでんでん体験できるのは地球人だけだよ、ハッハッハー。
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  1. 2019/01/26(土) 16:52:16|
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Author:みけ@猫科ホールディングス
イタリアの美少年のような女(豹専務)
と同居してるGID
(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)。
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中身は外来種(宇宙人)らしい。
血液型:みけ&豹専務とも超B型。
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